27.妖々剣術・妖々魔
桃姫と雉猿狗がぬらりひょんの館に辿り着いてから三年と半年の月日が経った。
桃姫は14歳となり、雉猿狗による文武両道の教えもあって立派に成長を遂げている最中であった。
そんなある日、小雨が降る真夜中のぬらりひょんの館の扉前に見知らぬ訪問者が訪れた。
「──失礼……失礼つかまつる」
館の大扉の前で、歴史を感じさせる古びた群青色の武者鎧が一体、宙に浮かぶように立ちながら声を発した。
手入れの行き渡った松に囲まれた大扉がギィ──と開かれ、中から夜狐禅が顔をのぞかせる。
「はい。なんの御用でありましょうか──」
夜狐禅がたずねると漆黒の面頬の隙間から赤い眼がボォ──と浮かび上がり、武者鎧の全体から声が発せられた。
「──某(それがし)、妖々魔と申す流浪の妖(あやかし)にござる。猫丸殿から、妖怪が集いし館の話を聞きおよび、こうしてうかがった次第」
「……猫丸様、ですか。猫吉様の弟者でございますね……確か、剣豪を目指すと言って厨房を飛び出して早五年……」
「うむ、いかにも。そのように言っておられた。半月程前、小鬼どもに絡まれて苦戦を強いられているところを某が助太刀した折に意気投合。この館の場所を教えてくださった」
妖々魔の言葉を聞いた夜狐禅は長い前髪の隙間から覗く紫色の瞳で事の真偽を推し量る。
そして、嘘をついている様子、悪意を持っている様子が見受けられないことを確認したあとに口を開いた。
「かしこまりました。ただいま頭目様をお呼びしますので、しばしお待ちを」
「──かたじけない」
夜狐禅が大扉の前から立ち去ったあと、しばらくして夜狐禅と共にぬらりひょんが杖を突きながら現れた。
「お初にお目にかかる。某、妖々魔と申す流浪の妖……奥州妖怪頭目ぬらりひょん殿、お会いできて恐悦至極に候」
「……なんじゃ、夜分遅くに」
礼儀正しく声を発した妖々魔に対して、ぬらりひょんは面倒くさそうに応対した。
「かたじけない……しかし、妖怪とは夜分こそが本領と考えてござったが」
「……わしは朝型の妖怪じゃ……ふわぁあ……」
「……承知」
あくびをしたぬらりひょんの姿を見た妖々魔は赤い眼を明滅させて答えた。
「それで、猫丸のぼんくらはどうした? 武者修行から帰ってくる気になったか?」
「猫丸殿なら、蝦夷地に向かうと言って某とあい分かれたでござる」
「蝦夷じゃと……? あんのぼんくら猫又が……」
妖々魔の返答を聞いたぬらりひょんは杖にあごを乗せて溜めいきをつきながら言った。
そして、白濁した眼でジッと妖々魔を見回すと口を開いた。
「おぬし……"妖刀憑かれ"じゃな」
「……さすがは頭目殿。看破されたでござるか」
ぬらりひょんは妖々魔が腰に帯びた大中小、三本の刀に着目していた。
「三振りとも……妖刀じゃな……珍しい」
「いかにも。妖刀〈夜桜〉、妖刀〈夜霧〉、妖刀〈夜露〉……三振りともにいわくつきの妖刀にござる」
妖々魔の返答に眼を細めて頷いたぬらりひょんはにんまりとした笑みを浮かべて口を開いた。
「……気に入った。妖々魔、おぬしを館の客人として歓迎しよう」
「──有難き幸せ」
「しかし、"条件"がある──」
頭を下げた妖々魔に対して、ぬらりひょんは告げた。
「退館の際、妖刀の一振りを頂こうか」
「……ぬらりひょん殿、某は、"妖刀憑かれ"、妖刀をその身から外すことすら叶わないことはご存知でござろう」
妖々魔の言葉を聞いたぬらりひょんは首を横に振った。
「ほほほ……それは己の意思によってに限った話。"条件"をつけられた場合は話が別じゃ。"妖刀を置いていけ"という"条件"が付けられれば、"条件"に従って体から妖刀を外すことが出来る……おぬし、さては"妖怪生りたて"じゃな……?」
