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第四章 蒼真


  第四章 蒼真





 妖魔の群れが襲ってくる。 四方から一斉に。



 恐い、恐い…!



『シルヴェーラ!怯むな!おまえには蒼真がある!恐れず切り掛かれ!』



 旅の途中で出会って一緒に行動するようになった魔導士デュマは、結界を張りながらシルヴェーラの背中を押して言った。



『デュマが結界を張っている。大丈夫、やられはしない!』



『でも、結界が破れたりしたら!』



 シルヴェーラはそれまで順列五位の鉄の聖魔剣士として、ギルドでぎりぎりで生き長らえていた。



 一人になり、デュマと出会い、指南することでようやく順列四位の銅の聖魔剣士となったばかりのシルヴェーラは、妖魔の群れは足がすくむほど恐ろしい光景でしかなかった。



『デュマは上級魔導士だ!妖魔ごときに結界を破られたりはしない!デュマを信じろ!シルヴェーラ!』



 信じる…?人を、信じる?



 その言葉にぞっとして、シルヴェーラはびくりと身体を震わせた。



『嫌だ!』



 拒絶とも言えるような叫びに、デュマはふと訝し気な表情をした。



『どうした、シルヴェーラ?』



 己に向けて伸ばされたデュマの手を振り払って、シルヴェーラは血を吐くように怒鳴った。



『嘘だ!人は信じろなんて言って、すぐに裏切る!自分の命や欲望のために、信用を逆手にとって!信じられない…人なんて、信じない!』



 噓、裏切り、見返りの要求、果たされない約束…。



 人は信じてはいけないもの、信じれば裏切るもの。



 旅に出てから、シルヴェーラの身体がそう覚えていた。



 シルヴェーラを覗き込んでいるデュマの翡翠色の瞳が、瞬く間に悲しみに満ちた。



 デュマはふっと目を伏せると、片手を払った。



『妖魔が…!』



 たった今まで醜悪な集団が取り囲んでいたというのに、デュマの強い魔導で一掃したように消えた。



 なんて力!今までこんなすごい魔導、見たこともない!



『シルヴェーラ…』



 突然、デュマに肩を捕まれた。



『デュマが、裏切ったことがあったか?見返りを要求したことがあったか?デュマは裏切らないし、見返りもいらない。シルヴェーラを一人にはしておけないから、一緒にいる。シルヴェーラが思うように、強くしてやりたい。側にいて出来るかぎりのことを教える。

 デュマは、シルヴェーラを信頼しているし、とても大切に思う。なぜデュマを信じない?デュマは、カインリックと約束した。シルヴェーラが立派な剣士になるまで、デュマが面倒を見る、と』



 屈んでいるために、肩から滑り落ちてくるやわらかな亜麻色の髪が、光に透けて金色に見えた。いつも、真っすぐに見据える瞳は翡翠。



『父さん、に…?』



 十四で父を亡くし、マグノリア大陸カプリコンの小国アデルバイドで蒼真を手に、一人残されたシルヴェーラは途方に暮れていた。



 鍛冶は女子供では継ぐことはできない。それはわかっていた。



 問題は手元に残された蒼真だ。聖剣とは聖魔剣士になって初めて持つことが出来るものだ。



 残された聖剣である蒼真を手放さずに済むためには、聖魔剣士になるしかないと知識として得たことで、シルヴェーラの人生は決まった。



 店をたたみ、わずかな路銀を手に旅に出たシルヴェーラがデュマと出会ったのは、半年がすぎてからだった。



 それまで剣士として養成してきたわけではないシルヴェーラは、旅の途中で順列五位の見習いの鉄の聖魔剣士として、隣国リドシウムの魔物退治ギルドに所属することで辛うじて蒼真と離れずに過ごしていた。



 何もできない素人剣士にしては立派すぎる聖剣を持つシルヴェーラに、仲間は羨望と嫉妬、憎悪を滾らせていた。



 その代償として、シルヴェーラは仲間の裏切りあい、仲間に襲われるという信頼と大きすぎるものを失った。



 半年で他人を信用できなくなったシルヴェーラは、仲間に触れられて輝きと力をなくした蒼真と共に死ぬ覚悟で、リドシウムのギルドを抜けた。



 そしてリドシウムの森で単身となり、初めて複数の妖魔に遭遇し死を覚悟したとき、デュマに救われたのだ。



 亜麻色の髪、翡翠色の瞳。



 太陽を背にした姿は、黄金色の髪に。翠玉の瞳に。



 輝かしいその美しい姿に、絶対的な力。



 ティファ・ビシシェナエント―――!



