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第十七話 夢が覚める時


 ライジニア達から少し離れた場所にある、二人掛けのベンチ。使用人たちも気を利かせてくれたのか、そこには自分達以外は誰もいない。また死角になっているためか、少ししか離れていないにも関わらず、そこからライジニア達の姿は確認出来ない上に、彼らの声も聞こえない。
 つまり密室ではないにしても、ここは完全に二人っきりの空間というわけである。
「怪我の具合は如何ですか?」
 その誰もいない二人だけのベンチに座り、ロジィはウィードの怪我の具合いを尋ねる。
 すると彼は『リリィ』にしか見せない柔らかい笑みを、彼女へと向けた。
「ええ、問題ありません。姫があの時、私に癒しの術を掛けてくれたおかげです」
「え?」
 その言葉に、ロジィは小さく目を見開いた。
 王家に伝わる治癒能力。慌ててその力を使った時、ウィードには意識がなかった。そしてその後も、特に何も言って来なかったから気付いていないと高を括っていたのだが……。
 そうか、気付かれていたのか。
「き、気付いていたのですか……?」
 思わす声が上ずった。はっきりと覚えているわけではないが、あの時は自分も焦っていて、リリィではなくロジィとして素で取り乱してしまったのだ。
 それ故に、もしかしたらリリィらしからぬ態度や言動をしてしまったかもしれない。
 もしもそれが原因で、ウィードに何か勘付かれていたとしたらどうしよう。
 ヤバイ。これは非常にマズイ。
「もちろんです。ヒレスト国の王の血を継ぐ者が、代々受け継ぐという治癒能力。その話は他国の人間である私も存じております。そしてあなたは、私を助けるためにその大切な力を使ってくれた。それに気付かないわけがありません」
「そ、そうですか……」
 そこでロジィは嫌な予感を覚える。まさかウィードのヤツ、リリィに告白しに来たのだと見せ掛けて、この『リリィ』が何者かによる変装だと見抜き、直々にこの変装を破りに来たのではないだろうか。
(こ、この男ならやりかねない!)
 淡い恋心を抱き、遠くからその姿を眺めようとしていた自分に、不審者との疑いを掛け、剣を突き付けて来たくらいだ。思い立ったら何をするか分かったもんじゃない。今回だってこんな人気のない場所にわざと案内させ、誰も見ていない所で懐から拳銃を……。
「姫」
「ひぃっ!」
 と、そう考えていたその時、正にウィードがその懐に手を入れた。ヤバイ、彼は何かあれば本当に自分を撃ち殺す気だ。
「ま、待って! 待ってウィードっ、とにかく話を……」
 話をしよう。話せば分かる。
 しかし身の危険を感じたロジィが、観念してその正体を明かそうとした時だった。
「あの時は助けて頂き、本当にありがとうございました」
「え……?」
 懐から取り出されたそれが、そっとロジィの前に差し出される。
 そこにあったのは、凶悪な拳銃なんかではない。その色とは対称的な、白い花の髪飾りであった。
「これ、は……?」
「これは私からのほんの気持ちです。どうか受け取って頂けませんか?」
「え……?」
 予想していた物とは正反対な物を差し出され、思考が追い付かずについポカンとしてしまったロジィに微笑むと、ウィードはその髪飾りを、リリィに変装したロジィの赤い髪にそっと付けた。
「対称的なあなたの髪に映えると思ったんです。ああ、やっぱりよく似合う」
「っ!」
 そのまま優しく髪を撫でられ、ロジィの心拍数が一気に跳ね上がる。
 ああもう、どうしてリリィ姫に対しては、こんなにもスキンシップが過剰なのか。こんなにドキドキさせられたら、これ以上リリィ姫の演技など続けられるわけがない。
「そ、そんな、受け取れません! 助けられたのは私なのですから! それなのにこんな素敵な髪飾りまで受け取るわけには……っ!」
「いいえ、姫がああしてくださらなければ、私はこうしてここに立っている事は出来ませんでした。ですからどうかお礼をさせて頂きたいのです」
