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第30話 かなめの本来の『顔』

 押さえつけられたまま、誠はじっと耐えていた。車の頻繁な加減速と聞こえてくる雑音から、誠は豊川の田舎町から東都の都心部に連れてこられたのかと、まるで他人事のように思考が離れていた。

「着いたぞ。とりあえずしっかりと目隠しをさせてもらうぞ」

 先ほどの男はそういう誠の顔にさらに布の袋をかぶせた。

『このまま見殺しかよ。あの『特殊な部隊』から解放されるのか……『死体』として』

 そんな言葉が脳裏に浮かんでは消えた。

 空調の効いた車内から袋を頭にかぶせられたまま誠は降ろされた。

 生ぬるい空気と耳に響く喧噪(けんそう)

 東都の都心部のどこかだと推測できた。

 跳ね返りの熱で全身から汗が噴出す。

 そんな誠に声をかける人はいない。

 誠は初めて、恐怖というものを心の奥から感じた。

 彼等は自分を殺すのだろうか?

 さっきの口振りでは、すぐに殺すということはないはずだ。

 そう思う誠はとりあえず状況を確認しようとするが、布でさえぎられた視野のため、足元の崩れかけた階段以外誠の目に入ってくるものはない。

 男達は誠を両脇で挟みつけたまま、時折小声でやり取りをしながら誠を小突きつつ階段を登った。

 男達の誠を前へ進めるために小突く動作が止まった。

 袋をかぶされて見えないが、建物のドアを開けようとしているらしい。

 開いたドアから冷気が漏れる。空調は効いているので冷気が誠を包む。

 誠が後ろで扉が閉まるのを感じたところで袋が頭からはずされた。

 廃墟のようなビルだった。

 埃だらけのフロア。

 階段の隣に割れたスナックの看板が残っているところから見て、かつては雑居ビルだった廃墟に連れ込まれたことはわかった。

「お客さんだ。頼むぜ」

 背広の男が奥に向かって怒鳴ると、腰に拳銃をつるした若いポロシャツの男と紫のワイシャツに紺色のスラックスをはいた中年の男が、手錠を持って部屋から現れた。

「しばらくここでじっとしていてくれよ」

 初めに誠に拳銃を突きつけた男が、銃口を誠に向けたまま二人に誠を押さえさせる。

 男達はにやけた笑いを浮かべながら誠の両腕を後ろに回して手錠をかけて、階段に向けて誠を突き飛ばした。

「そのまま上がれ」

 そう言われて誠はアロハの若い男に続いて階段を登った。

「なんで俺がこんな野郎の世話しなきゃならないんすか?」

 ポロシャツの男はそう言いながら二階に上がったところで誠のふくらはぎを蹴飛ばした。

 誠はそのままバランスを崩すが、今度は髪の毛を紫のワイシャツの男に引っ張られて直立させられる。

 誠が古びた全面ガラスのかつてのスナックのドアの中を見ると、男達がテーブルの上に酒瓶を並べて談笑しているのが見えた。

「ちょろちょろよそ見するんじゃねえ!」

 再びポロシャツの男が誠の襟元をつかむと三階に向かう階段に誠を引き立てていく。

 急に冷気が薄くなり、コンクリートの熱せられた香りが誠の鼻をついた。

 人気の無い三階のフロアーを素通りして四階に向かう階段に誠は引き立てられた。

 むせるような熱気とうなりを上げる冷房の室外機の音ばかりが誠の鼓膜の中に刻み込まれた。

 四階は事務所の跡のようで廊下に連れ込まれた誠の前に3つの扉が目に入った。

