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5-5 Affective Discord

 2日連続で臨海署に行く羽目になった流雫と澪は、昨日と同じ取調室に通される。その間も流雫の足取りは重い。
 最後に入室した弥陀ヶ原は、早速
「……流雫くん、何が引っ掛かってる?」
と切り出した。流雫は弱々しい声で
「……全部……」
とだけ答えたが、それは冗談でも何でもない。全てが引っ掛かる。そして、どれから切り出せばいいのか迷っている。普段の流雫からは、やはり想像がつかない。
 少し間を置いて、
「ただ、どうしてあの人が撃たれたのか……」
と流雫は言った。弥陀ヶ原は答える。
「……今回、犯人は1人だけだが生きている。どうにかして吐かせる。黙秘なんてさせるか」
 ……3人いた犯人のうち、2人は同士討ちで死亡した。残る1人は、現場近くの警察署で取調中だった。
 「……もし、本当に単なる通り魔なら……トラックで自爆……したりなんて……」
と途切れ途切れに言葉を絞り出す流雫。俯いたその顔を澪が見つめる。
 ドライバンが慰霊碑に衝突したことで燃料が漏れ、それに引火した……形の爆発炎上とは違う。それは2回目の爆発だと思っていた。そうでなければ、最初の爆発の瞬間、最初に荷室が膨張して歪んだ説明がつかない。
 「……銃撃とトラック、グルだと思うのか?」
弥陀ヶ原の問いに、シルバーヘアの少年は頷く。
「もし、トーキョーゲートの……続きだとするなら……」
流雫がそう言った時、取調室のドアが叩かれる。別の刑事がドアを開け、1枚の紙を渡しながら一言
「ただ事ではないな」
とだけ言った。
 それが小さいながらも聞こえた澪は、思った。まさか、流雫の一言が当たっている……?
 「……衝突したトラック、何か不審な点は?」
と弥陀ヶ原は問うた。ただ、澪は人を次々と撥ねた挙げ句慰霊碑に衝突したこと以外、特に判らない。寧ろ、その飲酒運転か錯乱状態下の運転だったことしか思いつかない。
 「……運転席、人……いたっけ……?」
流雫は呟くように言う。
 一瞬だけフロントウィンドウが見えたが、確かに人の形は有った。ただ、流雫自身から見て右に座っていたように思える。……運転席は、例外も有るが殆ど正面から見ると左側では……?
「……見えなかっただけじゃないの?」
澪の言葉に、流雫はそうだと思いたかった。しかし、澪の願いでもあった。こう云う時に流雫が何か言うと、何だか怖くなる。
 「……見えなかったんじゃないか?それか見間違いか」
弥陀ヶ原は問う。
「そう思いたい……。疲れてるのかな、僕……」
とだけ言って、自分を嘲笑うような微笑を浮かべた流雫に、刑事は深く溜め息をついて答える。
 普段なら、それでも引かないハズだ。それが、その様子を見せることは無い。……それだけ、目の前の少年は参っている。
 弥陀ヶ原は言った。
「……人形は有った。だが、人はいなかった」
「え……?」
澪は声を上げ、眉間に皺を寄せる。人はいなかった……?
「あのトラックは無人だった。車の焼け跡には、溶けた人形の残骸が散乱していたが、ナビシート付近から見つかった。運転席にも、最初から人が乗っていた痕跡は無い」
「……どう云う……ことですか……?」
澪は戸惑いながら問う。
 ……その隣で、流雫は小さな覚悟を決めた。当たっている、と思わせた弥陀ヶ原の言葉が引き金になった。この刑事の力になっているか判らない、妄想程度でしかないような自分の推理で、あの人が少しでも浮かばれるのなら。
 流雫は、小さく頷いて言った。
 「……恐らくは、遠隔操作……。ジェット旅客機でさえ、ラジコンのコントローラーで操れたんだ。車さえ改造できれば、難しい話じゃない……」