 恥ずかしさから視線を逸らしてしまったロジィの頬に、ウィードの右手が優しく触れる。
 それによって視線をウィードへと戻せば、優しく微笑む彼と目が合った。
「ありがとう、姫」
「……」
 ロジィには向けられる事のない、柔らかな微笑みと優しい言葉。それをこうも簡単に向けてもらえるリリィに、ロジィは胸が締め付けられるような嫉妬を覚える。そして王族によって剥奪された『王女』の地位を、初めて羨ましく思った。
(私も、お姫様だったら良かったのに)
 あの時その地位を奪われなければ、姉である自分は第一王女だ。次期女王の権限を持っていた。そしてそれがあれば、ウィードはリリィではなくて、自分の方にこの優しい笑みを向けてくれたかもしれないし、羨ましいくらいの優しさで自分を包み込み、何かあれば必死に守ろうとしてくれたかもしれない。
 彼が向けてくれる好意は、リリィではなくて自分のモノだったかもしれない。だけど……、
(私はお姫様なんかじゃない。ウィードにとっては何一つのメリットにもなれない、ただの一般人だ)
 もしもの話なんかしても意味はない。それは現実ではない、ただの夢物語だ。
 でもその夢物語でも、一時だけなら浸る事が出来る。今、この時だけは自分がリリィ姫だ。普段はウィードにとっては何のメリットもない自分でも、この時だけはリリィ姫になれる。この時だけはウィードは自分を見てくれる。
 ならばこの僅かな時間だけでも、一時の夢に溺れていたい。
「お礼を言うのは私の方です。ありがとう、ウィード。とても嬉しいです」
 ずっと大切にします。
 そう口にして素直に微笑めば、心なしか、ウィードの頬が赤く染まった気がした。
「そっか。喜んでもらえて嬉しいよ。あんたに合う色を考えながら選んで良かった」
「え、ウィード……?」
「好きだ、姫……」
「えっ、ちょっ、待……っ?」
 そっと近付いて来るウィードの唇に、ロジィの体に緊張が走る。
 慌てて距離を取ろうとしたものの、そっと肩を抱き寄せられてしまえば、ロジィにはもう逃げる事が出来なかった。
(っ!)
 優しく近付いて来るウィードの唇から逃げる場所を失ったロジィは、緊張にその体を強張らせながら、思わずギュッと目を閉じる。
 しかし、
「うわあああああっ!」
「何だ?」
 その時、向こうの方から聞こえて来た騒ぎ声に、ウィードはハッとして顔を上げた。
 それによってウィードからの口付けは回避出来たものの、ホッと胸を撫で下ろしている場合ではない。向こう、つまりロイやライジニア達のいるお茶会の席から、怒声や悲鳴、そして剣が交じり合う音が聞こえて来たからだ。
「賊か?」
 何者かが侵入し、国王を襲っていると、ウィードはそう考えたらしい。向こうを見つめる彼の瞳に、更に鋭さが増した。
(賊? この城に? いや、でも城よ? 警備はこの国で一番万全なハズ。その城に一体誰が侵入するっていうの? それから万が一城に賊が侵入したとして、その賊が狙っているのは一体誰? 国王? 姫? マシュール王国の王子? いや、もしかしたらクーデターかも……)
 しかしそのどれにしろ、こうなってしまえばもうリリィ姫に成り代わっている場合ではない。正体を明かした事により、ウィードが物凄く怪訝な目を向ける事は安易に想像が出来るが、だからといって自分の都合を優先させる程、ロジィも腐ってはいない。前回のように後悔する前に、さっさと正体を明かしてみんなの加勢に行こう。
「ウィー……」
 しかしそう考えたロジィが、ウィードの名を呼ぼうとした時であった。
「ウィード! 貴様、どういうつもりだ!」
「エレナ?」
 怒りを露わにしたエレナが、数人の兵士を連れてその場に飛び込んで来たのは。
「貴様の事は信用していたのに、まさか裏切ってくれるとはな! リリィ姫をどうした!」
「ええっ? エレナ?」
 剣を片手に飛び込んで来たエレナの怒声に、ロジィは混乱する。どうしたも何も、どうもされていませんが?
