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28.暴君、鵺狒々

 妖々魔がぬらりひょんの館にやってきてから一ヶ月が経過した。
 桃姫は毎夜、墨庭園にて妖々魔と剣術の鍛錬を行い、妖々剣術の"独自"の戦い方がその身に染み付いてきていた。

「妖々剣術──それは、剣術と体術を組み合わせた全く新しい戦い方で候──野を駆け回る獣の如く、足のみならず、手までも使って、縦横無尽に身体を転がし、飛び跳ねながら斬りつけるが──妖々剣術の極意」

 妖々魔の指南を受けた桃姫は、正しく獣のように時には手すらも使って庭園を駆け回り、軽快に転がりながら浮き木綿相手に剣撃を繰り返していた。

「──柔軟に、相手の意表を突く……! ──まさしく妖怪のようにぬらりぬらりと立ち回る……! ──妖々剣術とは、某もよく名付けたものでござるッ──!!」
「──ハァッッ──!!」

 転がった先で瞬時に跳躍した桃姫が浮き木綿の背後に回ると空中で振り返りざまに〈桃月〉の刃で斬りつける。
 なすすべなく上下に寸断された浮き木綿は黒石の上に落ちると、しばらくしてから、ふわふわと二枚になって浮き上がった。

「桃姫様……凄まじい戦い方を身につけています……」

 廊下から庭園を眺めていた夜狐禅がつぶやくように言うと、その隣に立つぬらりひょんが口を開いた。

「うむ……あのような人間離れした戦い方は、桃太郎の娘である桃姫だからこそ為せる業……」

 ぬらりひょんが目を細めてそう言うと、庭園に一羽の青い目をした白いカラスが舞い降りてきた。

「──ぬ……!? あれは……!」

 白濁した目を開いたぬらりひょんは慌てたように庭園に降りる。庭園にいた桃姫と妖々魔もカラスの存在に気づいて鍛錬の手を止めた。
 不思議な淡い光を放つ白いカラスは、灯籠のそばに立ち桃姫の鍛錬の様子を見ていた雉猿狗の前にやってくる。

「……?」

 雉猿狗がおもむろにスッ──と手を差し伸ばすとその手に止まった白いカラスが"カーッ"と一鳴きしてから青い光を放ち、季節外れの雪の粒子となって霧散した。

「……手紙……?」

 手につもった白い雪の粒子の中に一通の手紙が置かれていることに雉猿狗は気づいた。

「……雉猿狗、その手紙をわしへ」
「はい」

 雉猿狗の元にぬらりひょんがやってきてそう言うと、雉猿狗はぬらりひょんに手紙を渡した。
 そして、ぬらりひょんがその場で手紙を開くと、桃姫と妖々魔、そして夜狐禅も何事かと灯籠の前に集まった。

「……蝦夷地の妖怪女王──カパトトノマト様からの召集令状じゃ」

 ぬらりひょんは言うと、手紙の文面を見せた。

 ──ぬらりひょん そなたがわらわへの恩義を忘れていないならば 今すぐにわらわの元にきなさい 以上

「……恩義?」

 桃姫が異様に力強い筆圧で書かれている文字を読み上げると、ぬらりひょんはため息をついてから語りだした。

「──忘れもせん。四百年の昔、妖怪大戦。わしは奥州に攻め込んできた妖怪大王、大太郎坊(だいだろうぼう)相手に苦戦を強いられておった」

 ぬらりひょんは手紙の文面を見つめながら話した。

「死闘の末に奥州を追い立てられ、蝦夷地まで逃げ込むはめとなったわしの命を助けてくれたのが、何を隠そう──妖怪女王カパトトノマト様じゃった」
「……そのようなことが」

