第2話 落ちこぼれが落ちた『罠』
巨大な地下駐車場で長身が目に付く体格の良い青年が辞令を片手に首をかしげていた。

その大きな体の割に自信がなさそうな表情で見る者にどこか頼りない印象を植え付けた。
「遼州同盟会議・遼州同盟司法局実働部隊、機動部隊第一小隊に配属する……って、なんだよこれ?遼州同盟司法局って何?」
「せっかく『パイロット志望』ってことで無理やり課程を消化したのに……なんでパイロットと関係なさそうな部署に行かなきゃならないんだ?」
長身の青年、
「遼州同盟司法局……って何?」
「司法局って、警察とか裁判所のことだよな?」
「……いや、なんでそんなところに僕が行くの?なんでパイロット関係ないんじゃないの?」
そう言って誠は周りを見回した。
朝の出勤時間と言うこともあり、通り過ぎる人も少なくはない。
それでも誠を気にかけることなく、大柄の誠をかわして自動ドアを出たり入ったりしていた。
「東和共和国宇宙軍総本部の人事課まで、出てこいって言われて来たのに。辞令を渡されて地下三階の駐車場入り口で女の人が迎えに来るから待ってろって言われても……」
誠は先ほどの東和宇宙軍の総本部の人事課での出来事を思い出しながら独り言を続けた。
「それに、人事の担当者は、遼州同盟司法局実働部隊のことを『特殊な部隊』だって説明してたけど……なんだよ、それ?」
誠はそう言って大きくため息をついた。
今、誠がいるのは地球から一千光年以上離れた植民第二十四番星系、第三惑星『遼州』。
そこに浮かぶ火山列島は『東和共和国』と呼ばれていた。
『東和共和国』は中立を国是とし、戦乱のうち続く遼州星系にあって平和に繁栄を続けていた。
その首都の『東都』の都心。そこにたたずむ赤レンガで知られる建物が東和宇宙軍総本部だった。
地下三階駐車場。目の前には駐車場と言うだけあり、どこを見ても車だらけ。
九時の開庁直後とあって、車の出入りが激しく、呆然と立ち尽くす誠の横を人が頻繁に本部建物と駐車場の間を行き来している。
誠は、辞令とわずかな荷物を持ち、呆然と立ち尽くしていた。
七月半ば過ぎ。そもそも大学卒業後、幹部候補教育を経てパイロット養成課程を修了した東和宇宙軍の新人パイロットが、この時期に辞令を持っていることは奇妙なことだった。
前年の三月から始まる大卒全入隊者に行われる幹部候補教育は半年であった。
その後、志望先に振り分けられ、各コースで教育が行われるわけだが、パイロット志望の場合においてその期間は一年である。
本来ならばその時点、六月に配属となるのだが、教育課程の半年を過ぎたあたりから見どころのある候補生は各地方部隊に次々と引き抜かれていく。
課程修了時点では全志望者の半数が消えている。それが普通なら六月の出来事である。
しかし、誠にはどの部隊からも全くお呼びがかからなかった。
教育課程の修了式で教官から誠が伝えられたのは、『自宅待機』と言う一言であった。
誠にもその理由は分かっていた。
誠は操縦が『下手』である。下手という次元ではない。ド下手。使えない。役立たず。無能。そんな自覚は誠にもある。
運動神経、体力、動体視力。どれも標準以上。と言うよりも、他のパイロット候補生よりもその三点においては、引けを取らないどころか絶対に勝てる自信が誠にもあった。
しかし、兵器の操縦となるとその『下手』さ加減は前代未聞のものだった。
すべてが自動運転機能で操縦した方が、『はるかにまし』と言うひどさ。
誠もどう考えても自分がパイロットに向いているとは思えなかった。
それ以前に誠には決定的にパイロットには向かない理由があった。
パイロット課程での最初の練習飛行……。
「す、すみません……ちょっと……うぷっ……」
「!? 待て! まだ離陸してないぞ!!」
誠の胃を抑えてうずくまる姿を見て教官の目が死んだ。
数分後、誠は医務室で点滴を受けていた。
次の日東和宇宙軍の誇る『シュツルム・パンツァー』|02《まるに》式の訓練仕様を見せられた。
「これが我が東和宇宙軍の誇る……」
誠は説明が始まる前に口を押えてトイレへダッシュした。
「……おい、まだ動かしてもないんだが」
説明官の声が駆けていく誠のはるか遠くに聞こえた。
その後、試乗の機会はすべてなくなった。
『君は見てるだけでいいよ』と言われた。
『……いや、それもうパイロットじゃなくね?』
誠は親切な教官たちに悪いとは思いながらもそう考えていた。
どう考えても、誰かが無理やり誠をパイロットにしようとしている。もはや、ギャグの領域だった。
結果、同期のパイロット候補たちは誠を『もんじゃ焼き製造機』と呼んだ。
同期のパイロット候補生たちは誠を完全に馬鹿にしていた。
「同期には『もんじゃ焼き製造機』とか呼ばれててさ……」
先月あった同窓会では今の仕事の話で誠が出来ることはそれだけだった。