「ど、どうしたの、エレナ? 私はどうもされていないわ」
「え……? あれ、リリィ姫? え、いる?」
 ロジィが声を上げた事で、彼女の存在に気付いたのだろう。その姿に数回目を瞬かせたエレナは、不思議そうに首を傾げた。
「え、誤報?」
「何を言っているのですか、エレナ様! 誤報のわけがないでしょう。命じたのは国王陛下なんですよ。しっかりして下さい!」
「そ、それは分かっている! でもリリィ姫はご無事のようだし……」
「エレナ! これは一体何の騒ぎなの? 何が起きているのか、詳しく説明して!」
 おかしいな、おかしいなと頭を悩ませているエレナに、ロジィは状況の説明を求める。向こうで何が起き、そして何故ウィードにその怒りの矛先を向けようとしたのか、を。
「それが、陛下がおっしゃるには、リリィ姫が誘拐されたそうなんです」
「え、誘拐?」
 何だそれ? だって自分は今ここにいるじゃないか。
「マシュール王国の仕業ではないのかと、国王様からお三方を拘束するように命じられたのです。ですから私は、ウィード殿があなたを連れ去ったのではないかと思い、慌てて飛び込んで来たのですが……」
「連れ去るも何も、城の警備は厳重じゃない。それなのにあなたに気付かれないようにして、ウィードが私を連れ去るなんて不可能だわ」
「そう、ですよね……?」
 ロジィの指摘にそれもそうだとエレナが頷けば、これまで黙って話を聞いていたウィードが、主君であるライジニアの身を案じて口を開いた。
「エレナ殿、それで今ライジニア王子は?」
「シンガ殿とともに応戦しておりましたが、何せ多勢に無勢。今頃は我が国の兵士達に捕えられているかと」
「な……っ!」
「エレナ! すぐにお二人を解放しなさい!」
「しかしリリィ姫、これはロイ国王様のご命令で……」
「なら私がお父様を説得するわ。私が攫われたというのは誤報なんだから。それなのにこれ以上お二人の自由を奪う行為は無礼以外の何ものでもない。エレナ、お父様は今どこ? 案内しなさい!」
「はっ」
 そう強めの口調で命じれば、エレナや他の兵士達が大人しく頭を下げる。
 ただでさえ、相手は関係が悪化しそうなマシュール王国の王子なのだ。それなのにリリィが誘拐されたなんて誤報で、その王子殿下を捕えるとは何たる無礼か。いくら温厚なライジニアとはいえ、謝ったところで許してくれるかどうかだ。まったく、一体どこからそんな誤報を掴んで来たのか。
「何をしているエレナ。その者を捕えろと命じたハズだろう」
「ロイ国王陛下!」
 しかしその時、ジークやその部下を引き連れたロイがその場に現れた。
 まさかの国王の登場に、エレナや他の兵士達も跪くが、ロジィは構わず、怒りの眼差しをロイへと向けた。
「お父様、これは一体どういう事ですか! 今すぐお二人を解放して下さい!」
「いつからだ?」
「は?」
「いつから気付いていた?」
「?」
 怒気を含むロイの低い声に、ロジィは首を傾げる。
 しかし、彼が問うているのはロジィではない。ロイの怒りのその眼差しは、真っ直ぐにウィードへと向けられていた。
「そこにいる『リリィ』の正体。貴様は知っているのだろう?」
「え……?」
 知っている? 私の正体を?
 ロイのまさかのその発言に、ロジィはおそるおそる視線をウィードへと向ける。
 先程までの微笑みはどこへやら。自分を見下ろすウィードは、いつもの冷たい眼差しをロジィへと向けていた。
「もう少し夢に浸っていたかったのですが。でも仕方ありませんね」
 ポツリとそう呟くと、ウィードはその冷たい瞳をロイへと向けた。
「彼女の名はロジィ。あなたの娘です」
「な……っ!」
 その言葉に、エレナやジークを始めとする兵士達が騒ぎ出す。
 国王と一般人の間に子供がいる事を知っている者は驚愕の声を上げ、知らない者は何の話だと首を捻る。
 そしてロジィもまた、その驚愕の目をウィードへと向けた。
「ちょ、ちょっとウィード! 知ってたの?」
「は? 当たり前だろ。むしろ気付かれていないとでも思っていたのか?」
「ぐ……っ!」
 呆れた眼差しを向けられ、ロジィは言葉を詰まらせる。いつからだ? いつバレた? やっぱりあの馬車から飛び降りて、取り乱した姿を見せてしまったあの時か?