 ぬらりひょんの口から語れる妖怪大戦当時の話は、ぬらりひょんに十五年以上仕える夜狐禅にとっても知らない話であった。

「大太郎坊は本州のみならず、蝦夷地までをも支配下に置こうと攻め込んできおった……そして、大太郎坊が蝦夷地に足を踏み入れたその瞬間──事前に仕掛けておいたカパトトノマト様の大封印術が見事に発動したのじゃ……! ほっほっほ、傑作じゃったのう、あれは……!」

 ぬらりひょんは当時を感慨深く思い出しながら白濁した眼を見開いた。

「蝦夷地から四国に強制転移させられた大太郎坊の巨体は固く封じ込められ、彼奴は二度と四国から出られない定めとなった……それが妖怪大戦の顛末じゃ──それ以来、わしは妖怪女王に頭が上がらんのよ、ほっほっほっほ……!」

 ぬらりひょんはそう言って笑うと、手紙を着物の中に押し入れた。

「……その御方の召集令状、断れるわけがあるまい──集え、浮き木綿」

 ぬらりひょんが杖を持ち上げて声を上げると、三枚の浮き木綿が寄り集まって互いに繋ぎ合わさり、大きな一枚の"大浮き木綿"となった。

「──夜狐禅、留守の番はたのんだぞ」

 ぬらりひょんが声をかけると、夜狐禅は口を開いた。

「はい。頭目様が留守の間、何か特別に気をつけることはありますでしょうか?」
「うむ……」

 夜狐禅の言葉を聞いたぬらりひょんは考え込むように眉根を寄せるとにんまりとした笑みを見せた。

「──ないの。頭痛の種じゃった鵺狒々(ぬえひひ)はわしが退治したしの。ほほほ」
「"鵺狒々"……にございますか?」

 雉猿狗が聞き慣れない名前を耳にしてぬらりひょんに尋ねた。

「うむ。あれは十五年前……巨大な化け猿の妖怪が"怪我を治したいから湯に入らせてくれ"とやってきたのじゃよ。そう夜狐禅、丁度おぬしが丁稚奉公になったばかりの頃じゃったな?」
「……はい」

 ぬらりひょんの言葉に夜狐禅は顔を伏せながら答えた。

「見るからに粗暴な大猿でのう。"いやじゃなぁ"と思いながらも、"妖怪皆仲良く"が信条のわしは入館させてやった……ところがどうじゃ、鵺狒々ときたら館を我が物顔で使いおる。食事もあればあるだけ喰らうし、他の妖怪にも暴力を振るう始末……まるで"暴君、鵺狒々"じゃよ」
「……本当に、悪夢のような日々でした」

 夜狐禅は辛そうに言いながら、ぬらりひょんの言葉に同意した。

「そしていよいよ堪忍袋の緒が切れたわしが、"出て行け"と一喝したら、そこから大暴れの始まりじゃよ……」

 ぬらりひょんは深くため息をついて両手で握った杖の頭に片頬を乗せた。

「……わしも本気を出して応戦してのう、二度と彼奴の顔を見ずに済むようにはしたが……はぁ、あの暴れ猿のことなど、思い出したくもないわい……」

 げんなりした顔でぬらりひょんは告げると、杖から顔を持ち上げて大浮き木綿の前に移動した。

「──とにかく、鵺狒々がいなくなった今、館は安全じゃ。あれほど厄介な妖怪はそうおらん。夜狐禅は訪問客の対応にだけ気をつければそれでよい──それでは行ってくる」
「はい、頭目様。蝦夷地はとても寒いと聞きますので、風邪など引かれぬようお気をつけて」
「──ばかもん! わしが風邪なんぞ引くか! ──それぃッ!」

 掛け声を発したぬらりひょんは、軽々と跳躍して宙空で一回転すると、大浮き木綿に飛び乗った。ぬらりひょんを乗せた大浮き木綿は、風を掴みながら急上昇し、北へ向かって体をはためかせながら飛んでいった。

