第3話 ちっちゃな敗戦国の『英雄』
『これは誰かが何か企んでるな……いや、間違いなく企んでるだろう。こんなことをするのはあの嵯峨とかいう人しか思いつかないけど』
そう独り言を言いながら、誠は行き交う人々を眺めていた。
ふと気づくと、駐車場の奥の柱のそばに、小さな女の子が立っていた。
誠がここに来てからずっと、じっと彼を見つめていた。その目つきはあまりに鋭く誠は思わず目を逸らした。
「……なんで女の子が?」
ここは軍の施設だ。関係者以外はそもそも駐車場のゲートで止められるはずである。
「あれか……ここの職員の子供か何かなのか……」
誠はそう考え、小さな女の子から目を逸らした。
彼は好きでここに立っているわけではない。
辞令に書かれた『司法局実働部隊』とかいう『特殊な部隊』へと連れて行かれるのを待っているのだ。
迎えに来るのは『クバルカ・ラン』という女性中佐だとあの人事部の禿げた大尉は言った。
彼女は十年前、遼州大陸の戦乱で名を馳せたエースパイロットだった。
『紅い粛清者』の異名を持ち、専用シュツルム・パンツァー『方天画戟』を駆り、数々の戦功を立てたという。
戦後、祖国である『遼南共和国』は敗戦し、新政府の『遼南民主国』が誕生した。
しかし、彼女はなぜかそこではなく、ここ東和共和国へ『亡命』し、陸軍に引き抜かれた。
そして、シュツルム・パンツァーの教導部隊でその実力を存分に発揮したらしい。
なのに、なぜか誠の思いもつかない理由で彼女は三年前に発足した『司法局実働部隊』に転属したという。
人事課の大尉が熱弁をふるいながらも、それ以上は語らなかったことを思い出した。
「『人類最強』って呼ばれるエースがいるのに、『特殊な部隊』扱いされてるって」
誠は微妙な気持ちになった。そんなに強い人がいるなら、普通なら前線のエースか実戦部隊の訓練を担当するアグレッサー部隊である東和陸軍教導隊として活躍し続けるはずだ。
それが司法局の『特殊部隊』行き……これはつまり、あまり表に出せないような事情があるのではないか?
「クバルカ・ラン中佐か……」
誠はせめて写真くらい見せてもらうべきだったと後悔した。
ただ、禿の大尉は「一目でわかる」と言っていたが、それが何を意味するのかは分からない。
「十年前の戦争でエース……ってことは、当時二十歳前後。今は三十代のお姉さんってことか……」
誠の妄想が始まる。
「遼州内戦は低空の格闘戦がメインだったって聞くし……シュツルム・パンツァーの近接戦闘が得意だったのかな?とりあえず近接戦闘なら僕も対応できるし」
徐々に、彼の中で『クバルカ・ラン中佐』のイメージが形を成していく。
「もしかして……巨乳だったりする? いや、エースパイロットってたいていそういうもんだろ? 重力制御コックピットなら邪魔にもならないだろうし……」
誠はニヤつきながら妄想を膨らませた。鋭い目つき、精悍な顔つきの美女。
きっと、彼女は長身で、戦闘スーツ越しにも分かる抜群のスタイルを誇る女性なのだろう……。
「さあ……どんな美人なお姉さんが迎えに来るのかな……」
そんな誠の脇を、通りすがる人々が『なんかヤバい人がいる』といった目で一瞥していく。
そこへ、不意に、真下から鋭い声が飛んだ。
「おい、出来損ない!」
誠は我に返り、視線を下げる。
先ほどから誠を見つめていた、小さな少女だった。
挑発するように、彼女は自信に満ちた笑みを浮かべていた。
誠は腰をかがめ、目の高さを合わせて穏やかに言った。
「あのー君」
「どこから来たのか知らないけど、ここは関係者以外立ち入り禁止なんだよー。わかるかな?」
彼女は東都警察の制服を着ていた。
年のころは八歳くらい。黒髪をおさげにし、整った顔立ちをしている。
だが、その瞳は鋭く、目つきの悪さが彼女の気の強さを物語っていた。
「使えねー奴は考えることもおめでてーんだな。アタシがここにいるのは関係者だからに決まってんだろ? 馬鹿じゃねーか?」
少女は呆れたように言い放った。
「テメーの頭にゃ八丁味噌が詰まってんのか?」
クバルカ・ランを名乗る彼女の言葉には容赦が無かった。
「……」
誠は思わず言葉を失った。
ただの少女が軍の駐車場にいるはずがない。ならば、彼女は何者なのか?
