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相模の女《ひと》

 昼下がりの森の中を歩く者あり。方向音痴で半人半妖の辻ヶ先遊行(つじがさきゆぎょう)である。柊の白い花が咲き始め、甘い芳香を放っている。昼が短くなり、夜が長く感じる。この日は暖かかったが、日に日に寒くなり、冬の近さを偲ばせる。今年の竜宮への出仕は、最後になるだろうと思いながら、湖底へ続く洞窟を潜る。
 竜宮へ辿り着いた遊行は、早速九角竜天子(くかくりゅうてんし)への謁見を、側近の竜に申し出た。長月も末であり、竜神でもある九角竜天子は、出雲への出発の準備に追われていたが、謁見に応じてくださった。
「遊行、先達ては、使節団の来訪のため、顔も見せずにすみませんでした。報告は目を通させていただきましたよ」
「いえ、こちらこそ大切な時期にも関わらず、訪れてすみませんでした」
先ず、九角竜天子は先日のことを謝罪した。大陸からの竜が来ていたことを知らなかったとはいえ、飛び込みで訪ねた己にも非があるというのに、先に謝る度量は尊敬に値する。
蚕月(さんげつ)のこともありがとうございました。貴方が蚕月に独楽を教えてくださったそうですね。未だ回せないようですが、あんなに活き活きとしたあの子の顔は初めて見ました」
天子は笑顔でそう仰った。その慈悲深い顔立ちは、我が子の成長を見守る母のものであった。天子は蚕月童子(さんげつどうじ)のいわば保護者である。天子の蚕月童子への愛情が垣間見えた瞬間だった。
「そうですか。独楽は一人でも楽しめますからね。童子にはもってこいかと思いましたが、気に入って貰えたなら俺も嬉しいです」
遊行は返事をした。己の生業でもある独楽が、童子は気に入ったようだ。天子の言葉によれば、未だ独楽を回せていないようなので、後でコツを教えてあげようと決心する。
「また、学者にも叱られてしまいました。あのような舌足らずの内は、『論語』を理解できないので、勉学を強いるのではないと。強いることで嫌いになっては、身につかないとのことです。勉学は、己が求めるようになってから行うべきという『論語』の教えに反すると言われてしまいました」
その件に関しては、天子の指示ではなく、竜の官吏たちの所為なのだが、天子が童子の保護者であり、官吏の監督者でもあるため、責任を感じているのであろう。態々遊行にそのことまで報告するあたり、かなり律儀である。
「ご丁寧にどうもありがとうございます」
遊行は天子に一礼し、謁見の間を後にする。そして、蚕月童子のいる奥座敷へと向かう。

「童子」
奥座敷へと辿り着いた遊行は、入室する前に童子に声をかけた。そこでは、蚕月童子が大層熱心に、独楽を回そうとして、紐を巻いては投げ、巻いては投げてを繰り返していた。こちらが呼びかけても返事をしないほど、独楽回しに夢中である。その熱心さに遊行は喜ばしい限りだ。また、熱中すると周りが見えなくなるのは、森の外の子供となんら変わらないので、竜の子もヒトの子も同じなのだと実感した。しかし、童子は一向にこちらに気がつく様子を見せないので、遊行は声量を上げてもう一度声をかけた。
「童子。蚕月童子」
遊行はいたずらっぽく、普段呼ばない呼び方で呼んでみた。その声に童子は気がついたようで、ゆっくりと入口を見た。
「ほゆっ!!」
遊行を視界に捉えた童子は驚いたのか、手の独楽を落として固まっている。独楽の床に落ちる、ことんという音が静寂に響いた。その様子に遊行は可笑しくなりつつ、頭を下げて奥座敷の小さな格子戸を潜り抜ける。
「こ、こんにちは。遊行」
童子が慌てた様子で挨拶をする。その挨拶に、遊行は顔のにやけを抑えきれずに返事をした。
「はい、こんにちは」
