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08. これからの日々

 雨が降れば、傘を開く。陽が差せば、傘で(さえぎ)る。魔法を使えば、傘から放出される。肺を空気で(ふく)らませ、(まぶた)(おもむろ)に開く。顔を上げ、正面を見る。(きぬ)の様に()き通る頭髪は、色が無い(ゆえ)に真白く光り輝く。耳元で揺れる黒髪は、光を吸い込む故に何物も透かし通さない。細かく震える空気を(しぼ)り出し、自白する。実は、全知でも全能でもありません――。

 ララに、馬鹿を見る様な視線を向けられた。そんな事は知っていると言う顔だ。(やさ)しい言葉で(さと)される。

「上手、魔法?」

 杖すら持っていないし、カードに魔力を擦り付ける事しか出来ない。

「上手、話す?」

 言うまでも無く、流暢(りゅうちょう)(しゃべ)れない。それどころか、相手の言葉を聞き取る事にさえ苦慮(くりょ)している。

 家事服に身を包む例の彼女が、空調の吹出口を閉めた。名前は、ニナと言うらしい。恥ずかしい話だが、実は彼女達の見分けが付いていない。このホテルで働く彼女達は、誰もが同じ制服に同じ髪型、似た顔付きに似た化粧をしている。ララが詳しく説明してくれたが、何とか理解出来たのは、同郷で家族のいない者が多いと言う事だけだった。

 そんな彼女、ニナがお茶の準備を進める。一度部屋を出て、配膳カートを押して戻って来た彼女の額は、元に戻っていた。ララと私が向かい合うテーブルに白磁(はくじ)の食器が並び始める。どれも(あい)暗緑(あんりょく)文様(もんよう)が描かれている。

 丸いティーポットには、大袋を背負う四つ足の動物がいた。例に依って、袋は体の一部だろう。この国まで乗って来た動物が翼竜ならば、この絵は(さなが)ら地竜だ。背負う袋の真ん中には、丁度(たい)焼きの()()の様に、半円の平らな板が突き出ている。袋を取れば、確かスピノサウルスがこんな見た目だったと思う。

 大皿に乗ったタルトが置かれる。香ばしい小麦色の生地に、vhzovrerが乗っている。vhzovrerは林檎(りんご)(なし)だと思う。先週、言葉の先生と一緒に食べた。その時に描いてくれた絵は、上下が(くぼ)んだ(まる)い形と、それを実らせる樹と、その産地を示す地図だった。続けて何かの数値を書き出し、立て板に水の(ごと)く始まった無駄に詳しい説明は聞き流した。うんうんと(うなず)いて早速、口に入れると、タルトに乗るその果実は、甘いソースに包まれていた。上下の歯で噛み潰すと強い酸味と果汁が舌を浸した。それで、林檎なのか梨なのか、結局よく判らなかった。

 目の前に出されたタルトに笑みが(こぼ)れるララはしかし、甘い物を控えていた。活動的な割に食事制限を課しているらしい。何時のワンピース姿から伸びる手が、淡く黄みがかったクリームの小皿を遠ざける。それを後目(しりめ)に、私はスプーンで(すく)い取ったクリームを二度、三度とタルトに運ぶが、(うら)みがましいララの目付きに気付き、手を止めた。

 言葉の先生と食べた時は、初めからクリームが乗っていたから、同じ位を盛り付けるものかと思っていた。ニナを見ると、首を小さく横に振っている。若しかすると、今回はララに気を遣ったから、別皿で出したのだろうか。

 誤魔化(ごまか)す様にカップに口を付ける……が、熱い。人目が有る時は我慢して飲んだり、飲む振りをしているが、ニナのお茶は特に熱い。熱過ぎると直接言っても、その後(ぬる)いお茶が出て来る事は(つい)ぞ無かった。

 全知全能だの世界が終わるだの言われて動転していたのか、カップを勢い良く(くちびる)から離した瞬間をララに見られてしまった。

「熱い、お茶?」

 ララの手元を見る。カップに湯気は上がっていない。首を伸ばして、ララ側のミルクポットを(のぞ)き込む。表面に膜は張っていない。

視線を私の前に置かれたミルクポットに移すと、こちらは厚い膜がへばり付いて湯気が立ち上っている。当然、カップ内からも蒸気が発生していた。私の視線を追っていたララも気付いた様子だ。