「やはり知っていたか。ロジィ、お前の事を疑いたくはないが、お前がその者に正体を話したわけではあるまいな?」
「そ、そんな事しません! 私が話すわけないでしょう!」
「そうか。ならば裏切ったのは誰だ? デニスか? サーシスか? それともお前のギルド、ゴンゴの組織ぐるみでの裏切りか?」
「はあ?」
 裏切った? デニス達が? 一体何を言っている?
「ロジィがリリィの身代わりをしている事を知っているのは、私とゴンゴの者達だけ。そして我がヒレスト国に不穏な影を見せるマシュール王国の王子達と友好的に接していたのも、お前達ゴンゴの者だけだ。ならばお前達の誰かがマシュール王国に情報を売り、本物のリリィを誘拐する事も可能だろう」
「おっしゃっている意味がよく分かりません」
「ならば分かりやすく言ってやろう。本物のリリィと町にいたデニスとサーシスが、とある者達に襲われた」
「は……?」
 襲、われた……?
「デニスとサーシスは応戦したらしいが、力及ばず敵に倒されてしまった。二人には拳銃で撃たれた跡があり、重体で意識はない。病院に運び込まれたが、油断は許されない状況だ。回復する可能性もあるが、このまま死ぬ可能性も少なくはない」
「どういう、事……?」
 淡々と告げられていくその話に、ロジィは動揺に瞳を揺らがせる。
 デニスとサーシスが拳銃で撃たれて死ぬかもしれない? 何で? 頭が追い付かない。
「お前には話していなかったが、お前がリリィとしてこのお茶会に参加している間、本物のリリィは城の外に出していたのだ。この城にいる本物のリリィを、万が一誰かに見られるわけにはいかなかったからな。だからお前がお茶会に参加している間、リリィの護衛をゴンゴの者達に頼んでいたのだ。そしてその情報を、ライジニア王子達マシュール王国の者は掴んでいたのだろう。街にいた三人に突然男達が襲い掛かり、リリィを守ろうとする二人を容赦なく斬り付け、最後は拳銃で止めを刺し、そしてリリィを連れ去ったそうだ」
「そんな、嘘……」
「ラッセルが血相を変えて持って来た情報だ。間違いはない」
「っ!」
 目に浮かぶのは、笑顔で送り出してくれた二人の姿。ここに自分を送った後、そのままリリィを連れて帰った事は知らなかったが、それでも数時間前までは元気だった、普段通りだった。笑顔で手を振ってくれた二人の姿が忘れられない。
 それなのに今は、大怪我を負って生死の世界を彷徨っている? そんな、嘘だろ?
