地の巻
「それにしても、手強かったわね」
尊の言葉に、時空の周りに集まった少女たちも頷く。
各位の手には、戻ってきた神器が握られていた。
「あの……教えてもらえませんか?
そう呟いたのは鈴だった。
胸前で手を合わせ、不安そうに仄を見つめる。
「……ああ、そうだったわね。いいわよ」
そう言って、仄はニッコリ微笑んだ。
「あなたの沖津鏡と私の持つ
「双子の神器……!?」
鈴が驚いた声を上げる。
「元々は一つの神器だったのが、どういう訳か、その中に二つの力が同時に芽生えたの。記憶を改変する力と、神器を集約する力……二つの力は拮抗し、反発し合った。お互いが
仄は遠くを見るような眼差しで語り続けた。
「それが……沖津鏡と辺津鏡!?」
鈴がポツリと呟く。
「そ。私が転生した際、二つの神器の反発力が強すぎて、両方を体内に入れたままにはできなかった。それで、一つを継承者に持たせる事にしたの」
仄が目を細めて言った。
「でも、それがどうして鈴なの?」
尊が、訝しげな口調で尋ねる。
「
そう言って、尊の方を振り向く仄。
「私は転生してすぐに、鈴さんの体内に沖津鏡を封印した。そして彼女が道返玉を手にするまで、決して会わないよう距離をとったの。もし接触したら、私の辺津鏡と反発が起こり、封印が解けてしまうかもしれないから……その後、彼女が無事道返玉を手にした事で、封印にロックが掛けられた」
そう言って、仄は肩をすくめた。
「どうして封印する必要があったのですか?」
今度は、柚羽が不思議そうに尋ねる。
「実は、沖津鏡の能力は、一度しか使えないのよ」
「え!?一度だけ!?」
仄の返答に、凛と晶が揃って声を上げる。
「ええ。だから、力を必要とする時まで暴走しないようにしたの」
「なるほど……だから、最後の切り札なのね」
納得したように呟いたのは幽巳だった。
「もしかして、道返玉の頁を破り取ったのは……その封印を解くためか?」
時空が、ハッとした顔で問いかける。
仄は黙って頷いた。
「では、あなたと階段で会った時、道返玉が反応したのは……」
鈴が、確認するかのように仄を見つめた。
古書に浮き出た二つの神宝図が、脳裏をよぎる。
「私が、あなたと接触したからよ。二つの神器が呼応し合ったの。道返玉に現れた二つの神器を見たあなたは、私が二つとも所有してると思ったんでしょう?」
仄がおどけたように、片目を
その言葉に、鈴は恥ずかしそうに頷いた。
沖津鏡と辺津鏡の逸話──
また、新たな真実が明かされた瞬間だった。
「それにしても、肝心の
尊が、眉をひそめて言った。
右腕とも言える長髄彦を失った今、饒速日命の動向が気になるところだ。
このまま身を隠すのか、あるいは……
「それなんだが……」
その言葉尻を取るように、時空が口を開いた。
何故か、顔に苦悶の色が浮かんでいる。
「今の闘いで、一つ気付いた事がある。恐らく、俺の思い過ごしだとは思うが……」
珍しく、時空が言葉を濁した。
よほど話しにくい内容らしい。
「何よ。話しなさいよ」
尊が語気を強め、後押しする。
その言葉に、時空は意を決したように顔を上げた。
「実は……」
「とんだ茶番だったわね」
突然、背後から声がした。
全員が驚き、一斉に振り向く。
暗がりの中、入口に誰かが立っていた。
「誰だ!?」
その人影に向かって時空が叫ぶ。
「相変わらず強いですね」
そう言いながら、人影はこちらに歩いて来た。
「誰よりも強く……誰よりも明るく……そして誰よりも優しい……憧れの《主将さん》」
高窓から差し込む月明かりに、その人物の顔が照らし出される。
「……伊織っ!?」
思わず尊が叫ぶ。
それは、剣道部員で時空の後輩……
「あなたが、どうしてここに……?」
尊が、目を見開いたまま問いかける。
この場所の事を、彼女は知らないはず。
なのに、なぜ……?
