第103話 かみ合わない会話
「それにしても神前家は遼帝家の帝室の出と聞きますが、薫様の何代前のご先祖が遼帝家に繋がるのでしょうか?」
かえではこれまでの和やかな調子を切り替えて真剣な表情で薫に向けてそう言った。貴族趣味のかえでとしては自分の『許婚』である誠が甲武国建国に関わる遼帝家の血を引く高貴な生まれであると言うことは関心事項の一つの様だった。
「どうでしょうねえ……この道場を開いた方が遼帝家の方と言うのは私も知っているのですが、それ以上は……この道場は出来てもう200年になりますし。当時の資料はほとんど散逸してしまって残っていないんですよ。お役に立てなくて申し訳ありませんね」
知っているのか、わざと誤魔化しているのか、薫はあいまいにそう答えた。
その態度を見たかえでは覚悟を決めたように座り直して背筋を伸ばし、真正面から薫を見つめた。
「薫お母様。率直にお尋ねいたします」
かえでの真剣な表情に思わず薫も真面目な顔に戻ってかえでを見つめ返した。
「僕が誠さんのものになるのはいつ頃を望まれますか?僕としては今日今にでも結ばれたいと考えているのですが……こういうことは早い方が良いと思うんです。婚前交渉は望まれないかもしれませんが、残念ながら僕は処女ではありません。ですので、誠さんとの結婚までに誠さんに女と言うものを教えて差し上げたいと考えているんです。誠さんももう24歳です。甲武では女を知るには遅すぎる年齢です……お母様の許可が頂けるなら今日これからでも……」
突然のかえでの発言に薫は驚いたような顔を一瞬した後、穏やかな表情で首を横に振った。
「それはまだ早いですわ。甲武の男の話は別として、誠は東和の遼州人です。それに誠はまだ未熟です。クバルカ中佐から誠の暮らしについては色々聞いています。あの方が言うには誠はまだまだ誰かを愛する資格がある『漢』にはなっていないから結婚の話を考えるのはやめておけと言う話でした。それに正直申し上げてクバルカ中佐自身はあまりかえでさんの結婚を歓迎していないようです。私はすべて本人の意思だと思っているのですが……まあ、康子さんは一度決めたことを簡単に反故にできるような甘い方では無いことは重々承知なのはわかっています……かえでさん。あくまでそう言うことを決めるのは本人同士。私がどうこう言えることではありませんわ。ただ、あなたの覚悟は私は受け止めました。そんなにあの誠を愛してくれているのですね。母としてお礼を申し上げます」
かえでの先制パンチはランと言う巨大な壁に阻まれた。ランは誠に『恋愛禁止』の鉄の掟を課していた。誠が『人類最強』を自認する上官であるランの意志に逆らえないのは誰の目にも明らかだった。それでも諦めきれないかえではなんとか食い下がろうと考えをめぐらすべく庭を眺めた。
「良い庭ですね……よく手入れが行き届いています。僕の屋敷の庭はイギリス風なのですが、まだできたばかりで雰囲気が安定していない。それに比べてこの庭は歴史のようなものを感じます。立派な庭です」
「はい、先ほど申し上げた通りこの200年道場は続いてきましたから。その間中丹念に世話をしましたから」
薫は笑顔でそう答えた。そしていとおしむように苔むした庭石を眺めて目を細めた。
「世話をされたのは薫様のお母様ですか?正直におっしゃってください、この道場が最初にできた時から薫様がこの庭を世話してらしたんですよね?薫様のたたずまいは僕の母を思い出させます。僕の母は不死人です。その雰囲気は長い年月を暮らしてきて、これから子が老いて死んでいっても自分は生き続けると言う不死人の定めの辛さを知っているように感じます。いかがでしょうか?」
かえでの言葉に薫の言葉が急に止まった。薫は静かに茶を飲んで庭を眺めた。かえでの言葉はこの道場を開いたのがほかならぬ薫自身だと言うことを意味していた。
しかし、薫はその言葉に全く答えようとせず、静かにお茶を口に運び静かにほほ笑むばかりだった。