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第1話 奇才と呼ばれた男

 遼州星系第二惑星『甲武国(こうぶこく)』。

 この国の軍隊は、かつての日本陸軍を模していた。

 その陸軍大学校で、卒業式が行われていた。


 静寂に包まれた会場。壇上には、誇り高き士官たちが並ぶ。

 だが、この式典には、ある異様な緊張感が漂っていた。


 そして、その緊張は、壇上へと歩みを進める一人の若者によって、さらに高まることになる——。

 そんな中、式は佳境を迎え、二十歳ぐらいの長身の男が『首席卒業者』として壇上へと静かに上がっていった。

 その男は、一見すれば二枚目の軍人だった。だが——その目には、光がなかった。

 冷酷にも見えるが、どこか力の抜けた表情。その目は何を考えているのか分からず、不気味な印象を与えた。

 筋肉質な体を包むベージュの詰襟の制服。その襟には三つ星が光り、彼がその年にして少佐の階級であることを示していた。

 『陸軍大学校』は昭和初期の日本の陸軍を模した『幹部候補養成機関』であり、在校生の多くは佐官クラスの『将来の将軍』を養成する軍学校である。すべての卒業生達は、『陸軍士官学校』の優秀卒業生か、幹部候補生として陸軍に奉職して五年以上の猛者(もさ)ばかりだった。当然、彼等の年齢は最低でも二十五歳以上となる。その『首席卒業生』の若さはそう言った常識から考えればどう見ても異常な光景だった。

 明らかに若すぎる『首席卒業者』、彼、嵯峨惟基(さがこれもと)少佐はその証書を受け取るとそのまま演壇を歩いて修了者の整列する方に向き直った。

 嵯峨少佐はそのまま演壇を卒業席の居並ぶ会場に向けて歩いていくと、含みのある笑みを浮かべて会場を見渡した。

 嵯峨は壇上で足を止めると、静かに微笑んだ。

 そして、右手に持っていた卒業証書を、一度だけ宙に掲げた。

「……そんなもん、いらねえよ」

 そう言うと、彼は証書をゆっくりと折り曲げ、ビリ……ビリビリッ……!と力任せに引き裂いた。

 破れた紙の破片が、ゆっくりと宙を舞う。

 その場にいる全員が息を呑んだ。

 その明らかな『暴挙』に、『甲武国』の陸軍幹部と未来の幹部たちはどよめいた。

 そんな『将来の幹部達』の狼狽する様を嵯峨は笑顔で見渡した。その笑顔は狂気よりも落ち着きを払い、いかにも楽しそうな表情だった。

「はい!みなさん。なんだかみんな俺のしたことに相当驚いてるみたいだねえ……。折角の首席の卒業証書を破るなんてもったいない?」

 悪戯に成功した子供のような笑みを浮かべる嵯峨。会場はどよめいていたが、その暴挙はあまりに意表を突いており、誰も止めることができなかった。

「首席の卒業証書がもったいない?式典で無茶は止めろってか?それならアンタが俺よりアンタ等が優秀だったら式は何事もなく俺の出番も無かったわな」

 そう言って嵯峨は会場を見渡した。それまで光が無かった嵯峨の目に狂気のこもった光が差しているのに気づいた会場の卒業生達は、ざわめきを止めて沈黙した。

「俺が首席になった? はっ、バカバカしい……」

「戦争狂の任命のための紙切れなんて、意味ねえよ」

 嵯峨の表情はそれまでの満足げな表情から不満にあふれたものへと歪んだ。

「……話になんねえ奴等ばかりだな、アンタ等は」

「本当に……アンタ等の頭の中には脳味噌詰まってるのか? それとも、犬の糞でも詰まってるのかな?」

 嵯峨は皮肉めいた笑みを浮かべ、ちぎれた卒業証書の破片をひらひらと宙に散らした。

「じゃあ、この中で戦争をしたい人!手を挙げて!……恥ずかしがらなくても良いよ!元気よく手を挙げて!馬鹿なアンタ等にも手を挙げることくらいはできるだろ?恥ずかしがらずにほら!早く上げなよ!」

