Chapter 08
翔の心臓が一瞬跳ね上がった。だが、顔に出さないように必死に努めながら、冷静に答えた。
「それで、なんで俺なんです? なんか証拠でもあったんですか?」
「あそこは監視カメラが入り口にしかついてねぇし、俺も長居しなかったから別に証拠っつう証拠は見つかんなかったけど、オヤジが女連れて控え室行った後、お前も控え室入ってったの見たっつってたよ。その後しばらくしてお前が出てきて組長帰ったっつってお前も帰ったって。急用思い出して帰ったんじゃねぇのかよ。なんでお前が控え室に入ってんだよ。どう考えてもお前がどうにかしたとしか思えねぇだろ」
「いやいや、それは……」
翔は息を呑んだ。いずれバレるのは覚悟の上だったが、森山組との話がまとまる前に、まさか殺した翌日にバレるなんて事は誤算だった。さらに相手は陣内。反逆する相手にしては仲が良すぎる。心臓が速く打ち始め、頭の中で必死に言い訳を考えた。しかし、陣内の目はそれを見透かすように深く鋭く、翔を突き刺した。
「はっきり言って俺もオヤジにはなんの尊敬の感情もねぇよ。俺もよく理不尽に殴られたし、俺が可愛がってた後輩もお前くらい酷い扱いを受けて、結局病んで自殺しちまったって過去もあるから憎んでたんだよ。だから俺はお前をどうこうするつもりはねぇよ。だけど問題は他の奴らだ。心からオヤジの事慕ってる奴もいるにはいるし、なによりヤクザである以上親殺し以上の罪はない。もっと深く調べりゃバレるのなんて時間の問題だ。バレたら確実にお前は殺される。それにやったのはお前一人じゃねぇだろ。もし他の組のやつと組んでやったなんて事だったら余計大事になるぞ。さすがに上部団体も動いて大抗争が起きる事になる」
「……」
「はぁー、どうやら図星だな。協力者は誰だ。俺はお前の味方だ。正直に答えろ」
しばらく考えて翔は答えた。
「自分の、地元の友達です。金渡すからどうにか処理してくれて頼んで、こっち呼んで手伝ってもらいました。詳しくどうするかまで聞いてないんですけど、多分そのまま地元まで戻ってどっかで燃やしたか埋めたかなんかした思います」
翔は陣内には組長殺しは許してもらえるものの、寝返りや反目までは許されないだろうと頭をフル回転させて答えた。
「そうか。決してお前がやった事は褒められるもんじゃない。でも自殺した後輩の事もあるし、そうしなきゃお前も自殺する選択を迫られてたかも知れないと思うと、俺は一概にお前を責めれない」
翔は陣内の優しさを噛み締めながら何と言っていいかわからずただ黙っていた。
「お前、ガラかわせ」
その言葉に翔は静かに頷いた。陣内に見透かされた事を悔いながらも、彼が自分の味方である事を感じ、少しだけ安心した。
だが、次に何が待っているのか。それが、翔の胸に重くのしかかった。
「で、どうすればいいんですか?」
翔が尋ねると、陣内は少し間をおいてから、静かに口を開いた。
「とりあえず北海道に行け。俺の信頼出来るカタギの知り合いが北海道に住んでる。そこでしばらく匿ってもらえ。何日か、何週間かあれば自分の家やとりあえずの仕事も見つかるだろう」
「北海道、わかりました」
成功と破滅とはまた違う、予想だにしない展開に困惑した。
「誰かが見守ってるわけじゃないが、最低限の連絡は取り続けれるように、携帯変えても俺の連絡先だけは残しとけ。こっちでなんか動きがあれば俺も連絡する。俺はお前が安全でいられるように、なんとかうまく立ち回る」
陣内は、憂いを帯びた目で翔の目を見ながらそう言って、事務所に戻って行った。
「ありがとうございますアニキ」
翔は陣内の姿が見えなくなるまで深々と頭を下げ続けた。
その後、翔はさっそく北海道行きの準備を始めた。何もかもが急だった。逃げるためには、最低限のものしか持って行けなかった。
浅井から受け取った金の入った紙袋、下着や、千葉にもらったアロハシャツを手に、夜のうちにこっそり街を離れることにした。陣内の番号だけメモで残し、スマホは初期化し、踏み潰して川に蹴り捨て、羽田空港に向かった。
思わぬ展開で、とっくに浅井がいる森山組で面倒を見てもらうという話どころではなくなっていた。
空港に着いてすぐにその日乗れる北海道行きの当日券を買った。最終便になんとか乗れる事になった。カフェで少し時間を潰し、出発の時間を待った。
搭乗の時間が近づくと、翔はいつもと同じ歩幅で搭乗口に向かった。
見送りなんて当然一人もいない。それ以上に、ずっと住んでいた場所から遠く離れて帰って来れるかもわからないというのに、誰かに会えなくなるとかいう寂しさの感情すらない事が、みじめでしかたなかった。
「大阪からこっち来る時もそうやったな」
一体自分は、なんのために生まれてきたんだろうという気持ちになりながら飛行機に乗り込んだ。
離陸する飛行機の中で、翔はひたすら考えていた。北海道で何をするのか、どこでどうやって生きていくのか。
だが、考えれば考えるほど、自分が置かれた状況に押し潰されそうになった。
——静かな夜の空の上、翔は初めて飛行機の窓から見える広大な景色に目を奪われた。暗闇の中に点々と輝く灯りが、自分をとてつもなくちっぽけな存在のように思わせた。
そして、自分がアニキと慕った人が親父と慕った人物、つまり自分にとっても親に当たる人を殺してしまったという事実に今更冷静に直面し、涙した。
悲しみなのか恐怖なのか、寂しさなのか罪悪感なのか、ただただ自分の愚かさ、未熟さになのか。
どれも違った。翔はそんな事をしておきながら、何も感じない自分が、とてつもない悪人のように思えて、涙が止まらなくなった。
隣が空席のシートの上で、静かに涙するその姿は、誰よりも純粋な〝いい子〟にしか見えなかった。
勝手にED主題歌 〜The Commodores - Easy〜