 10年以上前、メキシコで無人のジェット旅客機を飛行させて砂漠に墜落させると云う、壮大な墜落実験が有った。目的は、航空機事故の研究だった。
 その時、墜落させる機体の操縦にはラジコンのコントローラーが使われた。つまり、百数十人の乗客を乗せて飛ぶ飛行機を操ることが、技術的には可能なのだ。
 上下の概念が無く、前後左右にしか動かない車は、恐らくそれより遙かに簡単だ。今回のように、暴走させるだけなら。
 「……参っていても、推理力は健在か」
弥陀ヶ原は少しだけ口角を上げて言った。先輩刑事の娘、その恋人には何時も驚かされる。そして、少しだけ流雫に自信が戻ってきたように見えた。
 「……まさか」
と声を上げた澪に、弥陀ヶ原は言った。
「遠隔操作で暴走させた、自動車爆弾と見て間違い無い。人がいないのに、車が走る……透明人間でもいない限り、それしか有り得ない」
「でも何のために!?」
澪は思わず声を張り上げた。弥陀ヶ原は
「それは今、渋谷で取調中だ」
とだけ言い、流雫に目を向けて問うた。
 「……さて、銃を撃った時のことだが……話せるかい?ゆっくりでいい」
流雫は頷いたが、同時に喉が渇いていることに気付く。少年は、先刻自分の代わりに澪が受け取った、冷めきった缶コーヒーのプルタブを開けた。

 取調は3時間に及んだ。その後、ようやく普段の流雫に戻った少年は、先刻までとは正反対に淡々と話していった。
 しかし、項目が多岐に亘り、2人が臨海署を後にした時に見た時計の針は、既に15時半を示していた。今から日本橋へ移動しても40分近く掛かり、予約していたお祓いの時間には間に合わない。渋々キャンセルすることになった。
 笹平からの無事と云うメッセージに目を通した後、神社にキャンセルの連絡を入れた澪は
「……だから、色々と遭遇するのかな……」
と言った。呪われている、とすら思える。
 ……その言葉は、強ち間違ってはいないように流雫には思える。今日も、午前中に予約できていれば、2人は遭遇しなくて済んだ。
 しかし、河月の同級生2人はどっちにしろ遭遇していただろう。笹平が無事だったことは、澪に届いたメッセージで判ったが、恐らくは黒薙も無事だろう……一緒にいるのなら。
 そう思えば、2人の無事のために、自分と澪も遭遇した……と思えば早いのでは?と流雫は邪な想像をした。だからと、2人に意味不明な恩を着せたいワケではないのだが。
 ……笹平にせよ黒薙にせよ、テロの犠牲なんかになってほしくない。それだけが流雫の本音だった。
 「澪が悪いワケじゃないよ」
と流雫は言った。そう、悪いのは犯人だ。そして……。
「でも、流雫が悪いワケじゃない」
と澪は言い返した。流雫が、悪いのは僕だと言うのが目に見えていた。

