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こまづかい

 昼の日が射す森の中を、歩く者あり。半人半妖で方向音痴の辻ヶ先遊行(つじがさきゆぎょう)である。今日の彼は、長旅を終え、戻って来たとは思えないほどに足取りが軽い。笠の内に微笑を浮かべ、風呂敷の結び目に手を添える。その仕草は、大事なものを抱えているかのようだ。そして、いつもの通り、竜宮へ向かう洞窟へと足を運んだ。
 遊行は、九角竜天子(くかくりゅうてんし)への謁見を、側近たちに願い出た。すると、今は大陸からの竜との交流のため、謁見には応じられないとのことだった。
 竜という生き物は、大陸にも存在する。大陸の竜は、大和の竜よりも体格が良く、力強い。そして、独自の文化が存在する。大昔、海を渡った大陸の竜によって、ここの竜宮での社会が出来たのだ。それ以降も、竜宮では大陸の竜との交流を重んじているようで、数十年に一度、大陸からの使者が来たり、逆に竜宮からの使者を派遣している。
 遊行は側近たちから、旅の報告を紙に認めることが出来るかと問われた。その顔はにやにやとしている。遊行には、文字の知識が無いだろうと馬鹿にしているのだ。遊行は、渡された紙と筆を受け取り、拙いながらも行先やその途中で見聞きしたこと、江戸や京での動きを簡単に纏めた。すると、側近たちは意外そうにこちらを見る。遊行は読み書きが出来るのだ。しかし、それも竜宮に住むようになってからであり、森に棲む妖怪に教えてもらったばかりだ。
 旅の報告を書面で終えた遊行は、奥座敷の蚕月童子(さんげつどうじ)の元へ向かう。すると、よく分からない言葉であったが、怒号が響いた。走って奥座敷へ向かうと、一頭の竜が奥座敷から出てきた。体躯がいいので、恐らくは大陸からの竜である。その竜は怒り心頭であり、その後を竜宮の官吏が宥める様についていく。奥座敷に残された蚕月童子は、きちんとお座りをし、文机に向かっている。膝の上で拳を強く握り、涙目になっている。
「童子!」
遊行が駆け寄って、童子は初めて遊行が来たことに気がついた。
「遊行ー」
遊行を視界に捉えた童子は、堪えていた涙をぽろぽろと流した。遊行は泣きじゃくる童子の隣に座ると、童子は遊行の膝にしがみついてきた。泣きつく童子の頭を、ポンポンと優しく叩きながら、横目で文机を見ると、「論語」が開かれていた。幼い童子に「論語」はまだ早いのではないかと遊行は思った。
「ちゃんと言って()のに、言って()のに怒鳴ったー」
しゃくり上げていた童子は、わんわんと泣き出した。遊行は童子の頭を撫で、童子が泣き止むのを待った。
 しばらくして、童子が落ち着いたようで泣き止んだ。泣き止んだ童子はゆっくりゆっくり顛末を話した。それを遊行は相槌を打ちながら聞いた。
 竜宮の官吏は、将来有望な蚕月童子にいい機会だからと、四書五経の教授を大陸から来た竜の学者にお願いしたのだ。使者としてやって来るような、高名な学者である。そんな学者に長旅を伴った交流の機会に教授を願い出たのだ。遊行は随分と恥知らずなことをするもんだと考えた。しかし、そう願い出るほど、さぞや賢い小竜なのかと、学者が気になったようだ。ところが、いざ教えてみると、「論語」の音読が拙かった。童子はきちんと言っているつもりだが、如何せん童子は舌足らずだ。竜の学者は、教える相手が舌足らずな幼い小竜であることに腹を立て、怒鳴ったのだ。童子が舌足らずなのが悪いのではない。そんな童子に、無茶なことをさせた官吏が悪いのだ。
「悔()い」
しかしながら、童子は己の至らなさを悔しがっているようで、遊行の軽杉(かるさん)を握りしめている。
「何事も上手くいかないのは悔しいよな。俺もそんな時があったよ」
遊行は童子に慰めの言葉をかけ、童子の頭を撫でる。すると、童子は赤く腫れあがった目で、遊行を見上げた。