 初めは、天界から舞い降りた最高神が救けてくれたのかと思った。



 その神話の最高神に酷似した、人としてはあまりに美しすぎるデュマは、シルヴェーラの手にあった輝きも力もなくしていた蒼真に触れた。



 たったそれだけで、シルヴェーラの心が晴れるかのように、蒼真は光輝き力を取り戻した。



 それまでどうすれば蒼真の汚れが払えるかわからなかったシルヴェーラは、心からデュマに感謝してやまなかった。



 言葉に、行動に、すべてに、優しさがあふれていて、いつもシルヴェーラを驚かせた。



 旅に出てから、人を信じるということを禁じた心に、少しずつ、少しずつ温かさを教えてくれた…。



 デュマと出会い、シルヴェーラは剣と魔導の指南を受けた。



 半年見習いだった剣の腕はすぐに順列四位の銅となり、デュマを師として魔導士登録をし、順列五位の見習い魔導士、雫紋となった。



『カインリックに約束した。カインリックはデュマの親友だ。親友の約束を反故にするなんて、デュマには出来ない。だから、デュマを信じてくれ、シルヴェーラ…。迎えが遅くなってすまなかった。心に傷を負わせてしまって…カインリックになんと謝ればいいのか』



 強大な力を持つ魔導士でありながら、未だに純粋な瞳のままのデュマは、謝罪するように呟いた。



 ああ、神よ…ティファ・ビシシェナエントよ…。



 デュマと出会うまで、神などいないと信じて疑わなかったのに。



『…ごめん、なさい…デュマ…』



 父以外に、初めて心を許した人だった。







      *







「シルヴェーラ…シルヴェーラ!」



 ゆさゆさと肩を揺さ振られて、シルヴェーラははっとして身体を起した。



「…ガルディエル!?」



 目の前にはガルディエルの心配そうな顔があった。



 よく辺りを見ればガルディエルの部屋で、シルヴェーラは彼の寝台に寝かされていた。



「…いつのまに?ああ、あの時力が抜けて…」



 人の腕の中で安堵するなんて…それも親父や、デュマ以外の人に…。



「ごめん、よく眠ってたんだけど、眠りながら泣くもんだから気になって…」



 ガルディエルの言葉が言い終わらないうちに、つうっと涙がシルヴェーラの頬を伝って手の甲に落ちた。



 夢、だったんだ…離れてもう一年にもなるのか…デュマ…あたしを置き去りにして…。



「…シルヴェーラ?どうしたんだ?」



 シルヴェーラは慌ててぐいっと手の甲で涙を拭うと、蒼真がないことに気付いた。



「蒼真は!?」



 今にも掴みかからん勢いでガルディエルに尋ねると、ガルディエルは呆れたように手に持っていた銀糸の包みの蒼真をシルヴェーラに渡した。



「俺が預かってた。何も触ってないから安心しろ」



 シルヴェーラはガルディエルの言葉を信じ、ただ蒼真を強く握り締めた。



「…デュマって、誰?」



 唐突な質問に、シルヴェーラはぎくりとして危うく蒼真を落としそうになった。



「…寝言でも、言ったか?」



 思わず口元を覆うシルヴェーラに、ガルディエルは素直に頷いた。



「何か他にも言ってたみたいだけど、聞き取れなかったんだ。デュマって言葉以外は」



 くそ、寝言じゃ自制も出来ないし、どうしようもないな…。



 シルヴェーラは自分を殴りたい気分で、少しうつむいてぼそりと言った。



「命の恩人、兼あたしの魔導の師だ」



 無理に隠そうとは思ってないのに、話そうとも思わない過去がガルディエルの雰囲気にのまれて、どんどん流されてしまうような気がする。



「これが証だ」



 銀糸の額飾りを指輪の付いた左手でそっとずらすと、ずっと隠していた望月紋が現れた。



「望月紋!上級魔導士だったのか!」



 ガルディエルが感嘆の声を上げた。



 魔導士の階級は六つ。



 見習いは雫紋、初級は三日月紋、中級は半月紋、上級は望月紋、特級は五芒星紋、最上級は六芒星紋。六芒星紋は一人しかおらず、事実上階級は五つである。



 最上級魔導士を大魔導士とも呼ぶ。



  …もう忘れたいことだってあるのに…。



「親父を亡くし修業に出たばかりのあたしを妖魔から救けてくれ、その後二年間一緒に旅をした。デュマは魔導士で、あたしの剣の稽古をしてくれながら、魔導を指導してくれた。あたしが聖魔剣士と魔導士として独り立ちできると認められた時、この銀糸の蒼真の包みと額飾りを残していなくなった。それ以来、一度も会ってない…」



