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【十】



 あくる日、高屋敷家に、俺あての来客があった。個人的な来客は、今世初めてかもしれない。ちなみに俺は、存沼の家に行ったことも呼ばれたこともない。砂川院家に至っては、どれが本物の家なのか、当人達も知らないかもしれない。

 やってきたのは、楓さんだった。砂川院楓さん。無事に付属の大学生になった様子で、時間にも比較的空きがあるらしい。用件は、この前の和泉へのお見舞いのお礼か何かだろうと思う。

「久しぶりだな、誉くん」
「お久しぶりです、楓おにいさん」
「もう、おにいさんってつけなくても良い。大学生は自由で良いぞ」

 しかし用件のことなど感じさせずに、気さくに楓さんが笑ってくれる。俺もこういう人になりたい。それから暫しの間歓談してから、和泉の怪我の話になった。完全に治癒したとのことで、本人も全く怪我のことを気にしていないという。三葉くんは和泉が、勝手に株を売ってしまったと言って、逆に泣きくれているらしい。結局あの後も取引させていたんだろうな……奴隷になりながら……。

 その時俺の部屋の扉がノックされた。時計を見れば、家庭教師の先生が来る時間だった。その旨を楓さんに告げる。

「ああ、そうか。頑張ってな、応援してるから。じゃあ、そろそろお暇する」
「ありがとうございます!」

 両頬を持ち上げた楓さんに、俺は思わず見惚れそうになった。一言で言うなら、いや、言えないな。印象は朝顔みたいなんだけれども、こう夜の中に凛と咲いているのに、温かいというか何というか。難しい、俺に語彙はない。前世からして語彙など持ち合わせていない。

 そして立ち上がった楓さんを扉の所まで送っていく。
 その時だった――直前で扉が開いた。

 驚いて視線を向けると、英語を教えて貰っているレイズ先生が立っていた。
 楓さんは家庭教師だと判断した様子で、柔和に微笑んだ。いい人だ、卒がないし。

「oh……」

 が。
 レイズ先生は違った。ガシっと楓さんの腰を掴んでのぞき込んだ。
 楓さんがのけぞり、逃れようとしながら、反射的に片手を出した。
 その端正な指先を、腰を掴んでいるのとは反対の手で、ギュッとレイズ先生が握る。すると楓さんが英語を口から放った。

「……テ、Take your hands off me please.」
「無理!」
「……日本語がお上手ですね。失礼致しました、日本の方ですか?
 それとも英語圏ではない?」
「ドイツから来ました。英語も得意です」
「では、私の意志は伝わりましたよね……?」
「手を離して欲しいというお願いだけは聞けません。お名前を教えて下さい」

 明らかに楓さんの笑みが引きつっている。そんな表情、はじめてみた。声まで引きつっている。笑っているのに笑っていない。

 それにしても、外国の人ってスキンシップが激しいんだな……?

 楓さんの腰には相変わらず片手が回ってる。そして本当に思いっきり楓さんの腰が引けている。だがそれでもレイズ先生は拒否している様子の楓さんの手を、もう一方の手で握りしめている。強引だ。

 そう言うモノなのか。俺は残念ながら、レイズ先生以外の大人の外国の人と話したことがない。本当にレイズ先生は満面の笑みだな。ただなんとなく、鷹みたいだった。笑顔なのに、目つきだけがいつもよりも鋭い気がする。何故だ?

 それからそのまま、英語の時間どころか英会話の練習が終わるまでの時間全て、レイズ先生が楓さんに話しかけまくって終わった。その後食事に誘っていたが、相変わらず笑顔を引きつらせた……――どころか、三葉くんよりも迫力ある無表情の上に、片側の口角だけ少し持ち上げた楓さんにきっぱりと断られていた。

 前世で英語力がなく、現在は漸く中一レベルの英語力になった俺には、二人の会話
がさっぱりと入ってこなかった。何を話していたのか気にもなるが、楓さんの表情を見る限り、触らぬ神に祟りなしだという気がした。


 俺に待っていた次のイベントは、運動会だった。
 去年欠席したせいで何か言われたのか、三葉君が来ていた。練習風景は一度も見ていなかったけどな……。三葉君のクラス、そう言えば、リレーの練習を何故なのか和泉が手伝っていたな……。まさか?

 と、思っていたら、三葉君はリレーの選手だった。

 結論から言えば、運動会は、存沼の宣言通り優勝した。

 しかしMVPは、今回は三葉くんだった。家柄が理由ではない。在沼にリレーで勝ったのだ。逃げ切ったのだ。誰がどう見ても早かった。先着したからではない。疾走したのだ。あるいは和泉よりも早いかもしれない、そして確実に存沼よりも早かった。計り知れない。なんだ、なんなんだ三葉君。やっぱり運動神経が良かったようだ。

 そして、存沼は優勝したというのに終始機嫌が悪そうで、「来年はもっと特訓して臨む」と言っていた。特訓していたのだろうか? 案外存沼は努力型なのかもしれない。


 なお、遠足は富士山だった……!

