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第三話 現れし英雄



 作戦は順調だった。ロイの予想通り、ヒレスト国とアーリア国の境界にある、どこの国にも属さない森、ルミナス森林を移動中、ロジィ達は覆面を被った沢山の男達に襲われた。
 リリィ姫を必死に守ろうとしてくれている王国騎士団には申し訳ないが、ロジィは軽い抵抗の後、なるべく自然に男達に捕えられてやった。
 乱暴に馬車に押し込まれ、荒い運転で連れて来られたのは、人の気配も魔物の気配もない薄暗い森の中。そしてそこに建っていた、今にも崩れそうな古びた塔であった。
 その薄気味悪い塔にあった地下牢に、これまたロジィを乱暴に押し込めると、男達はその扉をしっかりと施錠し、どこかに立ち去って行った。
(痛い……。くそっ、アイツら、後で絶対に許さないっ!)
 乱暴に扱われていたため、体のあちこちに擦り傷や小さな痣が出来ている。その上、手を後ろに縛られているものだから、上手く体を動かす事が出来ない。
 くそっ、この借りは絶対に倍にして返してやる!
(それにしてもここ、どこなんだろう……?)
 馬車に押し込められてからしばらく走っていたから、たぶんルミナス森林ではないとは思うが、如何せん地図も地理も苦手なロジィの事だ。大分移動したという事が分かるだけで、ここがどの辺りにある場所なのか、さっぱり見当も付かない。もしかしてここはもうマシュール王国の領域なのだろうか。
(いや、そもそもあれは本当にマシュール王国の兵士?)
 後ろ手に縛られた腕を少し動かしてみる。
 一見しっかり縛られているように思えるが、取れない程ではない。忍者をやっている友人に教えてもらった縄抜けの術を使えば、簡単に取る事が出来そうだ。
(牢の鍵も簡単に開きそうだしなあ)
 ロジィを閉じ込めている地下牢の鍵に視線を向ける。
 あのくらいの鍵なら、ロジィの持つヘアピンで簡単に開ける事が出来るだろう。
(お姫様だから逃げられないだろうって、高を括っているんだろうな)
 まあ、油断してくれた方が、こちらにとっては好都合だから、別にいいんだけれど。
(でもこの仕事が終わったら、本当にどうなるんだろう?)
 そっと視線を下に落として、ロジィは国の行く末を考えてみる。
 アーリア国に向かおうとしていたリリィ姫(本当はロジィだけれど)を本当に誘拐してしまったマシュール王国。これが本物のリリィ姫であったのなら、彼らは一国のお姫様に手を上げた事になるのだ。国際的な大問題に発展する事は目に見えている。
 それについては、ロイが和解で何とかしてみせると言っていたが、本当に大丈夫なのだろうか。
 いや、それとも覆面軍団にリリィ(ロジィ)を襲わせたマシュール王国が、「うちの国の犯行ではない」としらばっくれるつもりなのだろうか。
 そうなれば、ロイは一体どうするつもりなのだろう。アーリア国の王子とリリィが婚約をすると言っていた事から、完全に味方となるアーリア国を仲介人として、話し合いでもするつもりなのだろうか。
(何だかんだ言って、私はこの生活、結構気に入っていたんだけどな)
 辛い過去があったり、現状に些細な不満があったりするけれど。
 でも信頼し合える仲間がいるのは嬉しいし、彼らと送る生活は楽しい。だからこの生活を壊されるのは絶対に嫌だ。
 ロイやマシュール王国が今後どのような対応を取るのかは知らないが、二国が戦争を始める事だけは絶対に避けたい。
 願わくば、ここにある平和がいつまでもずっと続きますように。
(姫、ちゃんと舞踏会に行けたかな?)
 しかし、ロジィがそう願い、リリィの身を案じた時であった。
「……あれ?」
 確かに首から下げ、胸元で揺れていたハズのペンダント。発信機付きのそれが、いつの間にかなくなっている事に気が付いたのは。
「嘘っ、何でっ?」
 確かにここに閉じ込められるまでの間、ロジィは覆面の男達に乱暴な扱いを受けていた。だからその弾みで鎖が千切れ、どこかにペンダントを落としてしまったらしい。
(ど、どうしようっ!)
