Chapter 04
組に入ってから一年が経つ頃には、翔にも仕事が振られるようになってきた。若さゆえの無鉄砲さとエネルギー、やっと見つけた居場所で自分の存在を確立させるという気合いから、補佐的な役割ではあったものの、仕事っぷりは中々だった。
そのおかげで、他の組員達からも徐々に認められるようになった。いじられる事も多かったが、今までとは違う、愛情が含まれてるのを感じ取れ、怒りが湧く事もなく、居心地の良さを感じていた。
そしてある日、いつものように千葉を乗せて車に乗っていると
「お前頑張ってるな。若いお前が入って他の奴らも心なしか活気づいてるみたいだしな。これ、やるよ」
千葉は翔にクリーニングしたての綺麗に畳まれたネイビーのアロハシャツを差し出した。
「え、これいつもアニキが着てるやつ」
「新品買ってやっても良かったんだけどな、これカッコいいって言ってたろ。似たようなんいっぱい持ってるし、これお前にやるよ」
「いいんですか?! めっちゃ嬉しいっす!」
翔は心から喜んだ。新品のどんな高価な物より、憧れの人が実際に気に入って身に付けていた物を貰ったのがなによりも嬉しかったが、実際に着るのは家の鏡の前だけで、外にはおこがましくて着ていけなかった。
それからしばらく経った頃、事務所から電話が届いた。
「おう陣内じんないだ。落ち着いて聞けよ」
陣内は若頭補佐で、千葉ほどではないが翔によくしてくれてる一人で、翔も慕っている人物だ。
「お疲れ様です。どうしたんですか?」
「千葉のアニキが死んだ」
——翔は言葉を失った。
初めて自分を認めてくれた大人、初めて自分に優しくしてくれた大人、初めて自分に仕事を教えてくれた大人、親以上に親のような存在だった人を失くした。翔は現実を受け入れられないでいた。
これは夢じゃないか、ドッキリじゃないか、みんなでからかおうって魂胆じゃないか。数%の可能性に望みを託しながら、やっと答えた。
「え? アニキが……? う、うそでしょ?」
「あぁ……とにかく一回事務所来い」
事務所に着いたらザワザワしている。みんなの顔を見回す。どうやら嘘ではないらしい。
「エトランジェっていうアニキが面倒見てた店で喧嘩が起きて、アニキが収めに行ったらしい。その場は収まったけど、店追い出された喧嘩してたうちの一人のベトナム人が、アニキに逆恨みして、店から出てくんの見張って、割れたビンの破片で闇討ちしたらしい」
陣内が翔に死因を説明してくれた。翔はただ呆然と立ち尽くしていた。
——三日後、千葉のお通夜、葬式が執り行われた。
大江組の人間はもちろん、エトランジェの従業員、他にも千葉が面倒を見ていた店の人間や、他の組織のヤクザも何人も来ていた。
翔は黒のスーツの下に、千葉から貰ったアロハシャツを着ていた。
「お前ナメてんのか?」
本部長の鮎川あゆかわが詰め寄ってきた。
「これは千葉のアニキがよく着てたやつです。こいつはアニキに拾われた実の弟みたいなもんです。こいつなりの弔いなんです。許してやってください」
陣内が間に入ってくれた。鮎川は何も言わずに立ち去った。
「すんません。ありがとうございます」
ある程度の流れが終わり落ち着いてきた頃、見ない顔の男が話しかけてきた。
「それ、キョーダイがよう着てたシャツやんけ。貰ったんか」
翔は関西弁にほのかな親近感を覚えた。
「あ、はい」
「俺は別の、大江組とは一応敵対組織なんやけど、あいつには良くしてもらってた。特別に兄弟分にしてもらってん。あいつは本当の意味で最後のヤクザや。男の中の男やったな」
「そうなんですか」
「あれだけの男が初めて会ったヤクザでもない奴に首刺されて死んでまうなんてな。もっと派手な最後があいつにはお似合いやのに……」悔しさを滲ませながら、男は呟くように言った。
アニキが気に入ってた人って事は、この人も信用出来そうだなと翔は思った。
「自分、戸狩翔っていいます。色々あって大阪からこっちに来てフラフラしてたんですけど、アニキに拾ってもらって、ほんまに実の弟みたいによくしてもらってました」
翔は涙を堪えながら自己紹介をした。
「なんや大阪出身か。同郷やな。あぁ、あいつが気に入りそうなええ目しとるわ。俺は浅井あさい、また会う時あるかもやし、よろしくな」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
どうやら男はこのあたりの地域では最大の組織、森山組の若頭だった。
本気で潰しにかかれば、大江組を簡単に潰せるだけの力を持っている組織だったが、そこらへんも千葉が持ち前の仁義と人徳でうまくやっていたのだと理解するのに、そこまで時間はかからなかった。
葬式が終わっても事務所はバタついていた。千葉が担っていたシノギの振り分けが始まった。三分の二は陣内、残りは常に行動を共にして勝手がわかっていた翔が任される事になった。それ以外のシノギがまだなかった翔は、組長である大江おおえの運転手も任される事になった。
翔は大江組長の事はあまりよく知らなかった。ヤクザになった初日に当然挨拶はしたが、その時も「千葉が認めた奴なら構わない」とだけ言い、翔とはまともに会話もしてくれず、ひたすら千葉や他の側近連中と喋っていた。
翔が組に入ってからも、一方的に挨拶をする程度で、翔も翔で、千葉や陣内とつるんでばかりいたため、まともに込み入った会話をする事もなかった。
「おう、車出せ」
早速大江からお呼びがかかった。
「はい!」
大江を車に乗せて改めて挨拶をした。
「あ、オヤジ、これからよろしくたのんます」
「なんだぁー? お前関西人なのか?」
「あ、はい。すんません出身大阪なんで」
ドカっ! 突然顔面に蹴りが飛んできた。
「気色悪ぃな。俺は関西人が嫌いなんだよ。野蛮で汚らしい。お前がどうこう言うんじゃないけどな、俺が今まで関わってきた関西人はみんなやらしい人間ばっかりだ。かぁーっ! 後釜が関西人か。ほんまええ加減にせぇっちゅうねんってかぁ」
愛のあるいじりなんかじゃない。悪意に満ちた言い方に翔は肩を震わせた。
「自分じゃ不服でしたら、降りますよ。代わりに陣内さんのシノギ少し自分が担うんで、陣内さんとか——」
ボカっ! ボカっ! ボカっ! 話終わるのを待つ間もなく、髪の毛を掴まれ、ひたすらに顔面を殴られた。
「偉そうな事言ってんじゃねえぞ小僧コラァ! お前そんな偉ぇのかよ?! おぉ?! お前親や兄弟の言う事も聞けないでそれでヤクザ語ってんのかオラァ!」
「すんません、すんません」
「なにが代わりにだコラ小僧。なんでお前が提案してんだよ。なぁ?! お前何様なんだぁテメェコラァ!」
怒号を飛ばせば飛ばすほど大江の怒りはピークに達していき、気付けば顔面が変わるほど殴られ続けていた。
組長はこんな人やったんか。こんな人のどこにアニキは惚れたんや。考えれば考えるほど怒りと混乱が翔を襲った。