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05. 異世界の都市

 隊長呼びに気付かれてしまった。言葉が通じないからと高を(くく)っていた部分は、確かに有る。それで、繰り返し呼び掛けた所為か、将又(はたまた)敬意の無さが滲み出ていたのか、()(かく)本人に勘付かれていた。

「Kūm Wulun Nuhc Tuoen Fnyr, Fnyr」

 開いた手の平で胸をトントンと軽く叩き、()ーラだか()ーラだと言う。期待の眼差(まなざ)しを向ける彼女に気圧(けお)された私は、その聞き慣れない音を口に出す。

「Snlyn?」

 彼女がくすりと笑う。(えくぼ)を頬に残したまま、唇がゆっくりと動く。

「Hr snn, vrg lnu. F-N-Y-R」

 ……()ーラらしい。真似して言ってみる。

「F-nyr?」

 じっと私を見つめていた彼女が破顔する。そのまま中央に置かれた荷物の向こうへ呼び掛けた。自慢げな声は、乗用車がすっぽりと収まるこの大袋の中に響き渡る。

「grfvwn mnhpn gnah pāeqh!!」

 荷物の陰から面倒そうに顔を出したヒゲは、呆れた声で言う。

「Pneoūg nnf ce lhcwv, vrg nā ce "Fnyr", hrivf "Fneen"」

 それを聞いた彼女が、むすっとする。どうやらラーラでは無く、()()と発音するのが正解らしい。小言が返って来る前に荷物の向こうへ頭を引っ込めたヒゲを後目(しりめ)に、目の前の彼女を見る。始めに名乗られた名前は、常人では考えられない長さだった。所属や役職が入っていたのかも知れないが、単に長いだけで無く、例のケツァルコアトルス並みに発音し難い名前でもあった。舌を犠牲にする位なら、やっぱり隊長で良いじゃないかと鼻白(はなじろ)む私を見て、それなら仕方無いとばかりに短い愛称を教えてくれたのだ。

 隊長、いやララの目に、私はどの様に映っているのだろう。言葉が通じず、意思疎通に苦労する相手。風呂の入り方も知らず、魔法を見る度に驚く。それ以前に、ガラス玉を見た事も無く、髪に魔力を溜めていた。髪の件は、正直よく解っていないが、黒髪だと攻撃される事は身を以て知っている。

 (ほの)暗い袋の中を照らす光の球体が揺れる。翼竜の飛膜が風を切り、浮遊感が襲う。袋に4人全員が入り込み、翼竜が助走を始めた段階で、袋の口はぎゅっと締められていた。もし、想像していたカンガルーの袋では無く、単に翼竜の胃袋だったなら、このまま溶かされて死ぬだろう。

 そう言えば水の球体から出た後、身体からオリーブオイルの臭いがした。始めに入れた石鹸か、濯ぎの球体に垂らした小瓶の液体が原因だろう。……料理店に入った客が、そうとは知らず自分自身を下拵(したごしら)えする話を思い出す。あの話でも確か、鉄砲や(とが)った装飾品を預け、身体の汚れを落としていた。

「あれ、魔力を吸われたのが武装解除なら、体を綺麗に洗って、下味を付けた後に入り込んだ胃袋で起こる事は……」

 突然話し出した私を、ララが面白そうに見詰める。まあ、他に3人も乗客がいる上に、消化に悪そうな荷物も積み込まれている。それに例え生贄(いけにえ)供物(くもつ)だったとしても、だからと言って上空から逃げ延びる術は無い。この世界に来て、体が丈夫になった自覚は有るが、視力や筋力が強化されただけでは、落下に耐えられそうに無い。それでも一応、外の様子は見ておくか。袋の口を指差し、ララに尋ねる。

「外に出てみても良い?」

 言葉が通じないから、距離感が掴めない。初めは襲われたが、その後は何故か皆が好意的に接してくる。年上の隊員や、立場の高そうなララには敬語を使うべきかと思いつつ、どうせ解らないのだからと粗野な言葉遣いになりつつあった。