 ……予定が狂った。その代わりにと、澪はレインボーブリッジを眺められる、あのデッキに行こうと誘った。粉雪が舞うのは相変わらずだったが、流雫は微笑んで頷いた。
 りんかいスカイトレインに1駅だけ揺られてもよかったが、流雫は歩きたいと言った。澪は否定しなかった。
「僕の我が侭に付き合わせて……」
と言った流雫に
「そうは思わないよ?」
と、澪は言葉を被せた。寒い中で十数分歩くのに付き合わせることは、我が侭でも何でもない。
 ……我が侭を受け入れることと、命を助けられることをギブアンドテイクとするなら、澪にとってのテイクがあまりにも大き過ぎる。どれだけのギブで釣り合いが取れるのか、想像に難い。尤も流雫なら、澪が生きていることが既に一生分のギブだから、と即答するのは目に見えているが。
 「……どうにか、少しは落ち着いた。……慰霊碑は修復したりで、暫く近寄れないだろうけど、美桜……驚いただろうな……」
と流雫は言った。衝突したのが、よりによって……。
 「何がしたかったんだろ……」
と澪は呟く。……何故、慰霊碑に衝突したのか。
「慰霊碑に突っ込んだのは、単に操縦ミスだと思う。……そして爆発したのは荷室。荷室に爆薬と燃料が仕掛けられていたとして、引き金は……ドアなのかな」
流雫は白い息を吐きながら、ゆっくりと語る。
「ドア?」
と澪は問う。しかし、どうやって?
 「事故に見せ掛けた暗殺の、典型的なパターンの応用かな」
「例えば……車だとドアを開けると、ルームランプが点くじゃない?一度ランプを外して、端子に長いコードの先端の片方をつなぐ。荷室にコードを延ばして、その反対の先端に付けた起爆装置をプラスチック爆薬に挿す。すると、ドアが開けばルームランプの代わりに起爆装置に通電して……」
流雫の説明に
「爆薬が発火する……」
と澪が被せる。映画などで有りがちなリモコンの起爆装置よりもシンプルな構造で、しかしそれだけで車を爆弾にできるとは……。その流雫が語った仕組みに、澪は戦慄する。
 流雫は頷き、続けた。
「僕の故郷は……宗教問題が絡んだテロが多いからね。日常茶飯事ではないけど、必ずと言っていいほど毎年何処かでは起きてる。その度に、そう云う手口の情報もネットに出回ったりするんだ」
 フランスには、ライシテと呼ばれる政教分離の原則が有る。今から30年以上前、その構図が今まで無関係だった中東の異教に対するものとして、大きく変化したことが火種になった。そして、今では毎年の如く何らかの形で過激派によるテロが起きている。
 「まあ、手口を知ったところで防ぎようは無いけどね。仕掛けられているか否か、まではよく見ないと判らないし、見ても判らないようにされていれば……」
と流雫は言った。
 しかし、やはり引っ掛かる。流雫は少し前、自分が言ったことを思い出してみた。……単に操縦ミスで……?
「……違う」
流雫の呟きに、澪は顔を向ける。
「え?」
「慰霊碑にぶつかったんじゃない、元からぶつけたかったんだ。それなら目的は……。…………いや、今は止めよう……」
と流雫は途中まで言って、しかし止めた。これ以上は、いよいよ止まらなくなる。
 ……悪いクセだ。何時もテロや通り魔に引っ張られる。本当は、今日は3週間ぶりの楽しいデートのハズで、こう云う話をしたいワケじゃなかった。
 僕は何をしているんだろう……。流雫は右手で頭を抱えた。
「流雫……」
そう恋人の名前を呼んだ澪は
「仕方ないよ」
と言い、続けた。
「あまりにも、流雫は直面し過ぎてる。テロと云う脅威に。……でも、流雫が抱えるべき問題じゃない」
 自分が抱えたところで、どうなるワケでもない。それは流雫も、最初に遭遇した頃からそう思っている。
 後は全て警察の仕事で、自分は何もかも忘れ、のうのうと過ごしていればよい……と思いたい。しかし、それができない。だから、澪との楽しい話も減っていた。それも、彼にとっては負い目だった。
 「それでも、流雫は抱える。流雫は優しいし、繊細だから。……だけど、だから独りで抱えなくていい、流雫にはあたしがついてる。楽しい話ができなくなっても、あたしは絶対に、流雫を見捨てない」
と言った澪の言葉に顔を上げた流雫は、彼女の顔を見る。
 濃い靄を払拭できない少年の表情をダークブラウンの瞳に映した澪は、一呼吸分だけの間を置いて、言った。
「……愛してるって、そう云うことでしょ?」

 ……何時からか、流雫と澪は互いに好きと言わなくなった。その代わりに、愛してるとしか言っていない。
 好きは、プラスの面にしか目を向けないこと。しかし愛するは、マイナスの面にも目を向けた上でのこと。誰かが何処かに、そう書いていた気がする。
 そして、何度も悉くテロに遭遇していることは、言ってみればマイナスでしかない。普通なら、あの3月の初対面の日に既に見限られていても不思議ではない。寧ろ、今日に至るまで変わりなく接している澪が、不思議に思えるほどだ。
 ……そう云う澪だからこそ、流雫は背中を預けていられる。時々小さな喧嘩を起こすのも、互いに自分よりも相手を大事にしたがる性格を譲れない、と云うのが発端だ。
 端からは一種のバカップルにしか見えない2人は、しかし共依存で成り立っていた。それは、大学時代に付き合いが有った2人の母親にとっても気懸かりだった。ただ、歯車が噛み合っている限りは誰より強い。
 「サンキュ……澪……」
と、流雫は目を逸らしたまま、言った。しかし何だか、澪が頼もしく見える反面、自分がどんどん弱くなっている気がして、それがもどかしかった。

