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第五章 蜂蜜亭


  第五章 蜂蜜亭





「へえ、これが城下町…!」



 上ずる声を上げたガルディエルに、シルヴェーラはどすっと肘で脇腹を小突いた。



「おとなしくしろ、ガル」



「いたた…もうちょっと、優しくしてくれ、シルヴィ」



 いたっていつも通り男性用の剣士の衣服を着たシルヴェーラと、目立つ蜂蜜色の巻き毛を頭に巻いた布できれいに隠した、同じく剣士の衣服のガルディエルだ。



 開店休業のギルドを見に行くと言ったシルヴェーラに、どうしても一度でいいから城下町に行ってみたいとごねにごねたガルディエルが同行したのだ。



「なんで普通に女性の服装をしないんだ?並んで歩くなら、不信感抱かれないんじゃないのか?」



「ギルドに行くのに普通の女性がのこのこ顔を出すわけないだろうが。おまえは何をしに付いてきたんだ?」



 腰に挿した剣をポンと叩かれて、ガルディエルは「見てみたかっただけだよ」とぼやいた。



「地図の上では、この通りを過ぎて、右だったな」



 下調べで地図は確認してきたシルヴェーラだったが、いきなり王宮に入ってしまったっきりで街へ出るのはこれが初めてだった。



「へえ、思ったより栄えてるな。今まで見てきた中で、一番の城下町だ」



「そうなのか?シルヴィはどれくらいの国を回ったんだ?」



 にぎわう大通りを歩いていた二人に、小走りに走ってきた若い男がぶつかった。



「気をつけろっ」



 苛立ったように言い捨てた男を、シルヴェーラはぐいと腕をひねって締め上げた。



「その男、捕まえて―!」



 男が走ってきた方から、女性の声がした。



 どうやらすりでもしたのだろう。よく前も見ずにシルヴェーラにぶつかったようだ。



「捕まえて、と言っているぞ?」



 一見華奢に見えるシルヴェーラに簡単に腕を掴まれ、男は身動きできず驚いていた。



「放せっ、おい、女っ!」



 …この男、ムカつく。



「ガル、街中に衛兵はいないのか?」



「いないことはないはずだが、どこに駐屯しているかまでは、把握していないな。すまん」



「離せよ、この男女っ!」



 すり男以上に苛立ったシルヴェーラが、締め上げた男の手の関節をばきっと外した。



「ぎゃあああっ」



 放り出されてのたうち回る男の懐を探り、結構重い金子袋を取り出すと、追いついた若い女性に手渡した。年頃はシルヴェーラと同じくらいだ。



「すられたんだろう?」



「は、はいっ!お店の買い出しに出て、すぐに…ありがとうございます!」



 くせのある赤毛の女性は、頬を染めて頭を下げた。



「助かりました!これがなかったら、今日お店が開けないところでした。よかったらお礼に、うちのお店に来てください。ごちそうします!蜂蜜亭っていう食堂してます。帰りに寄ってください!わたし、アスターシャといいます」



「わかった、後で寄らせてもらおう」



 にこりと笑ったシルヴェーラにぺこぺこと頭を何回も下げ、アスターシャは買い出しに戻った。



「おい、何事だ!」



 人ごみをかき分けて、衛兵やってきた。遅い到着のわりには偉そうな態度に、シルヴェーラは呆れてふいと顔を背けた。



「すりを捕まえて、ちょっと懲らしめただけだ。周りが証人だ。連れて行ってくれ」 



「なんだおま、え、は…ああっ!!」



 代わりにガルディエルが答えると、途中で衛兵の声が大きくなった。



 あ、ばれたな…。どうする?ガルディエル。



「黙って!内緒だから!」



 声を上げかけた衛兵を口を抑えて、ガルディエルがひそひそと耳打ちした。



「はい、はいっ!承知しました!ではっ!」



 どうしたものかと、様子を見ていたシルヴェーラはガルディエルがうまく言いくるめた手腕に感心していた。



 なんて言ったんだか。やるじゃないか。王宮育ちの純朴王子様だと思ったけど…。



「待たせたな。行こうか」



 ついと肩を抱くガルディエルの手をぺしっと叩いて、「逢引きじゃないんだぞ」と睨みつけた。



「蜂蜜亭だって。おまえの追っかけだったりしてな」



 わざとツンとしてそう言ったシルヴェーラに、ガルディエルの顔色が変わる。



「な、なんで俺の髪色がばれてるんだよ!?」



「馬鹿か。おまえの国の国民だろうが。知ってて当然だろう」



「そ、そうか…俺、王子だったな…」



 …外に出ていないと、こんなもんなんだな…。



 半ば呆れながら、シルヴェーラはガルディエルと肩を並べ通りを右折した。途端に、人が少なくなる。



「シルヴェーラ、あそこじゃないか?」



「名前を呼ぶな、ガル」



 咎めようとして、指差された先を見て、シルヴェーラは足を止めた。



 かつて人がいたのはいつのことかと疑いたくなるほどの、荒廃ぶりの建物。



 煉瓦と木の組み合わせで出来てはいたが、扉もなく、窓も割れて人がいないのは一目でわかった。



「収穫はなさそうだな」



「まあ、ギルドが稼働していないってことは、妖魔は出没しないようだな。問題はすりがうろちょろしてることだ。街の警備はもう少し手を入れた方がいいぞ。女子供には危ないからな」



