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天の巻

──緊急通達──

いつもお読み頂きありがとうございます。

筆者です。

通例ですと新章の冒頭は、前回に登場した神器継承者との絡みを描くところですが、ご存知のように朱雀幽巳さんと時空さんは目下敵対関係にあります。

ストーリーの関係上、ここで幽巳さんとボケツッコミを交わす訳にもいかず、やむなく割愛する事にしました。

楽しみにしておられる読者の皆様には、大変申し訳ございません。

(……え!?別にどうでもいいと)

そ、それでは本編をど、どうぞ。


*********


遠くの方で声がする。

誰かを呼んでいるような、何か叫んでいるような声だ。
意識を集中し、耳を澄ますが聴き取れない。

此処はどこなのかしら……

声を聴くのは諦め、今度は自分の身の回りに意識を向ける。
あたりには、静寂と混沌の闇が広がっていた。

何も見えない……

気付くと足元に地面は無く、体が宙に浮いている。
これまで経験した事の無い感覚が、全身を捉える。

此処はどこなのかしら……

もう一度呟く。

こんな状況だというのに、不思議と気持ちが乱れることは無かった。
あたかも、喜怒哀楽が失われたかのように何も感じない。

今度は、自分自身に意識を集中した。
黒い靄のようなものが、何かの形を取り始める。

指……手……腕……肩……胸……

上半身……下半身……

最後は、丸い頭部に髪と顔が形成される。

顔……私の……

私?

私は……誰?

何者?

【お前の名は、朱雀(すざく)霊那(れな)

突如、頭の中で声がした。

誰!?

声のする方に問いかける。

先ほどとは違い、微かな動揺が芽生える。

誰なの?

【お前の名は、朱雀霊那】

また、同じ言葉が返ってくる。

朱雀……霊那……

声に出して呟くと、ふいに懐かしさが込み上げてきた。

私は……霊那!

記憶の断片が、走馬灯のようにぐるぐると回り始める。

その一つ一つに、確かに見覚えがあった。

町……学校……家……

家の中に意識が飛ぶ。

玄関……応接間……台所……食卓……

卓上に綺麗に並んだ朝食。

誰かが座っている。

料理を口に運んでは、嬉しそうに微笑む笑顔。

笑顔?

ショートヘアに小麦色の肌。
制服の袖口から覗く、黒いリストバンド。

あれは確か……私が……

目玉焼きを口にしたその者が、目を丸くする。

「やっぱ姉さんの目玉焼き、最高だね!」

幽巳(ゆみ)っ!

思わず叫んだ。

全ての記憶が蘇る。

私は、朱雀霊那。

そしてこの子は、私の妹……幽巳。

【思い出したようだな】

また声がした。

あなたは誰? 

此処はどこ?

【我は蛇比礼(おろちひれ)

【お前の覚醒を任とする神器だ】

蛇比礼?

神器?

聞き慣れないその言葉を、霊那は無意識に繰り返す。

なんなのそれ?

私はどうなってしまったの?

質問が、矢継ぎ早に口から飛び出す。
不安が、津波のように一気に押し寄せた。
記憶と共に感情も蘇ったようだ。

【神器とは神の与えし至宝】

【お前は、その継承者として選ばれたのだ】

蛇比礼と名乗るその声は、淡々と語り続ける。

継承者?

【我はお前を覚醒させる為、力を開放しようとした】

【だが、お前はこれを拒絶した】

【行き場を失った力は、発現すること無くお前の体内に(とどこお)った】

【お前の自我と共に】

一体、此処はどこなの!?

【此処は、お前の意識の深奥部】

【何も存在しない無の空間で、お前の自我と神器の力は永遠に漂い続けるのみ】

私が……力を……拒絶?

その瞬間、霊那の脳裏にまた一つ記憶が蘇った。

つい昨日の出来事が……


********


学校から帰ると、洗濯物を取り込みに庭に出た。
毎日の日課である。

「あの子、今日も遅いのかしら」

霊那はそう呟くと、無意識に胸元に手を当てた。
瑠璃色(るりいろ)のペンダントがキラリと輝く。
妹の幽巳が、誕生日プレゼントにくれたものだ。
霊那の宝物だった。
静かに微笑むと、また洗濯物に集中した。

ふいに何かの気配がした。

幼少から人一倍感受性の強い霊那は、気配には敏感だった。
人にしろ動物にしろ、何かが近付くとすぐに分かる。

理由は分からない。

とにかく、分かってしまうのだ。

「誰!?」

気配のする方に声をかける。
程なく、家の陰から何者かが現れた。
黒いスーツ姿の驚くほど痩身の男だ。
目深(まぶか)(かぶ)ったボーラーハットで顔が見えない。 

「誰なの?どこから入ったの?」

泥棒っ!