「あら?やっと出て来たわね」
抑揚を抑えた声が響く。
振り向くと、仄の射るような視線があった。
「
「ええっ!?」
仄の言葉に、驚きの声が上がる。
全員の視線が、伊織に集中した。
「ホントに。
面白そうに伊織が応える。
その顔には、不気味な笑みが浮かんでいた。
「伊織、まさかあなたが……饒速日命だなんて……」
尊が
丸くなった目は、瞬き一つしない。
伊織はその方を一瞥し、また時空の方に向き直った。
「あまり驚かれないんですね、主将」
その言葉に、皆の目が今度は時空に集まる。
「ご存知だったんですか?私のこと」
「いや……」
険しい表情で、
「違和感を感じたのは、つい今しがただ。長髄彦との闘いで、《ある事》を思い出したんだ」
時空は、押し殺すような声で答えた。
「話してくれない、時空」
仄が、興味深げな視線を向ける。
時空は、自分を見つめる仲間の顔を見回した。
「思い出したのは、以前長髄彦が伊織に化けて俺たちを誘い出した時の事だ」
時空は前に向き直り、語り始めた。
「俺たちが長髄彦と闘っていた丁度その時、伊織……お前は、神社に誘い出されて眠らされていた。誰がやったのかと聞くと、相手は仄だとお前は言った。当時の俺たちは、仄を一連の襲撃の首謀者だと思っていたから、その言葉を疑いもしなかった」
そう言って、時空は仄に目を向けた。
「私はしてないわよ。そんなこと」
仄は首を振りながら、肩をすくめた。
「今俺たちは、真の首謀者が饒速日命だと知っている。仄がお前を誘拐したので無いなら、お前が嘘をついた事になる。では、なぜそんな事をしたのか……」
時空は眉間にシワを寄せ、朗々と声を響かせた。
「お前自身が饒速日命、もしくは奴の側の者であるとするなら説明がつく」
時空の話を、伊織は笑みを浮かべ黙って聴いている。
「そしてお前は、伊織を人質にして八握剣を奪うよう長髄彦に指示をした。それには二つの目的があった……一つは伊織を使う事で、俺を精神的に追い込もうとした。無関係な伊織を巻き込んだ事で、俺は悔恨の念に
伊織を見つめる時空の眼光が、キラリと光る。
「もう一つは、何ですか?」
面白がるような声で尋ねる伊織。
顔に張り付いた笑顔が大きくゆがむ。
「自分に、疑惑の目を向けさせないためだ。八握剣奪還の成否に
そこまで一気に喋ると、時空は静かに目を伏せた。
「だが、俺は信じたくは無かった……俺の考え過ぎだと思い込みたかった……よりにもよって、なんでお前が……」
時空が、苦しそうに言葉を吐き出す。
これほど悲しげな表情は、誰も見た事が無かった。
黙って見つめる皆の胸にも、熱いものがこみ上げる。
「お見事です!主将。それでこそ、私の憧れの人です」
伊織が拍手しながら、声を上げる。
「全て、ご推察の通りです。その時はまだ仄さんの正体は不明でしたが、主将が怪しんでいたので利用しようと思いました。彼女のせいにしてしまえば、皆信じるだろうと……結果的に失敗しましたけどね」
そう言って、伊織は肩をすくめてみせた。
「伊織……本当に、お前が饒速日命なのか?」
語気を震わせ詰問する時空。
その目が、認めたくないと訴えていた。
「時空主将……私、主将の事好きだったんですよ」
伊織が宙を見つめながら、独り言のように呟いた。
「剣道部の主将として……頼もしい先輩として……そして……」
そこで、伊織の視線が時空に移る。
「神武時空として……」
じっと見つめる伊織。
その射るような視線に、時空は口腔に渇きを覚えた。
「でも、言えませんでした。主将に認めてもらうには、私の実力なんかまだまだだし。容姿も、頭も、アピールできるような長所も無いし……だから、
そう語る伊織の目が、異様な輝きを放ち始める。
「……ねえ、主将、分かりますか?ファンに囲まれる主将を見た時の私の気持ち……主将への告白を友達から相談された時の私の気持ち……尊先輩と楽しそうに喋る主将を見た時の私の気持ち……胸が痛むんです。チクチクと音が鳴るんです。そして……声が聴こえてくるんです……」
一言話すごとに、伊織の目の光が激しさを増す。
それはもはや、人間のものでは無かった。
「……声が聴こえるんです。主将を……『神武時空を殺せ』と……そうすれば、『主将は私のものになる』と……永遠に私だけのものに……」
そこまで語ると、伊織は突然顔を伏せた。
小刻みに肩が震える。
「だから……死んでもらえませんか、主将」
伏せていた顔が、ゆっくりと上がる。
それを目にした時空は、思わず息を呑んだ。
周りの少女たちから、声にならない悲鳴が漏れる。
赤く染まった眼球。
真っ白な肌に、蜘蛛の巣状に浮き出た黒い血管。
耳元まで裂けた口角からは、長い犬歯がのびる。
それは紛れもなく、異形の様相だった。
「伊織!?お前……!」
「よく見て、時空……」
絶句する時空に、脇に立つ仄が囁く。
「あれが……饒速日命よ!」