「……鵺狒々でござるか」

 妖々魔が武者鎧から声を発すると夜狐禅が笑みを浮かべながら口を開いた。

「大丈夫です。あの時はどうなるかと思いましたが、頭目様がしっかりと──」
「──……しっかりと、なんだってェ……──?」

 夜狐禅の言葉を遮るように中庭に向かって吐きかけられる野太い声。中庭にいる一同が一斉に声のした先、館の屋根を見上げた。

「──よォやくいなくなったかよ、ぬらりのクソジジイがよォ……! バジャジャジャジャッ──!!」

 黄色い満月を背にした大猿が、屋根の上から咆哮のような笑い声を発すると、中庭の中央に飛び降りてドスン──と着地した。

「……ぬ、鵺狒々──ッッ!?」

 絶望を顔に浮かべた夜狐禅が叫ぶように声にすると、鵺狒々は興味深そうに赤い猿の目を見開いた。

「──おお……! 夜狐の坊主ッ! 久しぶりだなァ……! 元気してたかよォ! バジャジャジャッ──!」
「そんな……頭目様が、手足をバラバラにして……廃寺の洞穴に封じたはずでは……」

 愉快そうに高笑いする鵺狒々に対して、夜狐禅が戦慄しながら言葉を漏らした。

「──おうともよ! ブチギレたぬらりに、バんラバんラにされて穴ん中に放り込まれた……!! ンだけどもよォ!! 斬った手足と胴体を同じ穴に放り込むバカがどこにいるかよ……!! 別々にしなきゃダメだっての!! バジャジャジャジャッ──!!」

 鵺狒々は笑いながらそう叫ぶと、太く長く毛深い両腕を夜空に突き伸ばし、庭園の黒石を踏みしめる太い両脚もグッ──と伸ばした。

「──おかげさまでこの通りよ……! 時間はかかったが、自力でくっつけて治した!! 封印していた大岩もぶっ壊して、シャバに出てきてやったぜ!! ──バジャジャジャジャッ──!!」
「……鵺狒々っ!! あなたは入館禁止だッ──! 館の結界も機能しているのに……なぜ館に入ってこれたッ!!」

 泣きそうな顔で叫んだ夜狐禅の言葉を聞いた鵺狒々は赤い目を細めて嗜虐的な笑みを浮かべた。

「──狙ったのよォ……! ぬらりが留守になる瞬間をなァ……! 館主であるあのクソジジイがいなければ……この館の結界の効力は断然に弱まる──!!」

 鵺狒々は両拳を握りしめて庭園にドスドス──と落とすと、大きな口の左右から伸びでた、長く鋭い犬歯を夜狐禅に見せつけた。

「──ましてや、この館の結界は同族である妖怪に対しては効力が弱いときたもんだ……! ──よかったぜェ、オレ様が"鬼"じゃなくてよォ……!!」
「……ッ」

 鵺狒々の言葉を聞いた夜狐禅は歯噛みして一歩後ろに退いた。そして、桃姫と雉猿狗、何事かと墨庭園に面した廊下に集まってきた妖怪たちに向けて口を開いた。

「……皆様、逃げてください……こいつは、頭目様が決死で封じ込めた"奥州一の暴君"です……!」
「──"奥州一の暴君"だなんてよォ、嬉しいこと言ってくれるじゃあないの──まずはオマエから喰ってやろうか、夜狐禅」

 グワッ──と赤い目を大きく見開いた鵺狒々が夜狐禅の眼前に顔を向けると、途端に鼻を鳴らしだした。

「──ん……? ふんッふんッ……なんだぁ? 若い女の匂いがするぞォ……おお? おお……!! ──いるじゃあねぇか! 美味そうな女が二匹ッ!! ──あんの助平ジジイ、館に人間の女を連れ込んでやがった……!! ──バジャジャジャジャッ!!」

 鵺狒々は、夜狐禅越しに桃姫と雉猿狗の姿を見つけると嬉々とした声を張り上げた。

「──老いぼれのクセに大したもんだ。独眼竜にあんだけしごかれておいて、まだこんなことやってんのか……!! ──バジャジャッ!! ──バジャジャッ!!」
「……やめてください。あのお二方は、僕の大切な家族で──」
「──邪魔だァ、ボケェ──ッッ!!」