 銃を突きつけている背広の男はそのまま一番奥のドアを開けて、中に誠を蹴りこんだ。

 誠は転がされたまま静かに周りを見回した。

 小さな小窓から日差しが入っているところから見て、それほど時間がたっているわけではないようだった。

 遠くで車の走る音がすることが、少しばかり誠に安心感を与えた。

 そしてじっと室内を見る。

「どうなるんだろうなあ?」

 誠は不安を紛らわすために、自分で声を出してそう言った。

 司法局実働部隊の隊員の誘拐略取。

 それなりの武装をしている彼等は、自分達で今すぐ誠をどうこうするつもりは無いようだった。

 誠の誘拐を依頼した『クライアント』に誠の身を引き渡すまでは、彼等は誠の身の安全は保障してくれるだろう。

 それまでは自分の命がなくなることない。

 それから先は……、誠は考えるのをやめた。

 その方が賢明だろうというくらいの理性はまだ彼に残っていた。

 手錠が手首に食い込んで痛かった。

 そんな彼を無視するかのように、誠を監視している男の鼻歌が誠の耳にも届いていた。

 部屋に転がっている体を起こした。

 そして自分が誘拐される理由を考えてみた。

 司法局への意趣返しの線はなかった。

 それならそのまま車を山沿いにでも向けて林道で誠を殺していることだろう。その方が証拠が残らずに済む。

 『クライアント』がテロリストや非合法の武装組織ならば、東和の司法組織に身柄を拘束された同志の解放を求める為という線も無いではないが、同盟直属のまだ実績の無い司法機関の隊員を交換のカードに使う意味が誠にはわからなかった。

 誠はそこまで考えたが、結論は出なかった。

 そのまま高い格子戸からさしてくる光を見ながら誠はとりあえず体を休めようと横になろうとした。

 誠の理性を保つ命綱である『嵯峨の手渡した補聴器』からは、いまだに何1つ指示が聞こえてこなかった。

 誠はただ両手を手錠で拘束されたまま、ぼろぼろの雑居ビルの一室に監禁されていた。

「腹減ったな……西園寺さん達ちゃんと食べてるかな……注文は通ったはずだけど……」

 そんなことを考えているとドアの前で大きな物音と、男のうめき声がした。

 そしてその直後に銃声が二発響く。誠は身を起こしてじっとドアを見つめた。

 ドアを撃つ銃声がして、扉が蹴破られると、そこには光学迷彩式戦闘服姿のかなめが拳銃を構えて立っていた。

「はーい、囚われの王子様。『円卓(えんたく)騎士(きし)』がお迎えにあがりましたぜ!」

 笑顔を向けるかなめだが、誠には彼女の顔よりもその足元に頭を吹き飛ばされた死体が転がっている方に目が行った。

 
挿絵


「んだ?アタシが助けたんだぜ、見るならアタシの顔でも見ろよ、こののろま!」

 誠はあたりに漂う『人間の血液』の匂いに酔いながらかなめの作り笑顔を見つめた。

 誠にはかなめの救出よりもその血液のにおいが気になった。

「西園寺さん……どうして僕のいる場所が」

 初めての『拉致監禁』事件の当事者となった誠には、そんな言葉を口にするのが精一杯だった。

「発信機兼盗聴器をあの『駄目人間』からもらったろ?当然、サイボーグであるアタシの『電子の脳』にはこのアジトの場所なんてバレバレなわけ。下にはちっこい姐御以下の機動隊が到着済みだ。パーティーが始まるぞ」

