02. 異世界の人
永遠にも思われた平地を抜け、木々が
先の展開が判っていようが、歩み続けているのだから、この丘の頂上にも辿り着いてしまった。背中の荷物をどっかと草の上に下ろし、汗ばむ脚は黒い土の上へと投げ出す。大きく息を吐き、代り映えのしない景色を眺めた。
「このまま世界一周になりそうだな」
腕から力を抜き、地面に寝転がる。見飽きた大空が目に映った。初めの場所から此処まで、確かに進んではいる。平地は抜けたし、丘陵地もいずれ終わるだろう。しかし、どこまで行けばこの世界の住人に会えるのか、皆目見当も付かない。ともすると、人を探して進んだ先にあるのは、世界をぐるっと回って出発地点に辿り着く結末かも知れない。
やけに冷たい風が、疲れた身体に心地良い。暫く目を瞑っていたが、地面が僅かに揺れている様な気がして、身体を起こす。汗で湿ったシャツが、パキパキと音を立てる。吐き出す息が、白く天に上がる様子をたっぷり三呼吸は見て、跳ね起きた。鳥肌が立つ腕には霜が付き、寒さに震え始めている。捲り上げていた袖を一気に下ろし、足元に置かれたリュックを背負う。
辺りを見回すが、何も見当たらない。視線を上げ空を見ると、二つ先の丘の上空に雲が集まっていた。あそこで何かが起きている。逃げるべきか、行くべきか。
「はっ」
愚問だなと自嘲して、私は走り出した。
照り付ける陽射しに、凍る大気。この現実離れした現象を引き起こせるのは、魔法をおいて他に無いだろう。少なくとも私は、その様な気象現象を知らない。何しろ、先程までは寒さとは無縁の土地であったのだ。やろうと思えば、現代科学で再現は可能だろうが、此処は異世界なのだから、魔法であって欲しいと思う。登り坂が終わる頃には、集まっていた雲が薄れ、肺を刺すような冷気も和らいでいた。耳や指先は相変わらず冷たいが、どうやら魔法は終わってしまったようだ。
仰ぎ見る空から、丘の中腹へと視線を下げると、そこには
彼女の立つ数百メートル先から、サッカーボール大の水がこちらへ発射された。数は五つで、着弾までは約二秒だったから音速は超えていない。そして慣性の法則は働いていなかった。何故そんな事が判るのかと言えば、身を以て体感したからだ。
「Pnv nh yfv grfvwn?」
少女が下から私の顔を覗き込み、その鈴を転がすような声で何かを尋ねている。混乱する頭の中で思い当たる言語を総当たりするも、何を言っているのかさっぱり解らなかった。状況を考えれば、私の身分や敵対の意思を確認しているのだろうが、この異世界で、それも身振りだけで伝えるなど果たして可能なのだろうか。思い悩んだ末、結局諦めた私の口を衝いて出たのは、情けない懇願だった。
「ま、待って! お、お願いします。助けてください。役に立ちますから!」
少女は目を見開き、後退る。この好意的では無い反応を見るに、知らない言語で
「Pnv dūf hrfncebgng, eb yf mnxh? dn gēf xbfvzvrf om jvyfēgh, pneoūg gēf pneēfvz nb ugevfvaāg, vrg pnv nh pnev xbgvrf ue ghzf?」
何を言っているのか、全く解らない。緊張と期待の見える表情から推測するに、これは重要な問いだろう。とは言え、内容が解らない上に、否定したところで何か説明が出来る訳でも無いので取り敢えず、
「Jvyfēgn ugebqnf ucghirav jhfqvranf venhpvran uggāyhzā ue xentba」
少女が安心した様に破顔した。警戒してこちらに向けていた傘を下ろす。右手に握る
帽子の
続々と男達が集まって来た。彼らも髪色は全体的に白く、揃いの制服を着ていた。ブーツに長ズボンにシャツにコート。この暑い土地でコートを羽織っている。首元にはスカーフを巻いているが、あれも暑いだろう。明らかに、普段この辺りで活動していない人達だ。彼らは私の黒髪を見ると、皆一様に驚いた顔をした後に、杖を構えた。
また磔か……痛い訳では無いのだが、やられて嬉しいものでも無い。そう思って両手を上げていると、少女が声を張り、何かを言った。
「eā lrqmng, jrefbanv hni hbqbzn jergbgvrf. crfcēwnzf, pvņš ce jenivrgbgnvf grfvwn, vrg pvņš hrfncebg gūfh pnybqh, oa gēf pvņh ugirqīfvz om jvyfēgh, fnv nvrfāgh. cmghevrgvrf jerg pvņh jvrxyāwītv」
私に向けられていた杖が下ろされる。ゆっくり近づいてきた一人が、
差し出されたガラス玉を受け取ろうとすると、手を引っ込めて首を横に振られた。……私にくれる訳ではないらしい。首を傾げると、彼は玉に手を
三分程経つとガラス玉の半分が黒い液体で満たされ、私の手からも垂れて来なくなった。黒い水銀に見えるこの液体は、恐らく魔力と言う物だろう。初めて会った彼女が、いきなり水の塊を飛ばして来たのも、若しかするとこの黒髪に原因があったのかも知れない。
身体検査を終え、荷物を預けると、彼らに連れられ丘を下り始めた。気遣っているのか
こうして道中は賑やかになり、更に丘を下った先には、翼竜の、恐らくケツァルコアトルスがいた。