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03. 異世界の食事

 首の長い麒麟(きりん)と言えば、柄は違えど誰しも同じ形を思い浮べるだろう。その麒麟の前足と後足の間に、飛膜(ひまく)を張る。鼯鼠(むささび)よりも、毛の生えていない蝙蝠(こうもり)のあの膜が近い。飛膜は飛行機の翼に相似しており、広げた長さは路線バス程になる。バスは十メートルで、麒麟の足は一・八メートルだから、詰まり、飛膜を支える為に前足を三倍の長さに引き伸ばし、頭部の何倍もある大きな(くちばし)を麒麟に取り付けてやれば、大凡(おおよそ)それが丘の下に見える翼竜(よくりゅう)だ。そのバス……いや、翼竜が十()も辺りをうろついているのは、言うまでも無く壮観であった。

 地面が揺れている。正直に言うと、見付かる前に隠れてしまいたかった。だが、翼竜が背負っている巨大な背嚢は、()()に荷物を運搬させる事を意味していた。車のボディカバーの様に大きいあの袋は、一体何の革で出来ているのだろうか。巾着に見えるが、継ぎ目は判らない。もし一頭の革だけを使っているのなら、相当大きな動物だ。河馬(かば)より大きく、(さい)より大きく、象よりも……大きい気がする。更に大きい生き物となると、海にいる(しゃち)はどうだろう? あの(くじら)のフォルムなら巾着を作れそうだ。

 しかし、視界に入る十頭全ての翼竜が背負っているから、そこまで高価な袋では無いのだろう。狩猟難度が低く、有り触れており、肉や骨に使い途が有り、更に皮が食用に適さない生物と言えば……直ぐには思い付かない。地球の古代生物か、この世界固有の生物か。例えばファンタジーなスライムが原料の可能性も考えられる。動物の革に見える植物や、ひょっとすると魔法で創り出された素材かも知れない。

 そんな見たことの無い飛行生物が、不釣り合いな大袋を()()っている。流体力学を持ち出すまでも無く、飛行に不利な装備だ。一見して、推進力やら揚力が不足している様に思える。この不自然な存在を成り立たせる為には、必然的に魔法が介入していると考えるより他無い。

 内心びくびくしつつも、丘を降りる隊列に黙って着いて行く。翼竜達の視線を追うと、その先には肉塊があった。場所により桃色が残る肉塊は目下(もっか)、焚き火で焼かれている。近くには、杖から炎を噴き出して、焚き火が当たっていない上部を焼いている男がいた。私の周りにいる人達と同じ制服だから、彼は留守番で、食事を作って待っていたのだろう。

 私達の先頭にいる少女が声を上げた。恐らく「帰ったぞー」とかそんな内容だ。ホースで散水する様に、肉塊のあちこちに杖を向け炎を吹き付けていた男が、こちらを振り返り嬉しそうに杖を振った。

「pnv yfng ugenqvf wvgh anļh?」

 うねうねと杖から伸びる炎が揺れている。先頭の少女……いや、この隊を取り(まと)めているのだから、隊長と呼ぶべきか。隊長が後ろに下がって来て、私の腕を取り、叫ぶ。

「Jnfxngvrf, švf ce grfvwn! nnf ce xnhqm fnoāxf lrmhygāgf hrxā atnļn!」

 数頭の翼竜がちらりとこちらを見るが、直ぐに肉へと視線を戻した。隊長の声が聞こえたのか、ちらほらと隊員が姿を見せ始めた。私達が肉を焼く焚き火に到着する頃には、三十余人が集まっていた。いくら隊長とは(いえど)も、不審人物を連れて来たのだから侃侃諤諤(かんかんがくがく)だか喧喧囂囂(けんけんごうごう)の事態になるのかと、隊長が説明する様子を恐る恐る眺めていたが、それは要らぬ心配だった。隊長の求心力のお蔭か、将又(はたまた)事前に予想されていた状況なのか、二、三の質問に隊長が答えたところで、その場は解散された。解散とは言っても、その間も焼かれ続けていた肉塊は、桃色から桜色、更には伽羅(きゃら)色へと変化しており、そのまま食事の流れとなった。
 
 五人が肉塊を切り分け、三人が地面からテーブルと椅子を生やし、隊長がその表面に氷を張った。土で服を汚さない為だろうが、身体が冷えそうだ。いや、そろそろ異常気象も治まって暑くなり始めたから丁度いいのか? 食事の準備でさえ隊長自ら魔法を使うとは、氷魔法への自信が見える。先程の大規模な気象現象も、隊長の魔法だったのだろうか? あの魔法は、この肉を調達する為だったのか? それよりも、私はこれからどうなるのか? ……ああ、言葉が通じないのは不便だ。目の前には事情を知っている人が沢山いて、一言でも聞ければ一発で状況が解るのに、それが出来ない。独りであれこれ推測して、その後、答え合わせが出来るのかも分からない。

 隊長に背中を押され、隣の席に着いた。ぼうっと皆を眺めていると、輪切りの肉が木製の平皿に乗せられた。ステーキだ。付け合わせは無く、メインディッシュだけが次々とテーブルの上に並べられる。ナイフとフォークは、箱の中から各自で取っていた。どのタイミングで行こうか迷っていると、隊長と私の前にさっと置く人がいた。焚き火で肉を焼いていた人だ。隊長を挟んで、私の反対側に座ったところを見ると、副隊長のポジションに就いているのだろう。にこにことして私に話し掛けているが、内容は解らない。

 全員がテーブルに着いた辺りで、隊長がナイフを持ち、ステーキを切り出した。遅れて皆も食べ始めたので、私も口に運ぶ。久々に食べるまともな食事を味わおうと、口の中で何度も噛み()める。そして中空を眺めて、よく考える。十数秒前、口の中に入れた物は何だったか。記憶に誤りが無ければ、ナイフでステーキを切り、期待に胸を膨らませて、その焼き立ての肉を食べた筈だ。確かに、舌に感じるチキンステーキの風味は、記憶との整合性に問題は無い。しかし問題は、いつまで経っても口の中から消えない、チキンステーキ風味のこのゴムだ。一体いつ、私はゴムを食べたのか。記憶を探るも、その様な常軌を逸した行為には、覚えが無かった。

 ……やはり、魔法か。誰かが嫌がらせをしているのだ。この何も無い丘陵地で突然現れた言葉の通じぬ不審人物が、隊長の傍でのうのうと食事を(むさぼ)ろうとしているのだ。故に、立場を思い知らせてやる為に、ナイフで切ってから、口に入れるまでの僅かな間に魔法で変質させたに違い無い。肉汁が出てくるゴムの塊を舌で舐めつつ、ゆっくりと周囲を見回す。

 向かいに座る副隊長は、杖から炎を出してカリカリに焼いた肉を、バリバリと音を立てて食べていた。その横に座る隊長を見ると、杖から水を出して、胃に流し込んでいた。(すが)るような気持ちで、他の隊員に目を向ける。魔力を吸い込むガラス玉を私に差し出した、あの男は……噛み終えた肉を口から吐き出した。

 こうして私は、肉を柔らかくする魔法の開発を、固く決意した――。

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