 仲間達はあのペンダントに付けられた発信機を頼りにして、このアジトを突き止める事になっている。
 しかしそのペンダントがなければ、仲間達はここを見付ける事が出来ない。これではマシュール王国の軍勢を叩く事も、ロジィを迎えに来る事も出来ないではないか。
 しまった、一体どこでペンダントを落としてしまったのだろうか。この塔のどこかか、押し込まれた馬車の中か、それとも馬車に押し込まれる前のルミナス森林の中か……。
 しかしどこかでなくしてしまったペンダントに、ロジィが焦りの表情を浮かべた時であった。
 牢の向こうがザワザワと騒がしくなり、誰かがドカドカと足音を立てて、こちらにやって来る音が聞こえて来たのは。
「ラッセル……?」
 もしかしてペンダントはこの近くに落ちていて、予定通りこのアジトを見付けたラッセル達が来てくれたのだろうか。
(でも、ラッセルにしては足音が大き過ぎる気がする……)
 何とかして体を起こすと、ロジィは僅かな不安を抱きながらも牢の扉に歩み寄り、そしてその向こうの様子をそっと窺う。
 しかしその時だった。ドカドカと足音を立ててやって来た覆面男が、勢いよくその地下牢の扉を引き開けたのは。
「きゃ……っ!」
 突然の事に驚き、ロジィの反応が一瞬遅れる。
 その隙を突き、男の腕が乱暴にロジィの腕を捕えれば、握り潰されんばかりのその痛みに、ロジィは思わず表情を歪めた。
「ぐあっ!」
「え……?」
 しかし次の瞬間、男が呻き声とともにその場に崩れ落ちた。
 一体何が起きたのか分からず呆然とするロジィの瞳に、倒れた男の後ろから、一人の青年の姿が映る。
 群青色の軍服に、それと同色の瞳。そしてサラリと流れる明るい青の髪。
 覆面の男を斬ったらしい長身の彼は、ポカンとしているロジィにその切れ長の目を向けた。
「ご無事ですか、姫?」
「……?」
 ……誰?
「姫? どうかされましたか?」
「……」
 ポカンとしたまま、ロジィは青年を見つめる。
 ここに来るのはよく知る仲間、ラッセルだったハズ。
 けれども目の前に現れたのは知らない青年。彼は一体誰なのか。そもそも現状はどうなっているのか。仲間やリリィ姫、国は無事なのだろうか。
「姫! リリィ姫!」
「ッ!」
 大きく名前を呼ばれ、激しく肩を揺さぶられたところで、ロジィはハッと我に返った。
 気が付けば、心配そうに自分を覗き込む、彼の群青色の瞳が飛び込んで来る。
 あまりにも至近距離に映ったその瞳に思わず悲鳴を上げると、ロジィは勢いよく彼から視線を逸らしてしまった。
「……? 大丈夫ですか?」
「い、いえ、ごめんなさい、ちょっと驚いてしまって……。何でもありませんわ」
 ビックリした。男子(しかも割と整った顔立ちの男子)に、こんなに間近で顔を覗き込まれた事なんてなかったから。だから凄く驚いた。
「それならいいのですが……。お怪我はございませんか、リリィ姫?」
「い、いえ、ありません。どこも痛くありません」
 まだドキドキと高鳴る心臓を押さえながら、ロジィは必死にリリィの演技を続ける。
 この人物が何者なのかは分からないが、どうやら彼は自分の事をリリィ姫だと思っているらしい。ならばここで偽物であるとバレるわけにはいかない。このままリリィ姫であると思い込ませなくては。
 しかしそう気合いを入れ直すロジィに、青年は切なそうな目を向けた。
「何をおっしゃっているのですか、リリィ姫。体中傷だらけですよ」
「え……?」
 そっと、青年の手がロジィの頬に触れる。
 覆面の男達に乱暴に扱われた際に、頬を擦り剥いてしまったのだろう。青年の指が傷口に触れ、ピリッとした小さな痛みが走ったが、ロジィにとってはそれどころではない。
 まるで腫物を扱うように優しく滑る、彼の大きな手。そのせいでロジィの体温は、一気に急上昇した。
「縛り上げるなんて酷い事をする。すぐにお取りします。少々お待ち下さい」