バクバクと速まった心臓の鼓動を落ち着かせるため、童子は胸に手を当てて、呼吸を整える。少し経ってやっと落ち着いたようだ。
「もう、遊行吃驚(びっくい)()たよー」
童子がほっぺを膨らませながら、不満を口にする。
「俺は声をかけたさ。でも童子が夢中で気づかなかっただけだろう?」
遊行は膨らんだ童子のほっぺを、指で突いて反論する。遊行の声かけに気がつかなかったのは己であるため、これには童子も黙るしかない。
「そんなに独楽が楽しいかい?」
遊行は脱いだ合羽を軽く畳み、胡坐をかいて童子に訊いた。童子は頷いた。
「僕ね、早く独楽を回せる(しぇゆ)ようにな()たいんだ」
童子は答えながら、遊行の前に正座をする。
「でもね、たく(しゃ)ん独楽を投げて()んだけど、回(しぇ)ないんだ。どう()てなんだ()う」
童子は首を傾げて独楽を見つめながら言う。遊行は童子の手を取り、掌を撫でた。その小さな手はまめができ、所々皮膚が厚くなっている。
「早く独楽を回せるようにと、熱中するのはいいことだ。だけど、寝ることも大事だよ。寝ないと大きくなれないし。それにもうすぐ冬眠の時期だろう。後でコツを教えてあげるから、あんまり根詰めるなよ」
遊行は童子の頭を撫でる。童子は納得出来なさそうだが、頷いた。童子は早く成長したい、早く上達したいという、向上心が強い所がある。しかし、その向上心が逸ると、上手くいくことも上手く出来なくなってしまうのが世の常だ。時には休むのも上達への近道であると、教えられたのは久しいことだ。
「さて、独楽を回すのは一旦休憩して、いつもの話でもしようかね」
遊行は膝をぽんと叩いた。今日も遊行が語りだす。


 今日は今回の旅であったことを話そう。俺は相模国の箱根の関に辿り着いたんだ。箱根の関は、五街道の内、東海道にある関所で、公儀(江戸幕府のこと)にとっては重要な関所の一つだ。それだけに取り締まりは厳しく、関所破りの罪も重い。
 俺もあまりここを通るのは好きじゃないんだが、着いたのは仕方がないので、通ることにしたんだ。
 本来は関所手形という、己の身分や素性、旅の行先や目的を記した書状が必要なんだが、方向音痴の俺は、行こうと思った所へ行けないので、手形が無意味だった。しかし、芸を生業にしている者は、手形が無くても通れるんで、俺は関所に辿り着くと、独楽の技を役人に披露することで通過している。この時も、関所の役人に独楽の芸を披露した。娯楽の少ない山深い所にある関所にとっては、数少ない娯楽であるらしく、皆が楽しんでいたよ。
「いやー、そちの独楽、面白かったよ。芸人であることを認め、関所を通過して良かろう」
「ありがとうございます」
「それにしても、丈夫とはこのような体格のことを言うのであろうなあ」
「まるで足柄山の金時よ」
「力士になってはどうだい。きっと天下無双の力士になるであろう」
「そうだそれがいい。その体躯であれば、さぞや腕っぷしも強かろう」
関所の役人たちは、好き勝手に言っているが、勘弁してほしい。俺は苦笑いをしながら、聞いていた。俺が関所の上方口へ向かうと、後の江戸口が騒がしかった。俺が振り向くと、昨今ではお目にかかれない、壺装束の女が一人、江戸から上方へと行こうとしていた。白い顔の頬には一本の傷があり、太刀を携えていた。ただでさえ関所は「入り鉄砲に出女」と、江戸から出ていく女性の旅人には厳しい。また、傷のある者も警戒される。しかも、女は女手形を知らないようで、役人に取り押さえられていた。俺は、取り押さえられた女と目が合った。すぐに笠を傾け、目をそらして上方口を抜けようとした。だが、目が合った瞬間、俺は女に何か近しいものを感じた。そのことが頭から離れず、このまま見捨ててしまうのは惜しく感じた。俺は、踵を返して女の元によった。そして、取り押さえていた役人に告げた。