ぬらりひょんは笑みを浮かべながら妖々魔の武者鎧を見回すと、妖々魔は漆黒の面頬の奥に浮かぶ影のような顔をゆらりと揺らした。
「──素晴らしきご明察恐れ入った……いかにも某、元は蘆名に仕えていた剣術家。半年前の伊達との戦において命を落とし、"妖刀憑かれ"として黄泉帰った次第」
「……ほう。なるほどのう……それで、奥州をさまよっていたと……して、おぬしは館に何を求めに来た?」
妖々魔の言葉を聞いたぬらりひょんは白濁した眼を開き"心眼"で妖々魔に問い質した。
「某が何を求めているのか、なにゆえ妖刀に憑かれ妖の身分となったのか……それを探るため。妖怪の集まる館に赴けば、何か糸口が掴めるかもしれないと思い至った次第──妖刀を一振り置いて退館する"条件"受け入れたく候」
そう告げると、宙に浮かぶ両手の手甲を合わせて合掌した妖々魔。
「よかろう……夜狐禅、空いている部屋に案内してやれ」
「はい」
妖々魔は大扉からぬらりひょんの館に入館すると、夜狐禅によって部屋へと案内された。
その翌朝、食堂で食事を取っていた桃姫と雉猿狗に夜狐禅が昨晩の出来事を話していた。
「……そのようなことがあったのですか」
「ぐっすり寝てたから気づかなかったよ」
雉猿狗がお茶を飲みながら言うと、桃姫が味噌汁を飲みながら言った。
「はい。ただ、妖々魔様は夜型の妖怪のようなので、明るい時間に活動していらっしゃる桃姫様と雉猿狗様にお会いする機会は少ないかもしれません」
夜狐禅が言うと、雉猿狗は夜狐禅の言葉を思い出しながら口を開いた。
「妖々魔様、もとは蘆名の剣術家だったと、そうおっしゃられたのですよね……」
「はい。確かにそうおっしゃられました」
雉猿狗は夜狐禅からの返答を受けると麦飯を食べる桃姫の顔を見た。
「……桃姫様、私たちの独自の鍛錬には限界があります。この三年で体力はつきましたが、しかし技術面では不足しています。もし、妖々魔様から剣術の技法を教わることができれば、これは大きな力になるのではないでしょうか」
「うん……そうだね、教わりたい」
雉猿狗の言葉を聞いた桃姫は麦飯を飲み込んだあとに頷いて返した。
「それでは、今日は昼の鍛錬を取りやめて、仮眠を取った後に、夜に中庭に行きましょう」
「うん」
雉猿狗の提案に桃姫は同意して、二人は妖々魔から剣術を学ぶことにしたのであった。
そして、夜。二人は長い廊下を歩き、館の中庭に足を運んだ。
ぬらりひょんの館には"墨庭園"と呼ばれる黒炭のような黒色頁岩が敷き詰められた広大な中庭が存在した。
「……夜の館は朝には見ない妖怪さんが多いよね」
「はい。あ、浮き木綿様と目壁兵衛(めかべえ)様です」
灯籠の明かりに照らされた中庭にて、ふわふわと宙空に浮かぶ黄色や赤、茶色の木綿、それに一つ目のついた大小の岩石の群れがゴロゴロと中庭を転がって遊んでいた。
そんな中、浮き木綿の一体が桃姫の存在に気づくとふわふわと宙に浮かびながら近寄ってくる。
「浮き木綿さん、また剣の鍛錬に使っていいの?」
桃姫が浮き木綿にたずねると浮き木綿は体をくねらせたあとにバッと大きく広がった。
浮き木綿は喋ることはしないが、これは"かかってこい"という意味なのだと桃姫はなんとなしに理解していた。
「……よし! それじゃ、行くよ!」
桃姫は鞘から桃月を引き抜くと、ゆらゆらと宙に揺れる浮き木綿相手に剣撃を繰り返した。
浮き木綿は次々と集まってきて、桃姫の周りを取り囲む。桃姫は声を発しながら浮き木綿を斬り付け続けた。
「──テヤアアアッッ!!」
桃姫の渾身の一撃が赤い浮き木綿を縦に斬り裂くと二つに分かれた浮き木綿がひらひらと地面に落ちる。
しかし、すぐにそれぞれの意思を持って動き始めるとふわふわとまた浮かび上がる。
こうして引き裂かれることによって浮き木綿はその個体数を増やす妖怪であった。
