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01. 異世界の空

 遥かなる地平の果てに、大空と大地を分かつ境界線が引かれた。昇る太陽は草原を色付け、空の高さを映し出す――。

 私がこの世界に現れ、初めの三日は歩き通した。栗色(くりいろ)の土に生える草々を踏み付け、泥濘(ぬかるみ)に足を取られ(なが)らも、(ただ)一人で草原を進んだ。向かう方向は、太陽の動きで当てを付けた。

「先ずは南中高度を……いや、地軸の傾きが……公転 が……?」
「取り敢えず此処(ここ)が北半球なら……北?」
「この星の地磁気はどうなって……?」

 GPSは()(かく)、期待を掛けた電子コンパスにも裏切られる。そもそも地図が無いのだから、行き先が決まる訳も無い。果たして異世界はどんな形なのかと思索に(ふけ)る寸前、不意に(ひらめ)く。

「太陽の軌跡に背を向けて歩けば、涼しいところに行けるのでは……?」

 勿論(もちろん)、移動距離は思考から追い()る。周囲に助けは無く、先行きは見えない。せめて都合の良い未来に期待し、理由を後付ける。

「暑すぎなければ、多分……動植物も豊富だろう」

 こうして()し崩しに、旅の第一歩が踏み出された。

 辺りは樹木の無い草原だが、今は降雨の有る季節らしい。時折見掛ける水溜まりに、胸を撫で下ろす。現在の装備は、例の薬を飲んだ時の(まま)だ。つまり、サバイバルに耐え得るものではあるが、実際に使うとなれば未だ不慣れであった。元から身に着けていたのに、何故使い(こな)せないかと言えば、サバイバル経験など、ここ数週間が初めてだったからだ。

 入念に計画し、トレーニングを積み重ねた上で挑めば良かったが、私の世界旅行は無計画に強行された。故に世界()()旅行ではなく、単に世界旅行と呼んでいる。

「思い立ったからネットで調べてみた。取り敢えず現地に行って、プロに習えば良いか」

 この程度の覚悟で出発した。一応、乗り物の移動中は、キャンプ関連本に目を通し、熟練のガイドにも会った。そして最後は、森の奥深くへと一人乗り込んだのである。結果的に異世界へと辿(たど)り着いたが、やはり付け焼き刃の知識でしか無かったのか、徐々に限界を感じ始めていた――。

 遠くまで移動した身体は、どこも凝り固まっていた。早々に身体を休ませようと、私は満天の星を見上げて睡りに就いた(まぶたをとじた)歪曲(わいきょく)する大空は、(ほの)かに光る六等星までも映し出す。澄み渡る夜空は、地球上の何処よりも大気汚染と縁遠いのだろう。それは同時に、光害とも()われる現代文明の灯りが皆無である事を知らせていた。

 絶えず鼓膜を刺激する虫達の鳴き声は、地球とそう変わらない。耳を(かす)める(羽虫)も、口に飛び込む(大きな羽虫)も、後先考えず(急に跳)突撃する(ねてビックリさせら)(れる虫)も、()りる事なく私に構う。口と鼻を必死に覆いながら、()き混ぜた思考の渦に意識を投げ落とす。

 ……空に見える星々は、どれ一つとして覚えが無い。美しい夜空が、仕舞い込んだ不安を呼び起こす。脳裏に老人の言葉がちらつく。

『元の世界には帰れない』

 地球とこの世界が、(たと)え同じ宇宙に存在したところで、その距離は恐らく銀河団規模で離れている。ここにPCや観測装置があれば、地球との相対位置を予測したり現在の日時を割り出す事も、或いは叶ったのだろう。

 あの時、異世界へ行けると聞いた私は即答していた。どうして詳しい話を聞かなかったのか、いやいや、今更後悔しても(せん)無い事だ、と何度目になるか自分に言い聞かせる。そして喜び(いさ)んで来たは良いが、この土地には誰一人いなかった。いくら異世界と言っても、世界に独りきりでは意味が無いだろう。おまけに、生まれ育った世界との関係さえ断たれた私は、(かつ)てない孤独を味わっている。

 ……止まらない負の感情から逃れようと、潜思の舳先(へさき)を逸らす。

 移り行く星空を見て、気付いた事がある。この星の自転速度だ。それと、自転軸にも見当(けんとう)を付けた。重力や大気の組成等、意識の外にある環境については、地球と変わらない……気がする。いや、これまで違和感を覚えなかったと言う事は、恐らく大差無いのだろう。仮に違ったとしても、「同一の宇宙なのか確認する術として、種々(しゅじゅ)の物理定数を検証する!」等と張り切る余力は、サバイバル真っ最中の私に残っていないのだから仕方無い。

 それにしても、生物に適した星が此処に有ると、地球の研究者に教えたらどんな顔をするだろうか。知っても調査出来ないのだから、(さぞ)や無念に違いない。そんな益体も無い妄想に思わず笑みが(こぼ)れる。

 陳腐(ちんぷ)な言葉だが、手を伸ばせば星を(つか)めそうだ。実際にやったところで何かを得る訳ではないが、失うものも無い。先程から(ほとん)ど動かない星へと手を伸ばす。

 この世界に人がいて旅をするなら、やはり目指すのは、あの星だろうか。太陽を目印に移動している私が言えた事ではないが、この土地は半島や孤島かも知れない。この先には何も無く、大陸の終端になっているかも知れない。未知の世界を旅するのに、恐ろしさは無いのだろうか。

 気付けば、あれほど私に執着していた虫達が、その羽音を消していた。星に届かなかった手を、焚き火に(かざ)す。

 地球の学者達は、世界に輪郭を定めた。数多の事象を観測し、それらを説明する理論を組み立てた。それでも、世界の原点は観測出来ず、理論についても、(いく)つもの奇跡的な偶然が幸運にも噛み合った結果だとしか言わない。一方、地球の数十億人が信じるには、世界は創造主が創り出し、その名前や過程は今も記録に残っていると云う。

 光に惹かれる本能が、虫を焚き火へ導く。遠くから飛んできた勢いそのまま、パチッ……その行動に疑問を持たなかったのだろうか。

 ペンがあれば絵を描けるが、描かれた絵が私達を見る事は無い。その眼には、物を見る機能が無いからだ。同様に、PCを操作するには、マウスとキーボードを使う。そして、描かれた絵とPCの決定的な違いだが、それは、カメラやマイクを接続出来る事だ。故に直接、私達を見聞きする手段を得られる。

 地球のあらゆる分野は研究を尽くされたが、その中に魔法は含まれていない。そして、聖人と呼ばれる者達は、奇蹟を扱ったと云う。既存の物理法則で創造者を認知出来無いのならば、残る可能性は魔法である。

 しかし、仮にこの考えが正しかったとして、創造者に(まみ)えた私は、一体何をすれば良いのだろうか。ともすれば願いでも叶えてくれるのかも知れないが、私の願いは異世界に来る事であり、既に済んでいる。

 ……いや、正確には想像の埒外(らちがい)にある魔法と動物を見たいのだった。それに、世界を創った後は、ヒトは少なくとも2人いるものだと聞いた事が有る。(ついで)に乗り物が在れば、尚良い。

 (ようや)く、疲れた身体に脳が追い付いた。鈍くなる思考を受け入れ、寝返りを打つ。

 自ら回る世界は、夜空に映す星々を入れ替える。しかし、ただ一つ、揺るぎ無い星が残される。偶然そこに位置した幸運と、世界の動きに影響され無い姿を眺める。

 「明日は、あの星へ向かって歩こうか」

 そして、孤独な旅が終わる――。

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