第131話 混沌の戦場への投下
『むー……こりゃなんだ……鼻が痒い』
かなめがサイボーグ用の顔面を覆い尽くすようなヘルメットの下に手をやって珍しく鼻をむず痒そうに搔いているのが、コックピットのパイロット画面の中に映し出されていた。
『どうしたんだ?西園寺。くしゃみでも出るのか?』
すべての05式はすでにすべての射出準備を終え、モニターで先発を切るカウラと後詰のかなめの二人の顔がモニターに浮かんでいる状態だった。
かなめは相変わらず鼻が気になるのか、目元が隠れて口元が露出しているサイボーグ用のヘルメットの下に何度も手をやった。
『誰かがアタシの噂話でもしてるのかねえ。ったくどこの馬鹿だ。帰ったらぶん殴ってやる』
サイボーグ用の特殊なその特徴的なタレ目を隠しているゴーグルのついたヘルメットの下でかなめは閉じた口と鼻を動かす。
『投下予定ポイントまで一分!皆さん、準備は良いですか?』
管制を担当するパーラの叫び声と共に輸送機は大きく傾いた。このまま輸送を担当しているP23は菰田の操縦で進行を続け、到着地点で05式を射出してそのまま上昇して敵の対空砲火の射程圏外に逃れる。それが最初から決められた予定だった。
『本当にこの下に機動兵器は居ねえんだろうな……このまま対空射撃でどかんは勘弁してくれよ。この鈍重な輸送機はどんな馬鹿でも外さねえでっかい的だ。旧時代の対空砲でも墜とせるぞ』
ようやく落ち着いたかなめの口元にいつも戦線に立つ彼女特有の薄ら笑いが口元に浮かんでいるのが見えた。誠は緊張を押しとどめるために何度も操縦棹を握りなおした。手袋の中は汗で蒸れているのが分かった。それが気になると、誠は気が変わり右手で腰の拳銃に手をやった。
『神前、落ち着けよ少しは。今回の作戦の肝はオメエなんだぞ。オメエが落ち着いてなくてどうするんだ。重要な作戦こそ落ち着きが何より大切だ。たとえ自分の心臓にナイフが刺さっても笑っていられるくらい落ち着いていないと作戦なんて上手く行かねえもんだ』
そう言って緊張にいつもと違う行動を取る誠を笑うかなめに誠はただ苦笑すばかりだった。
『レーダーに反応!9時の方向より飛行物体2!信号は東和陸軍です!……いいえ!一機増えました!干渉空間を利用して跳躍してきたようです!』
パーラの鋭い声。誠のモニターに今度はパイロットのヘルメット姿のランが映った。二機は飛行して誠達に追いつこうとして来ていた護衛の89式で、増えたのは跳んできたランの『
「跳んだのか……凄い……東和からここまでなんて、そんな距離を正確な位置に跳ぶなんて」
突然ランの05式がレーダーに現れて89式の背後を進んでくるのがみえた。誠はランが日頃、自分を『人類最強』と呼ぶのが言葉だけではないのをこの事実を目の前にして思い知った。
『待たせたな!どこの機体だろうがオメー等は落させねえよ!そのまま予定通り侵攻しろ!何にもまして今回の作戦は時間との戦いだ!すべてはスピードを優先しろ!』
ランの言葉に合わせるようにして輸送機が降下を始めた。
「クバルカ中佐……『人類最強』の意地を見せてくださいよ。ここでこの輸送機が墜とされたらそれこそ元も子もないんだから」
ランの深紅の機体がモニターにアップされるのを見ながら誠はそうつぶやいた。
『法術様々なんだよ……姐御の機体に法術装備を付けた結果だ……なんでも身体強化の延長とかで機体性能も上がるんだそうな……便利なもんだなあ。アタシも血統的には法術師に成れても良さそうなもんだが……やっぱりこの身体じゃ無理なのかな』
そう言って来るかなめは少し残念そうな顔に見えた。誠もここでもう一人くらい誠をカバーしてくれる法術師が居れば自分に全責任が負わされることは無かったのにと、少しばかり自分でも狡い考えを巡らせていた。
『おう、神前……オメーにいつまでも頼ってらんねーかんな……距離の概念のねー遼州人の必殺技だ。いずれ、オメーも鍛えれば跳べる精度と距離が延びる。自分を信じろ!』
得意げにランはそう言った。遼南内戦で何度となくこの跳躍で相手を翻弄したのだろう。ランの言葉は自信に裏打ちされていると誠には思えた。
「僕はまだまだってことですね。僕に同じことが出来たら西園寺さんやカウラさんをこんな危険なところに連れて来る必要が無かった」
誠は得意げなランとは対照的に自信なさげにそう答えた。
『テメエの『剣』で戦艦のブリッジ潰しときながらよく言うわ……それに姐御は他にも色々できるんだわ……でしょ?ランの姐御』
笑いかけるかなめにランは得意げに頷く。
『おう、色々出来るぞ。だが、法術師の戦いではどんな能力を持っているかがバレれば命とりだ。だから教えねー』
誠には相変わらずこういう時はランは意地悪に見えた。
『雑談はそれくらいにしてハッチ開きます!』
それまで三体のシュツルム・パンツァーを眺めていた技術部員達が隣の加圧区画に消えていく。
『カウント!テン!ナイン!エイト!……』
パーラのカウントが始まるとカウラのヘルメットの中の顔が緊張して引き締まって見える。誠はその姿に目を奪われた。
『射出!』
そう叫ぶとパーラの言葉に誠はつばを飲み込んだ。
『アルファー・ワン!カウラ・ベルガー、出る!』
誠の機体がカウラの一号機のロックが外れた反動で大きく揺れる。そして一号機をロックしていた機器が移動して誠の機体が射出ブロックに押し込まれる。誠は自分の05式乙型が装備している長い05式広域鎮圧砲を眺めた。
『大丈夫だって。そいつを入れての飛行制御システムは完璧なんだ。そんな長いものを持っても大丈夫なように05式は出来てるんだ。自信を持てよ』
そんなかなめの言葉を背に受けた誠は黙って操縦棹を握りなおした。
『カウント!テン!ナイン!エイト!セブン!……』
『誠ちゃん、少しは落ち着いて。私は誠ちゃんがうまくやるって信じているから』
パーラのカウントの声にかぶせるようにアメリアの一言が聞こえた。誠は呼吸が早くなるのを感じる。手のひらだけでなく背中にも汗が染みてきていた。
『ツー!ワン!ゼロ!』
パーラのカウントが終わると誠の05式乙型の背中を支えていたフックが外れる音がコックピットの中にまで響いた。
「神前誠!アルファー・スリー!出ます!」
パーラのカウントに合わせて誠が叫んだ。
フックが外れた次の瞬間に、再びがくんと何かが外れるような音がした後、レールをすべるようにして05式乙型は輸送機から空中へと放り出された。
「今回の作戦はすべてを僕が決めるんだ。『近藤事件』の時だってできたじゃないか……今回もやれる……やれるんだ!」
誠は自分自身に言い聞かせるようにそう言いながら機体を輸送機から遠ざけるべく降下する速度を一気に速めた。