バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

第四話 彼は誰?



 マシュール王国による『リリィ姫(?)誘拐事件』から数日が経った。
 マシュール王国が起こした事件により、もしかしたらマシュール王国との同盟関係に亀裂が入ってしまうのではないかと懸念していたが、その事件はマシュール王国の王子によって鎮圧され、攫われた姫(偽物だが)も無事に帰還した。
 そして王子自ら謝罪した事と、ロイ国王も事件を大事にはしたくなかった事から、事件は特に大事にはならず、ヒレスト国には以前と変わりのない、平和な時間が流れていた。
「アーリア国は一夫多妻制でな。その第三王子は、元は一般市民だったお妃様との間に出来た子だったんだ。お前も知っての通り、ヒレスト国のお偉いさん方は、王家に一般人の血が混じる事を嫌うだろう? だからお偉いさん方の方で、リリィ姫と第三王子の婚約の話を白紙に戻したらしいんだ。もちろんアーリア国には本音は言わず、穏便に断ったみたいだけどな」
「ふーん……」
「ふーん、じゃない。何なんだ、その態度は。お前がリリィ姫の婚約を気にしていたから、オレが直々に説明してやっているんじゃないか。ありがたく、ちゃんと聞いておけ」
「無理。私今、絶賛恋煩い中」
「は……?」
 ロジィが囮となる事で、無事に開催されたアーリア国での舞踏会。しかしそこで婚約をするハズだったリリィと王子だが、それは残念ながら上手くいかなかったらしい……という話をサーシスが詳しく教えているのだが、ロジィは完全に上の空。サーシスがその話をしている間も、ロジィは椅子に腰を下ろし、机に頬杖を突きながらボンヤリと虚空を眺めていた。
「はあ……」
 まるで心を奪われたようにして、ロジィはほおっと溜め息を吐く。
 今、ロジィの頭の中にいるのは、あの時自分を助けに来てくれた軍服の青年の事ばかりであった。
 自分を女の子扱いしてくれる男の子を、以前から夢見ていたロジィ。そしてその夢を叶えてくれた、ようやく現れた白馬の王子様。
 リリィ姫だと思って向けてくれた、あの真剣な眼差し。
 リリィ姫だと思って優しく触れてくれた、あの大きな手。
 リリィ姫だと思って守ってくれた、あの逞しい背中。
 そしてリリィ姫を助けるために振るってくれた、あの流れるような剣捌き。
 ああ、その全てが頭から離れない。
「いや、ちょっと待て。それは全部、お前がリリィ姫だと思っていたからこその行動なんじゃないのか?」
「あんなにカッコ良くって優しい人、初めて見た……」
「おい、ふざけるな。オレが誰よりもカッコイイし、お前の正体を黙っているオレが、一番優しいじゃないか」
「でもあんな風に守ってくれた事なんてないじゃない」
「はあ? 秘密を守ってやっているじゃないか」
「そういうんじゃなくってぇ……」
 思い出されるのは整った彼の顔立ちと、優しく見つめられた群青の瞳。サラリと揺れる青い髪に、彼が動く度に背後で舞っていた(ように見えた)キラキラの光。
 ああ、もう一度彼に会いたい。
「マシュール王国に行けば会えるんじゃないのか?」
「パスポートの取得って、いくらするんだろう?」
「行くつもりなのか?」
 他の男には沸かない感情。その人の事を考えるだけで、胸がキュンとして苦しくなる。ああ、これが恋か。
「あのな、ロジィ……」
 そんなボンヤリロジィに溜め息を吐いてから。サーシスはロジィを真っ直ぐに見つめ直し、言い聞かせるようにして言葉を続けた。
「その男がお前に見せた優しさは、全てリリィ姫に向けたモノだ。お前に向けたモノじゃない。早い話が、お前は相手の事を知っていても、相手はお前の事なんか知らないんだ。それなのに会いに行ってどうする? まさか会って話をすれば、簡単にお近付きになれるとでも思っているのか?」
