第五話 斬り裂かれた初恋
国民スポーツ広場。それはこの辺りでは一番大きく、誰でも使用出来る、国の経営する運動場だ。サッカー場やテニスコート、陸上競技用のグラウンドなどの屋外スポーツはもちろんの事、プールやトレーニングジム、体育館など屋内で楽しめる運動設備も整っている。一日いても飽きる事のない、かなり広い運動場となっているため、国民からは「スポーツテーマパーク」の愛称で親しまれている。
老若男女、沢山の人で賑わっているその運動場に着いたロジィは、早速自分の犯した失態に落ち込んでいた。
「しまった、広い……」
そう、この運動場、様々なスポーツを楽しむ事が出来るように造られているため、その広さはテーマパーク並みにかなり広い。一日中運動をして楽しみたい人には最適だが、この中から特定の人物を捜し出すのはかなり難しい。
この運動場にいるらしいシンガ。見付ける事は出来るだろうか。
(ううっ、どのエリアにいるのかも聞いてくればよかった……)
国民スポーツ広場が広大な敷地を持っている事は知っていたハズなのに。それなのにその広大な敷地が持つ意味に全く気付けなかったとは……。くそっ、何たる失態っ!
(いや、でも捜そう! 捜せば運良く見付ける事が出来るかもしれないし!)
そうだ、シンガがここにいる事は確か(多分)なのだ。ならばここでウダウダ悩んでいる暇はない。時間は無限にあるわけではないのだ。頑張って捜せば見付けられるかもしれないし、運が良ければ運動をしているカッコイイシンガの姿が見られるかもしれない。
(シンガ君、どこにいるんだろう?)
気合いを入れ直したロジィは、それぞれの運動場を一つずつ確認して行く。
屋外にあるグラウンドやテニスコート、屋内にあるトレーニングジムや体育館にプール……違う、ここにはいない。一体どこにいるのだろうか。
「ダメだ、見付からない」
他にも様々な場所を捜し回ってみたが、シンガの姿は見付からない。
これでだいたいの場所は捜したつもりだが、運動場が広過ぎて、まだ行っていない場所があるのかどうかもよく分からないし、シンガが場所を変えてスポーツを楽しんでいる可能性だってある。
落ち着いてよくよく考えてみれば、一人でシンガを見つけ出すのはかなり無茶な話だったようだ。
(もうっ、体を動かすのが好きなら、ずっとグラウンドで走っていればいいのに!)
夕方の閉場時間が迫り、誰もいなくなったグラウンド。そこに併設されたベンチに腰を下ろし、ロジィは溜め息を吐く。とても広い運動場を歩き回って疲れた。足もパンパンだ。今日はもう諦めて帰ろうか。
「というか、そもそも本当にここにいたんだろうか?」
これだけ捜しても見付からないその理由。それは自分の運や捜し方が悪かったのか、それともデニスのくれた情報自体が間違っていたのか。後者であったのなら無駄骨だ。帰ったらデニスに文句を言ってやる。
期待感が大きければ大きい程、それを裏切られた時のショックも大きい。
しかし、ロジィがそのショックに肩を落とした時だった。
「誰を捜している?」
「え?」
頭上から降って来たその声に、ロジィはハッとして顔を上げる。
自分を見下ろしている冷たい群青色の瞳。サラリと影を落とす青色の短い髪。そして怒りの表情を浮かべたその整った顔立ち。
着ている物は軍服ではなく、白と黒のラフなジャージではあるが間違いない。
今目の前にいる彼こそが、ロジィの一目惚れしてしまった相手、シンガではないか。
「あ、あの、えっと……」
突然の想い人の登場に胸が熱くなり、頭が真っ白になる。
しかし突然の事に驚き口籠るロジィを冷たく見下ろすと、シンガは驚く程低い声で更に言葉を続けた。
「もう一度聞こう。貴様、さっきから一体誰を捜していた?」
「え……?」
そこでロジィはふと気付く。シンガが向けているのは、あの時のような優しい瞳ではない。それとは正反対の冷たい瞳、そして明らかな嫌悪であるという事に。
(お、怒っている?)