「悪いけど、こいつは俺の妻なんだよ。今まで芸人で育ったから、手形が必要なかったし、俺も必要だとは思わなくてさあ。しかも独楽の刃渡りに使う刀を持たせたばっかりに、怪しまれちゃったね。面目ない。詫びの印として、受け取ってくれないかい?」
俺は役人に頭を下げ、銭の入った袋を役人の一人に持たせた。袖の下である。役人は大層魂消た様子であった。
「いやあ、奥さんが同伴してたとは露知らず。しかし、今後は奥さんに手形を持たせるようにな。道中気を付けて」
そう言って、役人は女を解放した。そして、俺は女の手を引いてさっさと上方口を抜けた。「破れ鍋に綴じ蓋。大男に太刀女か。似合いの夫婦だな」
後の方で役人が呟いたのが聞こえたが、俺は無視して歩く。女は不思議そうに俺を見上げている。無事に関所を越えて、見えなくなった辺りで女が声をかけてきた。
「おい、手を離せ」
「あっごめん」
「なんなんだ貴様、人のことを勝手に奥さんだとか、芸人にしたりだとか、この太刀を芸に使うとか勝手なことを言いよって!」
顔に似合わず、ずいぶん強気な方である。見ず知らずの大柄な男に、物怖じ一つせずに捲し立てる。
「ごめんごめん、関所を抜けるための方便だって」
「しかも、袖の下まで出したら、私は悪事に加担したことになるではないか」
女はぷいっとそっぽを向いて怒っている。腰の太刀に手を添えている。怖いからやめてほしい。
「関所は女性に厳しいんだよ。ああしなければ戻らなきゃいけないか、刑罰だよ。仕方がないって。無事抜けられただけでも御の字だよ」
女はハッと気がついた様子で、その後しおらしくなって言った。
「そうか、私がお前を悪事に加担させたのだな。すまなかった」
俺は拍子抜けした。
「今時、壺装束に太刀持って旅してるだなんて、あんたも何か訳ありなんだろ」
そっぽを向いていた女は、俺に向き直って言った。
「『あんたも』ということは、矢張り貴様も何かあるのだな。貴様には借りがあるからな。教えてやろう」
女は腰に下げていた太刀の紐を解き、顔の前に真一文字に掲げた。結構な重さがある太刀を掲げ上げられるのだから、随分とその太刀を持ち慣れているのだと感じさせる。
「この太刀は『鬼切りの太刀』だ。我が継父が、幾つかの鬼をこの太刀で葬った。だが、継父の死後、この太刀は鬼を求め、持ち主を鬼にするようになった。そんな妖刀だ。私はこの妖刀を継いで、鬼を葬っている。此度はこの太刀がこの近くに鬼を見出したので、陸奥国より参った」
俺は驚いた。ヒトを鬼にする妖刀なんてものが存在するだなんて、俄かには信じがたかった。しかし、女があまりにも真っ直ぐな瞳で言うので、嘘ではないと思った。しかも、これから鬼退治へ行くというのだ。こんな面白いことに出くわすだなんて、大枚を叩いただけの価値がある。俺は唾を飲み、太刀を見た。
「おい、私は私の事情を言ったんだ。貴様の事情も私に話せ」
その言葉に我に返る。
「あっごめん。俺の名は辻ヶ先遊行。所謂半人半妖でヒトと妖怪の子だ」
「半人半妖か。なるほど。私は名前などないから、好きに呼べ」
「じゃあ相模国で逢ったから、相模さんでいい?」
「それは安直過ぎないか」
俺の名前の提案に、女は呆れるように言った。
「まあ、私には似合いの名かもしれないな。よし分かった。相模だな」
女改め、相模さんは遠くを見つめながら了承してくれた。
「早速なんだけど、相模さん。俺も鬼退治について行ってもいい?」
「はあ。貴様、鬼退治は危険なんだぞ。半人半妖とはいえ、素人を連れていくことなどできるか」
相模さんは俺の提案を問答無用で断った。
「俺、懐剣持ってるし、手助けできるよ」
「鬼は懐剣如きでどうにかなる相手ではないんだぞ。駄目だ」