 『甲武国一の奇人』。

 嵯峨と言う男は、常にそう評される男だった。陸軍大学校には彼の友人が務まる人物など一人もいなかった。いつも一人で行動し、最高の成績を上げる。それが嵯峨と言う男の最大の特徴だった。

 壇上でほくそ笑む嵯峨。それを唖然と見上げる卒業生達。この光景は、誰もが想像すらしなかったものだった。エリート中のエリート。軍の力が強い甲武において、嵯峨の立ったスタートラインは将来を約束されたものだった。それを平然と反故にしてみせる。そんな嵯峨の突拍子もない提案に会場の陸軍関係者全員はこの『陸軍大学校首席』の男に唖然(あぜん)とした。

 実は嵯峨は『陸軍大学校』への入学に必須の条件である『陸軍士官学校』に在籍したことすらなかった。

 嵯峨は、甲武国貴族のための士官学校の予備課程である『甲武国高等予科学校』の出身である。選ばれた貴族の中でも、上級貴族だけが入学を許されるこの学校には、身分制度を重んじる甲武国ならではの『特例』があった。

『甲武国高等予科学校』の成績のすべてで満点を取って卒業すれば、士官学校を経ずして『陸軍大学校』または『海軍兵学校』への編入が認められるという『特例』だった。

 さすがにすべての成績が満点で『甲武国高等予科学校』を卒業する人物などめったにいるものでは無く、およそ百年ぶりの『特例』で嵯峨は『陸軍大学校』に入学した。

 嵯峨がいわゆる『天才』であることだけは誰もが認めるところだった。

 そんな『天才』嵯峨の常識はずれな演説はまだ始まったばかりだった。

「上げねえんだ。この国は戦争を始めそうなのに……戦争の始め方は陸軍大学校で教わったろ?アンタ等、好きだろ?戦争。武家のエリートは大概戦好きと相場が決まってる。海軍や陸軍士官学校に行った俺のダチにも甲武国万歳、戦争上等の奴がいるくらいだからな」

 そう言うと嵯峨は胸のポケットから、軍用タバコを取り出して使い捨てライターで火をつける。

「じゃあ、心の中で思った人……戦争をしたいと思った奴……手を上げなよ……別に殴ったりしないから」

 タバコをふかしながら嵯峨は軽蔑の視線を会場の陸軍幹部に投げる。嵯峨の戦闘技術を知る卒業生たちは、息をのんで沈黙した。まるで、猛獣に睨まれた獲物のように——。

「そんな奴は、今すぐ死んでくれ、迷惑だ。戦争で死ぬのはアンタ等だけじゃねえんだよ。平民も死ぬ。甲武が戦場になれば女子供も平気で死ぬ」

 静かにそう言うと嵯峨は腰の日本刀を引き抜いた。

「こいつは『粟田口国綱(あわたぐちくにつな)』。アンタ等、地球人が作ったんだ。俺がそいつの首をこの刀で斬り落とすから。ちゃんと死んでね。死にたい軍人がみんな死んだら戦争終わるよ。そうすればアンタ等のエゴの巻き添えを食って死ぬ姉ちゃん達にはモテモテだ……最もうち等甲武国は負けるけどね」

 沈黙していた議場が、次第にざわめきに包まれた。

「いいじゃん、負けりゃあ。『負けて覚える相撲かな』ってあんた等、伝統が好きな地球人の『懐かしいことわざ』もあるぜ。それに死人が格段に少なくて済む。確かに甲武は多すぎる人口を抱えて四苦八苦してるが、何も戦争を使って口減らしをする必要なんてねえんだよ」

 嵯峨の言葉に卒業会場は静まり返った。

「俺は陸軍大学校の首席だぜ?軍服を着せるだけのマネキンより価値のないアンタ等とは違う。俺の頭には『糞』じゃなく、『脳味噌』が詰まってんだよ」

 そう言って、戸惑う陸軍大学校の校長の陸軍大臣から辞令を取り上げると、嵯峨は手元のマイクを握ってそれを読み上げた。

「へー、『甲武国』陸軍作戦総本部の諜報局長補佐……どうせあれだろ?戦争を始めたい政治家連中に、暗号文の読み方教える『連絡係』だろ?そんな『お手紙当番』は興味ねえや、やなこった」