「遊行も上手(じょうじゅ)に出来なかったことあったの?」
「あったよ。上達するのに時間がかかるものさ。でもそういうのって上達したら、失敗しないくらい身に付くもんだ」
遊行は童子を起き上がらせると、振分荷物の行李から独楽を取り出す。童子は、独楽を初めて見たようで、興味津々だ。遊行はその独楽に手早く紐を巻きつけ、独楽を回す。回った独楽の軸に、くるりと紐を巻きつけると宙に浮かせ、それを手で受け止める。独楽は、遊行の掌で回り続けている。
(しゅ)ごい」
童子は先ほどまで泣いていたのが嘘のように、手を叩きながら、キラキラとした目つきで独楽を見つめている。手の上の独楽を宙に放つと、今度は独楽を止めるように、手で受け取る。独楽は遊行の手の上で倒れている。
「どう?上手いだろ」
上手(じょうじゅ)だね。(しゅ)ごいね」
遊行はその場で胡坐を掻いた。そして、手中の独楽を童子に見せながら言う。
「何か芸が出来れば、旅先でも銭を稼げると思って、弟子入りしたんだ。でもこの習得には時間がかかったものさ。今では旅費が足りなくなりそうな時や、関所を通る時にも役立ってる。森の外ではこれで食ってるんだ」
童子は独楽をどうにか立たせようとしているが、すぐに独楽は倒れてしまう。そして、首を傾げている。この倒れた独楽が、一本の軸でどうして立っていたのかが気になるようだ。
「今日は、独楽の話をしようか」
今日も遊行が語りだす。


 俺はとある曲独楽師(きょくごまし)に弟子入りした。芸ならなんでもよかったんだが、大柄な体躯の俺に嫌がる芸人は多く、唯一弟子入りを許して下さったのが、曲独楽師だったんだ。師匠はおおらかな人で、優しかった。しかし、芸には厳しく、真剣に打ち込んでいた。教え方が上手で、上達すると一緒に喜んでくれるような、そんな方だった。師匠の身の回りの世話をしながら、旅先に同行し、暇を縫っては独楽を教えてくれるような生活だった。
 最初は、独楽を回すのさえ難しかったが、その度に師匠はコツを教えてくれた。初めて回った時は嬉しかったもんだ。そして、一つ一つの技が出来るようになると、達成感も一入だった。そんな時は師匠と杯を交わした。
 ある日、師匠が新しく弟子入りさせるという子供を連れてきた。子供は孫八といい、浪人の子であった。幼い弟妹のために、商家に住み込みで奉公していたが、愛想が悪いものだから、店主に酷く扱われていたそうだ。それを見兼ねた師匠が拾ってきたらしい。孫八は俺に引けを取らないほどの無愛想、無表情で、口数が少なかった。しかし、態度に出にくいだけで、お菓子をもらうと嬉しそうにするといった、子供らしさもあった。それからは弟弟子ということで、孫八が師匠の小間使いとなった。孫八は気の利く子供だった。寒い日は、師匠や兄弟子である俺の草鞋や羽織を火鉢などで温めたり、雨の日には衣類を囲炉裏で乾かした。
 孫八が少し大きくなると、師匠は孫八に独楽を教え始めた。その頃には、俺は独楽を人前で披露できるようになっていた。孫八は、持ち前の一生懸命さで独楽を学んだ。しかし、独楽を回せるようにまではなった孫八だったが、技が中々上達しなかった。師匠は、懸命に孫八にコツを教えていたが、それでも技が出来るようにならなかった。次第に、孫八には焦りが見え始めた。孫八が落ち込むと、師匠は俺に孫八を励ますように言った。師匠は、自ら励ますようなことはしなかった。それから、孫八は小間使いの仕事に更に精を出し、そして寝る間も惜しんで独楽を回し続けた。孫八の小さな手には、血豆が出来ていた。
 ある日、師匠は孫八にお使いを頼んでいる間に、俺に呟いた。
「孫八に技はできねえ。あいつの独楽の回りは軸がぶれているんだ。そういう回し癖がついちまってる」
俺は師匠を見た。独楽の軸がぶれてしまう癖というのは、割と痛手であった。紐や刀の刃先の上に独楽を回すとき、軸がぶれていると落ちてしまう。だから、孫八は技が習得できなかったのだ。
