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55 絶体絶命大ピンチ 

 背中全体にヒヤッとした空気を感じた瞬間、私は全身の毛穴から汗が吹き出したような感覚に襲われました。

「いやぁぁぁぁ!」

 私の絶叫に男が一瞬怯んだ時、ドアが大きな音を立てて破られました。
 
「な!何事だぁぁぁ」

 男は引き千切った布切れを握りしめたまま振り返ります。
 なだれ込むように数人の男性が押し入って来ました。

「ローゼリア!」

 懐かしい声が私の名を呼んでいるような気がしましたが、ふっと気が遠くなって返事ができません。

「ローゼリア!」

 誰かが私をギュッと抱きしめています。
 ほぼ下着だけの状態になっていた私にふわっと何かが掛けられました。
 私はゆっくりと目を開けて、体を激しく揺さぶっている人の顔を見ました。

「ジョ…ジョン殿下?」

「ああ私だ、すまない!ここまでバカだとは予想していなかった。申し訳ない。私の不手際だ」

 ふと床に転がっている赤い塊に目をやりました。
 すでに気を失っているようですが、騎士たちはまだ怒りが収まらないのでしょう。
 固い長靴の先でボコボコと蹴りを入れています。
 その後ろにはぐるぐる巻きに縛られた黄色の塊が膝をついて頭を押さえられていました。

「あれは?」

「ああ、あれは気にするな。バカ一号とバカ二号だ。今から捨ててくるから」

「す?捨てる?」

「うん。きっちり捨ててくるから安心したまえ」
 その時急に首にギュッと腕が巻きつきました。

「ジョアン!」

「ローゼリア!ローゼリア!うわぁぁぁぁぁん」

 ジョアンが私にしがみついて泣きじゃくります。
 私はジョン殿下の腕を解いてジョアンを抱きしめました。

「大丈夫。私は大丈夫だから。ジョアンがここを知らせてくれたのね?頑張って喋ったのね?ありがとうジョアン。あなたのお陰よ」

「ローゼリア、君の言うとおりだよ。港について水位の減少を調べていた時、急にジョアンが走り出してね。後を追って話を聞くと、ローゼリアが危ないって真っ青な顔で言うんだ。その時まで単語しか口にしないから、急に話し出して驚いた」

 私は再びジョアンを抱きしめました。

「本当にありがとうね、ジョアン。エスメラルダは無事だった?」

「エスメラルダも探していた。アンナも必死で探してた。エスメラルダ達はまず第二王子を疑って、あいつの居室に押し入ったらしい。そこでアレを捕獲して吐かせた」

「そう、それで?」

「それでアレに口を割らせようとしていた時、サミュエルから第一王子の寝室だって声が聞こえた。ジョン殿下に伝えてここに来た。危なかった。もっと早く来たかった。ごめんね」

「ごめんなんて!ジョアン、あなたのお陰よ。それにしてもちゃんと口に出してお話ができるようになったのね。凄いわ」

うん。これからは面倒くさがらずに、必要なことはちゃんと口で喋るよ」

「そうね、その方がお父様もお母様もお喜びになるわ」

 ジョアンが嬉しそうに笑いました。

「えっと?ローゼリアって呼んだ方が良さそうだね?では、ローゼリア、君は気づいていないようだが、少々怪我をしている。足にも腕にも傷ができているよ。医務室に行こう」

「え?そうですか?」

 私は自分の手や足を見ようと、掛けられていたマントを捲りました。
 なぜかひんやりとした空気が直接お腹に当たります。

「きゃぁぁぁぁぁぁ!」

 下着だけの格好になっていたことを思い出し、心臓が口から出るほど驚きました。
 マントをギュッと握りしめて体を縮駒せていると、ジョン殿下が言いました。

「見てない!俺は見てないから落ち着いて!」

 そう言われても落ち着けるわけがありません。
 私を抱き上げようとするジョン殿下からも体をずらして逃げてしまいました。

「ローゼリア!」

 エスメラルダが駆けつけて来ました。
 アンナお姉さまもいます。
 二人の顔を見て、やっと体から力を抜くことができました。

「殿下、私が運びます」

「いやいや、騎士とはいえ女性には少々きついでしょう?」

「いいえ、大丈夫です。もしもこの姿のローゼリア嬢を殿下が抱き上げて運んだとエヴァン様に知られたら、私はおそらく八つ裂きになるでしょうし」

「ははは!なるほど。ではあなたにお願いしよう。私は二人の手を引けばいいかな?」

 そう言ってジョン殿下はジョアンとエスメラルダに手を差し出しました。

 ジョアンはエスメラルダと手をつなぎ、ジョアン殿下に言いました。

「僕たちも大丈夫です。医務室はどこですか?」

 ジョン殿下は額に手を当てて上を向きました。

「ああ、私の兄二人よりよっぽど出来ている!」

 ジョン殿下は赤い塊と黄色い塊を指さして、地下牢に入れて厳重に見張るよう指示を出してから私たちを医務室に案内してくれました。
 王宮医師は怪我をした市民の救護のため広場に出払っていたため、私の擦り傷の手当てはアンナお姉さまがしてくださいました。
 逃げるときにあちこちぶつけた打撲と殴られた頬が腫れていましたが、あとは本当に擦り傷だけでした。

