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56 救出

 走り去るジョアンの背中を見送っていた私は、どうも泣いていたようです。
 優しく頬に当てられたハンカチでそれに気づいた私は、涙を拭ってくれる手の主を見て微笑みました。

「ありがとうね、エスメラルダ。心配したでしょう?ごめんね…迂闊だったよね。本当にごめんね」

「ローゼリア?大丈夫?」

 私を心配しているローゼリアの方が不安そうな顔です。

「うん、もう大丈夫。エスメラルダも大丈夫?」

「うん。エヴァンの声…聞こえた」

「えっ!どこで?」

「さっきの部屋。姿は見えなかったけど…聞こえた」

 私は先ほどの事を思い返しました。
 確かに一瞬ではありましたが、懐かしい声に呼びかけられたような…

「うん、私も聞こえたような気がしたの…では軍艦にいるエヴァン様って?」

「ジョアンが確かめる」

「そうね。でも気になるわ…エスメラルダはここでいい子にしていられる?」

「一人で待てるよ」

「だめよ。一人にはしないわ。アンナお姉さまと一緒にいてちょうだい。もしもまた地震があったら、アンナお姉さまの言うことを聞いて避難するのよ?私たちは離れていても会話ができるでしょう?心配ないわ」

「わかった」

 私はアンナお姉さまに事情を話しました。
 予想通りかなり反対されましたが、脳内で連絡が取り合える私の方が、緊急時に対処しやすいからと説得しました。
わかりました。確認だけですよね?無茶はしませんよね?」

「もちろんよ。どうしても気になるの…エスメラルダを守ってくださいね」

 私は走り出しました。
 橋も城壁も崩れてはいませんが、室内は倒れた家具が散乱していることでしょう。
 私は自分の靴を確認し、ゆっくりと階段を昇って行きました。

「壁に亀裂が入っているわ…」

 不安な心を押さえるように、思ったことを口にしながら昇って行きます。
 あの赤の塊のようなクズ男の部屋は二階でしたが、皇太子妃の部屋がどこだったのかは分かりません。
 仕方なく片っ端からドアを開けて行きました。
 部屋の中には、倒れた家具で怪我をした使用人がいました。
 その場にいる全員の命に別状はないことを確認してから、その中でまだ歩けそうな人に声を掛けて、外にいる騎士に助けを求めるように言って、皇太子妃の寝室の場所を聞きます。

「皇太子妃の寝室は、皇太子殿下の私室の横です。あの真っ赤な飾りのドアの横の扉です」

「ありがとう」

 私はその部屋を出て、真っ赤な飾りのついた扉に向かいました。

「ここね…」

 先ほどの恐怖を思い出して少し怯みましたが、勇気を振り絞ります。

『ローゼリア、そこからぐるっと見まわしてくれ。ゆっくりとだ』

 いきなり飛び込んできたサミュエル殿下の声に、ビクッと肩が跳ねました。

『わかりました。時計回りに回りますね』

 私はゆっくりと、なるべく全体を視野に納めるように見まわしていきます。

『そうだ。その速さでいいよ。そう言えばローゼリアは何か武器になるものを持っていきたのかな?』

『武器ですか?持っていません。持っていても使え無いし。もしも襲われたらそこらじゅうのものを投げてぶつけてみます』

『わかった…健闘を祈ろう。気を付けてくれ。ああ、それと叔母上は安全確保のために隣の街で待機されている。ジョアンにもこの情報は送ったから、ジョン殿下にも伝わっているはずだ』

『わかりました。ではドアを開けますね』

『慎重にな』

 ゆっくりとドアを開けて、誰もいないことを確認します。
 シーンと静まり返った室内は、その華美な装飾と相反して静寂を保っていました。

「誰もいませんか?」

 小さめの声を出してみましたが、予想通り反応はありません。
 ふと見ると壁に大きな亀裂が入っていて、先ほどの衝撃の大きさを再確認しました。
 そっと手で亀裂を触っていると、何か違和感を感じます。

「ん?なぜこちら側に壁が割れているの?何か大きなものが倒れかかったみたい…」

 構造的には皇太子妃殿下の私室のはずですが、壁を壊すほどの重さのものがあるとは思えません。
 もしかしたら柱でも折れて倒れかかってしまったのでしょうか?
 私はその部屋に入るための扉を探しましたが、こちらから出入りできるような扉はありません。
 しかも寝室であるはずのこの部屋には、寝台のほか小さな机や飾り棚など、本来は私室にあるべき家具が並んでいます。

「もしかしたら寝室兼私室なのかしら?」

 仮にそうだとしても問題ないほどの広さもあり、生活するには十分です。
 となるとあちらのスペースは?