「私、冷たい、ミルク」
「えっ」

 思わず、傍に立つニナを見る。ニナは首を(かし)げ、自分が何をしたのか解っていない様子で言った。

「……貴方、過去、言う。不要、お茶、熱い、過剰」

 その一言で得心が行った様子のララは、笑みを浮かべる。

 「好き、熱い、お茶?」

 私は首を横に振った。ニナが驚いて声を上げる。ララはくすくすと、愉快な話でも聞いた様に笑う。訳が解らないと説明を求めた私を()らしているのか、控えていた筈のクリームに手を伸ばし、タルトに乗せる。一口食べて、お茶を含み、それから説明を始めた。

 ――どうやら、私の文法が間違っている所為らしい。つい先程もニナに、過労死するまで働かないなら馘首(クビ)だと言ってしまったらしいが、今回は、もっと熱くないならお茶はいらないと伝わっていたらしい。

 実際に、私は口を付けるだけで全然飲まなかったし、何度も()()()熱くと言われたからには、ニナも何とかしようと頑張っていた……らしい。ミルクを沸騰させたのも、熱さを優先させた為だと言う。この世界にはパスツールがいないから、パスチャライゼ(低温殺菌)ーションとは言わないものの、加熱し過ぎると美味しく無い事は知った上で、高温殺菌されていないミルクを()えてぐつぐつと煮立てていたそうだ。

 原因は私の言い方が悪かった所為だが、言葉の先生を責める気持ちが沸いて来る。壮年の彼に、この国の言葉を教わっている。訳語が載る辞書は有る筈も無いから、単語の()り合わせが主な授業内容だ。始めは部屋の中に在る物の呼び方から突き合わせて行った。彼より一回り年若い助手が、逐一メモを取る。部屋の中が一通り終わると、次は絵を描いて同じ事をする。歩く、走る等の動詞では、助手が実演させられていた。

 暫くそんな日々を繰り返し、()()言葉を教えるよりも()()言葉を研究するほうが主眼では無いか、と気付いたのはつい最近である。取り分け出自には興味が有るらしく、私も異世界の事を説明しようとしたが、今のところ上手く行っていない。この発展した世界で、異世界の知識が役立つとしても、随分と先の事になりそうだ。

 先と言えば、魔法の授業も未だ始まっていない。言葉を正確に理解していないと危険らしく、許されているのは自律制御する例のカードだけである。しかも、魔力はララ隊の誰かに貰うしか無いが、各自の割り当てが有るらしく、そう易々とは強請(ねだ)れない。

 ニナが()()ずと冷たいミルクを持って来たので、砂糖と一緒にカップへ注ぎ入れる。ララと当たり障りの無い話をしていたが、愈々(いよいよ)本題に入りそうだ。先ず、このホテルの宿泊費の話題になった。この広い部屋は、実はそこまで高額では無いらしい。まあ、低層寄りの中層階だし、すぐ近くを一日中乗合旅客車(バス)が走っているから、と説明される。

 加えて、今は利用者が少ない時期だと言う。元からこの都市に入れる人が限られている上、この国は戦争中らしい。窓の外に目を()るが、そこに立ち並ぶ無機質なビル群に変わった様子は無い。戦時と言われれば確かに、辺りで見掛ける男女比は偏っていたかも知れない。魔法が有り、文明の進んだ世界でも男から死んで行くのだな、とぼんやりと考える。

 それでも、私達は強いから問題無い、とララが続けた。宿泊費の話だったよな……と思い(なが)らもタルトを口に運び、(だま)って話を聞く。この国は、一人の元首がいる中央集権国家と言う事までは、先生との授業で解っている。長い歴史の中で度々分裂しつつも、周辺国を飲み込み、現在は広大な領土を治めている。

 近年の戦果について、ララが次々と言い(つら)ねる。何処其処(どこそこ)の土地が増えたとか、あの国に勝ったとか、魔力の質が違うだとか。饒舌(じょうぜつ)な彼女の話を聞いてる振りをして、ちらりとニナを見る。少し離れた所に立つニナは、顔を(くも)らせ(うつむ)いていた。

