第51話 下町の伝統ある剣道場
「剣道場の庭か……聞いた限りでは結構広そうだな。都内に庭付き一戸建てとは良い身分だ」
ご飯をかき込んだ後、カウラはそう言って誠を見た。
「でも……下町と言っても都内でしょ、誠ちゃんの家。お母さんの実家なんだっけ?」
アメリアに言われて誠は静かに頷きながら麺をすすった。
「それはそうだ。私立高校教師の安月給で都内に千坪なんて無理だ。東都の土地はとにかく高いんだ。こんな都心から電車で一時間かかる豊川にまで来なきゃサラリーマンには家なんて買えないな」
カウラも私立高校の教師の給料の相場くらいは分かっているらしく誠の代わりにそう答えてくれた。
「そう言う西園寺の実家は」
「カウラ……アタシの家の話はするな。それにあれはご先祖様が勝手に陣取った場所だ。親父の手柄で建てた家じゃねえ」
甲武国、四大公筆頭で帝都に『御所』と呼ばれる広大な敷地の御殿を構えているかなめのことを思えば、誠の実家などボロ屋も同然だった。しかし、誠がうまく軍で出世しても実家のような規模の家を買うことなど夢のまた夢なのは誠にもわかっていた。
「で、明後日車で移動して……でも混むのよね、高速」
なぜかチャーハンの海老を一つ一つ皿の端に集めながらアメリアはそうこぼした。
「確かにな。平日はトラック、年末になれば帰省の車で渋滞だろうな」
すでに付いていた定食のスープを飲み終えたカウラがそう言ってアメリアに目をやる。
「やっぱり電車か?勘弁してくれよ……どうせ都心に入ったら何度も乗り換えて、その度に人ごみに揉まれて……想像しただけで疲れて来るぞ」
元々電車嫌いのかなめはそう言ってアメリアに文句を垂れた。
「西園寺。それは分かったうえで車を出すという話をしているんだぞ。それに最近は神前も自動車に慣れてきた。これで吐かなければ完全に慣れたことが確認できる」
愚痴るかなめにカウラはそう言って誠に目をやった。一人沈黙して排骨麺を食べていた誠に三人の視線は集中した。
「正月とかだと東都浅間神社の周りは交通規制が敷かれるんで……結構うちの周りって車は不便ですよ」
誠の実家は都心部に有るので、道は交通量が多い。さらに下町なので狭い上に何かというと東都警察が交通規制を敷いた。実際、誠の学校の同級生達も相当な金持ちでもない限り自家用車など持っていなかった。
「明後日は正月じゃないぞ。それに東都浅間はどうせオメエの家から歩いて行けるんだろ?行きと帰りの話をしてるんだ」
かなめの言葉に誠は苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。
「じゃあ足はカウラちゃんに頼むとして……って今から細かく決めても……どうせ誰かが予定をめちゃくちゃにするし」
アメリアは厭味ったらしくかなめの方を見つめた。
「アメリア。それはアタシのことを言ってるんだな?そうだな?アタシがオメエの立てた異常な計画をぶち壊してやって日常を取り戻してやってるんだ。感謝して貰いてえな」
排骨麺の肉ばかり先に食べてどんぶりの中に残った麺を箸で漁りながらかなめがアメリアをにらみつけた。
「くだらないことで怒るな。まあ、休日だ。どうせアメリアが夏の海に行った時みたいに『クリスマスのしおり』なんて作ってもどうせ無駄になるだけだからな」
「カウラちゃんひどいわよ。その言い方。あの時だって渡すタイミングを忘れちゃって……終わってから配ってもみんな変な顔するし……分かったわよ!作らないわよ!」
アメリアはそう言いながらため込んだ海老を一気に口に入れて頬張った。
「でも事実だからな。オメエの計画。予定通りに行ったことあんのか?」
スープを飲み終えたかなめがタレ目をさらに垂れさせてアメリアに挑戦するようにつぶやいた。
「いいじゃないの!予定通りにいかないから人生面白いんじゃないの!」
海老を食べ終えたアメリアはそう言って誠に目をやった。
「僕がどうかしました?」
楊枝で前歯を掃除していた誠を一瞥するとアメリアは大きくため息をついた。
「神前は悪くないぞ。予定がうまくいかないのは、ほとんど……アメリア。貴様のせいじゃないか」
カウラは茶碗に残った最後の白米を口に入れながらアメリアを見つめた。
「え?私?いつも私は予定の遂行を優先して……」
口ごもるアメリアを横目に、かなめは箸をどんぶりの上に載せて手を合わせた。
「じゃあ、ごちそうさん。アメリア。そんな話はどうでもいいんだよ。なるようになるってことでいいじゃん」
「かなめちゃんはいつだってそうやって行き当たりばったりで……」
レンゲを置いたアメリアはそう言ってかなめに抗議した。
「予定通りじゃなくても問題は起きていない。アメリア、お前の予定ははっきり言って無駄だ」
カウラのとどめの一言にアメリアはそのままうなだれて見せた。
「じゃあ……空いたお皿とかは僕が洗いますんで」
そう言って立ち上がる誠を見て三人は大きく頷いた。とりあえず雑用は誠がやる。それだけが三人の共通認識らしいことに気づいて、誠はただ乾いた笑みを浮かべるだけだった。