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第130話 かえでの『婿』候補

「大公殿」 

 嵯峨の竹馬の友で甲武の海軍随一の猛将として知られる赤松忠満中将の懐刀として知られる別所晋一大佐の言葉に嵯峨は元の『駄目人間』の表情に戻っていた。

「大公殿は二人居るよ。どっちだい。ちゃんと名前を言いな」 

 嵯峨の投げやりな言葉に別所は視線を嵯峨の方に向けた。

「では内府殿。クバルカ中佐から連絡で作戦開始時間になったそうです。すべては予定通りに事は進んでいます」

 何も知らされていなかった醍醐陸軍大臣とは違い、竹馬の友の赤松には嵯峨は隠し事が出来なかった。そして、甲武での嵯峨とランとの連絡係として信頼のおける別所を選んで自らは現場へと向かっていた。 

「そうか。それは重畳(ちょうじょう)……いつもこう行くと良いんだが……ってこれからが本番か」 

 嵯峨はそれだけ言うと再び木刀を手にして立ち上がり素振りを始めた。

「義父上、心配ではないのですか?例の姉さまの下僕の活躍次第では遼州圏は一気に戦乱のるつぼに落とされることになるんですよ」 

 別所の言葉を聞いてかえでは静かに問いかける。だが、嵯峨はまるで表情を変えずに体の回復具合を確かめているかのように素振りを続けるだけだった。

「大丈夫よかえでちゃん。かなめちゃんもついているんだから。それに新ちゃんの話では今度の作戦の鍵になる誠君ていう人は結構頼りになるみたいだし。ねえ、晋一君」 

 その勇名で知られる康子に見つめられ、ただ別所は頭を垂れるだけだった。

「ああ、別所。オメエが長男で無けりゃあこいつを……ああ、お前さんは結婚してたな。さすがに今更主君だからと言って離縁しろとはとても言えないし。それに……」 

 そう言って嵯峨は不機嫌そうな顔をしているかえでに目をやった。

「僕は嫌です!別所大佐は身長が低すぎます」 

 嵯峨の与太話をかえでは思い切りよく否定する。かえでの言う通り別所は決して長身とは言えない平均的な身長の男だった。かえでは女にはある程度妥協はしても男には一切の妥協はしないバイセクシャルだった。そしてただ頭を下げる別所に嵯峨は諦めたような笑いを浮かべるしかなかった。

「まったくかえで、どんな男だったら……って男の好みは康子姉さん、聞いてるだろ?かえでの男の好み。ああ、アイツは身長だけは高かったな。その点はかえでの眼鏡にかなったわけだ」

 嵯峨は下世話な雑誌を読む時の表情で義姉、康子を見つめた。

「知ってるわよ……だから私にはかえでの婿の候補はすでに居るって言ってるんだもの」

 相変わらず康子の本心は人の心を読むことが得意な嵯峨にすら読めなかった。

「別所よ。身内の馬鹿話を聞かせてすまなかったな。でも、俺はどうもねえ、こんなふうに現場に立てねえってのは……辛いもんだねえ。こうして馬鹿話でもして気を紛らわせないと帳尻が合わないや」 

 そう言って木刀を納めて縁側に戻る嵯峨を康子はいつにない鋭い視線で見つめていた。

「大丈夫よ。かなめちゃんがうまく動いてくれるわよ。なんといっても私の娘でかえでちゃんのお姉ちゃんなんですから。それに……ああ、これから先の話は私の胸に納めておくわ。そうしないと彼の活躍の機会が減っちゃうもの」 

 嵯峨は義姉の言葉を聞いて康子の言う婿のあてについて見当がついたがこの場は黙っておこうと話題を元に戻そうとした。

「かなめの奴は暴れるだけ暴れられればそれで良いわけだから良いんですが……まあ、なるようになるでしょ」

 あっけらかんと嵯峨はそう言うと縁側であおむけに倒れこむ。

「義父上……」

 話題についていけずに取り残されていたかえでが嵯峨の傷がまだ言えていないのかと言うように心配そうにそう語りかけようとした。

「大丈夫だよ。ちょっと力を使って疲れただけだ」

 嵯峨はかえでが母親の意図をまだ理解していないらしいことに気付いて笑いそうになるのを堪えながら答えた。

「そうですか……」

 かえでの気遣いに嵯峨はニヤリと笑って真っ赤な甲武の空を眺めた。

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