そのとき。彼、彼女は
side
「別れよっか」
話の内容をわざわざ聞くにいくほど野暮じゃない。でも、その言葉が聞こえた時は流石に驚いて立ち上がってしまった。
「分かった」
大人しく引き下がる柳くん。それにも違和感があった。私が知らない間に何があったんだろう。
「結月、どうしたの? 話してみるって……」
振り返った結月を問い詰めようとして、結月が泣きそうな顔をしているのが見えた。その様子は怒っているようには見えなかった。余計に混乱する。
「だって……」
ぐっと口を食いしばる、話せば泣いてしまうから、ここじゃ言えないんだ。
「外行こ」
結月が小さく絞り出した声に、私は頷いた。
外に出ると、結月は声を押し殺して泣いた。話を聞こうと思った、それぐらいしか出来ないから。
正直なところ、結月の言うことは半分も分からなかった。柳くんと結月には二人だけの世界が存在してるんだ。
私には分からないことがある。親友のことも分かってあげられない、そんな事実に唇を噛む。試験でどんな点数を取るより悔しかった。
放課後、部活帰りに校舎の裏口の段差に、座り込んでいる柳くんを見かけた。
私の親友を泣かせた男はどんな顔をしているんだろうと思って近づいた。
「何してるの」
前に立って声をかける。声をかけられて初めて私の存在に気づいたらしい。
「あ、柊さん……」
めっちゃ泣いてる......。目元が赤く腫れていた。同級生の男子の泣き顔を見たのは小学生ぶりでどうすればいいか分からない。
「あー、何があったの?」
若干の気まずさを感じつつ、できるだけ深刻にならないように聞いた。
「えぇ、分かるでしょ? 普通に振られて泣いてた」
そう言って、悲しそうに笑う。
なんで二人とも泣いてるんだろう。二人とも好きなのに別れるとか、そういうのが良く分からない。私は恋愛がどういうものかとか知らないし、何をいうべきなんだろう。
結月がまだ柳くんのことを好きだろうことを言ってしまおうか。それとも、それは不誠実だろうか。
「てかさ、柊さんの方が良く知ってるんじゃない? あの後、話してたでしょ?」
自嘲気味な笑みを浮かべて、柳くんはそう言った。
「いや、私もちゃんとは、分かってない」
多分、結月も、とは言わなかった。
「そっか」
私から視線を外して、小さく息を吐いてから柳くんはどこかを見つめていた。
「柳くんさ。なんで納得しちゃったの?」
「それ聞いちゃうか」
痛々しい笑顔だ、目を逸らしたくなるような。
「だってさ、好きな人に別れようって言われたんだぜ?」
「え?」
それはどういう意味なんだろう。普通好きだから別れないんじゃないだろうか。そんな私の疑問に答えるように柳くんは続けた。
「好きな人だから、迷惑かけたくないし、悲しませたくない。なのに俺たくさん怒らせちゃって。元々さ、付き合った時に別れようって言われたら別れるつもりだったんだよ。あんまりしつこくてもだるいだろ?」
何かを言おうと思った。でも喉から声が出なかった。最近こんなのばかりだ。
「まさか、今日だとは思わなかったよね。短かったなぁ」
そう言って柳くんは伸びをした。私を気遣っているのだろうか。空気が重くならないように、穏やかな雰囲気を作り出そうとしている。いつか、結月が葵は優しすぎるとぼやいていた。あの時は、惚気だと思っていたけど、こういうことか。
「結月……。橘って言った方がいいのかな。わかんないけど。まぁ、頼むよ」
「…………」
自分が苦々しい顔をしているのが自分で分かる。柳くんがどう受け取ったのか分からないけど最後に見えた顔はどこかすまなそうに見えた。
「なんで……」
何が、二人をすれ違わせてしまったんだろう。もどかしい。
side
「返信、ないな……」
左上にゆづきと書かれたトーク画面を開いて、ソファに寝転がる。頭の中には彼女の泣き顔と『バカ、嫌い!』という叫び声がぐるぐると回っている。また怒らせてしまった。最近、こういうことがある。何がいけないのだろう。分からない。結月は何か言いたいけど、それが言葉にならないって感じだった。でも、言葉にしてくれないと分からないじゃないか。
「……」
いや、違うな。分からないからダメなのか。そういうのだって分かりたいと思ったんじゃないか。
「゛あぁー」
「うるさいんだけど、何してんの?」
いつの間にか風呂から出た姉がやってきて俺の奇声を止める。目がソファの上から退けと言ってる。
