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「親が決めた婚約者と愛のない結婚なんて最悪だと思わないか」
「確かにな。クロード、お前は俺といるときと同じぐらい婚約者の前でも素直になるべきだと思うぞ。その言葉と一緒に本音を伝えたらどうだ?」
衝撃的な会話の内容に私は扉にかけていた手をピタリと止める。
扉の向こうにいるのは私の婚約者のクロードと、この国の三大公爵の一人、フルオリーニ様。
放課後、クロードを迎えに隣の教室に向かった時はあんなにウキウキとしていた心が、今は鉛を飲み込んだように重い。
信じられない言葉に、まずは聞き間違いかと我が耳を疑い、
でも窓からこっをり覗いたその先にいるのは見間違うはずもない顔で。
ショックで目の前が暗くなっていく。
私、ライリー・イエリッチとクロード・ザクレーとの婚約が決まったのは五歳の時。
同じ年齢、同じ伯爵家、領地が隣で母親同士が親友、父親同士は同じ騎士団。
どうやっても切っても切れぬ縁で繋がっていた私達。
母親達は、大きなお腹を撫でながら、産まれてきたのが男の子と女の子なら結婚させようと約束し。
父親同士は、いきなり攻め込んできた隣国の敵兵相手にお互いの背を預けながら、産まれていた子供達を結婚させようと謎の誓いをして生き残った。
だから私達は産まれた時から一緒に育った。
それはもう兄妹のように。
友人には「そこまで一緒に育ったら、恋愛感情なんて持てないでしょう?」と言われたともあるけれど、とんでもない。
私の夢はクロードのお嫁さんで、嫌いな勉強を頑張るのはいづれ伯爵家を継ぐクロードを支えるため。最も元々の頭のできがよろしくないのか成績は中の中だけれど。
小さいときはクロードの嫌いなトマトと人参を代わりに食べるために好きになろうと努力もした。これは一週間で諦めたっけ。
クロードが長い髪が好きだと言えば伸ばし、甘い物が好きだと知ればお菓子を作ったわ。
とにかく、私のすべてはクロード中心に回っている。
それなのに。
ーー愛のない結婚なんて最悪ーー
そんな風に思われていたなんて。
確かに夜会ではいつも不機嫌にしているし、観劇をボックス席で見た時も流行りのドレスを着ていたのに私を目もくれなければ手すら繋いでくれなかった。
思い出す限り、クロードから愛を囁かれたこともない。
幼いころからよく言えばおっとりしている、
悪く言えば抜けていると言われてきたけれど、こういうことだったのね。
遅ればせながらそのことに気づいた私は、これ以上ここにいることなんてできなくて、くるりと踵を返すと、走り出した。
令嬢が走るなんてはしたないけれど、とにかく早くそこから離れたくて、途中曲がり角で誰かとぶつかりかけながらも足は止めなかった。
走りながら涙が頬を伝い視界を歪ませる。
こんなぐしゃぐしゃに濡れた顔、クロードには見せれない。
ついでに御者にも見せれないので、馬車の止めてある表門とは反対の方向へとつま先を向ける。
できるだけ人通りのない廊下を選び裏庭に出ると、そこには木の下でこっそり愛を囁く恋人達。
うっ、こんな時に辛するよぅ。
二人を視界から強引に外し裏門からこっそり抜け出すと、速
足で街の方へと向かう。
すれ違う人に怪しまれないように、そっと目頭をハンカチで押さえて下を向いてただひたすら足を動かす。
どうしてこんなことになっちやったのかな。
凄く、凄く好きなのに。
視界に入るのは灰色の石畳、それが次第に角のかけたレンガになって、所々土の部分もでてくる。
それでも私は足を止めない。
歩きながら思い出すのはクロードの濃紺の髪と翡翠のような瞳。すらっと背が高く、切れ長の瞳に時折かかる前髪が影を落とすさまは憂いを帯びて、周りの令嬢が吐息を漏らすなんてしょっちゅうで。
どこにでもいる茶色い髪と瞳の私とは不釣り合いだと薄々気が付いていたけれども、精一杯お洒落して隣に立ってもおかしくないよう努力していたのに。
「……あれ? ここどこ?」
あまりにぼーっと歩いていて、気づけば薄暗い路地。
そう言えばクロードにもふだんからぼんやりしすぎだと呆れられていたっけ。
きっとそういうところもダメだっだのね。
誕生日には必ずプレゼントをくれるし、月に二度のお茶会には人気のお菓子とお花もくれる。夜会に行く時はドレスも贈ってくれる。だからクロードも私と同じ気持ちだと思っていたけれど、きっとすべての贈り物は婚約者としての義務からだったのね。
甘い言葉や愛の囁きをくれないのは、照れ屋なだけだと自分に都合の良いように解釈をしていたわ。
「……痛い!」
涙で視界が歪んだせいで小さな段差に脚をとられ、膝をしこたま路地に打ち付けてしまった。
うっ、痛いよ。
誰もいないのを確認して、ちょっとスカートを捲れば膝から血が出ているし。
泣きっ面に蜂ってこのことね。
それに、すっかり裏路地に迷いこんでしまったようで。
このままでは延々とこの路地がら抜け出せないのではないかしら。
……もう、いっそうのことそうなればいいのに。
そう思った時、どこからかライラックの香りがして、薄暗かった目の前がほんのりと紫色に変わる。
オレンジ色ならまだ街灯だって思うのだけれど、紫? と顔を上げ周りを見渡すと少し先に紫色の光を放つランプが見えた。
腰の高さほどに浮かんで見えたそれは、目を凝らしよく見ると真っ黒の布をかけられた机の上にのっているよう。そしてさらにその向こう、薄闇と一体化するかのように黒い外套を着た人影が見えた。