乙女に神器は似合わない

「貴様っ！また伊織に化けていたのか！？」

変わり果てた伊織の姿を見て、時空が叫んだ。

「違うわ」

それを耳にした仄が、即座に否定する。

「彼女は間違いなく、長須根伊織よ」

「えっ！？」

その言葉に驚く時空。

「だがたった今、お前は饒速日命(にぎはやひのみこと)だと……」

「どちらも正解なの……どうやら、すごく特殊な転生をしたみたいね」

眉をしかめ問う時空に、仄が冷静な口調で答える。

「特殊な……転生？」

不思議そうに聞き返す時空。
仄は、正面を向いたまま頷いた。

「私たちは【転生の儀】により、指定した時代の人間に転生できる。勿論、姿形(すがたかたち)は、全くの別人に変わっちゃうけどね……私は、伊邪那美(いざなみ)仄(ほのか)として生まれ変わる事ができた。でも、アイツ……饒速日は、そうじゃない。アイツが今いるのは、長須根伊織の中……この時代に、すでに存在している人間の中に転生したみたい」

「伊織の中に……転生……？」

仄の説明に、時空の目が大きく見開く。

「な、なんか、チンプンカンプンなんスけど……！」

後ろで聞いていた晶が、たまらず悲鳴を上げる。

「この時代風に言うなら、そうね……一種の乖離性同一性障害みたいなものかしら」

「乖離性同一性障害……それって、多重人格！？」

仄の言葉に反応したのは尊だった。

「本で読んだ事がある。一人の人の中に、まるで複数の人格があるかのような状態になる症状だと……」

尊は、記憶をたどるように宙を睨んだ。

「じゃあ何か……今アイツの中には、伊織と饒速日命の二つの人格が存在してるって言うのか！」

珍しく上擦(うわず)った声で、時空が叫ぶ。
仄は肯定の眼差しを向ける。

「やれやれ。そんな事まで、お見通しだとは……」

感心したように呟いたのは、饒速日命だった。
姿は異形と化しているが、声は伊織のままだ。

「あなたの言う通りですよ、天照(あまてらす)様。【転生の儀】を行なったはいいが、なぜか私は新たな肉体を得られなかった。この伊織とかいう娘の中に、意識だけが転生したんです。当然、最初は愕然としました。この時代の人間を制圧するという野望も、諦(あきら)めかけたほどです」

そう言って、饒速日命は肩をすくめた。

「だがすぐに、その必要は無いと悟りました。この長須根伊織が神武時空と同じ学園の、しかも同じ剣道部員だと知ったからです。不運どころか、実に幸運でした。神武時空を狙うのに、これほど好条件の環境はありませんから」

楽しげに体を揺すり、話し続ける饒速日命。

「さらに幸運は重なりました。伊織が神武時空を慕っていたからです。意識を共有する私には、すっかりお見通しでした。想いを告げられず、悶々と過ごすしかない日々……私はすぐに、この娘を利用しようと思いました」

饒速日命は、自らの体──伊織の体をまさぐりながら言った。

「だからこの娘の意識に呼びかけ、深層に根付く欲望を引き出してやったのです。思った通りこの娘は、神武時空への想いを抑えきれなくなりました。何としても、自分のものにしたいと考えるようになりました。だから私の言う通りにすれば、願いが叶うと教えてやったんですよ。おかげで今では、私の指示通り動く操り人形です」