彼女は身を翻す。俺はどうしても諦めきれなくて、彼女の背中に言った。
「あーあ、俺一人だったらすんなり抜けられたんだけどなあ」
彼女はピクリと反応して振り返った。
「俺のなけなしの旅銀も、袖の下に使って無くなったし、野垂れ死ぬしかないのかなあ」
「もう、分かった。私が悪かった。貴様の望み通り、鬼退治に連れてってやろう」
彼女の了承を得て、鬼退治に行くことが出来るようになった。鬼の話はよく聞くが、本物の鬼は見たことがないので、楽しみだ。
 俺は彼女の後をついて行く。東海道の本道から一本離れ、脇街道に入って行き、さらに脇道に逸れて、山の方へ向かっていった。段々集落も人気も無くなりつつある。最後の集落で村人への聞き込みをした。村人は鬼の情報を聞くことはできなかった。相模さんは集落の家で着替えをしていた。先ほどの壺装束ではなく、髪を結い上げた袴姿になっている。また、柊の木を見つけた相模さんが、村人の了承を得て、柊の枝を太刀で切った。その一本を俺に渡してくれた。その切り口は刺せそうなほどに鋭かった。
「鬼除けだ。鬼が近づいたらそれを刺せ」
 さらに人気がなくなり、他の旅人や村人にも会わなくなった。山賊やら獣やら出なければいいのだが。それにしても彼女はこんな道を一人で進もうとしていたのかと思うと、いくら太刀を持っているとはいえ、危険ではないだろうか。そんなことを考えていると、彼女が声をかけてきた。
「何故、貴様は鬼退治に行きたいと思ったんだ」
俺は前を行く彼女を追いかけながら答えた。
「ああ、こういう話が好きな子どもがいるんだよ。その子に話そうと思って」
「貴様、子どもがいたのか。話の種に鬼退治に行くだなんて、馬鹿げているのではないか」
「まあね。他にも危険な旅もあったけど、なんやかんやでそれも、今となってはいい思い出だし」
「元気で早く帰ってあげる方がいいだろう。私も昔はそうだった」
彼女は足を止めて、遠くを見つめていた。その先に彼女の過去があるわけでもないのに。彼女が足を止めたのに合わせて、俺も立ち止まる。
「私の継父は、立派な武士だった。そして、優秀な家臣と共にいくつもの鬼を屠った。都の人間が継父の偉業を褒めたたえた。今でも語り継がれている。そしてそれを誇らしげに話してくださった。その話を聞くたびに、継父に増えていく傷が気になって仕方がなかった。母も、鬼退治へ向かう継父を見送った後は、泣いて仏に縋った」
彼女は太刀に手を添えて震えていた。その背中は太刀を振るう者とは思えないほど華奢だ。白い顔に走る傷は痛々しい。しかし、彼女にこの傷が無ければ、美姫と言えるほど整っている。本来ならば、彼女も人並みの幸せを送ることが出来たのではないかと思う。
「相模さんは、何故その太刀を継いだんだ?」
俺は彼女に対する疑問を投げかけてみた。彼女は俺の方に振り返って言った。
「私の兄弟が、気味悪がって誰も継ごうとしなかったというのもある。だけど、それ以上に皆に誇れる継父の様に、私もなりたかったんだと思う」
夕日の逆光で、その顔はよく見えなかった。きっと迷いのない綺麗な顔をしていたことだろう。
 
 黄昏時に差し掛かり、手元が見えるうちに提灯を出して、火をつける。
「そろそろ、廃寺とか洞穴とか休めそうな所を探さないか?」
「残念ながら、鬼が近い。そんな場所があったら、そこは鬼の棲み処だ」
緊張が走る。柊の枝を提灯に括りつけ、懐剣・賽ノ牙をいつでも取り出せるようにした。
 宵闇が辺りを包む。この日は朔の日で、月明りはない。まさに一寸先は闇である。提灯の明かりを頼りに進むしかない。細い山道を更に外れた所に廃寺があった。廃寺には奇妙にも明かりが灯っている。そして、その明かりには影が出来ていた。あれが鬼であろう。相模さんは、俺が持っていた提灯を消すように、静かに指示をした。それに従い、提灯の火を消した。二人で藪の中に身を潜めた。鬼の影は一つ。恐らく鬼は一匹だ。