 ジョン殿下とジョアンは廊下で待機していましたが、侍女に言いつけて着替えを用意してくれていました。
 しかしパーティー用のドレスか乗馬服しか無かったそうで、どちらにするか聞かれましたので、私は迷わず乗馬服を選びました。

「似合うよ、ローゼリア」

 ジョアンが嬉しそうな顔で言います。
 横でエスメラルダも笑顔でコクコクと頷きました。

「ありがとう、女性を褒める言葉まで言えるなんて、ジョアン頑張ってるわ」

 騎士のアンナお姉さまがワンピース姿で、馬に乗れない私が乗馬服という不思議なスタイルで医務室を出た私たちは王宮前の広場に向かいました。
 歩きながらジョン殿下がジョアンに聞きました。

「海の様子は大丈夫だったのかな?」

「ええ、変動は見られなかったので多少の波に注意すれば高台への避難は不要でしょう」

「良かった。では私は今から国王陛下のところに行って今後の話をしてこよう。いろいろ違うけど、結果的にはレンジスタンスの当初計画通り無血開城だ。母上ももうすぐ到着されるからじっくり話し合ってくる」

「僕たちは引き続き調査をしますが…」

 ジョアンが最後まで言わないうちに足元がぐらっとしました。
 先ほどよりもっと大きな揺れを感じます。

「地震だ!建物から離れて!」

 ジョアンが叫びました。
 アンナがエスメラルダを抱き上げて広場に向かって走り出しました。
 ジョアンが私の手をとろうとしたとき、ジョン殿下が言いました。

「君は先に走れ!ローゼリアは任せろ!」

 ジョアンは頷くとアンナお姉さまの後を追いました。
 私はジョン殿下に手を引かれ、その後を追って走ります。
 本当のドレスにしなくて良かったと思いました。

 城の周りを囲むように流れる人口川に架かった橋を渡り終えたとき、正面から砂ぼこりが嵐のように襲い掛かってきました。
 ジョン殿下は私を胸に抱きかかえるようにして立ち止まります。
 私はジョアンとエスメラルダが心配で、走り去った方に手を延ばしました。

 どのくらいそうしていたでしょうか。
 広場には誰もいないかのような静けさが流れています。

「きゃぁぁぁぁぁぁ!」

 誰かが上げた悲鳴が合図となり、人々が我先にと逃げ惑います。
 
「あそこまで走るぞ」

 ジョン殿下が柳の木を指し示し、私の手を引きました。
 そこにはアンナお姉さまに抱かれたエスメラルダと、二人に寄り添うジョアンの姿がありました。

「ここから動かないでくれ。すぐに戻るから」

 そう言うとジョン殿下は振り返り、ついてきていた騎士に馬をひかせ飛び乗りました。
 ゆっくりと広場の中央に進み、剣を抜いて叫びます。

「落ち着け!ここは安全だ!ここ以外に行くな!大人は子供を守れ!速やかに建物から離れて広場に戻れ!」

 砂ぼこりで煙っていた空気が次第に収まり、太陽の光がジョン殿下の姿をより一層神々しく見せます。
 誰かが叫びました。

「リブラ殿下!万歳!リブラ殿下!万歳」

 その声は呼応し、パニック状態だった市民たちの心を落ち着かせてきました。
 自分の名を連呼する市民たちを余裕の微笑みで見まわしながら、ジョン殿下は再び口を開きました。

 「我が名はリブラ・ジョン・ノースである。周りに怪我人はいないか?もし怪我をしている者がいたら、東門前の救急救護所に連れて行って欲しい。動ける男たちは南門前に集まってくれ!街に残っている者を助けに向かう!女性たちは子供を守って王宮に入ってくれ。ただし建物の中はまだ安全を確認していないから中庭に集まって欲しい。女性騎士たちの指示に従うんだ。もしも迷子がいたら、近くのものが守ってやってほしい!みんな頼むぞ!」

 おぉぉぉという雄叫びが響き、それぞれができることをし始めました。
 私たちは近くにいる人たちに声を掛けながら、指示通り王宮の中庭に向かいます。
 
「ローゼリア、僕はジョンと行く。大丈夫、危険なことはしない」

「ダメよ!ジョアン!」

「僕にもできることをする義務がある」

「ジョアン…」

「必ず無事に戻る。エヴァンを連れて帰ってくるから」

 今まで見たこともないような真剣な目をしたジョアンを私は止めることができませんでした。
 大きく頷くと、エスメラルダの手を握りアンナお姉さまにニコッと笑いかけてからジョアンはジョン殿下の元に走りました。

「いつの間に…」

 ジョアンの後姿はエヴァン様にそっくりでした。

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