 そう言うとかなめは誠の顎をつかんで顔を近づけた。

 ようやくここで誠は嵯峨がくれた『補聴器』が役に立っていることに気付いた。

「手錠か。ちょっと待てよ」

 そう言うとかなめは素手で手錠の鎖をねじ切った。

「このくらい簡単だ。アタシは『生身』じゃねえからな。この体はすでに『機械化』済みだ……まあ、よく我慢したな」

 誠は笑顔でそう言うかなめを見た。

 そこには、あまりに美しくて、|虚《うつ》ろなかなめのたれ目があった。

 そんな中、下の方でアサルトライフルの一斉射と思われる射撃音と、それに反撃するような銃声が響いてきた。

「カウラの奴、いいタイミングで始めてくれたな。ちょっと待て」

 かなめはそう言うとポロシャツを着た死体のホルスターから拳銃を奪い取った。

「酷い銃だが無いよりましだ。お前も軍人なら、自分の身くらい自分で守れ。とりあえずアタシについて来い、カウラの奴と合流する」

 かなめはそう言い残して廊下に飛び出した。

 飛び出してきた敵の顔に、かなめの銃弾が正確に突き刺さる。誠はその度にあがる血飛沫に次第に心が冷えていくことを感じていた。

「……僕、僕、僕……」

 階段手前でサブマシンガンを持った相手の掃射で身動きが取れなくなったところで、誠は恐怖のあまり自然にそうつぶやいていた。

「そんなに怖えか?ならウチみたいな『あぶない仕事』は辞めちまえ!」

 拳銃のマガジンを換えながら、吐き捨てるようにかなめはつぶやいた。

 我を取り戻して誠がかなめを見つめると、そこにはこれまでと違う、どこか寂しげな表情を浮かべたかなめの姿があった。

 だが銃のマガジンを交換して銃のスライドが発射体勢に入ると、そんなかなめの表情も一瞬で変わる。

 それはまるで鉛のように感情を押し殺した瞳だと誠は思った。

 そしてこんな瞳にならなければこの部隊では生きていけないという事実が誠の胸に突き刺さった。

「おい、神前!しっかりついて来いよ!敵は所詮生身のチンピラだ。戦うことが前提のアタシの身体とは格が違う」

 かなめはじっと自分を見つめている誠を見た。

 口元には笑みが浮かんでいる。

『この人はこの状況を楽しんでいる?』

 誠の心の中でこれまで生きてきた価値観が音を立てて崩れていくのを感じていた。

 だが、かなめはそんな目で自分を見つめる誠に何かを言うわけでもなく、素早く現状を頭の中に叩き込んだように視線を階段の下で待ち構えているチンピラ達へと向けた。

「バーカ。まさに素人に鉄砲だな。向こうに廊下が見えるだろ?次の掃射でアチラさんのマガジンは空になるから背中を叩いたら飛び出して向こうまで行け。そこで勘違いをして一斉射してくる馬鹿をアタシが喰う!所詮相手はただの糞袋だ!アタシのような『戦機』とは所詮生まれが違うんだ!」

 誠の前には、この状況を楽しそうに見つめるかなめの姿があった。

 かなめは誠には理解できない世界を生きてきた人間だということがかなめの表情を見ればわかった。

 死線を抜けてきた計算高い殺し屋の目と言うものはこう言うものかもしれない。

 誠はそう思った。

 そしてそんな瞳のかなめの言葉に、逆らう勇気は彼にはなかった。

 階下でのカウラ達の撃つアサルトライフルの射撃音が近づいてくる。

 時折、その銃撃戦で弾丸を浴びたチンピラの断末魔の叫び声が混じり始めた。

 焦っているのか、見えもしない誠達に下にいるチンピラはセミオートに切り替えてけん制するように誰もいない壁に向かい発砲する。

「アマチュアだな。弾の無駄だぜ。生身の素人に出来ることはその程度なんだな」

 そう言うとかなめの口元に再び笑顔が戻る。残酷なその笑顔を誠は正視できなくなって、誠はひたすら背中をかなめが叩くのを待った。

 階下のチンピラ達の悲鳴が止んだ。

 変わりに拳銃の発射音が十秒ごとに繰り返される。ようやく発砲が弾の無駄と気付いた下のチンピラが相談を始めた。

「弾は?」

「あと……」

 誠もチンピラが二人で残弾を数えている声を聞き逃さなかった。

 その時、かなめが誠の背中を叩いた。

 はじかれるようにして誠は走った。

 すぐに気づいた階下の二人が掃射を始める。

 弾は正面の故障しているらしいエレベータの壁にめり込む。

 そのまま誠はトイレのドアの前に張り付き、やり遂げた顔でかなめの方を振り向こうとした。


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