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36 心がモヤっとしました

頬に大きな絆創膏を貼っているルイス様は、まるで何事もなかったように笑いながらチキンの串焼きを頬張っています。
 私はルイス様の顔を直視できなくて、チキンの串焼きを握ったまま俯いています。
 バタンと大きな音がしてジュリアが飛び込んできました。
 誰かから昨夜のことを聞いたのでしょう。
 ジュリアはルイス様の横を素通りして私を抱きしめました。

「姉さん……姉さん……可哀想に」

 ジュリアはひとしきり私を抱きしめた後、おもむろにルイス様の胸倉を掴みました。

「義兄さん!俺は今めちゃくちゃ怒っています。これ以上姉さんを傷つけるなら、あんたとはもう縁を切る!」

 ルイス様はされるがままです。
 すっとアレンさんが間に入りました。

「ジュリア様、大変申し訳ございませんでした」

「アレンさんが謝る事じゃないでしょう?」

「いいえ、私の責任です。一瞬判断が遅れて止めることができませんでした。どうしても腹の虫が収まらないと仰るなら、私を切り捨ててくださって構いません。このバカは奥様を手放したくなくて……もう本当に必死なんです」

 今度はリリさんがジュリアに後ろから抱きつきました。

「ジュリア様、私にも責任があります。私も止めることができませんでした。あなたがそんなに怒ってしまうと奥様の立場が無くなります。ジュリア様どうかここは」

「わかりました。義兄さん、ちょっと取り乱してしまった。でも今になって顔に傷を作るくらいなら、もっと早くやっていれば女王陛下も義兄さんを諦めたんじゃんじゃないの?」
 
ジュリアはルイス様から手を離し、それでも口をとがらせて言いました。

「そう思って当然だ。言い訳になるけど聞いてくれる?ほら、媚薬を盛られて自分で腕を刺したって話をしただろう?あの女はその時私に言ったんだよ。たとえその顔が半分焼け爛れても手放すことはないとね。自分がやったと言えばいいだけだと。私の顔をそうできるのは自分だけだと自慢できるからってね。それに私はあんな女のためにこれ以上何をするのも嫌だったし、あの女のために痛い思いをするなんて絶対にごめんだと思ってたんだ」

「死んだ人を悪く言うのも気が引けるけど、ホントに酷いね」

「私は絶対にルシアにこの気持ちを伝えなくてはと焦ったんだ。もう諦めるのはまっぴらなんだよ。何を失ってもルシアだけは手放したくない。ルシアだけは失いたくないんだ。でも君が怒るのも当然だ。ごめんねルシア。ごめんねジュリア」

ルイス様が目に涙を溜めています。

「義兄さん。そんなに?そんなに姉さんを?」

「うん。この顔さえ変わってしまえば、ルシア以外の女は私に興味を失うだろうって考えた。短絡的だったと思う。でもルシアが感じていたガラスケースを壊したくてさ」

「お気持ちはわかりました。でももう少し時間をやって貰えませんか。お願いします」

「もちろんだ。私が焦りすぎたんだ。ルシアが家出して……みんなに追うのを止められて……どうすればいいか分からなくなって」

 リリさんがジュリアからそっと離れました。
 まだ抱きついていたのですか。
 リリさん、マジで狙ってますね?

「ありがとうジュリア。私は答えを出したくなくて逃げたんだと思う。ルイス様、追い詰めてしまってごめんなさい。でももう逃げませんから、もう少し時間をくださいませんか?」

 ルイス様は黙って頷き、静かに私を抱きしめました。
 ジュリアも微笑んで頷いています。

 アレンさんが何事もなかったかのようにテーブルにつきました。
 私たちも座って食事を再開します。
 そのうちランドルさんとノヴァさんもやってきました。
 二人はルイス様の顔を見ても何も言いません。
 きっとルイス様から聞いているのでしょうね。
 ノヴァさんが美しい微笑みを湛えて、ルイス様の頬をするっと撫でました。
 ルイス様が少し驚いた顔で頬を赤らめています。
 心がモヤっとしました。

 狐と狸が運ばれてくるまで、他愛のない話をして時間を過ごしました。
 あれほど沈んでいた心が穏やかになったような気がします。
 やっぱりひとりで考え込むのは、ネガティブ思考に陥りやすいので良くないですね。
 マリーさんが帰ったら傷痕が残らないお薬があるか聞いてみましょう。

