第29話 現実はあまりに残酷だった
「眠い……」
誠は自分の機動部隊詰め所の机に座っていた。
いずれやって来る、自分の専用の機体の『
まだ実戦どころか、訓練さえ経験していないピカピカの誠の機体が思い浮かぶ。
運ばれてくるときは、おそらく東和宇宙軍のオリーブドラブの一般色のままだろう。
「いつかは僕も……」
誠の正面には二人の女性パイロットの席があった。
「……ったくだらしのない奴だぜ。あと二時間で昼飯だ。当然、オメエが注文係」
常に制服の上の皮のホルスターをぶら下げる女、西園寺かなめが残酷にそう言った。
心配そうな顔を誠に向けていたカウラがかなめをにらんだ。
「……私は親子丼だ」
カウラはそう言って画面に視線を移した。
「へいへい、アタシは天丼。野菜抜きで。あそこは野菜を入れて来るんだアタシは嫌いだって言ってるのに」
そう言うとかなめは不満げに机の上に足を乗っけた。
誠が見回す視線の先では、まず、ランが巨大な『機動部隊長』の机で難しそうな顔をして将棋盤を見つめているのが見えた。
せめて自分くらいは……そういう思いが誠を奮い立たせて、痛む首筋をさすりながら椅子から起き上がらせた。
「注文は早くした方が良い、あそこは人気店だ」
心配そうにカウラがよろける誠を支える。
「それにしても暑いなあー……こういう時、『愛ある後輩』なら何かしようって思うんじゃないのかなあ……」
暑さで不機嫌なかなめが大声を上げる。
「西園寺!きっと本心では『先輩の力になりたい』と思っているはずだ!」
カウラは誠が『奴隷根性』に目覚めたと決めつけて話をしている。
誠はもう誰もあてにしないことに決めて大きなため息をついた。
「良いんですよ、カウラさん。暑いんですね、皆さん。下の給湯室に行ってアイス取って来ます」
そう言うとカウラの心配そうな顔をこれ以上曇らせまいと、誠は立ち上がった。
「そりゃ無理だ。どこかのチビが昨日全部食っちゃったからなー」
かなめがあまりに残酷な一言を吐いた。
同時にカウラも『偉大なる中佐殿』ことクバルカ・ラン中佐に視線を向けた。
「オメ等ーのモノはアタシのモノ。アタシのモノはアタシのモノ。神前、アタシはうな丼の『特級松』だ!」
ランはそう言うと将棋盤に駒を手にする。
かわいらしい『永遠の八歳女児』は完全に『機動部隊の主』として余裕の貫録を見せていた。
ここで、誠は自分がこの『特殊な部隊』では『人権の無い使用人』であることを自覚した。
「分かりました!アイスを買ってくればいいんですね!」
仕方なく誠はそう言って立ち上がった。
「よく分かってるじゃねえか、昼飯の注文は忘れるなよ」
嫌味を言ってくるかなめにムキになりながら、誠は手にはタブレットを持つ。
そして菱川重工豊川工場近くの『役員向けどんぶりもの専門店』のサイトを立ち上げた。
『給料が良いんだな……上級士官ともなると』
まだ士官候補生の誠は苦笑いを浮かべながら、画面を眺めた。
特にランの『特級松』の値段を見て誠は『偉い人』とは自分の生きている世界が違うことを理解した。
「あそこの生協は……あんまりいーのがねーんだよな。じゃあアタシはモナカ。小豆じゃなくてチョコだぞ」
『偉大なる中佐殿』こと、クバルカ・ラン中佐は顔を上げて、そう言った。
「西園寺さんは何にしますか?」
誠は半分やけになって、かなめにきつい調子でそうたずねた。
「イチゴ味の奴。それなら何でもいい」
かなめは天井を見上げて、めんどくさそうにそう言った。
誠に歩み寄ってきたカウラは、彼女の財布から五千東和円を取り出して誠に渡した。
「じゃあ私はメロン味のにしてくれ。あそこは工場の職員以外は現金払いだからな。金はこれで間に合うはずだ」
誠はカウラから札を受取ると静かにうつむいた。
「はい!それじゃあ行ってきます!」
苦笑いを浮かべるカウラに見送られて、誠はそのまま詰め所を後にした。
詰め所を後にした誠は、そのまま廊下を歩いていた。
中途半端な空調の生ぬるい気配にやられながら歩いていた誠が途中の喫煙所と書かれた場所のソファーで『駄目人間』嵯峨がのんびりとタバコをくゆらせているのをみつけた。
「タフだねえ、昨日も相当走りこんだって話じゃないの。その様子はどこかにお出かけ……お使いか何かかい?」
いつもの間の抜けた調子で嵯峨がそう尋ねる。
相も変わらず緊張感の感じさせない言葉の響きだった。
「まあ一応新入りですから……」
急に話しかけられて少し苛立っているように誠は答えた。
誠の運命をすべてぶち壊した責任などどこへやらと言うように嵯峨は涼しい顔でタバコをくゆらせている。
「そうカリカリしなさんな。あれであいつ等なりに気を使ってるとこもあるんだぜ。どうせお前さんのことだから、これからも買出しに行くことになるだろうから、その予行練習って所だ。それとこれ」
そう言うと嵯峨は小さなイヤホンのようなものを取り出した。
それはあまりに小型で、もし耳に入れれば周りからは判別不可能だろうというような大きさだった。
「何ですか?これは」
「最新式の補聴器……まるでつけてないみたいに見えるだろ?」
口にタバコをくわえたまま嵯峨はそう言い切った。
「怒りますよ!僕の耳は正常です!」