誠の過去を知っている同窓生たちは目を丸くして誠に注目した。
注目に耐えかねた誠の吐いた言葉が彼等の絶望に止めを刺した。
「それで、教官からは『君、ロボットより操縦下手だから、AIに任せた方がいいよ』ってさ……冗談だと思うだろ? 僕は本気で言われたよ……本気で……」
そこまで言って涙目になる誠をなだめてくれるほど彼等は誠とは親しくは無かった。
幼稚園の頃から、誠の『胃弱の呪い』は続いていた。
せっかくスポーツマン風の見た目なのに、乗り物に乗るたびに吐く。
友達も、彼女も、それで離れていった。
それでもある意図が誠を無理やりパイロットへの道を進ませようとしている。
誠はその意図に逆らうこともできずにただ流される日々を送っていた。
そんな誠だが、初めからパイロットになりたかったわけでもない。
嫌々始めたパイロットの教習。入隊三日後には、誠は自分の不適格を自覚して、教官に技術士官教育課程への転科届を提出した。
しかし、なんの音沙汰もない。
途中で書類を紛失されたのかと、次から次へと、自分で思いつくかぎりのそういうものを受け付けてくれそうな部署に所定の書類を送付した。
回答は決まって『しばらく待ってください』というものだったが、最終的に何1つ回答は無く、パイロット養成課程での訓練の日々が続いた。
そして、そういう書類を提出した日には必ずある男から電話が入った。
その内容はどれも判で押したような日常のあいさつ程度の簡単なものだった。
嵯峨惟基特務大佐。古くからの母の知り合いだと言うその男は、誠の理解を超えた男だった。
四十代と言い張るが、その見た目はあまりに若かった。
誠がその存在に気づいた五歳くらいのころである。
その時はすでに二十代前半のように見えたことが思い出される。そして、現在もほとんど外見に変化が無い。
誠の実家で母が営む剣道場、『
長身痩躯で二枚目とも言えない顔の中央の両目に光が無いことで見る人に不安を抱かせるこの謎の男の正体を誠はよく知らなかった。
大概はどこか警察官か軍人を思わせる制服を思わせる格好をして現れ、制服を着慣れている軍人をよく見るようになった今では、嵯峨が軍関係の仕事を当時からしていたのだろうと思い返すことができた。
そんな謎の男、嵯峨惟基は誠の母で道場主の『
嵯峨は尋ねてくると必ず、喫煙者のいない誠の実家の庭に出て、見慣れない銘柄のタバコを一服した。
嵯峨は一人空を見上げながらぼんやりとした表情のまま煙を吐いた。そういう光景を誠は何度も見た。
謎の男、嵯峨惟基。この男こそ、誠を東和宇宙軍のパイロット候補の道に進ませた張本人だった。
誠が大学四年の夏、持ち前のめぐりあわせの悪さで企業の内定の1つももらえずに四苦八苦していた。
そんな誠にちょこちょこ寄ってきて耳元にささやく男が居た。
『いい話があるんだけどさあ……聞いてみない?』
などと、何を考えているのか分からないにやけた面で話しかけてきたのが、他ならぬ嵯峨だった。
その日は嵯峨に言われるまま、何の気なしに嵯峨の手にしていた『東和共和国宇宙軍幹部候補生』の応募要項を受け取った。
そして、仕方なく応募用紙に必要事項を記入してポストに投函した。
しかし、そんな興味の全くなかった『東和共和国宇宙軍』から翌日の夕方には電話があった。
なんでも、その次の日に一次面接があるという。
今思えば完全にできすぎた話だが、誠は初めての就職活動での好感触にそれなりの歓喜を浮かべて、これまで受けた民間企業と変わらない一次面接を済ませた。
家に帰ると、誠の持っていた通信タブレット端末に一次面接の合格と二次面接が次の日に東和宇宙軍総本部で行われるというメールが来ていた。
誘い出されて行った二次面接の場所は、この赤レンガの建物で有名な東和宇宙軍総本部だった。
そのビルに呼び出されたのは誠一人だった。その内容も一次面接と何1つ変わらないどうでもいい内容だった。
そうして誠はとりあえずの二次面接を済ませた。
この段階で誠は、この就職試験が『おかしい』ことには気づいていた。
しかし、他に道は無く、誠は嵯峨と母が勧める『東和共和国宇宙軍幹部候補生』採用試験を辞退しない決断をして立派な面接会場を後にした。
家に帰ると通信用タブレットにメールが入った。
その内容は内定決定。あまりの出来事にあれほど待ち望んでいた内定通知をただぼんやりと眺めていたのを覚えている。
その後も奇妙なことは連続で起きた。
内定者に対する最初の説明会会場では、今の時点での希望進路を記入するアンケートが配布された。
自分の名前が印字されたマークシート用紙を手にした時、誠はすぐに異常があることに気づいた。
本来空欄であるはずの志望部署の欄にはすでに、パイロット志望の欄に印がついていた。
誠は必死に消しゴムで消そうとしたが、完全に名前と同時に印刷されているようで全く消えない。