 桃姫と雉猿狗しか見えなくなった鵺狒々に対して夜狐禅が立ちはだかると片手で払うように叩かれ、吹き飛ばされる夜狐禅。

「ッ、ぐあっ……!!」

 庭園の黒石の上を転がってうめいた夜狐禅に向けて桃姫が声を上げた。

「夜狐禅くん……!!」
「──特にオマエッ!! 桃色頭のオマエだよッ!! ──いい香りだァ……こいつは、喰い甲斐がありそうだなァ……!!」

 鵺狒々は口の端からねばねばしたよだれを垂らしながら桃姫を見下ろして野太い声を発する。

「……っ!?」
「……桃姫様ッ──!!」
「お逃げ……ください……」

 怯んだ桃姫をかばうように雉猿狗が前に出る。それを見た夜狐禅が倒れながらも二人に声をかけた。
 そんな状況すら楽しんだ鵺狒々は、赤く血走った猿の目をこれでもかと嬉しそうに興奮に見開いてよだれをぼたぼたと黒石の上に落とした。

「──喰うッ──!! ──良い女ッ──!! ──ぜんぶ、喰うッ──!!」
「──猿殿、サカッているところすまぬが、某が御相手いたし候──」

 鋭い殺意が込められた凛とした声が背中に向けて発せられると、鵺狒々は咄嗟に背後を振り返った。

「──なんだァ、キサマはァ……」
「──某、蘆名の剣術家、柳川格之進。またの名を──妖刀憑かれの妖々魔──」

 月光を浴びて反射させた群青色の武者鎧が庭園に一体浮いている。右手甲に妖刀〈夜桜〉、左手甲に妖刀〈夜霧〉を握りしめ、漆黒の面頬の奥から赤い眼をボォ──と妖しく光らせた。

「──知らねェなァ……」
「──一月前より、この館にて世話になっている身。妖怪になったのも半年前のことで、お初にお目にかかるのは当然でござろうな──」

 妖々魔が声を発すると鵺狒々は嗜虐的な笑みを浮かべて笑った。

「バジャジャッ──!! "新参者"かよ……!! そんなら、"妖怪の掟"ってヤツをその薄汚い鎧に叩き込んでやらねェとなァ……!!」
「──ふむ、"妖怪の掟"とは、これ如何に──?」

 妖々魔が聞き返すと、鵺狒々は突如として黒石を蹴り上げ、妖々魔に向けて突撃を開始した。

「それはなァ──!! "強者"こそが"絶対"ってことよォッッ──!!」
「ほう──"戦国の掟"と、変わらぬではござらぬか──」

 手足を使って突進してきた鵺狒々の体が宙に浮いたその隙間を縫って、滑り込むように鵺狒々の背後に回った妖々魔。
 鵺狒々は振り上げた左の拳で妖々魔が背にしていた灯籠を粉々に打ち砕いて破壊した。

「……ッ、いねェ──!?」
「──ぬらりひょん殿の庭園を荒らすのは、控えてもらおうか──」

 鵺狒々が驚きの声を上げると、その背後に立つ妖々魔が声を発した。

「……うるせェ──ッッ!! 新参の下級妖怪がこの鵺狒々様に指図すんじゃあねェッッ──!!」

 鵺狒々はただでさえ赤い顔を激昂によって更に赤く染め上げると長い両腕を振り上げて妖々魔に襲いかかった。

「──丁度刀が欲しかったところだッッ──!! てめェのその妖刀、オレ様の得物にしてやらァッッ──!!」
「……師匠ッッ──!!」

 両腕を夜空に掲げて立ち上がった鵺狒々の巨体と比べて、あまりにも小さい妖々魔の背中に向けて桃姫が悲鳴にも似た声を発した。

しおり