「この回し癖というのは、直すのがとても難しいんだ。それで独楽を辞めちまった奴は多い。孫八を一人前の曲独楽師にしてやりてえが、潮時かもしれねえな」
師匠は頭を抱えていた。師匠としては、弟子として迎えたからには、人前に立てるような芸を身につかせたいと思っているようだ。しかし、孫八の癖をどのように伝えたらよいのか、それを直すコツをどう教えればよいのかを、傷つけずに伝えるのを悩んでいた。俺は師匠を宥めた。そしてこの時、お使いから帰ってきた孫八が、師匠の零した話を聞いていたことに気がつかなかった。その夜、孫八はひっそりと泣いた。

 曲独楽というのは、神事芸能として行われることもあって、時折祭の舞台で披露していた。ある年、師匠は故郷の祭礼で曲独楽を披露することになっていたので、弟子の俺たちもついて行った。その祭礼は数年に一度行う式年祭だから、曲独楽だけでなく、山車に神楽舞、傀儡師や剣舞に流鏑馬など、多くの神事芸能が行われた。餅まきなんかもやっていて、数年に一度の大盤振る舞いでもって、日々の生活を慎んで送る意味合いもあったんじゃないかな。老若男女が楽しめる祭だった。
 師匠もその祭の期間中は気前が良く、小遣いをくれて祭を楽しむように言ってくれた。まあ本人も、地元の人間との付き合いに羽目を外したくても、弟子がいたんじゃ気が気じゃなかっただろうからな。孫八は地元の子供たちや、孫八のような神事芸能の芸人の子供たちと遊んでいた。この時の孫八は、独楽が上達しないことも忘れて楽しそうにしていた。流鏑馬に使われた馬を、子供たちと見に行った孫八は、馬を撫でていた。その愛おしそうに撫でる姿に、気前のいい射手が、馬に乗ってみないかと誘った。他の子たちも馬に乗せてもらっていた。手綱を射手が持ち、暴れないようにする。子供たちが馬に乗ると、馬は落ち着かない様子になった。しかし、孫八が乗ると馬は大人しくなり、初めて馬に乗ったとは思えないほど上手かった。恐る恐る射手が手綱を離しても、馬は落ち着いたままであった。これには流鏑馬の射手達が驚き、孫八には馬乗りの才があると褒めそやした。孫八は同年代には珍しいほど落ち着きがあり、堂々としていた。また、気の付く性格も馬乗りには向いていた。
 その夜、孫八の保護者である師匠の元に、流鏑馬の師範が弟子数人を引き連れて訪れた。孫八には、近年稀に見る馬乗りの才能があり、弟子にしたいという申し出であった。これには酒に酔っていた師匠も、酔いが瞬く間に醒めた。俺も魂消た。傍らにいた孫八も驚いていた。流鏑馬の師範は武士であり、大名家に馬術や弓術の指南役も務めていた。師範は浪人の子である孫八を養子にしてでも、弟子にしたいそうだ。それだけ孫八の才覚と気立てが気に入ったのだ。孫八本人の意思と、独楽の師匠であるこちらの許しを得られれば、孫八を連れて孫八の国元へ行き、孫八の両親へ打診するそうだ。まさに破格の対応である。祭が終わるまでは、お互いこちらに滞在しているので、その時までに考えてほしいとのことだった。流鏑馬の師匠は、弟子を連れて去っていった。
 師匠は、孫八にどうしたいのかを訊いた。孫八は師匠の手前、どうしたいのかを言えなかった。俺は黙って師匠と孫八の双方を見ていた。
「孫八よ。『独楽』は漢字で独りで楽しむと書く。お前は今、独楽が楽しめているか。独楽を回すことを苦痛に思っていないか。」
孫八は、師匠の的を射た言葉に目を背ける。師匠はため息を一つつく。
「俺は、お前たちにはいつまでも独楽を楽しんで回してほしい。そして己が楽しみながら回した独楽が、皆を楽しませる。そういう曲独楽師になってほしいんだ。今、孫八は中々上達しない独楽に苦しめられているだろう。そういった気持ちになってまで、独楽を回して欲しくないんだ。孫八、俺は独楽に苦しめられるお前を見るくらいなら、流鏑馬の弟子になって、楽しんでほしい。祭は皆が楽しむものだ。芸能をする側も楽しめないと、皆が楽しめないからな。孫八よ、お前は流鏑馬の弟子になるか?」