霊那は、咄嗟に人を呼ぼうと身構えた。
叫べば、近隣の住人に聴こえるはずだ。
男は特に慌てた様子も無く、その場で立ち止まった。
帽子の下には、怪しく光るキツネ目が垣間見える。

「どうかお静かに」

男はそう言って、笑みを浮かべた。
嘲るような不気味な笑い顔だ。

「ここで騒げば、困るのはあなたの方ですよ」

甲高い声に、含み笑いがこもっている。

「何?どういうこと!?」

心臓の鼓動が、早鐘のように鳴り響いた。

手近に武器になるようなものは無い。

いざとなれば大声を上げるしかないが、何故か男の台詞が引っかかった。

「誰だか知らないけど出て行って!でないと警察を呼ぶわよ」

霊那はエプロンのポケットから携帯を取り出すと、精一杯の虚勢を張った。

男は何も言わず嬉しそうに眺めていたが、やがてスーツのポケットに手を入れる。
再び取り出された時には、黒い物体が握られていた。

「……それは!」

霊那の目が大きく見開く。

男の手に乗ったモノ……

それは、妹が持っているはずのリストバンドであった。

「何故、あなたがそれを……?」

霊那の体に緊張が走る。

それは、誕生祝いに自分が幽巳に贈ったものだ。
黒いリストバンドなど何処にでもあると思うかもしれないが、それは紛れもなく妹のものだった。

こと物覚えに関して、霊那には並外れた特技がある。
瞬間記憶と呼ばれるものだ。
目にしたものは、一瞬で記憶してしまう。
このリストバンドは霊那自身が厳選し、購入したものだ。
それゆえ形状や色具合、僅かな繊維の歪みまでしっかり頭に入っている。

「あなた……幽巳に何をしたの!?」

自ら口にした台詞に、全身が総毛立つ。

この男が誰かは知らぬが、これを持っているという事は、何らかの理由で妹から手に入れたに相違ない。
こんな不審者に、妹が自らの大切なものを渡すとは思えない。

可能性があるとすれば、掠奪か、さもなければ……

「そう。ご推察の通り、これは私が妹さんから拝借したものです。勿論、ご本人の許可無くです」

霊那の心中を見透かしたように、男は言った。
愉快でたまらないといった口調である。

「そして、これまたご想像通り、妹さんの身柄は私めがお預かりしております」

その台詞で、霊那の全身が一気に硬直した。

慌てて携帯を手にし操作する。

繰り返される発信音。

幽巳が……出ない!?

目の前が暗くなり、額から冷や汗が噴き出した。

「妹を……幽巳をどうしたの!?」

腰が抜けそうになるのを懸命に(こら)えながら問い詰める。

「そうですね……彼女には、身代わりになって頂くつもりです」

「……身代わり?」

意味不明な男の返答に、目を見開く霊那。

「身代わりって……何の……?」

反射的に聞き返すが、すでに霊那の平常心は失われつつあった。

身代わりって……何?

幽巳は……

幽巳は、どうなったの!?

今の霊那には、男の放つ言葉の一つ一つが(ほとん)ど理解できなかった。

ただ一つ

妹の身が、危険に(さら)されている事を除いては……

「詳しくはお話しできませんが、本来なら私自身が行うべき事を妹さんに代行して頂くつもりです。妹さんにはそれだけの力がある」

男は両手を上げると、芝居じみた口調で言った。

「まあそのためには、妹さんにも命を掛けて頂く必要はありますが」

男の放った最後の台詞が、霊那の中で激しく反響する。

幽巳の……命……

命を……掛ける!?

何で、幽巳がそんな目に……

そんな危ない目にあわなければならないの!?

なんで……なんで……なんで!

母親亡き後、霊那は懸命にその代わりを務めてきた。

妹が時折見せる、寂しそうな眼差し──

母への深い思慕の念──

双子であるがゆえ、妹の心痛は痛いほど分かる。

自分も同じ気持ちだから……

だが、私は姉だ。

この子を守る義務がある。

真っ直ぐ、一人前に育てるのが私の役目。

それまでは、何としても私が守らねば。

何としても……

その瞬間、霊那の中で何かが弾けた。

妹を……

幽巳を助けないと!

全身の震えが、いつの間にか収まっている。

早く……

助けないと……

霊那は、心奥で何かが(うごめ)き出すのを感じた。

それはまるで、蛇がのたうつような感触だった。

うねり、とぐろを巻き、這い回る──

そして動きが激しさを増すごとに、体内に力が(みなぎ)っていくのが分かった。

全身に行き渡った力は次第に凝縮し、そのまま一気に霊那の胸元に集結した。

視線を落とすと、瑠璃色に輝くペンダントが目に入った。

今までのような淡い反射光ではなく、それ自体が眩しいほどの光彩を放っている。

その光の中に浮かぶ、何かの模様──

鋭利な八角の紋様──

(おもむろ)に顔を上げた霊那の瞳にも、瑠璃色の光が宿っていた。

「おっと、そこまで」

その様子を観察していたスーツ男が、唐突に制止をかけた。

「それ以上の覚醒は遠慮願います。さもないと、妹さんの身の保証は出来ませんよ」

そう言って、男はリストバンドを眼前にかざした。

途端に、霊那の顔に影が走る。

幽巳を助けなければ

こいつを何とかしなければ

幽巳が危ない!

でも、今此処で手を出せば

それもまた、妹の身が危うくなってしまう。

どうすればいいの!?

どうすれば……

霊那の中で、葛藤の波が奔流となって渦巻いた。

どうすれば……

どうすれば……

どうすれば……

奔流は神器の覚醒を遮断し、意識を巻き込みながら心奥の底へと流れ落ちていく。

激痛が体中を駆け巡り、霊那は頭髪を掻きむしった。

低い呻き声が喉から漏れる。

そして……

そのまま、霊那の動きが止まった。

それを見たスーツ男の口角が、大きく釣り上がった。

しおり