 レインボーブリッジを一望できるペデストリアンデッキ。流雫と澪は、2人が東京でテロに遭遇した時、ほぼ毎回この場所にいる。それも無意識に。
 唯一いなかったのは、8月に東京中央国際空港で政治家相手に戦った時だけだったが、あの時は事情聴取も長引いた上に台風で行けなかった。そうでなければ、恐らくいただろう。
 そして、夕方から夜の空を、この場所で見上げるのが流雫は好きだった。今は生憎モノトーンの空だが、粉雪が舞っているから悪くはない。
「……逢ったのは春先だったのに、もうすぐ1年が終わる……」
手摺りにもたれながらそう言った流雫に、澪は返す。
「まだ1ヶ月有るけどね。でも色んなことが起き過ぎて……慌ただしかったかな」
 ……そう、色々有り過ぎた。
 何度も銃を握って、引き金を引いて、生き延びてきた。逃げ延びるための戦いを、強いられてきた。……死ななかったのは、足を撃たれただけで済んだのは、美桜が護ったからだった。そして、澪が差し伸べた救いの手を掴んだから、正気を失わなくて済んだ。
 ……2人のミオに、僕は救われた。流雫は、そう思っていた。もし澪がいなければ、どうなっていたのか。想像するのも怖くなる。だから何度でも思うし、何度でも言う。
「僕には、澪がいなきゃ……」
と。
 その言葉に澪は
「あたしだって、流雫がいなきゃ……」
と返した。

 エスカレーターで雪崩れるように犯人に体当たりしたり、撃たれた足を庇いつつ跳びながら撃ったりと、見ている方が心臓に悪い流雫のアクション。しかし、全ては咄嗟に見出した勝機を、形振り構わず手繰り寄せようとしたからで、その結果は今を見れば判る。
 それに、福岡で暴動に遭遇した時、メッセンジャーアプリで通話を繋ぎ、自分の部屋からSNSやニュース動画、地図サイトを駆使して、澪の視界だけでは判らない情報をリアルタイムで伝え続けた。そうやって、その場に居合わせていなくても澪を支えてきた。
 ……その応用が、片耳だけブルートゥースイヤフォンを挿して、通話を繋ぎながら戦うスタイル。河月のアウトレットと今日の渋谷で活かされた。テレパシーが使えればカッコいいが、その能力は流雫も澪も持ち合わせていないし、アイコンタクトは距離的にも限界が有る。それなら、スマートフォンを駆使するのが一番手っ取り早い。
 その全ては自分が死なないために、しかし何よりも流雫は澪を、澪は流雫を、殺されないために。戦いから逃れられないのなら、戦うしかない。

 言葉は無くても、隣同士で体がくっついているだけでよかった。それだけで、安堵に包まれる。もうすぐ、帰らないといけないことが残念だが、だからこそ今は、束の間の平和を享受していたかった。

 次の日、流雫が通う河月創成高校は普段通りの月曜日を迎えた。ホームルーム3分前に教室に入った流雫への、同級生の態度は相変わらずだが、笹平も黒薙もいる。その様子に、シルバーヘアの少年は安堵した。
 昼休み、流雫はサンドイッチを頬張るとすぐに机に伏せる。
 ……昨夜寝付きが悪かったのは、やはり昨日の影響だった。澪とは寝る前に少し遣り取りをして、クリスマスに会う約束をした。渋谷のことは互いに触れなかったが、
 だからこの時間に30分近く寝ようとしても、脳は頑なに休息を拒んでいる。
 ……ふと気を緩めると、昨日を思い出す。それは今もだった。
 渋谷で起きた惨劇は、流雫と笹平に、あの日の記憶を思い起こさせた。フラッシュバックを起こした笹平は黒薙の肩を借りて避難し、その後少しずつ気を取り戻した。そして流雫は犯人を仕留めたものの、救急隊員の一言に絶望に突き落とされ、澪に抱きしめられながら泣き叫んだ。
 渋谷と云う街でなければ、或いはここまでならなかったのだろうか……。

