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6話 怒る母親

「さっきから、ドタバタドタバタと……いったい、なんですか?」

 一階が食堂、二階が宿泊部屋となっているひだまり亭では、合間に防音素材が使われている。
 そのため、普通に酒を飲んで騒ぐ分には、二階に音が届くことはない。

 しかし、大乱闘を繰り広げれば話は別だ。
 けたたましい音が二階にまで響いていて……

「ようやくシンシアが寝てくれたというのに……うるさいですね。どうして、可愛い可愛い娘の眠りを邪魔しようとするのですか? 訳がわかりません。意味不明です。というか、愛しい娘の寝顔を見つつ、ほっこりしたい私の時間を返してくれませんか?」

 アリサの目は逆三角形に尖っていた。
 娘の安眠を邪魔されそうになったことで、かなり怒っている。

 こわっ、とビアンカは震えた。

 普段、おとなしい人ほど怒らせると怖いというか……
 アリサは、まさにその典型的なパターンだ。
 殺気すら放っていて、声をかけることができない。

 しかし、ドルクは酔っているせいか、はたまた歴戦の戦士だからなのか、アリサの殺気に気圧されることはない。
 むしろ、下卑た笑みを浮かべて彼女に近づいていく。

「珍しいな、エルフか。しかも、かなりの上物じゃねえか。どうだ? 俺と一緒に飲まないか、おごるぜ?」
「あなたですか、この騒ぎの元凶は」
「バカ共がつっかかってくるのが悪いんだよ。それよりも、一緒に楽しもうぜ? 酒も料理もあるし、上に行けばベッドもあるからな。へへっ、朝まで付き合ってくれよ、楽しませてやるからよぉ」
「黙れ」

 アリサはドルクの誘いを一蹴して、睨みつけた。
 そのあまりの眼力に、ドルクは怯んでしまう。

「酒を飲むなとは言いませんが、もう少し静かにしてくれませんか? 娘が寝ているのです。起きてしまったらどうするんですか。また寝かしつけるの、大変なんですよ? あと、可愛い寝顔が見れないじゃないですか。私の癒やしの時間を返してください」

 アリサにとって、後半の方が切実な理由だった。

 怯んでいたドルクだが、子供の話を聞いて、ニヤリと笑う。

「はっ。ガキなんてどうでもいいだろ、ほっとけほっとけ」
「……」

 アリサの眉がピクリと動いた。

 初対面のドルクは、彼女の変化に気づくことはない。
 ただ、そこそこの付き合いがあるビアンカは、アリサが完全にキレたことを悟る。

「ガキなんざ、放っておいても適当に育つもんさ。いいんだよ、無視して」
「……へぇ」
「寝顔が見たい? バカ言え。そんなことよりも、俺様と一緒に過ごすことの方が何倍も楽しいぜ。それに、気持ちよくしてやるよ」
「……ほぉ」
「ほら、隣に座れよ。俺と一緒できる栄誉と与えてやるよ」

 ドルクは、アリサの肩に馴れ馴れしく手を回した。
 アリサはそれに対して、ゴミを見るような目を向ける。

「いいですか」
「お?」

 アリサはドルクの手を払い除けて、

「あなたと過ごす時間なんて、これっぽっちも、足の小指の爪先の欠片ほども興味がなくて……」
「な、なんだこの力は……?」
「そんなことよりも、私は、娘と一緒に過ごしたいんですよ。娘の寝顔ですよ? 娘の寝顔。すごく可愛くて、ふにゃってしているところがたまらなくて、寝言が愛しいんですよ」
「こ、この女……!?」
「それを邪魔する者……愚か者は死になさいっ!!!」
「がはぁあああああっ!!!?」

 アリサはドルクを殴り飛ばした。
 ドルクの巨体はぐるぐると回転しつつ、床をバウンドして、壁に叩きつけられた。

 華奢なエルフに、巨漢のドルクが殴り飛ばされるというのは、驚きを超えてシュールな光景だった。

「えぇっ!?」

 ありえない光景に、ビアンカは驚きを隠せない。

 ただ、アリサは元聖女だ。
 魔王を討伐したメンバーの一員であり、伝説と言われている存在だ。

 ドルクが戦神と呼ばれていようが……
 アリサにとっては子供に等しい。
 魔法を使うまでもなく、生身で十分すぎるほどに圧倒できる。

「このアマぁ……!!!」
「起き上がった……?」

 ドルクが怒りの表情で起き上がり、アリサが怪訝そうな顔に。

 殺してしまわないように手加減はしていたが……
 だからといって、耐えられる一撃ではなかったはずだ。
 それなのにドルクは、多少、足をふらつからせているくらいだ。

「はははっ、驚いたか!? てめえの攻撃なんて効かねえよっ、この俺は、ギフトを持っているんだからな!!!」

 ギフト。
 それは、女神から授けられたと言われている、特殊能力のことだ。

 ある者は、魔法を使うことなく炎を操ることができる。
 ある者は、心の声を聞くことができる。
 ある者は、予知をすることができる。

 そのような異能は、総じてギフトと呼ばれていた。

 ギフトを得る条件は不明。
 先天的に習得している者もいれば、後天的に習得する者もいる。

 共通して言えることは、ギフトと持つ者はなにかしらの才を発揮して、強く聡明で、名を馳せることができるということだ。
 それほどまでにギフトは強力なのだ。

「俺のギフトは、鋼鉄化! 文字通り、体を鉄のように硬くすることができる! そこらで寝てる雑魚連中の攻撃も、てめえの細い腕で繰り出される攻撃も、俺にダメージを与えることなんかできねえんだよ! 鉄を貫けるわけがないんだからなぁっ」
「……あなたは三流冒険者なのですか?」
「あぁ?」
「自分が持つギフトの能力をペラペラと話して、どうするのですか? そのようなことをしたら、対策をされて終わるでしょう」
「はっ、対策なんてできるわけねだろうが! 鋼鉄と化した俺の体にダメージを与えることはひがぁっ!!!?」

 アリサは、さきほどよりも少し強く、ドルクを殴り飛ばした。
 たったそれだけで、ドルクは意識を飛ばして、気絶する。

「いやいやいや!? どんな力よ!?」

 ビアンカが唖然とした。
 それも当然。
 アリサは、普通は絶対に成し遂げられないことをやってのけたのだ。

 ただ、彼女にとっては、こんなことは当たり前。

 ギフト?
 鋼鉄化?

 そんなものは無意味だ。
 聖女の鉄拳の前に……いや。
 娘を愛する親ばかの前に屈するしかない。

「たかが鋼鉄化したくらいで、私の拳を受け止められると思わないでください。私の拳は、それほど甘くありませんよ?」

 アリサは格好良く言い放つのだけど、

「あっ!? シンシア!?」

 上の階から赤子の泣き声が聞こえてきた。
 すると、途端にうろたえて、元聖女の威厳が一瞬で吹き飛んでしまう。

「す、すみません。私が大きな音を出したせいで……あぁ、急いであやさないと!」
「ぷっ……あはは!」

 心底困った様子で、慌てて二階に駆けていくアリサを見て、ビアンカは店の惨状も忘れて大笑いするのだった。

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