「アタシが軍警察関係の人間じゃなきゃこんなもん東和じゃ持ってねーだろ?」
少女は右腰をポン、と叩く。
そこには革製のポーチ――いや、中には拳銃が入っているのが明らかだった。
「……え?」
誠は絶句する。
軍の関係者でも日常勤務で拳銃を携行することはない。
このビルで銃を持っているのは、警備員くらいのはずである。
「なんだよ、銃ぐらいでビビッてんのか?」
では、この少女は……。
「すいませーん。お嬢さんのお名前は?」
誠は心の準備をしながら慎重に尋ねた。
「アタシを知らねーのか? 教本とかで習わねーのか……最近の東和宇宙軍はなってねーな……」
少女は溜息混じりに言う。
誠は冷や汗を流しながら、まさかと思いつつ訊ねた。
「……もしかして……クバルカ・ラン中佐(本人)なんですか?」
少女は腕組みをし、得意げに胸を張った。
「そーだ! アタシが『|汗血馬《かんけつば》の|騎手《のりて》』の異名を持つ、人類最強のクバルカ・ラン中佐(本人)だ!」
誠の脳内で、神経回路が焼き切れる音がした。
「……本当に君は『クバルカ・ラン中佐』なのかな? 本当に『エース』なのかな?」
どう見ても、ただの生意気な幼女にしか見えない。
これが十年前の『遼南内戦』を駆け抜けたエースパイロット?
しかも『人類最強』?
幼女の言葉を誠はまるまま鵜呑みには出来なかった。
「『エース』かどうかはアタシは興味がねーな。ただ、強いのは間違いねーよ。間違いなく『人類最強』だ。八丁味噌野郎、そんなお方の部下になれるんだ、うれしいだろ?」
少女は当然のように言い放つ。
「嘘ですよね……ちっちゃいじゃないですか……」
誠は震える声で言った。
「『人類最強』だったら、大きくないと力とかどうするんですか?」
これは夢か幻か、それも悪い冗談か……。誠はただ目の前の信じられない光景に唖然としていた。
「オメー、本当に大学出てんのか?」
ランは誠を見上げ、呆れたように言った。
「なんでもデカけりゃいいってもんじゃねえだろ? 戦場じゃ、デカいのだけが自慢なんてのは、ただの的だ。『コンパクト』&『ハイパワー』。これがアタシのキャッチフレーズだ。でかくて力があるのは当たり前。そんなことも分からねえから八丁味噌頭なんだよ」
ランは胸を張って、まるで軽自動車のCMでもしているかのような口調で言い放った。
誠は圧倒的な自信と迫力に気圧され、黙るしかなかった。
「証拠が欲しいって顔してんな……生意気だな……人は見かけじゃねーんだぞ」
そう言うと、ランはスカートのポケットから通信端末を取り出し、誠の目の前に突きつけた。
そこにはランの写真と、初めて見る書式の身分証が映し出されていた。
「2650年6月6日生まれ……僕より十歳年上……今年で三十四歳……」
誠は口ごもる。
目の前にいるのは、どう見ても八歳児にしか見えない。
なのに、この身分証が本物なら……彼女は三十四歳である。
信じがたい事実に誠が混乱していると、ランは満足げに頷いた。
腕を組み、誠を睨みつけるラン。その表情には誠も覚えがあった。
……『説教モード』である。
「まず、強いことの条件にはいくつかある。第一に、命を奪いかねない経験。そして、本当なら死んで当然の経験をしている……この2つを経験しないと『強い』とは言えねーな。ただ、この2つは物理的な強さだけだ。『人間』ができてりゃ、赤ちゃんでもОKだ。舐めるなよ、赤ちゃんを」
そう言って微笑むランだが、誠にはただの偉そうな八歳女児にしか見えない。
「赤ちゃんが……強いんですか?」
誠は思わず問い返す。
「そうだ、赤ちゃんだってすでにものすごく『強い』。おそらくまともな人間なら、絶対勝てねーな。言うだろ、『泣く子と地頭には勝てねー』って。学校で習わなかったか?」