師匠の言葉に、孫八は涙を流す。
「御師さん、ごめんなさい。わしは今、御師さんの仰る通り、独楽が楽しめていません。回せば回すほど、独楽が自分の心を写した鏡のようにぶれていくんじゃ。そして、馬に乗せてもらった時、初めて武者震いをした。そして、独楽のことを忘れ、とても晴れやかな気分になった。馬乗りの才が有ると、弟子にしたいと言われたときは、天にも昇るくらい嬉しかった。御師さんや兄さんには申し訳ないが、わしは流鏑馬がしたい……」
孫八は流れる涙を堪えきれず、袖で拭いながら言う。全てが彼の本心なのだろう。師匠は、本音を言った孫八に笑みを浮かべる。そして、孫八の頭をぐしゃぐしゃに撫でる。
「よく本音を言ったな、孫八。俺はお前の本心が聞けて嬉しいよ。なーに弟子入りしても大成できず、鞍替えすることなんてよくあることさ。己が楽しめる芸をやるのが一番だ」
師匠の言葉に、孫八は目を丸くしてから泣きじゃくった。ここまで感情的な孫八を見るのは、師匠も俺も初めてだった。しゃくり上げるほど泣く孫八に、師匠は背中を優しく撫でる。
「泣くんじゃねえよ、孫八。お前はこれから武士になって、流鏑馬やるんだろう?」
師匠の背中は少し寂しそうに見えた。
 祭の最終日、師匠が孫八を連れて流鏑馬の師範の元へ連れて行った。師匠は深々と頭を下げて、師範に乞う。
「この孫八は、感情を表に出さない所はございますが、強い意思を持ち、気の付く子です。屹度いい馬乗りになると思います。何卒よろしくお願いします。」
師匠の言葉に孫八も深々と頭を下げる。じっと見つめた師範は言う。
「同じ弟子を持つ身としては、弟子を余所へ譲るのは辛いものがありましょう。お気持ちお察しいたします。それにしても孫八君はいい目をしています。この子はいい流鏑馬師になるでしょう。貴方様から譲り受けたこの子を悪いようにはいたしません。ご安心ください。さあ孫八君、御師さんとお別れしなさい」
孫八は、師匠の手を両の手で握った。豆だらけで血が滲んだその手は震えている。
「御師さん、今までお世話になりました。わしは流鏑馬を始めても、御師さんに教えられたことや御恩を忘れはしません。独楽も続けます。いつか立派な流鏑馬師になって、皆を楽しませることを誓います。ありがとうございました。いつまでもお元気でいてください」
涙が滲んだ孫八を、師匠は抱きしめる。
「泣くなよ孫八。お前さんは涙なんか人前で流す子じゃないだろう。お前も達者で暮らすんだぞ」
師匠の言葉に孫八は涙を堪え、「はい」と力強く返事をした。その目は真っすぐであり、孫八の覚悟を示していた。そして、流鏑馬の一門と共に、孫八は振り返ることなく去って行った。俺と師匠はその後ろ姿を見つめていた。師匠は静かに涙を流していた。俺は師匠の小さい背中を支えた。そして、一門が見えなくなるまで見送った。ずっと聞こえていた祭囃子は、いつの間にか聞こえなくなっていた。

 そして、俺は数年経つと師匠から免許皆伝を言い渡されて独り立ちをした。しかし、その後も師匠の元を訪れて酒を酌み交わした。師匠は、独り立ちした弟子と飲む瞬間が最も幸せだとぼやいていた。俺自身も、技を覚えた時に酌み交わした酒と、独り立ちしてからの酒とでは後者の方が格段に美味い。

 更に月日が経ち、師匠は老いた。そして、師匠は言った。
「この間のあの祭で、孫八に会ったんだ。あいつは流鏑馬師として大成してたよ」
