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【032:エピローグ2・凡人の話】

「我々凡人の話をしよう」
トントン、とテーブルを叩きながらどこから話すべきか視線を彷徨わせた。
提示された要求は下記の通り。
1.累計来場者数が以下の条件を満たす。
a.日本で来場者数1,000万人
b.世界で来場者数4,000万人
c.インターネットのPV数などは除く
2.作者・燦歌彩月(本名・久慈色助)が五体満足で存命である。
3.上記の条件を満たし久慈光一に10億円(JPY)で譲渡する。
4.作者・燦歌彩月(本名・久慈色助)の状態が3を満たせない場合、本作品の所有者は蓮乃木舞夜へと移る。
5.上記の条件を満たした時、久慈光一は絵画の売買を拒否できない。
「よく出来ている」
画廊は素直に狡猾にできた書類に感心した。
「見事だ舞夜。俺が最愛の弟を手にかけると疑念を抱くのはいささか憤りを覚えるが、可能性は潰す事に価値がある」
「来場者数の到達も見事。早く絵が欲しいなら早く集客しろと自分の力不足を相手に押し付ける図々しさも見事だ」
「あざーっす」
軽いノリで答えるメイドは、雇用主に対しせせら笑った。
第六作品『燦歌を乗せて』を描き上げる。
そんな重要なイベントは街の居酒屋しみんで行われた。
画廊にも声がかかると、もちろん出席。役員全員連れ勉強会と言って同席させた。他には色助を師と自称する雫石望愛も同席していた。
ライブを演奏、と言っても被写体である田中ゆかりはギターの空弾き。稚拙な演奏に未熟な歌唱力。
それでも音楽が好きなんだと意欲だけは伝わってくる。
音楽アーティストは歌を重ねる毎にレベルアップする。鍛錬に比例して知名度と共に売上と技術を伸ばしていく。
一曲より二曲目。二曲目より三曲目。
経験値を積み重ねればより良い物ができるのは摂理であろう。
但し不思議な事に稚拙なファーストアルバムを欲するファンは少なくない。
どんどん幅広い層にと商業的に洗練される数字より、心に刺さるのは初めの作品。
それを想いと呼ぶのか、若さと呼ぶのかわからない。
とにかくこの稚拙な子はソレを持っていた。
エンパス。
共感力や感受性、人の感情に同調する本能を人は持っている。
IQが20違うと会話が成立しないという俗説があるように、人は自分と近い人間を側に置く。
好きな事をやる天才田中ゆかりを選んだ。その天才の共演者こそ燦歌の魔術師。
それは画廊にとって一生忘れられないかげがえのない時間であり、その場を設けた舞夜には感謝してもしきれない貸しが出来た。
だが――作品が完成すると画廊はすぐに掌を返す事になる。
蓮乃木舞夜を信用していないわけではない。可能性は潰す事に意味があると本人が口にする行動を取った。
居酒屋の外を包囲すると、第六作品を奪還すべく役員全員で張っていた。
人物画向けの20号サイズ。72.7cm×60.6cmのサイズを隠し切る事はできない。
結果的には包囲網は嘲笑うようにドローンによって突破された。
プロ用でなくても有効範囲は5キロメートル。夜の空を徘徊するドローンは絵画をぶら下げながら病院の屋上に到達した。
その後、ドローンの上位版、ヘリポートからヘリコプターが出ると今度こそ第六作品を諦める事になった。
大掛かりのヘリコプターなど使うまでもないだろうと思ったが、結局は2番。
2.作者・燦歌彩月(本名・久慈色助)が五体満足で存命である。
これこそが蓮乃木舞夜の目論見。
敵対する画廊を披露宴に呼び購買意欲を高め、光一の顔を立て利益を渡す事で久慈色助を脅かす可能性を封じ込める。
むしろ今後色助の身柄を確保しなければならないのはその光一と画廊側だと言うのだから面白い。
日本と世界の最上位美術館に展示しても、第六作が画廊の手元に入るのは十年後になる。イベントや集客をどんなに頑張っても半分には縮まらない。
画して、凡人共の小競り合いは蓮乃木舞夜の完勝で幕を降ろした。
「もういい。してやられた相手には興味はない――と言いたいところだが」
画廊は自分を貶めた相手を見据えた。
「舞夜。一つ教えてくれ」
あの日以降、お前と呼んでいた二人称は舞夜へと変わった。
「蓮乃木舞夜。俺の目から見ても行うべき段取りは完璧に近い。それはお前の能力が高かったの一言で片付けられるが……一点。どうしてもわからない」
トントン、トントン。
「蓮乃木舞夜。お前が色助に対する忠誠心がどうしてもわからない」
その質問に舞夜は笑った。
「くだらねえなあ。オレと次男坊パイセンは一緒だよ」
首を傾げる画廊に、舞夜は言い放つ。
「燦歌彩月のファンなんだよ」
フッと初めて画廊は笑った。
優しい声で「そうか」と呟くテーブルを叩く指を止めた。
「近々、プライベートで飲みに行くか」
「焼き肉か?」
いいだろうと頷く。ファン同士となれば、語り合いたい事も多い。
「そういやシエルはどうやって撒いたんだ?」
「制作中だから入るなと言った。それと、あいつが日本に来れない様に定期的に式典に参加する様に促した」
「まあ今となっては燦歌彩月の顔も見たくないだろうな」
「プライドの塊だもんなー、あの金髪」
二十歳以下でプライムの称号を得た燦歌彩月とシエル・リュミエール。
同列に語られていたのは春までの話。
第六作『燦歌を乗せて』が出た後は序列は確定したと画廊は微笑む。
「ああ、あとお前」
思い出したかの様に呟く。
「俺の第二作品『頂山の澤日路』を返せ」
「アレはオレが貰ったんだよ!」

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