 放課後、ホームルームが終わると同時に教室を出ようと立ち上がった流雫に、笹平が近寄る。
「宇奈月くん、屋上に来て?」
「いい、帰る」
そう言った流雫に学級委員長は
「私が話が有るの」
と言った。やはり、シルバーヘアの少年に拒否権は無かった。
 コートを羽織る笹平と制服だけの流雫、その2人しかいない屋上。薄曇りだが、昨日よりは少し暖かい。
「昨日のこと……」
そう切り出した笹平に
「終わったことだよ」
とだけ返す流雫。しかし、
「終わったこと、じゃない。私は、黒薙くんの肩を借りて無事だった。でも、宇奈月くんは無事だったの?」
と同級生は問う。
 「……見ての通りだよ。アウトレットの時のように、ヘマはしなかった」
と答えた流雫は、およそ場違いな微笑を浮かべた。……怪我はしなくて済んだ、但し物理的には……。
「ヘマと言わないの!」
と笹平は流雫を諭したが、流雫は聞く耳を持たない。相変わらず、自分自身を雑に扱うクセが強く、それは何より褒められない。
 「……また撃ったの?」
「またって……」
笹平の言葉に、流雫は戸惑う。
 ただ、それが普通で、何度も遭遇しては撃っている流雫の方が異様なのだ。その言い方になるのも無理は無い。
 「……まあ、生き延びるにはそれしかなかったから。撃たなくて済むなんて……そっちの方が珍しいよ」
と流雫は答え、続けた。
「……流石に驚いたけどね、まさか渋谷で……また起きるなんて……」
 その瞬間、流雫は拭えない謎に苛立ちを覚える。
「……それだけが……」
と流雫は一言だけ呟き、フェンスを鷲掴みした。鈍い金属音が鳴る。
「……宇奈月くん?」
「……何でもない」
少年の名を呼ぶ学級委員長に流雫はそう答え、ただ唇を噛みながら遠くを見る。
 ……日本人らしくない見た目の高校生にとっては、何でもないこと……なんかではない。ただ、それは笹平にはどうだっていいことだった。
「何でもない」
と、流雫はもう一度だけ呟いた。
 「……だといいけど」
と笹平は言い、話題を変えた。これ以上は、深追いしない方がいいと思った。
 「……澪さん、本当にいい人ね」
「え?」
流雫は笹平に振り向く。
「昨日の夜、メッセージが有って。私を相当心配してたの。流石に黒薙くんのことには、触れていなかったけど」
と言った同級生に
「初対面がアレじゃね……」
流雫は言い、溜め息をつく。
 ……あの初対面の後、流雫と澪は小さな喧嘩をした。流雫の寂しげな微笑みが、澪の表情を殺していた。
 相思相愛故に引き起こされた小さな不協和音は、翌日流雫が撃たれたことで一気に大きくなる。澪は流雫が撃たれたことに、流雫は自分が撃たれたことで澪を泣かせたことに罪を感じ、それが衝突していた。
 だが、鎮静化するのも一瞬だった。互いに生きていることへの安堵が、2人を繋ぎ止めた。些細な不協和音は、似た者同士である以上は避けられないのだと思い知らされた。
 「でも2人が無事だったから、安心したわ」
笹平は言い、更に続ける。
「……それに、珍しかったわ。まさか2人が普通に話すなんて」
 ……昨日の、銃声が響く直前の話か。
「美桜の前だから、かな。ただ、黒薙は何か言いたがってた。銃声に遮られたけど。……まあ、いいか」
と流雫は言った。
 流雫が最低なのは、澪を見殺しにしたことではない……とは言っていた。じゃあ何なのか。
 気にはなるが、自分に向けてのことなら別にどうだってよかった。澪をバカにされなければ、ただそれだけでよかった。
 笹平は何か言いたげだった。……その話がどうでもよくないことだと、彼女は知っている。しかし、黒薙からはオフレコだと釘を刺された。
 そもそも、これは宇奈月流雫と黒薙明生、男子生徒2人だけの問題であって、彼女が口を挟むべき問題ではない。それは判っている。ただ、学級委員長として看過できない。特に、あの事実を知った以上は、だ。
 「僕は帰るよ、ペンションの手伝いが有るから」
そう言って、流雫は踵を返した。
 屋上に1人残された笹平は、溜め息をついた。本当に、何時までこの事態が続くのか……。何よりも、黒薙に釘を刺された手前、何も言えないことがもどかしい。時間が解決するのを、待ち続けるしかないのか。
 これ以上、頭を悩ませてもどうにもならない。笹平はもう一度溜め息をつき、家に帰ろうと屋上を後にした。

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