強い口調の誠に、嵯峨は情けないような顔をすると、吸い終ったタバコを灰皿に押し付けた。
「そう怒りなさんなって。正確に言えば、まあ一種のコミュニケーションツールだ。感応式で思ったことが自動的に送信されるようになっている。実際、地球の金持ちの国では歩兵部隊とかじゃあ結構使ってるとこもあるんだそうな。遼州人の俺には関係無いけど」
誠はそう言う嵯峨の言葉を聞きながら、渡された小さな機械を掌の上で転がしてみた。
確かに補聴器に見えなくも無い。そう思いながら嵯峨の心遣いに少し安心をした。
「ああ、そうですか。ありがとうございます」
誠はそういうと左耳にそのイヤホンの小型のようなものをつけた。特に邪魔になることもなく耳にすんなりとそれは収まる。
「なんだか疲れているみたいな顔してるけど……大丈夫か?何かあったら相談乗るよ」
嵯峨はとってつけたようにそう言った。
そして静かにタバコに火をつける。
「いえ!大丈夫です!」
そう言って誠は一礼するとそのまま階段を駆け下りて『菱川重工豊川』の品ぞろえが豊富なスーパーマーケット『生協』に向かった。
「はい行ってらっしゃい」
嵯峨はそう言って軽く手を振りにやりと笑った。
「無事にお使いができるといいねえ……俺のばらまいたお前さんの『力』に食いついて、もう少し経つと神前の奴には『ひどい事』が起きる仕組みになってるんだが……今回がそれじゃないと良いよね……」
その嵯峨の表情にはどこか底意地の悪さを感じさせる雰囲気が漂っていた。
しかし、そのことを誠は見逃していた。
誠は本部の出口においてある小型バイクにまたがり、工場の『生協』に向かった。
途中、何台もの車とすれ違ったが、菱川重工の『私有地』である路上でヘルメットをかぶっていない誠を
誠の『理系脳』は、道を覚えることには自信があったので、そのまま圧延板を満載したトレーラーを追い抜いて、ちょっとしたスーパーくらいの大きさのある工場の生協にたどり着いた。
ラインの夜勤明けの従業員で、食料品売り場は比較的混雑していた。
若い独身寮の住人と思われる作業服の一群が、寝ぼけた目をこすりながら遅い朝食の材料などを漁っている。
それを避けるようにして誠は冷凍食品のコーナーに足を向けた。
そしてその片隅に並んでいるアイスのケースの前で足を止めた。
「ベルガー大尉はメロン……ってとりあえずシャーベットがあるな、西園寺大尉はイチゴのカキ氷でいいかな?」
誠は自分自身に言い聞かせるようにして独り言を口にしながらアイスを漁っていた。
誠は嬉々としてアイスを選んでいる自分に違和感を感じながらもそうする自分は新入りならば当然なのだと言い聞かせていた。
アイスを漁りながら腰をかがめていた誠がいったん背筋を伸ばして目を正面のロックアイスに向けた時、後ろに気配がした。
振り向く前に、硬く冷たい感触を背中に感じた。
誠の頭の中が白くぼやけた。
それはかなめに教わった銃を向けられた時の其れだった。
誠の意識はギャグのご家庭ドラマから一気にシリアスな場面に放り込まれた気分だった。

「声を出すな。仲間がすでに出入り口は抑えている。もし騒げば、ここは血の海になるぞ。警察官が自分の安全のために市民を犠牲にするのは筋違いじゃないかな?」
低い男の声が誠の耳元に届いた。
誠は手にしていたアイスを静かに置くと、手を挙げて無抵抗の意思を示した。
寝ぼけたライン工達は、営業マン風の背広を着た男のことを不審に思わないだろう。
脅されている誠とその後ろの見かけない男の姿を見つけたところで、工場の従業員達はいつもの『特殊な部隊』の隊員の『馬鹿騒ぎ』だと思って、気にもかけないだろう。
誠は自分の置かれた切羽詰まった状況に弱気のあまりに声も出せずに黙り込んでいた。
もう一人の懐に手を入れた背広の男が誠についてくるように|促《うなが》す。誠は黙ったまま静かに彼の後ろに着いて行った。
生協の正面には、こんな工場の中には似つかわしくない黒塗りの高級車が止まっていた。
誠はその中に、突き飛ばされるようにして放り込まれた。
すでに運転席にはサングラスの若い男が待機していた。
三人が乗り込むと目的を果たしたことを誇るように車は急発進した。
挟み込むようにして座っていた銃を突きつけている男は、素早く布でできたシートを誠に頭からかぶせた。
相変わらず硬い拳銃の銃口の感触を覚えながら、銃を向けられる恐怖におびえつつ、誠はじっと息を潜めていた。
右耳の嵯峨に渡された『補聴器』に彼らが気づいていないことだけが、誠の唯一の心の支えだった。
「あんちゃんよう。別に俺等はあんたに恨みがあるわけでもなんでもないんだ。クライアントからあんたを連れて来いって言われてね。まあ俺等のことは恨まないでくれよ。騒がずにクライアントに届けることが出来れば、ウチの組織の仕事はおしまいと言うわけだ。それまでの間、仲良くしようじゃないか」
視界をふさがれている誠の隣で背広を着ていた男が穏やかな調子でそう話した。
誠から見ても慣れた段取りは彼等が『東都戦争』と呼ばれた暴力団同士の抗争劇を生き抜いてきた猛者達であることを証明していた。
この『補聴器』が何かを語ってくれる。
それだけを信じて誠は身動きもせずにシートに体を預けていた。