 赤い池に倒れている二人の姿。それを想像した瞬間、ロジィは気が付けば、乱暴にウィードの胸倉を掴んでいた。
「ウィード、どういう事っ? 何でデニスとサーシスを斬ったの? 最初からリリィ姫を奪う事が目的で、私達に近付いたわけ? 『リリィ姫』に優しくしてくれたのも、私達の油断を誘うためだったのね!」
 友人に危害を加えられたロジィの、憎しみの視線がウィードを貫く。
 しかしそんな彼女の手をそっと外すと、ウィードはロイに真っ直ぐに向き直った。
「お言葉ですが、ロイ国王陛下。私達マシュール王国の者は無実です」
「何?」
「確かに我々は、ロジィがリリィ姫に成りすましている事に気が付いていました。彼女が王家から追放されたあなたの子である事も、独自の調査によって最近知りました。でもそれだけです。リリィ姫にもこの国にも、危害を加えるような事は一切しておりません。ロジィの秘密を知った我々がリリィ姫を襲ったとお考えのようですが、それは事実ではありません。むしろそれだけの情報で我々を犯人だと決め付けるのは、些か浅はかなお考えではないでしょうか」
「フン、若造が。言ってくれるな」
 はっきりと自身の意見を述べるウィードの言葉を跳ね除けると、ロイはギロリと鋭くウィードを睨み付けた。
「ならば教えてやろう。リリィ達が襲撃を受けたのは、真っ昼間で人の多い繁華街だ。そこでリリィ達は襲われた。大人数で襲い掛かり、女の子を誘拐し、それを阻止しようとした二人の男子に幾度となく斬り掛かり、最後には二人を拳銃で撃ち抜いたそうだ」
「それが何故、我々を疑う理由になるのですか?」
「分からぬか? 人が多いためにその目撃者は沢山いるのだよ。リリィ達を襲ったその集団は、皆マシュール王国の軍服を着ていたとな」
「っ!」
 その証言にウィードは驚愕に目を見開くが、ロイは構わず言葉を続けた。
「お前が全てを知った上で嘘を吐いているのか、それともお前の知らないところで起こっている事件なのかは、こちらとしてもまだ判断が出来ていない。だから話はこれからたっぷりと聞かせてもらうぞ。城の地下にある独房でな」
「ち……っ!」
 目撃情報という証拠を突き付けられ、ウィードを捕えるように命じるロイに、彼は悔しそうに唇を噛み締める。
 しかし兵士達がウィードに飛び掛かる前に、今度はロジィが悲鳴にも近い声を上げた。
「国王陛下! デニスとサーシスは無事なんですか?」
「言ったハズだ。生きるか死ぬかは分からないとな」
「それなら、私を彼らの下に連れて行って下さい! 私の力を使えば、二人は助かるハズです!」
 ロジィが受け継ぐ、王家の治癒能力。生きていさえすれば、この力は使えるのだ。瀕死の状態である彼らにも、この力を使えばすぐに傷を治してやる事が出来る。そうすれば二人はすぐに目を覚ます。また普段通りの彼らと話をする事が出来る。
 しかしその力を使って二人を助けたいと願うロジィに、兵士達や集まって来ていた参加者達から次々と反対の声が上がる。王家と民間人の混ざり者が、その力を持つだけでも許し難いというのに。それなのにその力を、一般人なんかを助ける事に使うなんて、と。
「ダメだ、ロジィ。それは私が許さない」
「何故ですか! あなたも一般人なんかに使う力ではないと言うのですか! でもそんな事は関係ない。相手が誰だろうと、私が何者だろうと、この力は私のモノだもの。自分の力をどう使おうが私の勝手だわ!」
 反抗的な態度を取るロジィに、周囲の視線が厳しくなる。
 しかしそんなロジィに対して、ロイはそういうわけじゃないと首を横に振った。
「一般人だから使うななどと言っているわけではない。彼らは一般人や貴族などという前に、罪人である可能性が高い。そんなヤツらに王家の力を使わせるわけにはいかないと言っているんだ」
「罪人……? 何それ、どういう事……?」
 まさかの国王の言葉に、ロジィの瞳が動揺に揺れる。
 カラカラになった喉を潤すべくゴクリと唾を飲み込めば、ロイはこれまた冷酷な言葉を返した。
「彼らが我が国を裏切り、マシュール王国に情報を与えていたのではないかと言っているのだ」
「な……何を言っているの? こっちは危害を加えられたのよ? 裏切っているわけがないじゃない!」
「お前達が我が国を裏切り、マシュール王国と手を組んでいた。しかし今度は逆にマシュール王国に裏切られ、証拠隠滅のために撃ち抜かれたという可能性がないわけじゃない。しかも負傷したのはリーダーであるデニスだ。彼だけが内密にマシュール王国と手を組んでいたという可能性も大いにある。故にその可能性が否定出来ない限り、お前にその力を使わせるわけにはいかない。病院の治療で回復出来ないのであれば、その時は諦めるしかない」
「そんな……っ!」
 そんな事、絶対に、絶対にないのにっ!