「……このまま寝る」
「は? 風呂入んないの?」
「入る……」
「意味わかんね。どけ」
そう言って姉はソファから俺を無理やり引き剥がす。俺は肩と腰骨をしたたかに地面に打った。気ままが過ぎる、相変わらず姉は傍若無人だった。
仕方ないので起き上がって、風呂に向かう。
浴槽に浸かっても、やっぱり結月のことを考えていた。
「知れば知るほど分からなくなっていくな……」
風呂から出たら電話をかけよう。忙しいならそれで別に良い。待っていよう。
段々と熱くなってきた。最近寒くなったからって湯船に浸かりすぎた。のぼせる前に出よう。
パジャマに着替えて自分の部屋に行く。時間は九時半ぐらい。いつもよりは少し早い時間だけど、今日は塾とかもないだろうし、多分家にいるだろう。
さっき送っていたメッセージにはまだ返信がなかった。少し嫌な予感がした。それを払拭しようと思い切って電話をかけた。
[相手が通話中です]
「………………はぁー…………」
ひび割れるみたいに胸に痛みが走った。その痛みを消そうと少し深く息をする。
「ばーか」
誰に届くわけでもないのにそう言って。先に送っていたメッセージを消して、おやすみとだけ送った。
どんな顔をして会うべきなんだろう。教室を前にして俺は立ち止まった。多分、もう結月はいるだろう。あの後
実はしばらく起きていたのだが、結局返信は来なかった。
朝も、特に何も来てなかった。どうせ学校で会うし良いかと思ったのかな。考えたって分からない、もう行き当たりばったりだ。
「葵っ! おはよ!」
教室に入ると近くの席にいた結月が挨拶をしに来た。
やばい、今日も可愛い。ちょっと気まずそうな顔が堪らない。
「おはよ、結月。どうしたのそんな勢いつけて挨拶して」
結月の顔を見て、声を聞いて色んなモヤモヤが消えていた。安心した俺は、表情を緩めて挨拶する。いつも通り振る舞えている気がする。
「あのさ」
「うん」
「昨日は怒ってごめん」
結月が少し俯きながら、謝る。
「ううん、俺の方こそごめん」
謝らせてしまったことが嫌だった。情けなさで思わず俺も謝ってしまう。
「なんで謝るの」
「いや、怒らせちゃって。からかってごめん」
「違うよ」
俺の反応はどうやら何か間違っていたらしい。
「え? いや、なんていうかその、気付けなくてというか」
ダメだな、結月の前で笑う以外の顔が上手くできない。
「なんで怒ったか分かってないんでしょ?」
「……ごめん」
こういう時、なんて言えば良いのか分からない。いや、分からなくなっていた。もっと、謝る以外に何かあったはずなのに。
「ううん、良いよ。むしろごめん」
嫌な空気が流れている。嫌な予感がする。やめてくれ。なんとかしないと、と俺が言葉を探している間に、結月が口を開いた。
「別れよっか」
ぐらりと何かが歪んだ。ばたりと何かが倒れた。胸に刺さった絶望の感触が、抜けない。
息がしづらい。吸おうとした空気には酸素が含まれていなかったみたいだ。肺が吸おうとした空気を押し返す。
開いた口からは何も出てこなかった。嫌だと言おうと思った。でもそれが正解なのか分からなかった。
いや、もう正解なんて探してる時点でダメなんだろうな。
初めに決めてたことじゃないか。求められなくなったら離れようって。
「分かった」
最後、俺はどんな表情をしていただろう。
「やっほー、葵!」
机に突っ伏して、何も考えないように努めていると、朝から元気なバカがやってきた。
「伊織、今日は話しかけたら殺す」
「おぉ、朝から情熱的だな」
ニヤニヤとした顔が、言葉にしなくても何があったのか気になると言っている。それを無視して、俺は窓の外を見つめた。
「……まぁ、殺していいから後で話せよ」
「あぁ……」
伊織がどういう表情をしていたのかは知らないが、何か察してくれたのだろう。どこかに行ったのが気配で分かる。頭の中ではずっとさっきのことがこびりついて離れないのに、口でだけは呑気に。
「空が綺麗だなぁ」
なんて言ってみた。
放課後に、結月の友達の柊さんに会った。
「結月……。橘って言った方がいいのかな。わかんないけど。まぁ、頼むよ」
柊さんは何か言いたげな顔をしていた。それが言えるまで待つつもりはなかった。
その顔が何を意味しているのかも分からない。全て想像の域を超えない。
それなら、もう何も考えたくなかった。