 もう、遠足ではない。それはただの登山だ。俺はもう嫌だ。欠席しようか本気で悩んだ。しかし気合いを入れた存沼に(何に気合いを入れたんだ!)連行される形で、班編制を組まれ、息切れしながら登山することになってしまった。富士山て……!

「何だよ、もう疲れたのか?」

 あたりまえだ! そう思ったが、言うのも苦しくて、俺は無理矢理笑って見せた。すると存沼が俺の顔をのぞき込んで、額に手を当ててきた。

「赤くなってるけど、熱はないな」

 馬鹿野郎、息切れだ! 察しろ! 俺は山が大嫌いになった。存沼よりもだ。二度と俺の人生に関わってきませんように! 地面を八つ当たりで踏みしめてしまった。本当、よく俺は頑張って登ったよ。もはや疲れ切り、清々しい景色など頭に入ってこないかとも思ったが、案外登り切ると爽快感も手伝って、目を見開いてしまった。もう二度と来ないのだから目に焼き付けておかなければな……。


 その後は一見平穏に過ぎていったのだが――学習発表会が待っていた。

 最悪なことが二個ある。一つ目は、劇になってしまったことだ。
 題目は、モリエールの『エリード姫』。
 なんと俺が、エリード姫役になってしまったのだ。女装だ女装! 
 その上、存沼扮するイタク王子とハッピーエンドだ。やりたくない……。
 そもそも、そもそもだ。
 俺の大根役者っぷりで行けるのか? 棒読みで良いのか?

 ――あ。作り笑いと、おとなしくしている演技で、俺、鍛え上げられているじゃないか!

 気づいた俺は、存沼との地獄の特訓に何とか耐えた。耐え抜いたのだ。存沼の細かしい事と言ったら無かった。普段は、大雑把でがさつに見えるというのに、尋常ではない完璧主義者だった。一字一句声の出し方から感情表現までだめ出しされた。ならばお前が女装しろと、何度言ってやろうかとも思ったが、俺は怒りのあまり声も出てこなかった。そして最終的にはその情熱にほだされた。衣装にも照明にも音響にも存沼はこだわる。こだわりまくっていた。お前は監督なのか。何を目指しているんだよ。

 まぁ……そうして何とか演じきったのだった。両親に以外は大絶賛された。「せめて脇役の王子が良かったんじゃないかな」と、やんわりと父に言われた。ですよね。俺もそっちが良かったよ!


 冬休みには、今年も和泉とスノーボードに行った。和泉は、ダブルコークという技をきめていた。和泉はオリンピックにでも出るつもりなのだろうか?

 思わずポカンとして俺は、青空に躍る和泉の体を見ていた。俺は漸くリフトで上にあがって滑る事が出来るようになったレベルなのだけれどな……かなり、よろよろとな!

 お昼ゴハンに食べたカレーはチープな味がして、そう、懐かしき固形ルーの味がして大変美味だった。また、少しずつではあるが、インストラクターの人がいなくても滑ることが出来るようになるほど進歩した俺の腕前も、誇っても良いと思う。小3だからな!

 ただし、ここまでの三年間程度の小学校生活でも思ったが、なかなか大変だ。いや、生まれた時から舞台が違うのだろうか? そうとも思えない。何とも言えないが……才能? いや違うな。まぁ、いいか。不思議な感覚だ。自分で言うのも何だが、高屋敷誉はすごい。まっとうにすごい。周囲が、すごいどころの話しではないだけだ……。

 さすが、当て馬だけはある! これはスノボと違って誇れないけど!

 ちなみに今年のお年玉は、合計二百三十万円だった。小銭や千円札・五千円札はない。二千円札もない。全て諭吉だった。俺は迷わず、貯金に回した。

 今後の人生で何が在ろうとも、とりあえずこれまでのお年玉だけで、即刻路頭に迷うことは回避できるだろう。何せ前世では6万のアパートで、光熱水を抑えながら、月給十八万(+交通費と社保)で頑張っていたのだから――……!


 小学四年生になる年の春休み、俺に兄弟が出来ることが分かった。
 前世では兄弟がいなかったからすごく楽しみだ。三葉くんと和泉を見ていても羨ましいしな。九歳も離れている。きっと可愛いんだろうな。男の子だろうか、女の子だろうか。どちらでもいいな。なんて言う名前になるんだろう。なんて呼ぼうかな。やっぱり省略名とか憧れるよね。あっちゃんとか、いっちゃんとか、うっちゃんとか、えっちゃんとか、おっちゃんとか……いや、どうだろう。うん? 