 顔が一気に熱を帯び、せっかく落ち着かせた心臓が再び早鐘を打つ。
 初めて湧き上がる感情に、戸惑うロジィなど知る由もなくて。
 彼はロジィの縄を解くと、縄の跡が付いてしまった彼女の手を、これまた優しく手に取った。
「腕に痛みはございませんか?」
「なっ、ない、ない、ないです! お気遣いありがとうございます!」
 心配そうな彼の瞳を見る事が出来なくて、ロジィは激しく首を横に振る事で腕には異常がない事を伝える。
 しかしその時であった。
 バタバタと足音が聞え、三人の覆面男が姿を現したのは。
「見付けたぞ! 仕留めろ!」
「ちっ」
 現れた敵に青年が舌を打てば、それと同時に男達が一気に彼に襲い掛かる。
 さすがに三人同時は厳しいのではないかと、不安に思うロジィであったが、そんな彼女の不安など余所に、青年は襲い掛かって来た三人の男達をあっという間に倒してしまった。
(この人、強い……)
 剣舞と呼ぶに相応しい、流れるような彼の剣捌き。それに思わず見惚れてしまったロジィであったが、そんな彼女を振り返ると、彼は彼女に真剣な眼差しを向けた。
「あなたの事は私がお守りします。ご安心下さい」
「は、はいっ!」
 言われた事もない『守る』というその言葉に、ロジィの胸がキュンと締め付けられる。
 しかし青年の一挙一動に戸惑いながらも、ロジィが何とか頷いた時であった。
「姫!」
 自分を呼ぶ別の青年の声に、ロジィはハッとして顔を上げる。
 向こうから走り寄って来た彼はロジィ(リリィ)の姿を確認すると、ホッと安堵の息を漏らした。
「よかった、ご無事でしたか!」
「……?」
 そこに現れたのは、空色の長い髪を右下で一つに束ね、優しそうな青い目をした青年であった。服装は助けに来てくれた青年とは違い、軍服ではなく群青色の長いマントを身に付けている。
 しかしこの青年、どこかで見た事があるような気がするのだが……一体どこだっただろうか。
「王子! 何故お一人でこんなところにいるのですか! 護衛の者はどうしたのですか!」
 マントの青年を怒鳴り付ける軍服の青年の言葉に、ロジィはふと首を傾げる。……王子?
「そ、そんなに怒る事ないだろ? 我がマシュール王国の者が手を出したんだ。王子として、ボンヤリと護衛に守られているわけにはいかないよ!」
 我がマシュール王国?
 ……え?
(思い出した!)
 その単語を聞き、ロジィはようやく思い出す。
 見た事があるもないもない。このお方はマシュール王国の第一王子にして次期国王、ライジニア王子様ではないか!
(な、何でそんな人がこんな所に?)
 何故、マシュール王国の兵士がリリィを襲い、それをマシュール王国の王子が助けに来ているのか。その意図が全く分からない。
「ところで王子、上の状況は?」
「だいたいは制圧している。けどキミ達が僕を支持し、父上には反抗的なように、ここにいるヤツらは父上を支持し、僕には反抗的なヤツばかりだ。油断は出来ない」
「分かりました。とにかく今は一刻も早くリリィ姫を安全な場所へ。リリィ姫」
「は、はいっ!」
 マシュール王国の意図を考えていたロジィであったが、軍服の青年に再度名前を呼ばれた事により、ロジィの胸の鼓動がまたもや早くなる。
 緊張しながらも顔を上げれば、彼の群青色の瞳が、真っ直ぐに彼女の瞳を貫いた。
「必ずやあなたを安全な場所にお連れします。だから決して私から離れないで下さい。よろしいですね?」
「わ、分かりました、よろしくお願いいたします……」
 ロジィが頷いた事を確認すると、青年は彼女の前に広い背中を向ける。
 見た事もない程の逞しい背中。
 その背中に守られながら脱出したせいで、ロジィはその時の状況を、あまりよく覚えていない。

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