「ああ、俺もそう思う。父に進言しておこう」



 街の衛兵も王子がお忍びで現れて、今頃さぞかし慌てているだろう。平和惚けした国にはいい刺激だ。



「さて、思った以上に予定が早く済んだな。蜂蜜亭に寄るまでにどこか行きたいところはあるか?」



 ひとりなら適当に回るところはあるんだがな…。さすがにガルディエルを連れてあまりうろつくわけにもいかないし…。



「行きたいところ…宝飾店、でもいいか?」



「宝飾店?かまわないが、王宮にいてまだ足りないものがあるのか?」



「まあ、そんなところだ」



 贅沢なもんだ。普段あれだけ身に着けていて、何が欲しいんだか…。



「さすがに場所を覚えてないから、大通りに戻るか」



「大丈夫。俺がなんとなくだが、覚えてる」



 来た道を戻りながら、ガルディエルがシルヴェーラの手を引いた。



「大通りのもっと先に、店があるはずなんだ。行こう」



「ちょっと、手…」



 離せ、と言いかけて、シルヴェーラは言葉を飲み込んだ。



 今だけ。ほんの少し。まあ、いいか…。



 少しの間手を引かれていたが大通りまで戻るとさすがに人目が気になり、シルヴェーラはガルディエルから手を離した。



「なんで手を放すんだ?」



「いいか、あたしは男装だ」



「…そうだったな」



 渋々の体でうなずいて、それでもガルディエルは街歩きが楽しい様子だ。



 …初めての王子の休日か。記念になっていいか。



 城下町の大通りだけあって、午前中から店はほとんど開いていた。



 食べ物を売っている屋台。野菜や果物を売っている市場。たくさんの花束を売っている花屋。特産の蜂蜜屋。温泉から取れる塩や調味料を売る店。香油やせっけんを扱ういい香りのただようかわいい店。生地の良い服飾を扱う店。



「そろそろだな」



 一通り店が出てきたところで、窓から飾られた銀細工が見える店が見えた。



「銀細工、銀の葡萄だって。入るか、シルヴィ」



 ガルディエルは再びシルヴェーラの肩を抱いて、屋号になっている銀色の葡萄が飾られている店の扉を開けた。







「いらっしゃいませー!あ、あなた方は!」



 昼を回った頃、二人は蜂蜜亭の扉を叩いた。元気な声がして、アスターシャが振り返った。



「寄らせてもらった。昼をもらってもいいか?」



「もちろん!好き嫌いがなかったら、うちのおすすめでいいかしら?」



 前の客の皿を下げながら、アスターシャはシルヴェーラとガルディエルに円卓を勧めた。



「あと、葡萄酒をもらおう」



「上機嫌だな、シルヴィ」



「今くらいいいだろう?」



 めずらしく上機嫌のシルヴェーラに、ガルディエルが安堵の表情で問いかけた。



「気に入ってくれたみたいで、安心したよ」



「そんなわけじゃないけど…嬉しかったのは、本当だ」



 礼を言ったシルヴェーラの両耳には、葡萄の房の耳飾りが煌めいていた。

 

 銀の房に混じり、紅玉と蒼玉とが一粒ずつ。元々は銀製の房だけだったものに、ガルディエルが特注で作らせたものだった。



 どうしても紅と蒼の宝石を入れたいと、ガルディエルが譲らなかったのだ。



 そしてそれを誰に贈るのかと眺めていると、ガルディエルはシルヴェーラの耳にそっとつけたのだ。



 ——今日のお礼だ。受け取ってくれないか?



 ガルディエルの持つ王家の緋色に、あたしの、瞳の色…。



 なぜだかそれが、言葉にできないほど、嬉しくて。



 装飾品など興味なかったはずのシルヴェーラが、生まれて初めて耳飾りを贈られて、とてつもなく嬉しかったのだ。



「少し、落ち着かない気がするがな…」



 左耳の葡萄の房を指でいじり、シルヴェーラがはにかんだ。



 戦うときは、邪魔かもしれないけど…たまにつけるくらい、いいか。



「似合ってるよ、シルヴィ」



「仲がいいんですね」



 アスターシャが葡萄酒を持ってやってきて、「どうぞ」と玻璃の杯を置いた。



「かわいい耳飾りね。とても似合ってる。蒼玉はあなたの瞳の色ね。紅玉は、何の意味なの?」



「俺の気持ちだよ」



「まあ…」



 ガルディエルの言葉に照れたアスターシャが、ふふっと笑ってシルヴェーラの肩を叩いた。



「よかったですね」



「…なんのことだ?」



 意味がわからず訝し気な顔をしたシルヴェーラに、アスターシャが「ええっ!」と声を上げた。



「この国で紅いものを自分の気持ちだと言ったら…」



「彼女は、異国の人だからね。知らなくてもいいんだよ」



 ガルディエルがいたずらっぽく唇に人差し指をあててそれ、アスターシャに以上言わないように止めた。  



「だから、どういう意味なんだ?」



「そのうちわかるさ」



 機嫌よく葡萄酒の瓶を持ったガルディエルが、シルヴェーラの前の杯に注いだ。



「お、おい、ガル…おまえが注ぐことはないんだぞ…」



「俺だって酒くらい注ぐさ。気にするな」



「じゃあ、おまえのはあたしが注ごう」



「あ、えっと…」



 困ったようなガルディエルから葡萄酒の瓶を受け取って、シルヴェーラが杯に注いだ。



「じゃあ、乾杯」



 シルヴェーラが杯を上げた瞬間、店中の客がわーっと声を上げた。



「おめでとう!」



「おめでとう、やったな、兄ちゃん!」



「よかったな!俺たちが証人だ!」



「よかったですね!求婚成功されて!」



 どうやら途中からガルディエルとシルヴェーラのやり取りを聞いていた客たちは、ガルディエルが求婚したことに気づいていたようだ。



「…え、えええええっ!?」



 赤面したシルヴェーラがゴン、と杯を円卓に置いて、雄叫びを上げた。



「ちょっと待て、あたしはそんなこと知らん!!無効だー!!」





 シルヴェーラの叫びは、客たちの歓声によってかき消された――。

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