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5話 厄介者

 アリサがビアンカの元に身を寄せて、一ヶ月が経った。

 シンシアを育てると決意して、母親になり、一ヶ月。
 アリサは母親初心者として、それなりに育児に慣れてきて……いない。

 元聖女であるため、幅広い知識を持つアリサ。
 赤子に関しても、それなりの知識を持っていたのだけど……
 それがまったく役に立たない。

 実際に育児をすると、思わぬトラブルに襲われることは何度もあった。
 その度に慌てて、悪戦苦闘して、どうにかシンシアを泣き止ませる。

 そんな日々の繰り返し。
 シンシアの夜泣きで三時間毎に起こされてしまうし、よくわからない要求で困らされたことは数知れず。
 自分の時間なんて持つことはできず、全てをシンシアに捧げるのみ。

 しかし、それでもアリサは充実していた。
 幸せだった。
 カインと一緒にいた頃には決して得ることができない、満ち足りた日々だった。

 この子のためならなんでもできる。
 母親としての自覚が少しずつ生まれてきていた。

 そんなある日のこと、事件は起きた。



――――――――――



「牛肉の香草焼きを三人前。それと、蒸し鶏のピリ辛ソース。卵スープとサラダを同じく三人前で」
「おーい、こっちはエールのおかわりを頼む! 五つな」
「同じく、エールを三つ頼む。あと、なんか適当につまみになるものも」
「はいはい、ちょっと待ちなさいよ!」

 ビアンカとその夫……ジークが営むひだまり亭は、ちょっとした戦場になっていた。

 夜。
 仕事を終えた男達がひだまり亭にやってきて、おいしい料理や酒を次々と注文する。
 ビアンカは接客をして、ジークは料理を担当。

 熟練の動きではあるが、それでも圧倒的に人手が足りない。
 ビアンカは店内を常に歩き回り、注文を取り、オーダーを伝える。
 ジークは厨房にこもり、料理を作り続ける。

 せめてもう一人、店に誰かがいればいいのだけど……

 ビアンカは、二階の客室で娘の世話に悪戦苦闘しているであろうエルフのことを思い浮かべた。
 彼女はとても要領が良いから、すぐに仕事を覚えてくれるだろう。
 それに絶世の美少女であるため、看板娘にもなってくれるはず。

 とはいえ、今は娘以外のことは考えられないらしく、てんやわんやだ。
 もう少し落ち着いたら、その時に話をしてみよう。

 そんなことを考えていると、新しい客がやってきた。

「いらっしゃいませー!」
「酒とつまみだ! ありったけ用意しな」
「あ、はい」

 ニメートルに届きそうなほどの巨漢は、勝手に移動して店の一角を占拠した。

 戦神のドルク。
 二つ名を持つ、ベテラン冒険者だ。
 確かな実力を持つが、自己中心的な性格をしていて、他者への配慮に欠ける。
 また、酒癖も非常に悪い。

 厄介な客が来たものだ。
 できることなら、なにもトラブルがなければいいのだけど。

 そんなことを思いつつ、ビアンカは仕事に励むものの……
 その願いは虚しく破られることになる。

「おいっ、酒が足りねえぞ! 早く持ってこい!」

 一時間ほどしたところで、ドルクが荒れ始めた。
 酒が足りないと怒鳴り、料理が遅いと怒鳴る。
 人一倍の肺活量を持つ彼が叫ぶと、空気がビリビリと震える。
 他の客も迷惑しているらしく、大半が眉をひそめていた。

「まったく……」

 お客さまは女神さまだ、と言う経営者はいるが……
 ビアンカは、そのような考えは持たない。
 金を受け取り、料理と酒を提供する。
 ウィンウィンな関係であり、どちらが上ということはない。

 ただ、迷惑をかけるのなら別だ。
 このままだと、ドルクはトラブルを起こすかもしれない。
 そうなる前に、叩き出した方が正解かも?

 そんなことを考えるのだけど……すでに遅かった。

「あぁ……なんだ、てめえは? さっきから俺のことをジロジロと見て、なんかあるのかよ、おいっ!?」

 酒に酔ったドルクが他の客に絡み始めた。
 絡まれた男も冒険者。
 悪酔いするドルクに眉を潜めていた一人だ。

「……別になにも」
「なにも、っていうなら、最初から見てくるんじゃねえよ! あぁ? おい、なめてるのか!?」
「まったく……ここまで騒ぐのなら、放置できないか。いいか? ここはあんたの家じゃない、ビアンカの店だ。好き勝手していい場所じゃないんだ。いい歳した大人なら、それくらいわかるだろう」

 男の説教に、そうだそうだ、と追随する声があがる。
 ドルクはますます不機嫌そうになり……

「うるせえっ!!!」

 ドルクは男に向けて椅子を蹴り飛ばした。

「二つ名を持たない雑魚冒険者が、俺に意見するんじゃねえ! 百年早いんだよっ」
「おいっ、なにをする!?」
「こいつ、ふざけた真似を!」

 暴れるドルクを男達が睨みつける。
 一触即発の雰囲気だ。

「あちゃー……」

 今夜は、これ以上の営業は無理ね。
 ビアンカはため息をこぼす。

 こうなると、もう止めることはできない。
 冒険者を相手に商売していると、たまに、こういうことはある。
 そういう事態も想定して営業して、色々と備えているため、店が潰れるようなことはないが、その日の利益は赤字確定だ。
 頭が痛い。

 できることといえば、他の客を密かに退避させること。
 大事な物を奥に隠すこと、それくらいだ。

「みんな、この礼儀知らずを叩き出すぞ!」
「おうっ!」
「はっ、雑魚にできるわけねえだろうが! かかってこいや!!!」

 そして、大乱闘が始まる。
 料理が飛び、椅子が飛び、人が飛ぶ。

 ビアンカはカウンターの裏に避難した。

 三十分くらいは大乱闘が続くだろう。
 そう予測していたのだけど……

「?」

 五分と経たないうちに静かになった。
 不思議に思い、カウンターから顔を覗かせると、

「けっ、口だけの雑魚ばかりだな。そんなんで俺に意見するなんて、頭おかしいだろ」

 ドルクは、ほぼほぼ無傷。
 その周りに、店の客、全員が苦痛にうめいて倒れていた。

 性格はどうしようもないが、それでも、実力は確か。
 二つ名は伊達ではないのだ。

「おいっ、さっさと酒と料理を持ってこい! あと、この雑魚共を外に叩き出せ、目障りだ!」
「まったく……ホント、今日は厄日ね」

 こうなれば、冒険者ギルドに緊急依頼を出すしかない。
 このような時間ではあるが、非常事態ということなら、受け付けてくれるだろう。
 酔っぱらい相手の非常事態というのは、情けないことではあるが。

 ビアンカは、厨房にいる夫に合図を送ろうとして……
 ふと、気がついた。

 ドスン、ドスン、ドスン……

 やけに重い足音が二階から降りてきた。

「……うるさいですね」

 姿を見せたのは、座った目をしたアリサだった。

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