 しばらくすると、破れた障子が開く。障子の隙間から出てきた手は大きく、爪が長い。俺は懐剣を、相模さんは太刀を、いつでも抜いて応戦できるようにした。更に障子が開き、ぬうっと鬼が出てきた。ぼさぼさの白髪に皺だらけの老婆であった。立派な角が二本生えている。老婆は背が曲がっていて、俺はその背中になんだか違和感を覚えた。老婆の口から黄ばんだ牙が見えた。ぼさぼさの髪の間から片方だけ目が見えている。どうやら山姥のようだ。山姥は出刃包丁を持ち、ゆらりゆらりと廃寺を出ていく。山姥の後には囲炉裏があり、その囲炉裏には、人骨が入った鍋がぐつぐつと煮えたぎっている。その奥にはヒトか獣かの骨が、いくつか積み重なっていた。
「あひゃひゃひゃひゃ。今宵も獣かヒトでも狩ってこようかねぇ」
独り言には大きな声で、山姥は呟く。その声は嗄れていて聞くに堪えない。ゆらりゆらりと揺らめきながら、山姥は廃寺を後にする。山姥が小さくなっていくのを確認してから、相模さんと俺は後を追いかける。時折キョロキョロと立ち止まりながら、集落の方へ向かっていく山姥を、藪や木の裏に隠れながら後を追う。少しずつ少しずつ距離を縮めていく。
 山姥がまた立ち止まり、辺りを見まわした後、進みだした瞬間のことだ。相模さんは、太刀を抜き、山姥に襲い掛かるために地面を蹴った。すると、山姥は勢いよく振り返った。
「あひゃひゃ。やっぱりおったのかえ」
その発言に、走り出した相模さんは後へと飛び上がり、間合いをつける。驚いた俺と相模さんは冷や汗を掻いた。既に山姥は俺たちに気がついていたのだ。
「ひいふう。ひひひ。二匹も活きのいい肉に出会えるなんてツイてるねえ」
長い爪の皺だらけの指が、俺たちを数える。隠れても無意味だと悟り、俺は木の裏から出てきた。相模さんも目は山姥から逸らすことなく、太刀を構えている。
「わしを退治しようってのかえ。やめときな。退治しようっていう輩は皆喰っちまったからねえ。あひゃひゃひゃひゃひゃ」
その発言に相模さんと俺は目を見開いた。高笑いする山姥に、相模さんは激昂する。
「貴様ーーー!!」
相模さんは山姥との間合いを一気に詰め、太刀で襲い掛かる。俺も彼女を援護するために駆けだした。相模さんが太刀を振りかざすと、山姥は刃こぼれした出刃包丁で応戦する。刃長の差や重さから太刀が圧倒的に優位になりそうなものなのに、互角に切り合っている。その様が、山姥の腕力が強いのを物語る。二人は何合か切り合っているが、拮抗している。
そこに俺が入り込む隙はなく、二人の切り合いを遠目で見ている。すると、山姥の背中がもぞもぞと蠢いた。
「相模さん!山姥の背中!何かいる!!」
俺が相模さんに呼びかけた。ハッとした相模さんは、山姥の背中に注意を向けたが、時すでに遅しである。山姥の背中からにゅうっと腕が伸びてきて、相模さんの結い上げた髪を掴んだ。
「ばんば」
山姥の物とは違う、赤子のような声が聞こえた。もぞもぞと山姥の襟からは、赤子が顔を出した。なんと山姥は背中に赤子を背負っていたのだ。その肌は赤く、整えられていないバサバサとした髪が生えている。先ほど後の俺たちに気がつき、山姥に教えたのはこの赤子だったのだ。
「おーよしよし。坊、お前はいい子だねえ」
赤子は掴んだ髪を決して離さず、引っ張る。相模さんの簪が落ち、綺麗に結い上げられた髪が散らばる。髪を掴まれた相模さんは、太刀を振り回そうとするが、山姥との距離が近すぎて、山姥に刺すことができない。赤子が髪を引っ張るので、相模さんは顔を上げる。
「おやおや、上玉だねえ。しかも血気盛んだ。さぞや美味いだろうね」