 語感が……? おっちゃんでは、そうだよ、おっさんみたいになってしまう。まぁいいか。生まれてから決めよう。

 そんなことを考えながら、俺は白猫のブランシェを抱きしめていた。
 もう仔猫ではない。だが小さくて愛らしいのは変わらない。本当に毛がふわふわしているのだ。撫でてみると思ったよりも固くて、驚いてしまう。

 だが好奇心旺盛で、時折家から脱走しそうになる。それはもう素早くて、どこにでも歩き回るので、気づくと庭にいるだなんて事もある。そして探しに出た俺が迷子になりそうになるのだ。その結果、現在ではGPSつきの赤い首輪と、迷彩柄の迷子札つきになった。俺が外に出る時も、GPS付きの腕輪をはめられることとなった。

 おそろいだ……!
 そして今日も出してくれと、ブランシェは啼く。
 可愛く啼いても、トイレの粗相をしてはいけないんだからな!


 春休みは、他に乗馬をした。
 乗馬を習うって、何の役立つのだろう。将来乗馬クラブに入る予定はない。庶民視点の俺には不明だ。乗馬好きな人を否定するつもりは毛頭無いが。

 俺は白馬に乗り(というか後ろに乗せてもらい)、「本物の王子様みたいだね」と言ってもらった。当て馬だとは、言われていない。

 しかし”王子様”という言葉にどうしても、”当て馬王子”という語がよぎるのだ。俺はおとなしく生きていく。絶対に当て馬になどなりたくない。誰の邪魔もしない。だから、今世では、ゲーム設定とは異なり、”当て馬”と認定されてお家取りつぶしなどになりま
せんように。切実に俺は祈った。それと、乗馬は案外楽しかった。

 何事もやってみるものだ。今思えば登山も――……いや、なんでもない、なんでもなかった。なんでもなかったな。お弁当美味しかったな。

 俺は馬を撫でてから、帰宅した。


 こうして俺の小学四年生が幕を開けた。

 少しずつではあるが、体感年数が早くなってきた。だからすぐに夏休みがやってきた。
 存沼と今年は、チリに行った。当然イースター島だ。本気で何がしたいのか分からない。舞台監督ではなく、やはり探検家にでもなりたいのか? どちらにしろお前は、家業を継ぐ設定だぞ!


 なお家族旅行は、母の体調を考慮して無しになった。

 代わりに父が、動物園に連れて行ってくれた。やっぱりパンダは迫力がある。俺は象が好きだけどな。ライオンは存沼に似ていた。ハスキー犬から、次第に存沼はライオンにステップアップしつつある。

 あくまでも印象だ。どちらがすごいとかではない。なお父は……人生で初めて来たそうで、帰宅して以来、動物をモティーフに絵画を描くのにはまってしまった。

 そしてこちらもまたお決まりではあるが、俺は今年も砂川院家の別荘に招待された。今度はシンガポールにあった。会員制のカジノを併設していて、俺は沢山の硬貨を貰った。結構ついているなと思って、三葉くんを見ると、全額かけていた。嘘だろ? ポカンとして見守ってしまう。三葉君は真剣な表情で結果を見守っている。

 俺は手に汗を握った。

 平然と横で眺めている和泉がすごい。もし勝てば俺には想像もつかない額になるが……負けたら、高屋敷家ならば傾くと思う。我が家が傾くほどの高額なのだ。会社を手放したくらいでは、被害は抑えられない気がする。予想だけどな……。――ああ、ルーレットが回る。結果を見るのが怖くて、俺はきつく目を閉じたが、やっぱり気になって結局瞼を開けた。唾液を嚥下しながらしっかりと見据える。そして勝った……! 心底安堵して、俺は気づくと涙ぐみながら笑っていた。三葉くん、本当すごい! おめでとうと言いに行こうとすると、当然だという顔で、フっと三葉くんが笑っていた。格好良い。

 もうこの子に無表情設定は不要なのではないだろうか。全然素直クールでもないし。まさかここから素直クールに転じるのだろうか? そんな事ってあり得るのだろうか? ならば和泉もチャラ男になるのか? 俺はどうでも良いと思っていたはずで、関わりたくないと思っていたはずなのだが、存沼も含めて、最近全員が良い友達に思えてきてしまった。まずいな。

 なお今年も存沼と三葉くんは夏祭りに行ったらしい(雨天延期だったようで、旅行の日程の方が一日ずれたのだ)。何をしに二人で夏祭りに、どんな経緯で行くようになったのかは、さっぱり分からないし、あんまり興味もなかったが。――後々もっと興味を持っておけば良かったと思うことにもなる。


 そしてこの夏は、珍しいことに、砂川院家がダンスパーティを主催した。



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