「貴様という奴はっ！」

饒速日命の言葉尻を遮(さえぎ)るように時空が叫ぶ。

「伊織の心を弄(もてあそ)んだというのか！」

怒りに燃える両眼で、異形の顔を睨みつける。

「とんだ言いがかりだな、神武時空。これは、この娘が自分で望んだ事なんだ。私はそれに力を貸しただけ……むしろ感謝してほしいくらいさ」

赤い瞳孔が、おどけたように丸くなる。

「そんな……ひどいっ！」

「この、悪魔！」

尊を始め、少女たちから非難の言葉が飛び出す。
怒りの視線が、饒速日命に集中した。

「貴様……ゆるさん！」

時空が、鬼の形相で怒声を浴びせる。

「ほほう……では、どうするね？私を殺すか」

嘲(あざけ)るように、両手を広げる饒速日命。
吊り上がった口角が、さらに吊り上がる。

「私はそれでも構わんよ。どうせ意識を共有しているだけだ。この娘の肉体がどうなろうと、知った事では無い」

そう吐き捨てると、饒速日命は無造作に歩き始めた。
時空が反射的に剣を構える。

「ダメよ、時空！今闘えば、その子も死んでしまうわ」

背後から、仄の制止がかかる。

確かに、コイツがいるのは伊織の意識下で、体自体は伊織のものだ。

剣をふるえば、伊織そのものが傷付いてしまう。

では、一体どうすれば！？

「さあ、どうする？神武時空……私を倒す絶好の機会だぞ」

挑発するように胸を張る饒速日命。

一歩、さらに一歩と、その歩みが止まる事は無かった

今コイツを倒せば、その野望は潰(つい)える。

この時代の人々を救う事ができる。

だが……

それでは、伊織の命を奪う事になってしまう。

俺の事を想い……

異形にまで身を落とした伊織……

俺の……せいで……

「さあ……どうする！？」

異形はもう、切っ先が届くほどの距離に立っている。

激しい葛藤と混乱が、一瞬だが時空の闘気を消し去った。

「……終わりだ、神武時空。お前の負けだ！」

そう言い放つと、饒速日命は突然剣先を両手で掴んだ。

そしてそのまま、自らの胸に突き立てた。

「…………！！」

あまりの予想外の出来事に、時空は即座に反応できなかった。

慌てて体を引き剥がすが、異形の胸には大きな血糊(ちのり)ができている。

「お前っ……何で、こんな事を！？」

動揺した顔で時空が叫ぶ。

「……知っているか、時空。その剣が一体何人の命を吸い取ったか……」

フラフラと後退しながら、饒速日命が囁いた。
その顔には、嘲笑が張り付いている。

「九百九十九人だ。その数多(あまた)の者の憎悪と怨念が、その剣には蓄積している……そして、それが千人に達した時……八握剣は、【闇の神器】として覚醒するのだ」

「闇の……神器！？」

反射的に、その言葉を繰り返す時空。

「……しまったっ！」

突然、仄の叫ぶ声が響いた。

「最初から、それが狙いだったのね！」

大きく見開いた目が、濃い悔恨の色に染まっている。
いつもの沈着冷静な仄からは、想像もできない狼狽ぶりだった。

「そして、さ、最後のひとり……それが……私なのだ！」

苦しげに顔を歪め、異形は片膝をついた。
手を添えた胸からは、止めどなく血が流れ落ちる。

「それは、どういう意味だ！？」

混迷の表情を浮かべたまま、時空は声を震わせた。

「まだ、分からんか……この時代に騒乱と混沌をもたらすのは、私などでは無い……お前だ、時空……いや、神武天皇よ……お前が、この世を地獄に変えるのだ！」

血の飛沫を飛ばしながら、異形は叫んだ。

「なっ……！！」

異形の放ったその言葉に、時空が思わず絶句する。

「私が高天原(たかまがはら)で八握剣を奪ったのも……この時代に転生したのも……八刀神(やとがみ)神社に隠匿したのも……長髄彦に、お前を襲わせたのも……全ては、この時のため……この一瞬のために仕組んだこと……」

