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【022:蠢く思惑】

この日、蓮乃木舞夜は久慈家に呼び出された。
「入れ」
呼び出した張本人はと言うと、そんな相手にも目もくれず『彩色架け橋第三世界』を眺めていた。
「うぃーっす」
対面に座ると作品を覗く視界の中に入ってしまう。しかしこのまま立ちっぱなしを受け入れるほど反省な心は持っていないので隣に座る。
「本日ご指名頂きました舞夜でーす。名刺コレでシャンパン飲みたいでーす」
「油でも飲んでろ」
ロボットかよと腐すが、画廊の態度は変わらない。
画廊に呼ばれたと光一に伝えた時、彼は酷く狼狽えていた。その様子にケラケラと舞夜は笑った。
そもそもまだ何も動いていない。仮に画廊が舞夜側を脅威だと感じたとして、ある程度は泳がせてから対処するはずだ。凡人はつくづく自己評価が高いとせせら笑う。
まだ久慈画廊の敵にもなれない。
それどころか、この男の視界にも入る事はできていない。
そうなるとこの場で呼ばれた要件としてはただ一つ。
「こういうのは俺が急かすモノではない。当然だ。そんな当たり前の事は理解している。理解はしているのだが……」
久慈画廊ともあろう男が歯切れの悪いモノいい。
「――焦んな」
トントン、トントン。久慈画廊のBGMが始まった。
「何か困っている事はないか? ああ、お腹空いただろ。出前でも取るか」
「なあ次男坊パイセン。人の体型見て腹減ったとか超失礼だからな?」
ここに居るのは実質的な当主でもなければ若き成功者でもない。ただのオモチャを待ちわびた幼児だ。
「可能性の話としてだ。仕事の出来ない窓際社員が延命措置として――」
その比喩を出す前に、舞夜はビニール袋を取り出した。
「燦歌彩月第六作――のなりそこね」
椅子から立ち上がると、初めて舞夜を見つめた。
コレの中身がなんなのか? その説明はこの二人の間では省略できる。
「楽しみは本番まで待つタイプか?」
「笑わせるな」
それではと袋を開けていく。
破られた用紙。その裏には「上の1」「上の2」と番号を振ってあり、簡単に並べられるようになっている。
それらを全て並び終え、復元された絵を浮かぶと言葉を呑んだ。
「……ッ」
ギターを弾いている金髪の女性の絵。
画廊はあろう事か舞夜を抱き寄せると、よしよしよしよしと犬を愛でるように何度も頭を撫で回した。
「何か困った事はないか? 兄として力になりたい。お前も困っている事があればなんでも俺に相談しろ。全てに応えよう」
「……」
舞夜の顔は晴れない。
画廊はコレを見てまだ気付かないだろうか。
「なあ」
そんなぶっきらぼうな一言にも、無愛想の象徴の男は謙るような笑みを浮かべて次の言葉を待った。
「もしかして第六作は生まれないと思ったんだが……どう思う?」
「……あ?」
舞夜の視線にあるのは、テーブルに復元された第六のなりそこねだ。
それは画廊であっても心を奪われるほどの出来栄え。
こんな高い精度で仕上がっている。もうこれを納品としてもまかり通るほどの素晴らしい仕上がりだ。
「――あ」
画廊も気付いた。
そう。
このレベルの品質でも、燦歌彩月は首を縦に振らなかったのだ。
100点のレベルの絵を並べ続け、100.1、100.2、100.21点とどんどん良化するだろうが、全てが100点であれば燦歌彩月は認めない。
もう一つ上。即ち120点に届かなければ納品されない。
――この絵を、ここから20点加点する?
どうやって?
「……ッ」
浮かれていて遅れた。ようやく舞夜が言っている意図を汲み取った。
画商でもある画廊はこの絵がどういう経緯で創られたか手に取るようにわかる。
神に選ばれた一握りの天才が惜しみなく努力を続け、さらにここに至るまでどれほどの試行錯誤が繰り返されたものか。
その輝かしい光を帯びるはずの結晶が、無惨にも破かれ捨てられたのだ。
「――なんとかしろ」
「らしくねえ無能経営者のムーブじゃん。ハッ。オレだってコレが完成しないと困るんだ」
「……ッ」
言葉にするまでもなく画廊の葛藤は伝わる。恐らくは「こんな豚に縋った自分が愚かしい」と嘆いているのだろう。
一つ深呼吸。溢れ出た感情をゆっくりと飲み込んでいく。
色助は作品と向き合った。
それが舞夜のおかげかどうかは定かではないが、どうでもいい。とにかく向き合ったのだ。
それでいて届かないとなると、もう彼女を攻めるのはあまりにもお門違い。
それはわかる。燦歌彩月は自分の最高の傑作以外を全て消し去る。
それもわかる。わかるが……!
(ぐ……!)
「被写体の特定は?」
「田中ゆかり。22歳。ここから2km離れた居酒屋しみんでバイトしている。自宅は近くのボロアパート。どっちも住所を控えてある」
「自宅はなんとディスク・シリンダーだ」
ピッキング犯罪のターゲットとなっている防犯性の低い鍵。もしここに絵が置かれればその日で盗めるだろう。
「接触は?」
「していない。つーか――するなよ?」
「――チッ」
なまじ仕事が出来ているだけに毒を吐く事すらできない。なんなら自分の側近よりもこの分野に関しては舞夜の方が何倍も優秀だと思うほどだ。
「ふん」
どかっとソファーに座り直した。
現状は把握できた。最善の手は打ってある事も確認できた。これ以上の時間は無駄だ。
「第六作は必ず届ける」
「完成したらな」
舌打ちをして、もう必要はないと蝿を追い払うように手の甲で去れと伝える。
「失礼しました」
最後だけは礼節に習い頭を下げる。
(そうだ。必ず届ける)
そう。金の卵である第六作は何があっても画廊に届ける。
(そしてオレは得る)
金の卵を産むニワトリを。

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