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06. 或る商人 I

 王国地方都市の中心部、ピラミッドを見下ろす部屋に男がいた。(かつ)ては、ピラミッドを超える高層建築物は建てないと言う暗黙の了解が有ったが、その不文律も一人が破れば、最早(もはや)歯止めが()く道理も無かった。競う様に建てられたビルの最上階で、商人ギルドの名誉職に就く老人が椅子に深く腰掛けていた。革張りの椅子にはクッションが入り、テーブルのグラスに手を伸ばすと僅かに体が沈んだ。

 グラスに蒸留酒を注いだのは、黒い執事服に身を包む初老の男だ。魔力でコースターを濡らし、上に乗るグラスの内部に氷の球体を形成する。先程と寸分違わぬ手付きで、こちらの氷の上にも蒸留酒を注ぐ。ギルドのシンボルである地竜の紋章が刻まれたグラスに手を伸ばし、中身を口に含ませるのは、老人の正面に座る後継者の男だ。

「父上、改めて長旅お疲れ様でした。今年の祝賀会は如何(いかが)でしたか?」
「王女様がまたリサイズなさっていたよ」

 執事が小さな水の球体を次々と生成し、ラッパ型の金属製ピッチャーを満たして行く。

「第二ですか? 第三ですか?」
「騎士団の翼竜で、(たわむ)れにハンバーグを作らせたほうだ」

 七分目まで満たされたピッチャーの中に発生した風の球体が、回転を始めた。水が掻き混ぜられる騒音に二人が眉を(ひそ)める。中身が飛び出さない様、執事は表情を崩さぬまま、奥歯を噛み締めて蓋を押さえ付ける。

「全く。私達の血税で肥えて、魔税で()ぎ落すなんて」
「ああ、再生に失敗し続ければいいのにな」
「成功するまで魔力を浪費し続けるだけですよ」

 振動が収まったピッチャーの蓋を外し、背の高い二つのグラスを手元に置く。ピッチャーを傾け、ゆっくり注ぐと、グラスの中からしゅわしゅわと炭酸の弾ける音がする。

「リサイズが終わった後は、ご自身の断片の山でも召し上がればいいんだ」
「悪食の王女様ですから、やりかねませんね」

 老人の口に中身を移し終えたグラスから、琥珀色の(しずく)がポタリと白いシャツに落ちた。グラスを持たないほうの手で、老人がゴシゴシと(こす)る。

「不敬に過ぎたな」
「それで、今回の仕上がりは如何でしたか?」
「いつも通り完璧だったさ。知らなければ施術したとは気付かない、バランスの取れた理想の体だ」

「来年度は増額の目途が付きましたからね。そろそろ予算を使い切ったのでは?」
「ははっ、いくら何でもそこまで馬鹿じゃないだろう」

 空になったグラスに蒸留酒が追加される間に、老人は炭酸水を口に含む。

「父上も()い年なのですから、そろそろお酒は控えたほうが……」
「お前までそんな事を言わないでくれ。連合国で酒は飲めないし、王城で愉しめる訳が無かろう? 漸く帰って来れたんだから、今晩ぐらいはいいじゃないか。いざとなったら買った魔力で、新品同然の体になってみせるさ」

 冷たい目を向ける息子から目を逸らし、酒で舌を濡らす。その後は、連合国各地の様子を順番に話して行った。どこも軍備拡張の一途(いっと)で、この特需(とくじゅ)に乗り遅れる事は、シェアを失い巻き返しが困難になる事を意味していた。砕けた雰囲気が徐々に引き締まり、事務的な遣り取りが続く。そして一通り終えたところで、こんな話が出た。

「例の救世主探しに進展は有ったか?」

「先週末に王国で七十一人目が見付かりました。後は、連合国から二人出れば捜索は打ち切られる予定です」

「計画通りか……。どうだ、本物は判りそうか?」

「例の預言だけでは何とも。有力候補は十人もいませんが、(いず)れも認定されるまでに二、三年は掛かる見通しです」

「そうだろうな。それで、今の最有力はどの国だ?」

「帝国です。死の大地で発見された純黒の候補者は、言葉が通じず、魔法の存在も知らなかったとの事です」

「そんな御伽(おとぎ)話みたいな者がいるのだな」

「現在は三歳児程度の会話と、プリセット型の魔法陣を使える様です」

「うん? 何か能力は無いのか?」

「報告されておりません」

「それでも最有力か。公会議の結果が楽しみだな」

「はい。認定を受ければ国家規模のリソースが投入されますからね」

「無論、最強に成り得るな」

「失敗すれば目も当てられませんよ」

この一年、国中の至る所で繰り返された遣り取りが、ここでもまた繰り返される。執事が部屋の入り口に目を向けると、若い執事が荷物を持っていた。目で合図すると、若い執事が老執事の隣に来る。

「支部長、間もなくお時間です」
「お召し物の替えをお持ちいたしました」

赤らんだ顔の老人は、億劫(おっくう)そうに執事達を見た。

「ああ、判っているよ」
「お部屋へご案内いたします」

挨拶もそこそこに、老人が扉へ歩き出す。二歩、三歩と進んだ所で、ふと振り返る。

「なあ、支部長さんや。もし、世界を救う力が手に入ったら、それをどうやって金に変える?」

 見詰め合ったまま、老人の息子が暫し沈黙する。そして、悪い事でも思い付いた様ににやりと笑う。

「次回までに考えて置きます」
「楽しみにしてるよ」

 そう言い残し、足元の覚束(おぼつか)無い老人は去って行った。

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