「廊下から回るのかしら」

 そう思った私は、一旦部屋を出て廊下に出ました。
 しかし、寝室に入るための扉の向こうは壁が続きいているだけで、正面は小さなバルコニーに出るためのガラス戸になっています。

「となると、やっぱり室内から?それとも部屋なんてないのかしら?」

 私はもう一度皇太子妃の部屋に戻りました。

「お~い、誰かいますか?」
 
 壁の亀裂に向って少し大きな声を出してから、壁に耳を当てました。
 すると声は聞こえませんが、瓦礫が微かに落ちるような音がします。

「やはり空間があるのだわ…どうやって入るのかしら」

 私は窓側からゆっくりと壁を調べてみました。
 壁の真ん中に大きな本棚が置いてあります。

「いかにもカラクリ棚って感じよね…小説ではよくこうやって本を動かすと…」

 私は冗談半分に、ひときわ厚い本を引っ張り出しました。
 ギギギ…
 
「えっ!マジで?噓みたい…」

 本棚の横の壁が浮いてきています。
 本当ならきれいに開くのかもしれませんが、あちら側で何かが邪魔をしているのか、それ以上開きそうにもありません。
 隙間から中を覗いてみると、壁や天井が壊れて瓦礫の山になっています。

「男性には無理でも、私くらいなら通れるかしら」

 隙間から体をねじ込んでみます。
 動物は頭さえ通れば体は入ると聞きますが、人間はどうも違うようです。
 頭は入りましたがそれ以上は無理そうでした。
 私は頭だけ突っ込んだ状態で、中に声を掛けました。

「誰かいませんか?エヴァン様?もしかしてエヴァン様はいませんか?」

 するとカラッという音と共に、瓦礫が少しだけ動きました。

「えっ!エヴァン様?」

 返事はありませんが、落ちた天井の板が微かに動きました。

「すぐに救助に行きます!もう少し頑張ってください!」

 私は慌てて脳内で救援を叫びました。

『誰かいます!もしかしたらエヴァン様かもしれません!助けに来てください!』

『ローゼリア?』

 エスメラルダの声です。

『エスメラルダ!そこにマリアお姉さまはいる?すぐに来てほしいの。できれば騎士を連れてきて!できれば五人は欲しいわ。皇太子妃の寝室よ。さっきまでいた部屋よ!』

『わかった』  

『ジョアン!サミュエルだ。すぐにジョン殿下に伝えてくれ!医者の手配も頼む!』

 サミュエル殿下の声も響きました。
 私は救護を待つ間、できるだけのことをしようと思い、その隙間から手を伸ばして、ドアの前の瓦礫を奥に押し込む作業を続けました。
 少しずつですが、ドアの隙間が広がってきました。

「これなら入れるかもしれない」

 そう思った私は、無理やり体をねじ込んでみました。
 頭は問題なく入り、少し痛みましたが肩も入れることができました。
 胸は問題なく入りましたが、お尻のところで止まってしまいます。

「でもこれなら…」

 上半身は隠し部屋に入ることができたので、そこから体をひねってドアの前に散乱している瓦礫を地道にどけていきます。

「入った!」

 するっと体が抜けた私は、先ほどまで動いていた場所に近寄りました。

「エヴァン様?エヴァン様ですか?」

 そう言いながら、次々と瓦礫をどけて行きます。
 小さなものは簡単でしたが、崩落した天井板はびくともしません。
 足元にできた隙間から、中を覗いてみましたが、暗くて何も見えませんでした。
 無理に動かして、絶妙なバランスで空間を作っているであろう瓦礫を崩すのも得策とはいえないと考えた私は、救援隊の進入路を確保することが先決だと考え、ドアの前の崩れた壁の撤去に掛かりました。
 その間も、声はかけ続けました。

「すぐに助けが来ます!気を確かに持って頑張ってください!すぐに助けます!」

 ふと見ると私の指先は血がにじんで爪がめくれています。
 それでも作業は止めませんでした。

「ローゼリア様!」

 アンナお姉さまの声です。

「ここです!本棚の横から入れます!」

 ドアの隙間からアンナお姉さまの顔がぬっと突き出されました。

「ご無事ですか!」

「はい、やっと入れたのですがこれ以上は一人では動かせなくてまだ救助できていないのです。他の方は?」

「来ています。このドアを壊すそうですので、安全な場所まで下がれますか?」

「はい、わかりました。お願いします」

 私は窓際のスペースに避けました。
 どかんどかんという地響きがするような音と共に、隠し扉が破壊されました。

「ローゼリア様!大丈夫ですか」

 一番にアンナお姉さまが入ってきました。

「私は大丈夫です。そこの大きな板の下に人がいます。もしかしたらエヴァン様かもしれません」

 私がそう叫ぶと、騎士たちは頷いて慎重に作業を開始しました。

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