桃姫の剣の練習相手をしながら自らの個体数を増やしていく浮き木綿。
雉猿狗や他の妖怪たちが中庭の中央で浮き木綿と戦う桃姫をの姿を眺めた。
「……あ」
ふと、雉猿狗は妖怪たちの中に群青色の武者鎧の姿があることに気づいた。
夜狐禅から聞いた情報から妖々魔だと理解すると、雉猿狗は妖々魔の隣に歩み寄った。
「妖々魔様でいらっしゃられますね?」
「……うむ?」
雉猿狗に声をかけられた妖々魔は面頬の隙間からのぞく赤い眼をボォ──と浮かび上がらせながら声を発した。
「生前は蘆名の剣術家であられたと夜狐禅様よりうかがっております……そこで、頼みがあります。中庭で剣の鍛錬をしていらっしゃるあちらの桃姫様……鬼を退治するため、誰よりも強い女武者を目指している桃太郎の娘です」
「……なんと、桃太郎とな」
雉猿狗の言葉を聞いた妖々魔は興味深げに改めて浮き木綿の群れと戦う桃姫の姿を見た。
「しかし、私たちには剣の師匠がおりません。独自の鍛錬では限界を感じております。もしよろしければ、ぜひ桃姫様に剣の鍛錬をつけては頂けませんでしょうか」
「……ふむ」
雉猿狗は言うと、妖々魔は三本の妖刀から放たれる熱気を感じ取った。そして、声を発した。
「──あいわかった」
浮き木綿をあらかた斬り終えた桃姫が一呼吸ついていると、一体の群青色の武者鎧がスゥッ──と中庭の中央へと現れた。
「っ……妖々魔さんですね!」
桃姫が濃桃色の瞳を見開いて声を上げると、妖々魔は桃姫と対峙した。
「某、蘆名の剣術家、柳川格之進。またの名を──妖々剣術、妖々魔」
妖々魔は名乗りを上げると中小の妖刀、〈夜霧〉と〈夜露〉を黒鞘から抜き取り両手に握りしめた。
「そなたの戦う姿を見ていて、忘れていた記憶、全てを思い出したでござる……半年前、蘆名と伊達との合戦の折、不覚にも若き女武者相手に某は討ち取られたでござる。そう丁度、そなたのような年頃の女武者でござった」
妖々魔は赤い眼を光らせて桃姫の姿を見やった。
「女子供相手に油断していた。確かにそれもあったでござろうが……何より手強い相手であったというのが不動の事実でござる。某も侍の端くれ、負けは認めるでござる。しかし、某には一つ心残りがあったでござる。それは、某の編み出した剣術を誰にも伝えることが出来なかったという無念にござる」
桃姫は妖々魔の言葉を真剣に聞き届けた。
「その無念は、思念へと成り変わり、そして某が持つこの三振りの妖刀に吸い込まれ、こうして奥州をさまよう妖怪の身と成り果てた次第」
いつの間にか、中庭を見渡せる廊下にはぬらりひょんと夜狐禅が立ち、妖々魔の話を聞いていた。
「某は、名を柳川格之進から妖々魔と改め、無名の剣術の名を妖々剣術と定めたのでござる──妖々剣術を未来ある若き武人に伝授するため」
雉猿狗も妖々魔の話を固唾を飲んで聞き、そして桃姫の姿を見た。
妖々魔の言葉を聞き届けた桃姫は、覚悟を決めたように濃桃色の瞳に力を込めて声を発した。
「──私の名は桃姫! ──鬼退治の英雄、桃太郎の娘!」
桃姫の言葉を聞いて、観衆の妖怪たちが一斉にざわついた。
「妖々魔さん……いえ、妖々魔師匠ッ! 私、強くなりたいんです! ならなきゃいけないんです……! ぜひとも、妖々剣術を私に伝授してくださいッ!」
桃姫の熱い想いのこもった言葉を受け取った妖々魔は群青色の兜を下げて感慨に浸った後、グッと持ち上げて赤い眼を強く光らせた。
「──桃姫殿! 某の妖々剣術、その全てを惜しみなくそなたに伝授するでござる! ──いざ、覚悟!」
「──はい! ──よろしくお願いします!」
満月と灯籠の明かりが照らすぬらりひょんの館の広大な中庭"墨庭園"にて、桃姫と妖々魔による剣の鍛錬が始まるのであった。