「ううん。隠れて遠くからただ見つめる」
「止めろ。世間ではそういうのをストーカーというんだ」
 まさか女が男に付き纏うのは、罪に問われないとでも思っているのだろうか。だとしたら考えを改めて頂きたい。
「ロジィ、悪い事は言わない。会いに行くのは止めておけ」
「何でよ?」
「その男が、お前とリリィ姫に見せる顔は絶対に違う。『ロジィ』として実際に会い、冷たくあしらわれたらショックだろう? そうやって夢を壊されるよりも、素敵な白馬の王子様として、お前の中で大切に仕舞っておいた方がいい」
「何よ、会う前から止めろ、諦めろって! そんなの実際に会ってみなくっちゃ分からないじゃない!」
 否定的でネガティブな発言ばかりするサーシスに痺れを切らし、ロジィは勢いよく椅子から立ち上がる。
 そして彼女は怒ったまま、荒々しくその部屋から出て行ってしまった。
「おい、ロジィ、ちょっと待て」
 しかしそんな彼女を追い掛けようとしたサーシスであったが、扉の向こうに出ようとしたその瞬間、彼は何故か勢いよく戻って来たロジィの手で、部屋の中へと押し戻されてしまった。
「うわっ!」
 突然突き飛ばされ、サーシスは部屋の中で尻餅を着く。一体何なんだ。怒って飛び出して行ったかと思えば、今度は何を慌てて戻って来たんだ。
 飛び込むようにして戻って来たかと思えば、そのままサーシスを突き飛ばし、乱暴に扉を閉めたロジィ。そんな彼女に対して、サーシスはさすがに怒りの声を荒げた。
「ロジィ! お前、一体何して……」
「しっ! 静かに!」
「は?」
 扉をしっかりと閉めながらも、その向こうの様子を窺うロジィに、サーシスは眉を顰める。本当に一体何がしたいんだ、お前は。
「彼がいた」
「は?」
「白馬の王子様よ。今、この向こうを歩いていたの!」
「遂に頭が沸いて、幻覚でも見たか」
「んなわけあるか!」
「うぐっ!」
 そう言うや否や、物凄い右ストレートパンチがサーシスの鳩尾にぶち込まれた。くそっ、何も殴る事ないじゃないか。
「だったら会って来いよ。会いたかったんだろう?」
「そんな! 心の準備もなしに会いに行ったら、恥ずかしさのあまり死んでしまう!」
「人間、そんなにモロくねぇよ」
 恥ずかしさでポンポン死んでいたら、この世には面の皮が厚いおばちゃんしか生きていない。
「でも、何でこんなしょぼい民間ギルドに彼がいるの?」
「ライジニア王子がお忍びでこの国に来ているからな。その付き添いだろう」
「えっ、ライジニア王子、今この国にいるの? 何それ、私聞いていない!」
「当然だろう。お前には言っていないからな」
「何で言ってくれないのよっ!」
「止めろ! 苦しい! 放せっ!」
 言う必要がなかった、だから言わなかっただけだ。
 サーシスの首を絞め上げる事によってその理由を聞き出すと、ロジィはサーシスを放してから、再び扉の向こうの様子を窺った。
「でも、ライジニア王子がこの国に来ているとしても、何でそのお付きの方がこのギルドにいるの?」
 そう疑問に思いながら、ロジィはそっと扉を開ける。
 その向こうに、彼の姿はもう見えない。
 どうやらもうこの近くにはいないようだ。
「えーと、ここをこう通ったって事は、彼はあっちから来たって事よね?」
 彼がどこから来たのか。ロジィは指を差しながらその方向を確認する。
 するとその向こうに、湯呑をお盆に乗せて歩いているシフォンの姿が見えた。なるほど、彼はあの部屋から出て来たのか。
「あれ、ロジィちゃんにサーシス君? どうしたの?」