 しかしそうは思っても、それを証明する手立てがなければ、ここにいる沢山の兵士達を薙ぎ倒して、デニス達の所に駆け付ける力もない。つまり今のロジィには、この状況を打破する術が何もないという事だ。
 こんなところで痛感させられる自身の無力。それにロジィは、悔しそうに拳を握り締める。
 それにより諦めたと思ったのだろう。ロジィが押し黙ったところで、ロイは再度エレナに命令を下した。
「エレナ、ウィードを捕えろ。それからロジィ、お前にはこのままリリィのふりを続けてもらう。一国の姫が誘拐されたとの噂が広まれば大騒ぎになるからな。お前は問題が解決するまで影武者として、国に混乱が起きないように努めなさい」
「……」
「二人とも無駄な抵抗はするなよ。王子もデニス達も我が手中にある。抵抗すれば彼らの身の安全は保障出来ない」
「……やり方が汚いわ」
「すまないな、ロジィ。リリィは私の可愛い愛娘。その娘が危険に晒されているのなら、私は鬼にだって悪魔にだってなれるよ」
「……」
 ここから逃げる事も、無実を証明する事も出来ない上に、人質まで取られてしまっては八方塞がりだ。大人しく言う事を聞く以外に方法はない。仕方がない。ここは大人しくロイの命令に従おう。
 しかしロジィが、そうやって諦めようとした時だった。
「そうですか」
「きゃあっ!」
 突然、両腕を背中に捻り上げられる事によって、ウィードに拘束される。腕に走る痛みに、ロジィは表情を歪めた。
「痛いっ! 何するのよ、ウィー……」
「動くな」
「うっ!」
 低い声とともに、首筋に冷たい刃を押し当てられる。そうなればロジィには、大人しくウィードの言う事を聞くしか出来なかった。
「迂闊でしたね、国王陛下。オレを大人しく従わせたければ、まずはロジィをオレから引き離すべきでした」
「ロジィを人質に取ったつもりか? 無駄だな、彼女は王家から追放されたただの一般人。王族の手によって、戸籍上、私と彼女には何の繋がりもない事になっている。彼女はお姫様でも何でもないんだ。人質としての価値はない。殺したければ殺せばいい」
「分かりました。ならば彼らが私に襲い掛かった瞬間に、彼女をこの場で斬り殺します」
「う……っ」
 首筋に走るピリリとした痛みに、ロジィは小さく呻き声を上げる。
 このままではマズイ。ウィードは自分を斬り殺すつもりだし、ロイは自分を見捨てる気でいる。その上、この場には自分を助けようなんて思ってくれている人は誰もいない。このままでは自分は確実に殺されてしまう。
 誰も、自分を助けてくれなんかしない。
(そうだ、私が困っていたって、誰も助けてなんかくれないんだ。私は『ロジィ』、『リリィ』じゃない。私を助けられるのは私だけ。だから私はいつものようにして、自分の力でこの場から逃げなくちゃいけないんだ!)
 幸い、口は塞がれていない。これなら素早く呪文を唱え、魔法を発動させてウィードの手から逃れる事が出来るかもしれない。
(それと同時に、この喉を斬り裂かれる可能性もあるけれど。でもこのままだったら確実に殺されるんだ。だったら魔法の可能性に賭けるしかない!)
 一か八かの可能性に賭ける方に決意を固め、ロジィは小さく口を開く。
 しかし、
「ロジィ」
「っ!」
 ウィードに小さく名前を呼ばれ、ロジィは緊張に身を震わせる。
 しまった、魔法を唱えようとしていたのがバレてしまったのかもしれない。
 押し当てられた剣を使って、無理矢理顔を上へと向けさせられる。
 耳元にウィードの唇が押し当てられれば、ロジィは押し寄せる恐怖に耐えるべく、ギュッと固く目を閉じた。
「オレを信じてくれ」
「え……?」
 耳元で囁かれたその言葉に、ロジィは驚いて目を見開く。
 辛そうに懇願する群青の瞳が、ロジィの黒い瞳を真っ直ぐに射抜いた。
「必ずオレが何とかする。だからオレに合わせてくれ」
「……」
 ウィードが何を企んでいるのかも分からないし、今の言葉が嘘である可能性も大いにある。
 しかし何故だろうか。ウィードの今の言葉が、ストンと心に落ちて来たのは。
「ロイ国王陛下。最後にもう一度だけ警告します。この中の誰か一人でも私に襲い掛かった瞬間、私はロジィを殺します。いいんですね?」
 最後の警告を促すウィードに合わせて、ロジィは再び固く目を閉じる。
 どれくらいそうしていただろうか。程なくして、ロイの諦めたような溜め息が聞こえて来た。
「用件は何だ?」
(え……?)