そういえばサーシスに、その行為はストーカー行為であると非難されていた。
しかしそんな彼の忠告を、ロジィは気にも止めなかった。
話し掛ける気もなければ、邪魔するつもりもない。ただ遠くから眺めていたいだけ。それくらいなら許してくれるだろうと、勝手に思い込んでいたからだ。
しかし、
(やっぱり、嫌だったのかな)
自分は彼の事を知っていたとしても、彼は自分の事を知らない。見知らぬ人物に周りをウロチョロされるのは、やっぱり気分のいいものではないのだろう。だからその不快な思いを伝えるために、彼はこうして直接文句を言いに来たのかもしれない。
それなら謝らなければならないと、そう思ったロジィは勢いよくベンチから立ち上がり、怒りの眼差しを向けるシンガへと真っ直ぐに向き直った。
「あのっ、ごめんなさ……」
しかし心からの謝罪とともに、ロジィが頭を下げようとした時だった。
「い……っ!」
ピリリと、頬に鋭い痛みが走った。
驚いて見れば、そこには剣の切っ先をこちらに向けているシンガの姿。
そして彼の握るその刃には、赤い鮮血が滲んでいた。
「謝れば済むとでも思ったのか? 随分と楽天的な頭だな」
「……」
「ウロチョロと目障りだ。消えろ」
(ああ、そっか)
あの時、自分を守るために握られていたその刃。それを今度は自分へと向けられ、すうっと心が冷えて行くのを感じる。
そしてこれまで幸せな夢を見ていた自分自身に、ロジィはフッと嘲笑を浮かべた。
(私は、お姫様じゃないんだった)
サーシスが忠告してくれたその言葉を思い出す。
シンガはロジィをリリィ姫だと思っていたからこそ、ああやってロジィに優しく接し、悪いヤツらから必死に守ってくれたのだ。
しかし、今こうして彼の前にいるのは『ロジィ』であり、『リリィ』ではない。ただの一般人に好かれたところで、彼にとってはただ迷惑なだけなのだろう。ロジィに優しくしてやったって、彼に良い事なんか一つもないのだから。
だから嫌悪感を全面に出して、ロジィを追い払おうとするシンガの行為には何の問題もない。ちょっと優しくされたくらいで、イイ気になっていたロジィが百パーセント悪い。
(でも……)
しかしそれでもと、ロジィは思う。
確かにシンガにとって、ロジィの好意は迷惑なモノだったのだろう。しかし彼女の胸に芽生えたこの『好き』という感情だって本物だったのだ。
本物だったからこそ、彼女はもう一度彼に会いたくてここに来た。一目彼の事が見たくて、一生懸命運動場を捜し回った。けれども彼を見付ける事は出来なくて、疲れて、諦めようとして……。
「おい、聞いているのか? 貴様は何……」
それなのに最後に待っていたのはこの仕打ち。いくら何でもこれは、
「あんまりだっ!」
「うぐっ!」
悔しい、悲しい、腹立たしい。
それらの感情を拳に乗せて、シンガの鳩尾に思いっ切り叩き付けてやる。
するとシンガは呻き声を上げ、思わずその場に蹲ってしまった。ざまあみろ。
「この、顔だけ男! お前なんか大っ嫌いだっ!」
確かに悪いのは全部自分だ。でもだからって、剣を突き付けてまで追い払おうとするのはやり過ぎだ。酷い、酷すぎる。これでも本当にシンガの事が好きだったのに。少しくらい、こっちの気持ちを考えた断り方をしてくれたっていいじゃないか!
(さようなら! 私の初恋ッ!)
熱い胸のときめきに代わって、込み上げてきたのは冷たい涙。
その涙と思いをその場に残して。ロジィは勢いよくその場から走り去って行った。