 黙っていると深く突っ込まれそうなので、大雑把に説明を付け加えた。



 シルヴェーラが一人前の剣士と魔導士になるまで、とデュマは言った。



 でも、正式に銀の聖魔剣士と半月紋の魔導士の称号が与えられた直後に、蒼真の包みと額飾りを残して一人で旅に出るなんて…。



「魔導士デュマって…まさか、あの大魔導士デュマ・アルセウス!?」



 さすがに知識はあるらしく、ガルディエルはすぐに気付いた。



 今のところ生きて大魔導士と呼ばれているのは、デュマ・アルセウスただ一人だ。



 死後に階級を上げる叙勲もあるが、それは正しい力の功績ではない。



「そう、あのデュマだ。魔導士の頂点とも言われる、最上級魔導士デュマ・アルセウス。ただ、あたしがそれを知ったのは、デュマと別れた後だった。デュマは階級を見せずに額飾りで隠していたし、ギルドや魔導士協会で行方を探してはみたが一向に掴めなかった」



 シルヴェーラはふっと視線を落とすと、デュマが残してくれた銀糸の包みをそっと撫ぜた。



 シルヴェーラが蒼真を大切にしているのを知っていたデュマは、銅以上の聖魔剣士になった暁には蒼真の包みを作ってやる、といつも言っていた。



 まさか、額飾りとお揃いのこんな銀糸の高価なものをくれるとは思っていなかったけれど…。



「すごいな、あの噂の大魔導士が師なのか。マグノリア大陸の三指に入る聖魔剣士が、上級魔導の資格まで持っているとなると、十分四大陸に通用するぜ」



 尊敬するような眼差しを向けるガルディエルに、シルヴェーラは低い声で釘を刺した。



「今話した事ついては、一切口外するな。デュマや蒼真などの単語を洩らすことも、許さない。いいな?」



「どうして?何か都合悪いのか?」



 世間に関してはとことん疎いらしく、ガルディエルはきょとんとしてシルヴェーラに尋ね返した。



 つくづく甘ちゃんな王子様だな…。



 こういう奴が、可愛い面した腹黒い女にコロッと騙されて、王宮が滅びる原因を作ったりするんだ。



「いいか?世界には金が有り余っていて、珍しいものが好きな商人や王が結構いたりするんだ。聖剣のことがそんな奴の耳に入ってみろ。金に物を言わせて強奪しにくる奴だっていくらでもいるんだ。それも蒼真はかなり強い力を持っているし、この銀糸の包みは大魔導士デュマ・アルセウスが力を込めてくれたものだ。価値としては、この水宮殿といい勝負だ」



 世の中本当に馬鹿で阿呆の金持ちとやらはいるもので、どれほどこの蒼真を手にしたい、とシルヴェーラの元へ訪れた下衆がいたことか。



「今まで、狙われたことがあったのか?」



「数えきれないね。金を積んで交渉にくる奴はまだまともな方さ。とんでもない奴になると、落ちぶれた剣士や武道家を雇って襲ってくる」



「…襲われたのか?」



「ああ。一度、大男にふっ飛ばされて力ずくで奪われたことがあった。蒼真は邪な心を持った奴に触れられて、輝きと力をなくした。そいつは怒って蒼真を凍える湖に放り投げちまった…。食料を調達に行っていたデュマが帰ってきて、魔導で蒼真を取り戻してくれるまでの数分間…気が、狂いそうだった…。



 当時のあたしはまだ見習いの雫紋でしかなくて、雫紋は半月紋以上の魔導士が隣にいなければ、魔導を発動できない。だから、剣士としても、魔導士としても強くなると誓った」



 蒼真を胸に抱いたまま、シルヴェーラはぎゅっと両腕を掴んだ。思い出すだけで、発狂しそうだった。



 あんな汚らわしい奴に、蒼真を奪われたなんて。己れの力なさにさえ、腹立たしい!