 嵯峨はそう言うとマイクを捨てて、手にした日本刀を構えて議場をにらみつける。

「だから!アンタ等が死ねば。『近代兵器』を使った戦争は起きねーんだ!俺、嵯峨惟基、甲武国陸軍少佐は『全権(ぜんけん)督戦(とくせん)隊長』以外は全部拒否する!俺の督戦活動は半端じゃねえぞ!アンタ等は俺の督戦隊の機関砲を避けながら敵陣向けて全力突撃しか許さねえからな……振り向いたりひるんだりしたら、容赦なく俺が打ち殺すから。戦争の勝敗だ?そんなの知るか!」

 嵯峨惟基少佐は『甲武国』陸軍大学校の卒業式の式場を去った。

 陸軍大学校首席卒業者、嵯峨惟基少佐。

 彼には追って『陸軍中尉』への降格処分と、『東和共和国、甲武国大使館勤務二等武官』への配属先変更の通知が出された。

 3か月後、『甲武国』は『ゲルパルト帝国』と『遼帝国』との『祖国同盟』を理由に、『遼州星系同盟』と地球軍の連合軍との泥沼の戦争に突入した。

 その『物量』が勝負のすべてを分けた戦いは、後に『第二次遼州大戦』と呼ばれた。

 開戦の三日後、嵯峨は妊娠中の妻を伴って、任地の中立国である東和共和国に赴いた。そこで『甲武国』の駐留武官として『東和共和国』の首都『東都』の大使館に勤務する生活が始まった。

 地球圏からの干渉や遼州星系での勢力争いを嫌い、『中立不干渉』を国是とする『東和共和国』に赴任した嵯峨は平穏な暮らしを送っていたとされる。

 しかし、開戦の4か月後——。

 嵯峨は、忽然と姿を消した。

 彼が最後に確認されたのは、東和共和国の『甲武国大使館』の内部。

 大使の部屋へと入る姿が、監視カメラに映っていた。

 だが——。

 出てくる姿は、どこにもなかった。

 まるで、嵯峨惟基という人間が、この世界から消え去ったかのように——。




 嵯峨が『甲武国』に帰還したのは、『甲武国』が属した『祖国同盟』の崩壊から三年後だった。『甲武国』と『ゲルパルト第四帝国』と『遼帝国』で構成された『祖国同盟』は地球軍の支援を受けた『外惑星社会主義共和国連邦』や『西モスレム首長国連邦』と『遼北人民共和国』に敗れ、甲武星もまた外惑星軍の爆撃で焼け野原となっていた。

 大戦後期に起きた非戦派の政治家だった嵯峨の義父、西園寺重基を狙った『テロ』事件の巻き添えで、嵯峨を待っているはずだった嵯峨の妻、エリーゼ・シュトルベルグ・嵯峨の墓の前で、呆然と立ち尽くす嵯峨を知人が目撃したと言う。その時から彼の『嵯峨惟基』としての人生は再開した。

 嵯峨惟基はその三年後、九歳になった娘の茜を連れて、『甲武国』を出国し、かつての軍人生活を始めた因縁の地、『東和共和国』暮らし始めた。

 時は流れた。

 その十七年後、平和な時代が遼州星系を包み始めた時代から物語は始まる。


 時に西暦2684年『遼州星系』。

 地球から遠く離れた植民惑星遼州は、どこまでも『アナログ』な世界だった。

 遼州星系を訪れた『地球圏』の人々は遼州星系の印象をそう評した。

 遼州星系——。

 そこは、地球から遠く離れた植民惑星。

 そしてその一角に存在する、『東和共和国』。


 まるで、時が止まったかのような、二十世紀末の日本のような世界。


 だが——。

 ここから、新たな物語が動き始める。


 物語は、遼州の片隅で、静かに幕を開ける——。





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