 構わず斬り捨てられるかと思ったのに。
 ロイの予想外の言葉にロジィが驚いて目を見開けば、ウィードが小さく笑う事が聞こえた。
「私をここから逃がして頂きたい。もちろん、ロジィも人質として連れて行きます」
「主君の解放よりも、お前自身の逃亡を望むのか?」
「そうです。ただ忘れないで頂きたいのは、こちらにはロジィがいるという事です。もしもそちらがライジニア王子に危害を加えたという情報があれば、彼女の安全は保障しません」
「いいだろう」
「国王陛下っ!」
 ウィードの望みをあっさりと受けてしまったロイに、ジークが異論を唱えようとするが、そんな部下には構わずに、ロイは怒りの籠った目で鋭くウィードを睨み付けた。
「その代わりロジィには手を出すな。お前が彼女に何かしたら、その瞬間に王子達の命はないと思え」
「心得ました」
「逃げるのなら、そっちの非常口から逃げろ。『リリィ』が誘拐されて行くのを、他の者に見せるわけにはいかない」
「承知致しました。では、失礼します」
 ロジィを連れてその場から立ち去って行くウィードを、ロイは悔しそうに見送る。
 バタンとその扉が閉められれば、ジークが堪らず反論の声を上げた。
「ロイ様、何故逃がしたのですか! 相手はリリィ姫誘拐の犯人です。何が何でもひっ捕らえるべきだったでしょうに!」
「……」
「さすがに一般人の命くらい見捨ててくれとは言いたくはない。しかし、今回はリリィ姫の命が懸かっていた。次期女王陛下である姫と、ただの一般人である彼女のどちらの命が重いかくらい、誰にだって分かる事です。彼女には申し訳ないが、あなたはリリィ姫、そして国のためにも彼女の命を斬り捨てるべきでした!」
「そうだな、お前の言う通りだよ、ジーク」
 国に仕える兵士として、そしてその長としての正論を述べるジークに、ロイは一度肯定の意を表す。
 しかしそれでもと、ロイは申し訳なさそうな目をジークへと向けた。
「お前も聞いていただろう? あの子は私にとっては大切な娘なのだ。例え戸籍上の血縁関係などなくとも、それは変わらない。私はリリィと同じくらいに、ロジィの事も大切に思っている。私とて、国王である前に父親なのだ。あの場で娘を斬り捨てる事は、申し訳ないが私には出来ない」
「ロイ様……」
「すまない、ジーク。お前にも、他のみんなにも迷惑を掛けるな」
 そう頭を下げてから。しかしそれでもと気持ちを切り替えると、ロイはジークを始めとする他の者達に命令を下した。
「だが、一度逃がしてはやったものの、この国から出すつもりはない。お前達、ウィードを始めとするマシュール王国の侵入者を全員捕えろ。それが例え死体であっても構わない。ただしロジィには危害を加えるな。他の者達も、本物のリリィが誘拐されたという事は口外しないように。破った者にはそれなりの罰を与える。以上だ!」
 その命令に敬礼で応えると、兵士達は慌ただしくその場から散って行き、パーティの参加者達もヒソヒソと話をしながら立ち去って行く。
 そんな彼らを見送ってから、ロイは不意に空を見上げた。
(マシュール王国との同盟も、これで遂に終わり、か……)
 あちらが先に手を出したとはいえ、こちらもその王子に手を上げてしまった。もともと危うかったマシュール王国との同盟関係だが、この一件でその同盟は遂に終わりを迎えるだろう。
(私は父親だけでなく、国王としても失格だな)
 間もなく始まるだろうその戦い。この国の平和を壊すその争いに、ロイは悲しげに瞳を閉じた。

しおり