 詳しく話を聞いているとこうだ。あれから孫八は、馬乗りとしての才覚をめきめきと伸ばした。また、幼い頃からの肝の据わった性格が、弓の方にも合っていたようだ。そして、数年後には一門の一番弟子になった。師範の一人娘を嫁にもらい、息子がいるそうだ。息子や、幼い弟弟子にやってあげる独楽が評判らしい。あれだけ出来なかった技も、出来るようになったとか。後々には師範の跡を継ぐそうだ。その孫八が披露した流鏑馬の腕は、圧巻だった。孫八から放たれた鏑矢は、甲高く祭の会場に響き渡り、三つの的を全てど真ん中で射抜く。会場にいた人間は、その腕前の素晴らしさに見惚れ、湧いたそうだ。その流鏑馬で、狙いを定める孫八の目があまりにも鋭くて、師匠は感動して震えたと言う。同年代よりも小さくて、物静かな孫八が、立派な流鏑馬師になってはいたが、「御師さん」と呼ぶ声の柔らかさは今も変わっちゃいなかったと、師匠は嬉しそうに語った。その祭の後、一緒に酒を酌み交わした。俺がでかすぎるとか、どこか抜けてるとかそういった話で盛り上がったと言っていた。とても楽しい夜をすごせたらしい。それから、孫八と師匠は文を交わしているようだ。
「遊行よ、俺は、弟子をその道一本でおまんま喰わせるようにするのが、いい師匠だと思ってる。道を変えた孫八には、俺は『御師さん』ではないはずなんだが、なんで『御師さん』と、今でも呼んでくれるんだろうな?いい師匠ではないはずなんだが……」
俺は師匠を見て、師匠の盃に酒を注いで言う。
「あの時、師匠が背中を押してくれたのが、嬉しかったんですよ。孫八には。師匠が別の道を示してくださったから、孫八だって辛い時も頑張れたと思います。それで『御師さん』と今も慕っている。俺らにはいい師匠ですよ。それに師匠だって、俺と飲む酒と同じくらい、孫八と飲んだ酒は美味かったでしょう?」
そう言った俺を、師匠は目を丸くして見た。そして注がれた酒を一気に煽ってから、俺の肩を組んで笑った。
「ははは。違いねえ。おまえらと飲む酒は最高だ」


「どうだった?童子。上達するのは簡単じゃない。それが苦痛なら辞めるっていう道もある。今は『論語』がきちんと読めなくたって悔しがることはないし、他の道もある。これは覚えておきなね」
遊行は柔らかい声で童子に諭す。
「うん。あ()がとう。よく覚えておくね」
童子は笑いながら言った。遊行は先ほど回した独楽を手に取り、紐と共に童子の手に乗せる。童子は不思議そうに独楽を見つめる。
「それから、この独楽、童子にあげるよ。独楽は独りで楽しめるもんだ。ここで一人ぼっちでも楽しめるよ」
童子は、ぱあっと明るい顔になっている。
「えっ、くれる(えゆ)の?あ()がとう」
童子はもらった独楽を様々な角度で眺めている。そのきらきらしい顔は微笑ましいものだ。
「独楽の回し方を教えるから、こっちおいで」
遊行は己の膝を叩き、童子に座るように促す。童子はどうしたらよいのか分からないようで、眺めているばかりである。膝の上に座ったことがないようだ。遊行は向かい合っていた童子を後に向かせ、童子を後から抱き上げて膝の上に座らせる。童子の尻尾が、遠慮がちに遊行の腰に巻きついた。遊行は後から童子の手を重ね、独楽の紐の巻き方から投げ方まで丁寧に教えた。童子は頷きながら聞いている。そして、一刻ほどかけて童子に独楽の回し方を教えた。

 遊行が帰ってから、奥座敷の傍を、大陸から来た竜の学者が官吏を連れて通った。一生懸命に独楽を投げる童子を見た学者は言った。
「あの子供は勧められるがままに『論語』を教えられていた。しかし、無理に教えることは伸びず、考えたりしない。上手く出来なければ嫌いになってしまう。それでは学を大成することはできない。今は好むものをやらせ、本人の求めた時に学を授ければよい。何事も楽しんでやることには適わないものだ。それも『論語』の教えなり」
それを聞いた官吏は、苦々しく思い、九角竜天子に報告した。それを聞いた天子は、官吏や女官たちに蚕月童子への学問の強要を固く禁じた。

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