「世界、終わる?」

 話が一段落して(のど)(うるお)すララに、尋ねてみた。そんなに強い国だと言うなら、何とかなるのではないか? すると、彼女の顔から自信が消えて行く。ぽつりぽつりと語るところに()れば、この国より更に長い歴史の有る遠国(えんごく)が、とても強いらしい。

 世界の終わりと言う位だから、天変地異や人類絶滅の(たぐい)かと思っていたが、何て事は無い、只の戦争だったかと他人事(ひとごと)の様に安堵(あんど)する。だが先程、その世界を私が救うとも言っていた。確かに全知全能なら可能だろうが、明らかに私では力不足に思える。

「元首、一番強い、壊す、世界」

 世界を壊して何の意味が有るのか判らないが、それを成せる程の強さと言うのも想像が付かない。そんなに強力な魔法が存在するならば、そもそも戦争するまでも無く世界を統一出来そうだ。いや、目的が世界の破壊ならば……さっさと使えば良いのに。

 何らかの、直ぐには使えない理由が有るのだろう。他に使える人もいない様だし……私が使えるのか? いや、ははっ。世界を滅ぼす相手に対抗して、私が世界を滅ぼしてどうするのだ。詰まるところ、その()()が世界を滅ぼす前に、私が元首を殺す事を期待されているのか。

「五〇〇〇年、世界、助ける、終わる」

 この世界が始まってから、今年で四九九七年と教会で言っていた。この前、年が明けたから、後二年で世界が終わる。それを誰かが救わなければならないのか。いや、もっと準備しておけよ! と切実に思う。だが現状の私の待遇が、その準備の一環なのだろう。衣食住を提供されたところで、一体私に何が出来ると思っているのか。

「未来、貴方、一番強い」

 (まる)でゲームの魔王と勇者だ。(ろく)にゲームもやった事が無いから知らないが、魔王は世界を滅ぼすのだったか? 果たして現実の()が実行に移す必要が有るのか不思議だが、十中八九、宗教上の理由だろう。問題は、そこに送り込まれる私である。

「全部、国、魔力、集める、貴方」

 国中の魔力をくれるらしい。魔力で体を強化するのだろうか。魔王に対抗出来る程の魔力を摂取したら、死にそうだ。生存の見込みが薄い事を(さと)った私は、諦観(ていかん)の境地に至る。先ず、私が何もしない場合は、世界が滅びる。次に、私が体の強化に失敗した場合は死ぬ。仮に上手く行っても、世界を滅ぼす力を持った魔王を殺さなければならない。

 不可能だ、と思う。そもそも後二年で世界が滅びる事自体、眉唾物(まゆつばもの)では無いか。魔王だって、そんなに過激なら、放って置けばクーデターでも起きるだろう。

 ……そうか。この世界を構成する要素には、魔法が有る。魔力を持っていれば瀕死の怪我でも治り、超常の魔法でさえ行使出来る。逆に、魔力が無ければ権力者に逆らう事さえ出来ない。だからこそ権力者は魔力を貯め込み、民衆は魔力を徴収される。それはどの国でも同じだ。元首が最も強力な力を持つが、本人が戦いに出る筈も無い。故に、魔力で強化する人を選び出すのだろう。ならば反逆を未然に防ぐ為にも、魔王暗殺が成功すれば暗殺者も殺してしまうに違いない。

 かと言って魔王の暗殺を断れば、この世界で職歴も信用も無く、言葉も話せない私は恐らく、職に有り付け無い。途中離脱が許されるとは思えないが、それでも行けるところまでは行ってみたほうが後々を楽に出来るのでは無いか、と打算する。

 魔王と言うより破壊神だった場合、破壊神は世界を滅ぼした後、理想の世界を創り出すのだろうか。いや、それだと創造神に成ってしまうか。色々とララに聞きたいが、平易(へいい)な言葉だとどうしても限界が有る。例えば、国で一番偉い人が王様なのか皇帝なのか大統領なのか、図解ではこれすら判らない。

 テーブルから食器を下げ始めたニナの動きを、目で追う。今回判明した擦れ違いで、思い知った事が有る。魔王乃至(ないし)破壊神を()()する為に、先ず私が取り組むべき事は……言葉の――文法の勉強だ。

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