「dūf eevgīfvrg hb jūķn」

 指差す手をララに下ろされ、やんわりと制止された。覗くだけでも許してくれるかと思ったが、(まる)で駄目だった。確か、飛行機の窓が外れると、気圧差で外に吸い出されるのだったか。当然、助かる見込みの無いスカイダイビングは、望む所では無い。若しくは、酸素濃度や気温の話だろうか。袋の中は魔法で保護されていても、外に出ると危険なのかも知れない。

 この翼竜の群れは、勝手に目的地へ向かっている。誰も外で監視していないが、魔法で上手く使役しているのだろう。外敵への警戒は、翼竜が自力で対処するのだろうか。……言葉が通じる様になったら聞きたい事が、どんどん増えて行く。

 時折聞こえる低い羽搏(はばた)きの音と、ゴォーと大気が袋に擦れ続ける音に、耳を押さえる。回転する水の球体で耳に入り込んだ水が、未だ残っている気がする。風の球体はドライヤーの何倍も(うるさ)く、髪こそ直ぐに乾いたが、代わりにぼさぼさになった。洋服に(しわ)が付かないのは良かったが、肝心の耳の水は抜け切らなかった。

 翼竜の行き先に湧き上がる不安を紛らそうと、取り留めの無い事を考えていたら(ようや)くに(まぶた)が重くなってきた。飛行速度は判らないが、既に一時間か二時間は経っている。目が覚める頃には、目的地に着くと良いな。出発したのは日が暮れる直前だったから、到着するのは朝か。今日は久し振りに人に会って、疲れた。明日は、何を、するのだろう……。

 ――ぐるるると体を揺らす重低音に、目が覚める。ぱっと目を開くと、前方の少し離れた所で、ララが傘の柄を拭いていた。異常事態を知らせる警告音かと思ったが、慌てた様子は無い。彼女がこちらに気付き、袋の口を指差した。

「Dūf xeīm crenqīfvrgvrf jvyfēgā. pnv pēyngvrf lrqmēg, enf hbgvrx āeā?」

 外を見せてくれそうなので、素直に(うなず)く。彼女は傘を右手に持つと、私に手招きして入り口へ向かう。私も()つん()いで向かい、一メートルも無く到着する。

 きゅっと閉じた袋の口に、ララが傘の先を当て、そのまま突き刺した。袋の中に突風が吹き、奥からヒゲ達の(うめ)き声が上がる。外は薄明りに包まれていた。夜明けが近いのだろう。彼女の顔を見ると、くいっと首を動かし、先に行けと促される。開いた穴は、マンホール程の大きさで、そこから顔を出すと翼と頸筋(くびすじ)の間から地上が見えた。私の左横にララが顔を出す。

「Nhe ce gūfh jvyfēgn」

 左前方を見る彼女の視線を追うと、そこには巨大な都市が広がっていた。異世界と言われて、勝手に原始的な世界や中世をイメージしていたが、果たして眼前に在るのは、数々のビル群であった。手前は二、三階建ての雑多な建築物が並び、奥の方には数十階層の高層建築物が整然と配置されている。

 呆気(あっけ)に取られる私を見て、揶揄(からか)う様に耳元で話しているララを気に掛ける余裕さえ無く、次第に近付く大都市を観察する。高層ビルが立ち並ぶ地区には、ビルの中層辺りにモノレールのレールの様な物が在り、空中に張り巡らされている。低層ビルの地区には、道路にレールがあり、路面電車が通るのだろう。小さいビルの窓ガラスは豆粒の様に小さく、大きいビルは半分近くがガラスで出来ている物も在る。

 更によく見ようと身を乗り出したが、ララに引き戻された。そのまま傘の柄で袋の口をトントンと叩くと、あっという間に締まってしまう。暗くなった袋の中で、興奮冷めやらぬ私を見てララが微笑(ほほえ)む。相変わらず言葉は解らないが、もう直ぐ着くから、と言ったのだろう。そして、想定外に進んでいた都市を見た私は、悩んでいた。

 どうしよう……真面目に働かないと、生きて行けない世界だ――。

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