そこまで語り、饒速日命は仰向けに倒れこんだ。

鈍い地響き音が、あたりの空気を揺るがす。

「古(いにしえ)の世でも……この世でも……し、所詮、お前は私の手の上で踊らされる運命なのだ……」

そのままの体勢で、異形は片手を上げ空(くう)を掴んだ。

全身が激しく痙攣し始める。

「さあ、目覚めよ、神武ぅ！人間どもに、お前の《真の力》を見せてやれ！！」

最後の力を振り絞り、絶叫する饒速日命。
低い笑い声が、その場にいる者の背筋を凍らせた。

ヒャハハハハハ……！

ハハ……ハ……ハ……

……ハ……ハ……

……………………

そして……

饒速日命は、こと切れた。

その姿が、次第に長須根伊織へと戻っていく。

閉じた瞼は、全く開く気配が無かった。

「伊織ぃぃっ！」

時空の悲痛な叫びが木霊した。

大きく歪んだ顔には、涙が流れ落ちている。

助けられなかった……

俺が……俺のせいで……

俺は……何をやってるんだ

なんのための神器だ……

なんのための力だ……

結局……救えなかった……

大切な仲間を……

茫然と立ち尽くす時空の姿に、誰も声をかけられなかった。

穴が空いたような虚無感の中、耐え難い沈黙が流れる。


ヒギャァァァァァーー！！！


静寂を破って、突然八握剣から怪音が鳴り響いた。

それは、まるで幾重にも重なった悲鳴のようだった。

憎悪と怒りの感情の爆発。

そして竦(すく)むような嫌悪感が、聴く者を押し包んだ。

「時空っ！」

ハッと我に返った尊が叫ぶ。

だが、時空の反応は無かった。

八握剣を握りしめたまま、その場に立ち尽くしている。

「時空さん！」

「時空先輩！」

仲間からの声にも、まるで無反応だった。

まるで何も聴こえていないかのように、宙を睨み体を揺すっている。

「一体、どうしちゃったの……！？」

「……まずいわね」

尊の言葉に、仄がポツリと呟く。

「まずいって、どういうこと？闇の神器って何なの？」

矢継ぎ早に問いかける尊に、仄は視線を向けた。

「闇の神器……それは、高天原(たかまがはら)に伝わる秘術、【数(かぞ)え神唱(じんしょう)】により生み出された神器……」

「数え……神唱？」　

仄の言葉を、呆然と繰り返す尊。

「簡単に言えば、【数を使った願掛け】のようなもの。己(おのれ)の願いを成就させるために、何かの数を重ねていく術法よ。比叡山の千日回峰行や神社の御百度参りなども、これが由縁とされている。人間が神の真似をして始めたの」

険しい表情で、仄は話を続けた。

「アイツ……饒速日は、八握剣にその秘術を施(ほどこ)したのよ。剣が一定数の人命を吸い取った後、闇の力を得るように願をかけた。最後は自らの命を吸い取らせる事で、より強力な力となるようにした」

朗々と響く仄の語りを、皆緊張した顔で聞き入った。

「……そして、生み出されたのが【闇の神器】。アイツの狙いは、八握剣を奪う事でも、時空を倒す事でも無い……はなから、剣を【闇の神器】にする事だったのよ」

そう言って、仄は悔しそうに唇を噛み締めた。

「じゃあ、それを手にしたら……時空はどうなるの！？」

「もう……手遅れかもしれない」

激しい口調で問う尊に、仄は抑揚の無い声で呟いた。

「多くの命を殺(あや)めた八握剣には、憎悪や怨念といった【負のエネルギー】が蓄積している。恐らく饒速日は、そのエネルギーを解放し、時空に闇の力を与えるつもりだわ。そして一度(ひとたび)闇の力を手にした者は、もはや己の理性を制御できなくなる。より多くの命を吸い取りたい欲望に駆られるの……饒速日は、時空を《破壊神として覚醒》させるつもりなのよ」

「時空が……破壊神……そんなこと……」

尊が声を震わせた。
言いようの無い不安が、胸中に広がる。


「うわぁぁぁぁぁーっ！！！」


その時突然、けたたましい咆哮が湧き起こった。

全員が一斉にその方向に目を向ける。

そこには……

鬼神のごとき形相で剣を振りかざす、時空の姿があった。

その両眼を、真っ赤な血の色に染めて……