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 これはもしかして私、変なところに紛れ込んじゃったんじゃない?
 今ならまだ間に合うはず、と踵を返そうとすると、真っ黒なローブから枯れ枝のようなう手が伸びてきてまるでおいでおいで、とするように指先が動く。

「えっ? 私」
「そうじゃ。他にだれもおらんだろう?」
「あの、私ちょっと迷い込んじゃっただけですぐに退散しますから」
「いやいやせっかく来たんだ、そんなに急がなくてもいいだろう。ほれ、ちょっと座ってごらん、ここで会ったのも何かの縁だから占ってやるよ」

 ……そんな縁いらない。
 と思うも、しゃがれた声がやけに耳に心地よくて、
 気付けば私は言われるがままに老婆の前の席に腰掛けていた。

「ほれ、この水晶に手をかざしてごらん。そうそう、そんな感じ」

 机の上、ちょうど老婆と私の間にある拳二つ分ほどの水晶に手をかざすと、老婆はその紫色の目を細め水晶を眺め始める。

 ……やっぱり、これまずいよね。適当に言い訳をして立ち去ろう! 
 そう思ったとたん老婆は、今度は私を覗き込んできた。

「あんた婚約者に愛のない結婚は嫌だと言われただろう」
「!! どうしてそんなことが分かるのですか」
「これでも占い師だからね。どれどれ、よければ話を聞いてやろう、そうすればもっと詳しく占ってやることもできるから」

 するりと胸の中に入ってくる声音と、神秘的な紫の瞳につられるよう、私はいつの間にかせきを切ったように話し始めた。

 私がどれだけクロードを思っているか。
 でもクロードは違ったこと。
 これからどうしたらいいのか。

 話しては泣き、泣いては話す私に占い師は呆れることなく付き合ってくれる。

「……それで思うのです。私は身を引くべきだと。だって大好きな人には幸せになって貰いたいじゃないですか」
「そうかい。あんたいい子だね。でもそれでいいのかい? もう少しきちんと話し合ってみたら……」
「いいえ、いいんです。でも……」
「でも?」
「一度でいいからクロードに甘やかされ愛を囁かれ……溺愛されたかった。私に四六時中べったりで、私がいなきゃ生きていられないってほど溺れて欲しかった」

 私がそうであるように、
 クロードにも私を思ってほしかった。
 自分の言った言葉がどれだけ自分勝手で横暴なことか分かっているけれど、でも言わずにはいられない。

 またグスグスと泣き始めた私に老婆はひっそりと囁いた。

「……その望み叶えてやろうか」
「えっ?」

 私が目を大きく見開くと、老婆が皺の目立つ唇でにやりと笑う。
 その途端、突如、目の前が真っ暗になって、さっきまで視界の端にあった紫色のランプの光さえ見えなくなる。
 身体がぐるんぐるんと回転する感覚と落下していくような浮遊感に思わず目をつむり、吐き気をこらえていると、数秒後、背中に固い物が当たった。


 頬に風が当たり、次いで草木の揺れる音が聞こえる。
 恐る恐る目を開けると、飛び込んできたのは茜色の空。

「ここは……校庭?」

 がばっと身体を起こすと、そこは見慣れた校庭の隅にあるベンチの上で。
 横を向けば夕陽を受け赤く染まった校舎。帰宅を促す鐘の音が聞こえているので時間は五時だろうか。
 
「夢?」

 私、裏路地に迷い込んだわよね? 大きな水晶はどこ? 黒いローブを羽織った老婆はどこにいるの?

 事態が飲み込めなくて、ひたすら瞬きを繰り返し周りの景色を見ていると、良く知っている声が。

「ライリーここにいたのか。探したぞ!」

 突如声を掛けられてビクッと身体が跳ね上がる。

 声のする方を見ると花壇と木立の間の細い道から、クロードの走ってくる姿が見えた。

 どうしよう、今は会いたくない。
 どんな顔をすればよいのか分からないよ。

 心の準備ができていないのに、クードはあっと言う間に私の目の前にやってきた。

 そう、目の前。

 吐息がかかる程の近さにあるクロードの顔に思わず身体を反らすも、ベンチの背もたれがそれを邪魔する。 翡翠色の瞳には、狼狽える私の姿がはっきりと映っていて。

「クロード、その……」
「どこに行っていたんだ。心配したんだぞ」

 少し語気は強いけれど、眉を下げ心配そうなその顔は演技には見えない。
 でもこれはきっと愛情からではなく、婚約者としての責任からなのでしょう。

「ごめんなさい。心配をかけて、ちょっと散歩をしていただけだから」

 そう言って立ち上がろうとすると、膝に鈍い痛みが走り再びベンチに座り込んでしまう。
 そうだ、膝、怪我していたんだっけ。

「どうしたんだ? 怪我でもしたのか?」
「大丈夫。少し転んだだけだから」

 大したことはないと胸の前で手をふり、怪我をしていない方の足に体重を乗せながら立ち上がろうとすると、目の前が急に陰り次いで身体がふわりと宙に浮いた。

 えっ、何?
 何が起きたの?
 再び視界に入った夕焼け空を背景に、クロードの尖った顎が見えて、爽やかな香水の香りが鼻孔をくすぐる。

 いきなり横に抱きかかえられた私は、その状況を理解するなり全身が熱くなっていく。

「ク、クロード? どうしたの」
「足、怪我したんだろ? このまま馬車まで行こう」

 えっ、このまま?
 ここ、校庭よね。
 放課後とはいえ、残っていた生徒が下校の鐘を聞いて校舎から出てきたから、人がそこここに。 
 そこをこの体勢で横切るなんて猛者!? 

 明日にはどんな噂になっているかと心配するする私を、クロードはさらにしっかりと抱え込む。腕に逞しい胸板が触れ、私が多少暴れたぐらいじゃびピクリともしなさそう。

 真っ赤な顔で口をパクパクするのがやっとの私に、蜂蜜と砂糖と何かもういろいろな物を混ぜた笑顔を向けると、クロードは平然と歩き出した。

 うわっ、これは想像したより見られているよぅ!

 すれ違う人は振り返って私達を見てくるし。

 遠くからこちらを見て頬を染める令嬢達に言いたい。私達もうすぐ婚約破棄するんです!!
 
 あっ、窓辺にも人影が! お願い、今すぐカーテンを閉めてください。

 身を縮こませる私を平然と抱きながらクロードは自分の馬車に向かうと、御者に「ライリーの御者に俺の馬車で帰ると伝えてきてくれ」と頼み私を抱えたまま馬車に乗り込んだ。顔見知りの御者が一瞬浮かべた驚いた表情が忘れられないけれど、彼はいったいどのように伝言するのだろう。

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