誠は首をかしげる。高校時代、『国語』が大の苦手だった彼には、そのことわざの意味が分からなかった。
「生き物の『命』はみんな『強い』んだ。そーでなきゃ生きる意味はねー。違うか?」
ランは誠を鋭く睨んだ。
その瞬間、誠は本能的に身をすくめた。
――小さなランの身体から放たれる、圧倒的な『殺気』。
誠の実家は剣道道場だ。
道場主である母を訪ねてきた、名のある武闘家たちにも何人も会ったことがある。
彼らの放つ独特の『気』を知っている誠には分かった。
ランは、間違いなく『本物』だった。
『この子、口だけじゃない。圧倒的に『強い』……』
殺気を放つ幼女――いや、『猛者』の姿におびえる誠に、ランは優しく微笑んで手を差し伸べた。
「大丈夫か? 驚かしてすまねーな。アタシは『平和主義者』なんだ。傷つけることも、人が傷つくのも嫌えーだ」
その笑顔は、どこまでも優しかった。
ちっちゃくて、『萌え』で、『キュート』な姿。
だけど、その言葉の端々には、明らかに『経験』と『強さ』が滲み出ていた。
誠はランの差し伸べた手を握った。
――暖かくて、優しい、小さな手だった。
これが、『内戦』の行方を左右した『無敵のエース』の手であるとは、どうしても信じがたかった。
「とりあえず、車に行くぞ」
ランが手を離し、歩き出す。
誠は改めて彼女の背中を見つめた。
『小さい……でも、あの目……このかわいい子は……相当人を殺してるんだ……』
ランの後を追いながら、誠は震える手で荷物を持ち直した。
「オメーのおつむは救いようがねえが、お人殺しに向いてねーな。気に入った!」
ランは振り返ると、満足げに言い放つ。
「へ?」
誠は唖然とした。
「司法局実働部隊は、オメーみたいな『落ちこぼれ』を必要とする部隊なんだ! 頭ん中が味噌でも歓迎するぜ」
誠は『カチン』ときた。
「……司法局実働部隊で『落ちこぼれ』を集めて何をするんですか?」
誠はランを見下ろしながら、挑戦的に言った。
「それとも……幼女趣味の変態が喜ぶ部隊だから『特殊』なんですか?」
ランは首をかしげる。
「うーん……ショタなら、うちの『運航部』の姉ちゃんたちに何人かいるぞ。幼女趣味は……」
彼女は天井を見上げ、真剣に考え込んだ。
誠は呆然と立ち尽くす。
そして、ランは唐突に溜息をついた。
「そこはツッコミだろ? 笑いの分からねー奴だな……」
「……」
「無能な上に空気が読めなきゃ、組織じゃ出世できねーぞ? うちはアタシの方針で『体育会系・縦社会』だからな。上司がボケたら、すかさずツッコむ。常識だ」
ランは誠を指さし、深くうなずく。
誠はもう何も言えなかった。
「オメーは勉強知識だけの頭でっかちだから、無意識に他人を傷つけるかもしれねー。だから言っとく! うちでは『過去』は詮索しないルールなんだわ」
「でも、それじゃあ分かり合えないじゃないですか? 仲間でしょ、一応」
誠が食い下がると、ランは小さく首を振った。
「過去なんか気にすんな。目の前のリアルを信じろ。アタシはクバルカ・ラン中佐だ。そして、こうしてオメーを迎えに来た。それだけは|事実《りある》なんだ」
「……リアル、ですか?」
「そーだ。うちは『特殊な部隊』だからな。みんな、うちに来た『理由』がある。だから、その原因を聞かれたくねーんだ」
誠はランの言葉を噛みしめた。
「それじゃあ……どうやって『仲良く』すればいいんですか?」
誠の問いに、ランは高級車の運転席に乗り込みながら答えた。
「それを察することができるかどうか。それが、オメーにこれから試されるんだよ」
それだけ言うとランは良い顔をして笑った。