山姥は、相模さんの右手を踏みつける。それでも相模さんは太刀を離さない。山姥はいつでも刺せるように、出刃包丁を振り上げている。そして、嗤いながら相模さんの腹を蹴りつけたりの暴行を加える。その暴行を加えている様を、赤子がキャッキャッと笑って見ている。
 俺は相模さんを助けたいが、駆け付けたらばすぐに、山姥がその手を振り下ろすだろう。提灯に括りつけた、柊の枝を見ると、暗紫色の実がいくつか生っていた。俺は、山姥に見つからないように、枝の実を摘み取った。柊には鬼除けの効果がある。本当は、棘の付いた葉を恐れるとされ、実にもその効果はあるのかは分からないが、一か八かの賭けに出た。俺は柊の実を一粒、山姥に向かって投げた。一粒目は外したが、大きく逸れた為に山姥は気づきもしない。続いて二粒目を投げた。俺が放った柊の実は、見事に山姥の頭に当たった。
「ぎいいいやああああ!」
山姥が地を震わすような、けたたましい声で叫ぶ。出刃包丁は握りしめたままだが、頭を抱えてもだえ苦しんでいる。その隙に俺は一気に駆け寄り、赤子の目に鋭い柊の枝先を刺した。
「ああああああああああ」
赤子もまた耳を劈く様な声で泣く。しかし、赤子は相模さんの髪を掴んだまま、放そうとはしない。夜の山中に、山姥と赤子の声がこだまする。耳を塞ぎたいほどの大音量だ。しかし、俺は賽ノ牙を赤子の腕に突き刺す。何度か突き刺しても、髪を放そうとはしない。腕を引いたり、伸ばしたりを繰り返し、その度に相模さんの首ががくがくと揺れる。辺りに赤子の血が飛び散る。相模さんが俺の合羽を掴み、何かを訴える。山姥と赤子の叫び声にかき消されたが、確かにこう言った。
「髪を切れ」
女性の髪を切るなんてことは、流石にやりたくなかった。しかし、迷ってる間にも身悶えていた山姥が正気を取り戻しつつあった。俺は賽ノ牙で相模さんの髪の毛を切った。ばらばらと舞い散る髪を見て、俺は罪悪感を覚える。髪を切られて自由になった相模さんは、太刀を持ったままゆらりと立ち上がった。なんと、太刀が紅く光っていた。そして相模さんにも変化があった。彼女の左の額には一本の赤黒い角が生えており、口には牙がある。目元には、紅がさしていた。ギラギラとした眼で睨みながら大きく息を吐く姿は、まるで鬼か羅刹の如くである。なんとも禍々しい気を漂わせた彼女を一目見ただけで、俺は身の毛がよだち、足元から頭頂まで一気に寒気が駆け上がった。俺はサッと後に下がった。
「よくも、よくもわしの可愛い坊を痛い目にいいい」
正気を取り戻した山姥は、血まみれになりながらも泣き喚く赤子を背負ったまま、怨みごとを言いながら襲ってきた。相模さんは素早い動きで、突進してきた老婆を避けると、そのまま山姥の髪を片手で引っ掴んだ。そしてそのまま老婆を振り回す。老婆の体を宙に浮せた後、地面に窪みが出来るほど、勢いよく叩きつけた。振り回した時、老婆の襟から赤子が落っこちた。落ちた際に打った痛みと、切りつけられた痛みに泣きながら、老婆の元へ這っていく赤子。その両足を、相模さんは纏めて掴んで逆さ吊りにした。そして逆さづりにされ、涙と血とよだれでべとべとになった顔を一瞥した後、相模さんはそのまま跳び上がり、山姥の胸元を勢いよく踏みつけた。みしりと嫌な音が聞こえた。恐らく山姥の肋は数本折れたであろう。山姥はその勢いに血を吐いた。相模さんの顔に山姥の血が付く。それをにやりと笑いながら、舌なめずりをする。山姥に見せつけるようにして、相模さんは赤子の首を太刀で切った。ごとんと首が、山姥の胸元に落ちる。
「坊ーーーー!ぼーーーーーう!」
我が子の残虐な死に、山姥はわなわなと震えて泣き喚く。その嘆きの声は山中に響き渡った。俺は耳を塞いだ。
