第114話 上流階級向け貴賓室
「しかし、この通りの車の多い事……しかも全部高級車ばかり。この道は本当に何度見ても嫌になるわ。地下鉄で来て正解だったわよ」
翌日、アメリアは東都の中心街、造幣局前の出口階段から外界に出ると、目の前を走る国道に目を向けた。そこには歩いたほうが早いのではと思わせるような高級車による渋滞が繰り広げられていた。その中にはカウラの『スカイラインGTR』を上回る馬力を誇るスポーツカーも混じっているので、その馬力の活かしどころを見いだせない車にカウラは同情の視線を向けていた。
「まあな。アタシがいつ来てもこんな感じだから……って、ここらに来る用事ってあるのか?特にオメエに。オメエは都内に来るって言ったら寄席かアニメショップのショップ限定品を買いに来るくらいしか用はねえだろ?この辺に寄席もアニメショップもねえぞ」
ダウンジャケットを着込んだかなめが知った風にアメリアに向けてつぶやいた。これから彼女の顔が利くという宝飾ブランドの店に行くというのに、その服装はいつもと変わることが無かった。誠もアメリアもカウラも取り立てて着飾ってはいない。そして周りを歩く人々のいかにも気取った調子に誠は違和感を感じながら慣れた調子で歩き始めたかなめを見つめていた。
「結構アニメやゲームの中の人のイベントとかがこのあたりのホールでやることがあるから良く来るのよ。この辺は車で来るには不便だけど、電車は地下鉄が縦横無尽に走ってるからそう言うイベント会場は多いのよね。ねえ、誠ちゃん」
「ええ、まあ……僕もたまに来たいと思うんですけど、僕は電車にも酔うんで」
にやけた目つきでアメリアに見つめられて誠は思わず頷いた。かなめはそれを見るとそのまま迷うことなく広い歩道が印象的な中央通りを歩き始めた。確かにアメリアの言うとおりだったが、大体そう言うときは同好の士も一緒に歩いて街の雰囲気とかけ離れた状況を作り出してくれていて誠にとってはそれが当たり前になっていた。
「でも、本当にこんな格好で良いのか?周りを見てみろ、こんなラフな格好をしているのは私達くらいだぞ」
誠の耳元にカウラが口を寄せてつぶやいた。誠も正直同じ気持ちだった。
少なくとも私立高校の体育教師の息子が来るには不釣合いな雰囲気に包まれていた。現役の士官でもこんなところに来るのは貴族の娘のかなめのような立場の人間だけだろう。そう思いながらすれ違う人々から視線を集めないようにせかせかと誠とカウラは歩いた。
「なによ、二人とも黙っちゃって。別に私達は何も悪いことをして無いんだから委縮することなんてないのに」
かなめの隣を悠々と歩いていたアメリアが振り向いてにんまりと笑った。
「だってだな……その……」
思わずカウラはうつむいた。アメリアにあわせて立ち止まったかなめも満足げな笑みを浮かべていた。
「なにビビッてるんだよ。アタシ等は客だぜ?しかもアタシの顔でいろいろとサービスしてくれる店だ。そんなに硬くなることはねえよ。アタシもここら辺はいつもこんな格好でうろついてる。金さえあれば何でもできるのがこの辺の店の特徴だ。連中は金の亡者だ。その辺を考えて行動すれば何の問題もねえんだ」
そう言ってそのままかなめは歩き始めた。調子を合わせるようにアメリアはかなめについていった。
「本当に大丈夫なのか?こんな格好で」
誠にたずねるカウラだが、その回答が誠にはできないことは彼女もわかっているようで、再び黙って歩き始めた。
次々と名前の通った地球ブランドの店の前を通った。アメリアはちらちらと見るが、どこか納得したように頷くだけで通り過ぎた。かなめにいたっては目もくれないで颯爽と歩いていた。誠とカウラはそのどこかで聞いたようなブランド名の実物を一瞥してはかなめから遅れないように急いで歩くのを繰り返していた。
「見えてきたぞ、そこだ」
かなめが指差す店が有った。大理石の壁面と凝った張り出すようなガラスの窓が目立つ宝飾品の店だった。目の前ではリムジンから降りた毛皮のコートの女性が絵に描いたように回転扉の中に消えていくのが見えた。あまりにも自分達とは不釣り合いに見える印象を持ちながら誠は半分恐れをなしていた。
「帰りたいなあ……西園寺、今からでも帰らないか?」
