【031:エピローグ1・燦歌を乗せて】
夏になった。
太陽が高く、澄み渡る青空を祝福するセミの鳴き声。
園田由美子は変わらず灰色の世界だった。
『入選:魔女の厄災 ヴィジョナリー・アーティスト 作・園田由美子』
良い絵が描けたと思ったそれは『入選』の二文字がくっつくだけでゴミのような出来栄えにしか見えない。
ヴィタリスアートフェスティバル。日本トップクラスのコンクールと言え、ワールドクラスの画家が出展するのは極めて珍しい。
『大賞:街を歩く人々 プライムアーティスト 作・シエル・リュミエール』
称号の差はそのまま技術に表れ全ての要素でシエルが上回ったと評論されている。
由美子はそこそこの名家であり、学生時代から自身の美貌も兼ね備えメディアから高い注目を浴びてきた。
由美子と同世代のシエルはその容姿さえも上回る。家柄はフランスの貴族。肝心絵の技術は世界一。持っているもの全てが上位互換だと囁かれているのを知っている。
――妬みだ。
黒い感情を乗せた魔女の厄災。
テーマ性として明るい題材が好まれるのは理解していたが、それでもこの絵で勝負したかった。
結果として横に並ぶと本人含めてよくわかる。全ての要素でシエルは由美子の一歩先に到達している。
天才・園田由美子はいつからか天才の称号も外された。世界で賞を取れないと周囲が察知すると、今では天才小学生が次の期待とされている。
いつの間にか消えた画家なんてこの世界では数多い。
コンスタントに作品を仕上げ、世界レベルで入選するのは国内では久慈筆丸ただ一人。
そして今日。そのシエルと筆丸の最上位である『プライム』を押しのけ頂点に立ったのは彼の作品。
「……」
本当は、もう苦しかった。
若き天才と言われながら励んで来た毎日。それも、展覧会に足を運べば古参の重鎮や才能溢れる天才からの突き上げばかり。この世界に自分の居場所なんてなく、展覧会に足を運ぶ度に己の才能の無さに辟易するばかりだ。
シエル・リュミエールさえも上回った絵。ざまあ見ろと言いたいが、その彼とはアレ以来会っていない。
作者に向かって酷い絵だと言い放なったソレは、どんな技術を見せてくれるのか。
この街には久慈家がいるおかげが、世界レベルの画家の絵が集うのが珍しくない。
受付を済ませ、中に入るとお目当ての絵がどこにあるのか。それは人だかりですぐにわかった。
ああ――
(楽しそう……)
燦歌彩月第六作品『燦歌を乗せて』
良い絵だな、と素直に思った。
楽しくギターを抱える金髪の女性。形から入るタイプのお調子者で、きっと初心者だろう。
音楽は楽しいんだ。
その想いが伝わってくる。
それでいて、絵を描いている作者の気持ちも筆から伝わる。
絵画は楽しいんだ。
(ああ――)
温かい。
(なんか、いいな)
そういえば、子供の時絵画が好きだったんだ。
そうだった。
絵を描くのは楽しい。線を引くのが楽しい。色を産むのは楽しい。
あの時の自分が今の義務感に溺れた自分を見たらどう思うだろうか?
目を引くような技術はない。優劣で言えばシエルには明確に劣り、今の自分だって描けそうな内容だ。
燦歌彩月の絵は想いが入っている。
優しく、じんわりと心に入ってくるその絵は月並な言い方だが心が洗われる。
「いいなあ」
誰かが呟いた。
横にいる男性に視線を向けると、一瞬色助かと間違う様なよく似た男性だった。
久慈光一は己の発言を恥じた。
『絵描きに何ができる』
社会を変えるにはシステムである政治こそが絶対である。ブームを作るテレビはオールドメディアと揶揄され、嘲笑ってきたインターネットが勢力を伸ばしたものの中身は堕落のシステム。
都合の良い情報のみを与えるエコーチェンバーに陥れ怠惰さに磨きがかかり新たな依存症を産み出す装置へと人に寄生した。
誰もが研鑽を是とする社会へ。
シエル・リュミエールの絵はたった一枚の絵でそれを伝える。
燦歌彩月は違う。
ただそこに在れば良い。
第六作品燦歌を乗せて。
その絵から伝わる楽しさは、確かに研鑽よりも上のナニカを感じ取らせる。
親は子の幸せを望む。だからこそ研鑽させ勝負の場で勝てる人材へと仕立て上げる。
その考えは今でも間違っているとは思わない。
ただ、"浅い"。
子がいるだけで親は嬉しいのだ。
我が子『燦歌を乗せて』を生み出した親は、きっと自分にそれが言いたいのだろう。
もはやどうにもならず、天才と凡人の格付けは済んだ。
天才は道を作り光を照らした。
己の才能を自覚しても尚、折れるつもりはない。
(見てろよ色助――!)
社会を変える。凡人の意地を見せてやる。