玉響(たまゆら)の 命に咲けど 落ち椿 嘆く牝鹿の 喧しさよ」
そんな和歌を相模さんは淡々と詠みながら、赤子の首を太刀で串刺しにし、そのまま山姥の喉元にも突き刺した。太刀が煌々と輝いている。俺の背中に冷や汗が伝う。
「あははははは。もっと、もっとだ。もっと鬼の血を!」
笑いながら相模さんは、山姥の喉元に太刀を突き刺す。その度に山姥は、口から血を吐き、びくんびくんと手足が反応する。ぎょろりと憎々しげに相模さんを睨みつけるので、まだ辛うじて生きてはいるのだろう。しかし、何度も突き刺しているうちに、その目は白目を向く。到頭、山姥の首は千切れてしまった。
 相模さんは、山姥の首も突き刺して、そのまま太刀を肩に担いだ。山姥と赤子の首が刺さり、大きな串団子のようである。そして咆哮をあげる。如何にも楽しげに叫ぶ彼女を見て、どちらが鬼なのか分かったものではないと思った。いや、昼間に相模さんが言っていた、彼女は今、太刀によって鬼になっているのだろう。つまり、今回の鬼退治は、毒をもって毒を制した、共殺しである。
 突然、彼女は糸がプツリと切れたように、倒れこんだ。
「相模さん」
俺は彼女を受け止める。俺は一瞬心配になったが、呼吸が安定しているのを確認する。彼女に先ほどまで生えていた、角や牙は無くなっている。目元の紅も消えていた。俺は彼女を背負う。首を刺したままの太刀は、もう赤く光ってはいない。首から抜いて、抜き身のまま、鞘と共に運ぶ。
 近くに手ごろな洞穴を見つけたので、そこに彼女を横たえる。少し冷えたので、俺の合羽も掛けてあげた。俺は近くを見張りながら、落ちている枝と落葉を拾う。それに火打石で火をつけて、焚火にする。これで寒さも凌げるし、獣も寄ってこないだろう。彼女はあどけない顔で眠っている。先ほどのあの鬼のような彼女が、夢幻の如くであるが、髪が短くなっているため、これが現なのだ。
 眠ることが躊躇われ、暇を持て余していたので、太刀を研ごうかと思った。鬼の血がべったらと付いていると思われたが、太刀は銀色に輝いていた。刃こぼれがないかを確認したが、それも見られなかった。まるで、手入れされたばかりの、何も切っていないかのようであった。それでも研ごうとしたら、砥石に当てた瞬間に手を切ってしまった。大したケガではなかったが、なんとなく拒絶されたような気持ちになり、そのまま鞘に戻した。今度は俺は、賽ノ牙を研ぐことにした。感謝の気持ちを込めて丹念に研ぐ。すると、冷たいはずの賽ノ牙から温もりを感じた。じっと賽ノ牙を見つめたが、気のせいだったのだろうと思い、鞘へと仕舞う。
 夜が明けて、段々明るくなっていく頃、腹が空いたので、枝に餅を刺し、餅を焼いた。すると、相模さんがもそもそと起きだした。
「おはようございます」
「お、おはようございます」
「餅食べます?」
「いただきます」
焼いてた餅を彼女にあげ、水も渡した。彼女は冷えるのか、縮こまりながら火で暖をとりつつ、餅を少しずつ食べ始めた。
「あの太刀なんだけど、研ごうとしたら嫌がられた」
「鬼の血を吸って満足したからな。満足感を味わっていたいのだろう」
「鬼の血を?」
「あの太刀『鬼切りの太刀』は、鬼の血を求め、遠くの鬼の気を感じて持ち主を導くのだ。そして、鬼の血を吸うと、持ち主を残虐非道な鬼にするのだ。しかも、『鬼切りの太刀』は、鬼を切れば切るほど、持ち主をより鬼に近くする。思えば私も永い時を生きた」
相模さんは洞窟の外を眺めながら教えてくれた。朝日が眩しく光っている。
「それと、髪を切ってしまってごめんなさい」
俺は、彼女に向かって謝った。彼女は、両手で竹の水筒を持ちながら、答えた。
「いや、髪を切れと言ったのは私だ。あの時切らねば、共に鬼どもにやられていたのだ。柊の実を投げたことといい、髪を切ったことといい、お前には感謝の気持ちしかない」
