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招かれざる客

 伯爵夫人が来ると次の日の朝聞いたドロシーは、硬い表情をして身を強張らせた。
 それだけで、彼女が祖母をどう思っているか想像がつく。
 マージョリーやロドニーには笑顔で接して、孫のように懐いているのに、離れて住んでいるが血の繋がった祖母に対して、苦手どころか怯えた様子の彼女を見て、アリッサはぎゅっと彼女を抱き締めた。

「大丈夫よ。もし言いたいことがあるなら、我慢しないで言ってね。きっと叔父様はあなたが何を言っても味方になってくださるわ」
「はい、アリッサ先生」
「アリッサの言うとおりだ。私はお前の叔父だ。お前の父親にはなれなくても、代わりになりたいと思っている。遠慮はいらない」

 まさか暴力は振るわないだろうが、言葉も凶器になることだってある。
 むしろそちらの方が深く傷つく。

 伯爵夫人を迎えるべく、侯爵邸では慌ただしく使用人たちが動き回る。
 前回夫人がカスティリーニ侯爵邸を訪れたのは、娘であるドロシーの母親が亡くなってすぐの頃だと言う。

 本来なら教育係は脇に控え、顔を見せない方がいいのだが、自分の推薦した者を解雇し、その後に雇われた新しいドロシーの教育係であるアリッサのことを見定めることも、今回の訪問の目的であるため、呼ばれればいつでも伺えるよう、離れで待機していた。
 
 そして夫人が到着したという知らせと共に、母屋に来るように言われ、ロドニーと共に応接室に向かった。

「失礼いたします閣下、お呼びと伺いました」
「ああ、入ってくれ」

 扉の前で声をかけると、エルネストの返事があって、扉を開けて二人で中に足を踏み入れた。

 応接室には、ふくよかな体にレースとリボンをふんだんに扱った、淡いピンクのドレスに身を包んだ中年の女性がいた。
 廊下に掲げられたドロシーの両親の肖像画を思い出す。
 多分彼女は父親似なのだろう。くすんだ金髪と明るい茶色の瞳の彼女とは似ていない。
 だが、その横にもう一人の金髪女性がいる。
 年齢は二十歳くらいだろうか。
 人形のように美しい顔立ちのご令嬢だった。
 二人は長椅子に座り、明らかに敵意を持った眼差しでアリッサを見たが、夫人はロドニーを見てぽっと頬を赤らめてもいた。

「二人共こちらへ」

 肘掛椅子に一人座っていたエルネストが声をかけ、ロドニーの後に続いて三人が座っている側に近づいた。

「夫人、ロドニー・ベルトラン卿とアリッサ・リンドーです」

それから伯爵夫人たちの方を向く。

「そして、彼女がドロシーの母方の祖母、ディレニー伯爵夫人と、姪のアメリア嬢だ。今は伯爵夫人のところで行儀見習いをしているそうだ」

 エルネストが互いを紹介する。行儀見習いということは、彼女は結婚相手を探しているのだろう。
 ここへ連れてきたということは、もしかしたら、エルネストに引き合わせるつもりだったのかも知れないと思った。

「こんにちは、ロドニー・ベルトランと申します」

 ロドニーが優雅にお辞儀をして挨拶した。
 それは一国の君主にするような丁寧なものだった。
 歳を重ねたからこその、壮年の男性の品格と色気を漂わせたベルトラン卿の登場に、ディレニー伯爵夫人は毒気を抜かれたかのように、その場で一瞬言葉を失った。

「ベ、ベルトラン?」

 エルネストも十分イケメンだが、ロドニーの立ち居振る舞いや上品の物腰は、年を重ねたからこその渋みがある。

「もしかして、外交官の? 退任の際に陛下から勲章を賜ったという?」
「はい、過分にも陛下から頂戴いたしました。今はこうして閣下のご厚意で、妻と共にこちらにお世話になっております。ドロシー嬢にも仲良くしていただいております。おばあ様とお伺いしましたが、想像よりずっとお若くてびっくりたしました」
「ま、まあ・・・そんな」

 若いと褒められ伯爵夫人はすっかり気を良くしている。

(恐るべしイケオジの攻撃力)

 アリッサはそう思った。

「あなたがドロシーの教育係だとか言う人?」

 ベルトラン卿の色気に、最初の勢いは弱冠衰えたものの、ディレニー伯爵夫人は訪問の目的を忘れてはいなかった。
 ベルトラン卿に頬を赤らめながらも、彼女は厳しい視線をアリッサに向けてきた。

「はい、アリッサ・リンドーと申します」

 ブリジッタ・ヴェスタの時に身につけた美しいカーテシーで挨拶する。
 それを見て、伯爵夫人の顔色がさっと変わった。
 アリッサが平民と聞いていたので、難癖をつけようと思っていた目論見が外れたからだろう。
 
「ですから先ほどから申し上げているではないですか。彼女は教養もありマナーも完璧、ドロシーの教育係として不足はないと」

 エルネストが自分のように誇らしげに言う。

「私の推薦した者も、これくらいできましたよ。教育係ならこれくらい出来て当たり前です。私がいいたいのは、ドロシーが誰に教えてもらったかということです。平民に教えられた貴族令嬢など、聞いたことがありませんわ」
「しかし、あの者達はドロシーに心ないことを言って傷つけた。それは許しがたいことだ」
「教育係ですもの、時には厳しいことも言うわ。そんなことでいちいち首にしていたら、拉致があかないわ。それに社交界に出ればもっと厳しいこともあるわ。あなただって知っているでしょ」

 それはエルネストに向けて言った言葉だったが、アリッサは自分に向けて言われている気がした。周りの嘲笑や悪意のある噂話、人の不幸を肴にして楽しむ人たちにブリジッタの心はズタズタに傷つけられ、何度も血を流した。
 その傷は今も残っている。アリッサとして生きるようになって、三年近く経つがきっかけがあればいつでも血が吹き出してくるだろう。
 

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