 邪な心を持つ他人に触れなければ汚れることはないのだが、その一件以来、シルヴェーラは片時も蒼真を手放さなくなった。



 そんなシルヴェーラを心配して、デュマは汚れを防ぐ銀糸の包みを贈ってくれたのだ。



「…命に代えても、蒼真を汚し奪う奴は、許さない」



「命に代えても?」



 最後の台詞をガルディエルが繰り返して、訝し気に首を傾げた。



「蒼真が大切なのはわかるけど、蒼真のために命をかけたら、蒼真の主がいなくなるじゃないか」



 ガルディエルの素直な答えに、シルヴェーラはくくっと喉を鳴らした。



「あたしは死なない。蒼真のためにも、自分のためにも。そして、蒼真を鍛えてくれた、親父のためにも…。生まれ変わっても、蒼真の元へ戻ってくる。必ず」



 ただ、特別に護る人はいない。だから、今あたしの側にいる人だけでも、この手で護ってやりたい…。



「…蒼真を、見せてくれないか?」



 ガルディエルの呟きに、シルヴェーラはふと眉根を寄せて目をやった。



「見せる?蒼真を…?」



「いや、その、まだ聞いたことしかなくって、その、一度見てみたいなって…いや、いい。ごめん、シルヴェーラの大切なものだもんな…」



 睨んだわけでもないのに、ガルディエルは一人で慌てて、勝手に結論を出して肩を落とした。



 シルヴェーラは黙ったまま、手の中の蒼真の銀糸の包みを解いた。



「…シルヴェーラ?」



 柄の蒼水晶は決して人に見せてはならない、と父に言われたのを思い出して、シルヴェーラはしっかりと蒼水晶を上から握り締めた。



 銀の装飾が美しい鞘ごと包みから出すと、すらりとその細く長い刀身を引き抜いた。



「す、げぇ…」



 ガルディエルの声が驚きのあまりに低くかすれて、それ以上の言葉はなかった。



 輝く刀身は白銀。寸分の曇りもなく、蒼真は銀色の光を放っていた。



「聖剣はその持ち手が少しでも邪にかられた心を持つと、刀身の輝きと力をなくす。自分の心を試す勇気があるなら、蒼真の刀身に触れてみろ」



 今のシルヴェーラなら、精霊と魔導を行使すれば汚れた蒼真も元に戻すことが出来る。



 これは、賭だ。もし蒼真が輝きをなくしたら、あたしは契約を破棄して旅に出る。



 もし輝きが増したなら…どんなことがあっても、あたしは必ずガルディエルの力になる。



「俺の心…試してやる…」



 ガルディエルが息を飲んで、そっと蒼真に手を伸ばした。



「俺は邪な心なんて持っていない!」



 手が、蒼真の刀身に触れた。



「うわっ!?」



 ガルディエルの触れた部分から銀色の光が発し、シルヴェーラは思わず手を翳した。



 蒼真が、輝きを増した!



「…光が…!?」



 蒼真がこんなに輝いたことなんて、デュマ以来だ…。



 本当、ガルディエルの人の良さが現れてるな…。



「…合格だ。蒼真は、おまえが気に入ったらしい」



 輝きに目を細めるようにして微笑むと、ガルディエルは驚いたように目を丸くした。



「どうかしたのか?」



 シルヴェーラが不信に思って尋ねると、ガルディエルは人好きのする笑顔を、満面に浮かべて言ったのだ。



「だって…シルヴェーラがそんなふうに笑ったの、初めてじゃないか…。そんな、嬉しそうな笑顔なんて…」



 シルヴェーラははっと口元を覆うと、ふいと顔を背けた。



 今までこんな気持ちになったことなんてなかったのに!



「シルヴェーラ?」



「見るな!」



 こんな…こんな感情を剥出しにするなんて、あたしじゃない!



 カッと耳まで熱くなって、シルヴェーラははぐらかすように顔を背けて蒼真を鞘に収めた。



「あのさ、無理に冷静に繕わなくてもいいと思うんだ、俺は…。シルヴェーラは、本当はすごく表情豊かなのに、隠しすぎるんだよ。だから、今みたいに笑ってくれよ。シルヴェーラは、笑った方が、その…可愛いと思うよ、俺」



 恥ずかしい台詞を照れなら言うガルディエルに、シルヴェーラは呆れる反面、羨ましく思った。



 ガルディエルは、なんて自分に素直なんだろう、と…。



 自分が意図して失くしてきたものを、今更ながらに気づかされる。



 これなら、蒼真にも気に入られるはずだ。



 たぶん、心はあの優しい瞳のデュマと同じくらい純粋なんだ…。

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