 辺りが暗くなった頃、ノベックさんとマリーさんが帰ってきました。
 どたどたという足音が響き、作戦会議室の扉が開きます。

「帰りました。ちょいとネズミの処理に時間がかかって、予定より遅くなりました。おっ!鶏モモの串焼き!腹が減ってるんで早速いただきますね」

 ノベックさんが大きな麻袋を部屋の隅に放り投げて、テーブルにつきました。
 マリーさんも横に座ります。
 二人とも手は洗ったのでしょうか?うがいは?心配は尽きません。

「すみません、伯爵様が殺処分ではなく兵力として使うって仰るので、薬の調整に時間がかかってしまいました。もうお腹ペコペコです」

 私は慌てて二人にチキンの串焼きを渡しました。
 リリさんは紅茶を準備し、アレンさんはキッチンにパンの追加を取りに行きました。
 ノヴァさんが濡れタオルで、二人の手を清めています!嫁にしたい!

「お疲れさん。父上と母上はどうだった?」

 ルイス様の問いに、串焼きを頬張りながらノベックさんが言いました。

「ええ、お元気なものです。あいつらが好き勝手していても放置されていたのは面白いからだそうで。相変わらずなご夫妻ですよ。あれ?旦那様、ちょっと見ない間に随分男ぶりが上がりましたね」

 マリーさんがパンに手を伸ばしながら続けます。

「ああ、ホントに。私は今の顔の方が好きですね。今までは奇麗すぎて気持ち悪かったんですよ。それと、ランディさんは大奥様に拉致されましたので置いてきました。疲れたからおいしいものを食べたいとのことです。ですからこちらは当分外食か買い食いですね」

 私は密かにお料理学校に行く決心を固めました。
 あとでルイス様に相談してみましょう。

「じゃあ、腹ごなしに狐と狸を片づけようか」

 ルイス様の言葉に、リリさんが満面の笑みで立ち上がりました。
 そんなリリさんをジュリアが頬を赤らめて見ています。
 心がモヤっとしました。

「ジュリア様も見学に来られますか?」

 ジュリアにロックオンしているリリさんが、聖母のような微笑みで聞きました。

「ええ、是非。後学のために拝見させてください」

「わかりました。いろいろなものが飛び散るかもしれませんので、汚れても良い服をご用意いたしましょう」

 リリさんがそう言うと部屋の隅の麻袋がビクッと動きました。
 どちらが狐でどちらが狸なのでしょう?

 紅茶をグイっと飲み干したノベックさんが言いました。

「リリ、どっちからやる?」

「どちらでもいいですよ?男性の方が面積が大きいのでそちらからいきましょうか」

「どこでやるんだ?タウンハウスには地下牢がないし」

「後の掃除を考えると……ロビー?」

「ああ、あそこならタイル張りだから水洗いもしやすいな」

 また麻袋がビクッとしました。
 マリーさんが麻袋を縛っていた紐を解きました。
 初めてお顔を見たイーリスさんがぼろぼろな状態で引きずりだされました。

「やあイーリス殿、久しぶりですね」

 ルイス様がにこやかに挨拶をされます。
 イーリス様は片方のガラスが割れて曲がった眼鏡のまま震えています。

「どうします?やられてから喋りますか?やられる前に喋りますか?」

 ルイス様が穏やかに選択肢を与えました。
 リリさんがイーリスさんの後ろで舌打ちをしました。

「ちっ!甘いです!やらずに話したことは信憑性に欠けます。やるしかありません」

「ああ、それもそうだね。じゃあノベックさん、運んでもらっても?」

 ノベックさんが頷いてイーリスさんの首根っこを掴んで運びます。
 ルイス様がリリさんに、自分がやりたいだけじゃないよねって小さな声で聞きました。
 リリさんはルイス様の顔をチラッと見て、片方の口角だけを上げて去って行きました。

「それとそっちの狸も連れて行きましょう。どんな目に合うのか見た方が聞き分けも良くなるでしょうし」

 リリさんの声に、ランドルさんとジュリアが狸入り麻袋に手を掛けました。
 ノベックさんは男性を片手で運んでいましたが、こちらは女性を二人掛りです。

「ルシアはどうする?」

「私も見ておきます。もしかしたら検定試験を受けるかもしれないし」

 ルイス様は小首を傾げて不思議そうな顔をされましたが、何も聞かず私をエスコートして下さいました。
 ロビーにはすでに大きな布が敷かれていて、アレンさんが革張りの箱を開けました。
 何が入っているのでしょう?おお!長い釘やハンマー?これはのこぎり?先がギザギザになっている剣のようなのもありますね。しなやかです。鞭杖でしょうか?

 その箱をちらっと覗き込んだイーリスさんが恐怖でその場に座り込みました。

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