 あの部屋こと、応接室の扉を開ければ、そこにあったのはゴンゴのリーダーであるデニスの姿。そうか、ここで彼との密会を楽しんでいたのはデニスだったのか。
「デニス! どうして彼がこんな所にいるの?」
「彼? 何の話?」
「だから! さっきこの部屋から出て行った……っ!」
「ああ、マシュール王国の……」
「そう! マシュール王国の王子のお付きの人! どうしてデニスと密会していたの? 仲良しなの?」
「まあ、悪くはないと思うけど」
「狡い! デニスばっかり狡い! 私も仲良くなりたい!」
「何なんだい、さっきから。ロジィちゃんは王子様に興味でもあるの?」
「違うよ! 私が興味あるのは王子様じゃなくって、お付きの人なの!」
「お付きの人?」
「絶賛恋煩い中らしいぞ」
「恋煩い? ああ、そういう事か」
 サーシスの助言に、デニスはようやくロジィの言わんとしている事に気が付く。なるほど、そういうお年頃か。
「別に仲良くお茶していたわけじゃないよ。近況報告だよ」
「近況報告?」
 コテンと首を傾げるロジィに、デニスは「そうだよ」と頷いてから話を続けた。
「キミがリリィ姫に変装し、マシュール王国に誘拐されたあの事件。あれは、治癒能力を受け継ぐリリィ姫を手に入れようと企んだ、マシュール王国の国王、モンクシュッド国王が起こしたものだったんだ。そしてモンクシュッド国王はそれを期に、我が国との同盟を破棄し、この国に攻め込もうとしていた。でもそれは失敗。何故なら彼の息子であるライジニア王子が、部下を引き連れて乱入し、キミを助けてしまったからだ。何故王子がそんな事をしたのかは、この前話したよね?」
「ライジニア王子はモンクシュッド国王のやり方に反対しているから、だよね?」
 何故、あの時自分を迎えに来たのがラッセルではなくて、マシュール王国の者だったのか。
 以前聞いたその理由を思い出しながらロジィがそう答えれば、デニスはその通りだと首を縦に振った。
「計画通りにキミが連れ去られたわけだけど、キミは連れ去られる前のルミナス森林で、発信機付きのペンダントを落としてしまった。それに気付いて焦るラッセル君達の前に現れたのが、部下を率いてやって来たライジニア王子だったんだ」
「ライジニア王子はモンクシュッド国王と違って温厚派であり、この国との同盟も重要であると考えている方だ。だから彼は、このヒレスト国とはこのまま同盟関係でありたかった。でもそのためにはモンクシュッド国王の企む、リリィ姫誘拐計画を阻止する必要があったんだ」
 ライジニア王子は、事前に国王が用意したマシュール王国軍のアジトを突き止めていた。そしてそこに向う道中、彼は途方に暮れているラッセル達に会い、彼らからリリィ姫誘拐の事実(誘拐された姫が偽物である事は伝えていない)を聞いた。そしてその後、自分達に任せるようにラッセル達に言い聞かせ、急いでリリィ(ロジィ)を救出、及びアジトを制圧する事で、事なきを得たのであるが。
 しかしその誘拐事件と、この密会の件。一体どういう繋がりがあるのだろうか。
「気に入らないからと言って、国王様の計画を勝手に阻止しちゃった王子様。これにより二人は大喧嘩。結果、王子は二人の付き人を連れて、このヒレスト国に家出して来ちゃったんだ」
「それは、家出と呼べるレベルなの?」
 国を渡っての王子の家出。それはもう家出ではなく、事件と呼ぶのではないだろうか。
「あの誘拐事件で、このギルドは王子様達との関わりが出来ちゃったんだ。だから家出して来た経緯と、有事の際は力を貸して欲しいって、協力を要請されていたんだよ。だから僕は自分達のミスをフォローしてくれた王子にお礼を伝え、リリィ姫とアーリア国の王子の婚約が失敗に終わった話をしていたんだよ」