「でも」
「それに、そろそろ髪文字として売っては旅銀にしようと思っていたところだ。お前が気にすることはない」
「だって、あんなに綺麗な髪だったから……」
それを言った瞬間、彼女の目が大きく開いた。そして、少しの間黙って俯いてしまった。
「私の髪が、鬼殺しとして、女などとうに捨てた、私の髪が綺麗だと……」
独り言のように呟いた。そして、朝日に照らされながら、微笑んだ。
「ありがとう」
その美しすぎる光景に目を奪われた。

 洞窟を出た後、相模さんと俺は鬼の屍の元へやって来た。首が寄り添うように置いてあった。俺と相模さんは、穴を掘って鬼を埋めた。彼女の言い出したことだが、退治した鬼に何故その様なことをするのだろうと、俺は疑問に感じた。
「この鬼の親子の苦悶の表情は、私がさせた。己の所業を、正気の内に見ておきたいのだ。私もそのうち、このように惨たらしく殺されるかもしれないと、胸に刻むのだ」
彼女の複雑な胸の内を語ってくれた。語りながら、経を唱えて手近な花を添える。また、廃寺に転がっていたヒトや獣の骨も埋めた。

 近くの集落まで戻り、鬼退治したことを報告した。実は、村人がいなくなることや、獣が襲われることはあったが、神隠しや獣の仕業だと思ってたようだ。柊をくれた家には、お礼を言った。俺たちは村人に感謝され、生糸や反物を二人分戴いた。これは街で売れば、旅銀の足しになるので感謝した。集落では宴を開いてくれ、泊めてもらった。俺は、昨夜は一睡も出来なかったので、布団で眠れてありがたかった。相模さんも鬼になると反動で疲労が溜まるらしく、野宿では大して抜けなかったそうだ。

 翌日、相模さんと俺は、東海道まで戻った。
「お前は子どもの元へ帰るのか?」
「そうだね。いい土産話もできたし、疲れたから帰るよ」
「そうか……」
「相模さんは?」
「私は、また太刀が鬼の気を感じたようで、そちらへ向かう」
「そっか。大変だ」
「まあな。ここでお別れだ。お前のお陰で助かったよ。子どもによろしくな」
そう言って、壺装束の彼女は去って行こうとする。俺はそれを呼び止める。
「相模さん。今度また会ったら、その時は遊びにおいでよ」
振り返った彼女は、大きく目を見開いた。そして、苦笑しながら言った。
「また会えるのか?この広い国で」
「会えるよきっと。お互い旅してるんだから」
「ふふふ。そうかもしれないな」
彼女が笑った。俺も自然と笑みがこぼれた。そして、お互い別の方へ歩く。


「どうだった?鬼退治の話」
「ほゆー。またどきどき()ちゃった」
童子は、遊行の話を聞きながら冷や汗を掻いていたが、落ち着いた。
それ(しょえ)()ても、(ちゅよ)い方だね。相模さん(しゃがみしゃん)って」
童子はにこにこしながら、遊行が旅先で出会った女性を褒める。
「うん。強くて、芯があって、美しい人だった」
遊行は微笑みながら答える。
「また、会え()といいね」
「そうだね。その時は童子にも会わせたいなあ」
「楽()みだねー」
童子は、まだ見ぬ彼女に会うことを心待ちにしている。
「さて、童子。童子はもうすぐ冬眠の時期でしょう?いっぱい寝て、いい子にして、彼女みたいに強くなるんだよ」
「はーい」
童子は右手を目一杯挙げて返事をする。なんとも微笑ましい限りである。
 遊行は、童子に独楽の紐の巻き方や、投げ方のコツを教えてあげた。熱中していたので、洞窟を出た頃にはすでに夕暮れになってしまった。
 もうすぐ冬が訪れる。しかし、今年の冬は寂しくはならないだろう。また巡る春を思いながら、遊行は家へと帰っていった。

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