明らかに場違いな雰囲気に飲まれたカウラはうつむくと誠だけに聞こえるようにそうつぶやいた。
「ビビるなって。よろしくて?行きますわよ」
振り返ってそう言ったかなめの雰囲気の変わり具合に誠もカウラも唖然とした。かなめは悠然と回転ドアに向かった。そこにはいつもの粗暴な怪力と言う雰囲気は微塵も無い。カジュアルな雰囲気のダウンジャケットも優雅な物腰のかなめが着ていると思うと最高級の毛皮のコートのようにも見えた。
「すっかりお姫様そのものになっちゃってるじゃないの。いつもの事ながら変わるものねえ……かなめちゃんは」
そう言いながらアメリアがついていった。その言葉を聴いて振り向いてにっこりと笑うかなめは誠にとっても別人のものだった。
回転扉を通ると店内には数人の客が対応に当たる清楚な姿の女性店員と語らっているのが見えた。店のつくりは誠がこれまで見たことがあるようなデパートの宝飾品売り場などとは違って展示されているのは数は少ないが豪華なケースに入った指輪やネックレスやティアラ。その中身も誠は美術館等で目にしそうなものばかりだった。
「これは西園寺様いつも当店をご利用いただいてありがとうございます。今日は何をお探しでしょうか?」
落ち着いた物腰でかなめに近づいて来た女性の店員が声をかけてきた。それほど若くは見えないが清潔感のある服装が際立って見えた。
「久しぶりに寄らせていただきましたわ。神田さんはいらっしゃるかしら。今日は比較的大事なものを買いたいと思って寄らせていただきましたの」
所作も変われば声色も変わるものだった。その豹変したかなめにアメリアは一人、生暖かい視線を送った。カウラは店員が声をかけてきたときから凍ったように固まっている。誠も似たような状況だった。
「わかりました……それではいつも通りお部屋にご案内しますので」
そう言って歩き出す店員にかなめは当然のように続いていった。そのいかにも当然と言う姿に誠もアメリアも戸惑いながらついて行こうとした。
「カウラさん!」
誠に声をかけられるまで硬直していたカウラが驚いたようにその後につけた。店内でもVIP扱いされるにしては貧相な服装のかなめ達を不思議そうに見る客達の視線が痛かった。
「どうぞ、こちらです」
黒を基調とする妖艶な雰囲気の廊下から金の縁がまぶしい豪華な客室に通された。誠達の後ろにいつの間にかついてきていた若手の女性店員が扉のそばに並ぶ。穏やかに先輩とわかる店員が合図すると彼女達は静かにドアの向こうに消えていった。
「皆さんもお座りになられてはいかがです?」
すでにソファーに腰掛けているかなめの言葉に誠とカウラは引きつった笑みを浮かべていた。明らかにいつもの彼女を知っている三人には違和感のある言葉の調子。仕方なく誠達はソファーに腰掛けた。
「いつもお友達を紹介していただいてありがとうございます。この方達は……」
明らかに不釣合いな誠達を見回す店員をかなめは満足げに眺めた。
「職場の同僚ですわ。一応この二人に似合う品を用意して差し上げたくて参りましたの」
かなめの気取った言葉にアメリアは対応できずにあんぐりと口を開けていた。まさに鳩が豆鉄砲を食らった顔というものはこう言うものかと誠は納得した。
「あら、そうなんですか。大切なお友達なのですね」
そう言って微笑む店員にはさわやかな笑みが浮かんでいた。かなめの友達と紹介されて明らかに動揺しているカウラとやけに落ち着いているアメリアがいた。
「いえ、友達ではありませんわ。ただの同僚ですわ。お仕事上の関係ですので」
穏やかな声だがはっきりと響くその声に少し店員はうろたえた。だが、それも一瞬のことですぐに落ち着きを取り戻すとドアへと向かっていった。
「それでは用意をさせていただきます。しばらくお待ちください」
それだけ言って女性店員は出て行った。
「貴賓室付……さすがというかなんと言うか……」
そう言ってカウラは周りを見回した。真顔になったアメリアがゆっくりと視線をかなめに向けた。
「かなめちゃん。気持ち悪いわよ」
「うるせえ。テメエ等は黙ってろ。ここがテメエ等の知らねえアタシのホームグラウンドだ」
一瞬だけいつのもかなめに戻った。それを見て誠は安心して成り行きに任せる決意を固めた。