 婚約の件はロイ国王から直々に聞いて、既に知っていたみたいだけどね、とデニスは付け加えた。
「じゃ、じゃあ彼は今、城にいるの? ヒレスト城に行けば彼に会えるの?」
 ライジニア王子の付き人として、彼がこの国にいる理由は分かった。では、どこに行けば会えるのだろうか。
 しかしそう尋ねるロジィに、デニスは困ったように首を横に振った。
「城にはいないよ。家出だからね。まあ、一応王子様だから、この国にいるって話はロイ国王様には伝えてあるみたいだけれど。でも潜伏先はそこじゃないよ。今は誰も使っていない、一般人の空き家を紹介しておいたよ」
「じゃあどこ? その空き家はどこにあるの?」
「こらこら、相手は王子様だよ。いくら仲間であるキミにだって、そんなのホイホイ教えられるわけないだろう」
「そこを何とか! お願い! 王子様には迷惑掛けないから! 彼をちょっと見るだけで満足して帰って来るからっ!」
「……」
 パンと両手を合わせ、一生懸命お願いするロジィに、デニスは小さく溜め息を吐いた。
「それはそうとロジィちゃん。キミ、さっきから「あの人」だの「彼」だのと言っているけど、一体どっちの事を言っているんだい?」
「え? どっちって?」
「ライジニア王子のお付きの人。どっちの事を言っているの?」
「どっちって……えっと、さっきここから出て行った人なんだけど……?」
「だから二人いるじゃないか。さっきこの部屋から出て行ったのは三人。ライジニア王子と、その付き人二人。キミはどっちの付き人の事を言っているの?」
「え? えっと……?」
 そうか。彼の他にも人がいたのか。彼の事しか見えていなかったから、他にも人がいたなんて分からなかった。
「ええっと、凄く整った顔立ちをしていたの。優しい青の瞳と、サラリと流れる青の髪。それから背後にはキラキラが飛んでいて……一言で言ってイケメンの方」
「もっと簡潔に纏めてもらえる?」
「青い髪と青い目をした、背の高いイケメン」
 どこがどう分かりにくかったのかは不明だが。しかし恋い焦がれる彼の情報を得るべく、ロジィはデニスの要望通り、彼の特徴をザックリと纏めた。
「ふんふん、青い目と青い髪ね。じゃあ、シンガ君の方だね」
「シンガ君?」
 なるほど、あの時ロジィ(リリィ)を守ってくれたのは、シンガという名の青年だったのか。
「王子様が最も信頼して、傍に置いている付き人の一人だよ。体を動かすのが大好きで、考えるよりも剣を振る方が得意なんだって」
 なるほど。だからこそのあの美しい剣捌きか。うん、納得だ。
「彼らの潜伏先は教えられないけど、この後の行き先くらいなら教えてあげるよ」
「えっ、本当っ?」
 まさかのデニスからの妥協案に、ロジィの表情が嬉しそうに輝く。
 そんな彼女に苦笑を浮かべながら、デニスはその情報を教えてくれた。
「体を動かしたいから、近くにいい場所ないかって聞かれたんだ。だから国民スポーツ広場を教えてあげたんだよ。シンガ君はきっと、この後そこに向ったと思うな」
「国民スポーツ広場? 分かった、ちょっと行ってみる。ありがとうデニス!」
「行ってもいいけど、ご迷惑だけは掛けるんじゃないよ。それからキミがリリィ姫に変装していたって事は、絶対に話しちゃダメだからね!」
「分かってるよ。行って来ます!」
 デニスの忠告に軽く返事をしてから。ロジィは喜んでその場から走り去って行く。
 そんな彼女を仕方なさそうに見送っていたデニスであったが、サーシスが首を捻りながら、ふと頭に思い浮かんだシンガの姿を口にした。
「なあ、デニス。シンガは確か、お前より背が低くなかったか?」
「え、そうだっけ? ……あれ? そういえばウィード君の髪も、青かったような?」
「……」
「……」
 ……まあ、いいか。

しおり