そんな誠のマークシート用紙を会場の『東和宇宙軍』の制服を着た女子職員が誠の意思を無視して回収していった。
『……いや、待て待て待て、これ絶対おかしいだろ!?』
誠のマークシート、当然の様に女子職員の手の中へ。
「ちょっ……あの……」
声が小さい。気の弱さが出る。結局、止められない。
『……僕、ここで『いや、違います』って言うだけで良かったんだよな?』
誠の不自然な態度に背後から咳払いが聞こえた。
『でも……でも……空気が……無理……!』
冷や汗を流す誠を冷たい目で見つめる斜め後ろの女子。
その視線がさらに誠の不安を掻き立てる。
『僕の志望部署、最初から『パイロット』にチェック入ってたよな?』
『これ、印刷ミス? それとも、何かのドッキリ?』
同時に渡されたプリントには印刷ミスの場合は申し出てくださいとは書いてあったが、誠にはそんな勇気は無かった。
そして隣の席のいかにも体育会系の参加者は、その体格に見合わず事務職の欄に印をつけていた。
『いや、それより……おい、お前、その体格で事務職!? いやいや、絶対俺よりパイロット向いてるだろ!?』
誠は次第に疑惑の念に取り付かれていた。
誰もが無理やり自分をパイロットにしようとしているように妄想するようになっていた。
『おかしい。絶対おかしいよね?でも、誰に言ってもスルーされる……これおかしくない?』
その後も淡々と続く説明会や現役隊員との交流会もすべてパイロット志望を前提としたものだった。
『……おかしい。絶対おかしい。』
どこに行っても、軍の人間は満面の笑みを浮かべて誠を迎えた。
『誠くん、君は才能があるよ!』
現役パイロットの満面の笑みで親指を立てる。
「僕の場合、機体を見ただけで吐くんですけど……」
『大丈夫、みんな最初は不安なんだから!』
『シュツルム・パンツァー』整備責任者のおじさんが、俺の肩をバシバシ叩く。
『……いや、僕、不安どころかパイロット志望すらしてないんだけど?』
誠は自分の体質の事を説明したが、逆におじさんは良い顔をした。
『大丈夫! 体が慣れる!みんなそんなもんだ!』
相変わらず良い顔でおじさんは言った。
『いや、慣れる前に僕の胃袋が死ぬんだけど?』
誠はなんとか泣き言を言えそうな優しそうな顔をしたおじさんにそう言おうとした。
『安心しろ、訓練すれば大丈夫!』
おじさんはまるで聞く耳を持たないどころか、外野からおじさんには機体の整備でお世話になったという現役パイロットたちがおじさんへの援護射撃を開始した。
『そうそう、俺も最初は3回くらい吐いたよ!』
『俺なんて5回だ!』
『えー!? 俺なんて10回は……』
『は? 俺なんて一週間で30回……』
『ははっ、俺なんて数えきれんぞ!』
『俺、入隊してからずっと吐き続けてるぞ!』
誠は吐くことをもはや自慢しているパイロットたちに呆れ果てていた。
『……お前ら、もはやなんで生きてるですか?と言うか宇宙酔いとかどうするんです?宇宙軍でしょ?うちは』
誠は航空機による対G訓練がきついとは聞いていたが……これはもう別の問題な気がしていた。
『……いや、みんな最初は吐くの!? 軍、どうなってんの!?』
『いやいやいや、ちょっと待って? 俺、乗り物ダメって言ってるんだけど?』
誠は心の中で必死になって叫んだ。
『なんで誰も聞いてないの!? みんな洗脳済みなの!?』
ニコニコ顔の東和宇宙軍関係者対心の中で絶叫する誠。
そんな誠の心の声は、誰にも届かなかった。
説明会も、交流会も、すべて誠がパイロット志望前提だった。
『僕の『おかしい』は、誰にも届かないんだな……』
入隊式、総司令の訓示。その間は聞いているフリでやり過ごした。
『……これ、本当に大丈夫なの?』
――気づいたら、軍の寮だった。
荷物はすでに搬入済み。
デスクの上には『新兵歓迎パーティー』の案内書が置かれていた。
部屋のスピーカーからは軽快なBGMが流れていた。
『……え、ちょっと待って……?』
『僕、ここに住む前提……?』
誠はおそるおそるクローゼットを開けた。
中にはピカピカの軍靴、アイロンのかかった制服、そして部屋着のスウェット。
『僕の……サイズ……結構見つけるの手間なのにぴったりなんですけど……』
もうすべてが用意されていた。
不安になって部屋のドアを開けようとした。
カチャン。開かない。
『……え?』
電子ロックのパネルに文字が浮かぶ。
《新兵歓迎プログラム実行中 23:00まで施錠》
『ちょっと待て!? え、俺もう囚われの身なの!?』
誠はゆっくりベッドに腰を下ろし、天井を見上げた。
『……は? 僕、いつ人生の選択肢を放棄したんだ??』
入隊式を済ませてパイロット用の普通の隊員向けより1回り大きいベットに横になった時にはもうすでに遅かった。