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第三話

とはいえ、伽、かあ……。
とてもじゃないけど接待できるレベルのスキルは、自分もアリッサもなさそうだけど(ってか処女だしっ、記憶によれば)。

……まあ。

正直、あの宗主とかいうおっさんの慰み者になるよりは、このイケメンお兄さんの慰み者になる方がちょっとましかな。(あ、言い忘れてたけど、目つきはめっちゃ悪いしきついけれど、この人かなりルックスはいいのだ。後声がめっちゃいい、声フェチとしてはそれだけでも及第点を差し上げたい)

まあとりあえず。

どうせ全年齢対象のゲームだし、その後の展開も大したことはないのだろう。

この夢だかリアルだか分からない展開を、すっかり乙女ゲーム感覚で受け入れていた私は、そんな風に考えていたのだった。


***


そしてその夜、無事に後宮を抜け出すことが出来た私は、残念ながら男からは逃げることが出来ず、馬車で男に連れ去られ、たどり着いたのはかなり大きな商船、だった。


「……船?」
驚く私を見て、彼は小さく笑う。
「ああ、船だ。お前には悪いが、この国はいささかも信用が置けないのでな。自分の船で眠るのが一番安全だと思っている」

たしかーに。そこははっきり言って同意せざるを得ない。思わずコクコクと頷いていると、彼が面白そうな顔をした。

「さて、さっきの酌の続きをしてもらおうか。酒を用意して寝室にもってこい」
それだけ言うと、彼は私を抱くようにして、甲板から内部に入り、自らの寝室に私を連れて行く。

とはいえ、かなり立派な船だ。だが所属国を示す旗は意図的か、夜だからか分からないが隠されていて見えない。

(どこの、何を目的にした船なんだろう……)
後宮に出入りしていたことと、この船のサイズを考えれば、他国の豪商か貴族か、それなりの地位にいる者が使っている船という事だけは確実だ。

アリッサの記憶の中でそう判断する。ちなみにアリッサは海運業に造詣が深い。
生まれは伯爵令嬢だが、貴族の母を持つ姉とは違い、アリッサの母親は海運会社を大きく扱っている豪商の娘であるからだ。

当代は母の弟が継いでおり、小さな頃から可愛がってもらっている。母が亡くなるまでは頻繁に母の実家にも出入りしていたのだ。

小さい頃は本気で船乗りになるつもりだったなあ……。なんて素で思っているお姫様なのだ。
船に乗せてもらい、甲板を走り回って、メインマストに登ったり、海鳥を石を結び付けたロープで捕らえたり、楽しくてやんちゃな子供時代を送っていた。

嫌な奴、悪役令嬢だと思っていたアリッサの過去の記憶と自分の意識が徐々に混然一体となってどっちとも区別がつかなくなっている。既にアリッサの過去を思い出し、懐かしくなっている自分に気づく始末なのだ。

そうだ、だから。

後宮から逃げ出したら、こっそりと叔父の元に向かおうと思っていた。この港ならば叔父の船舶も常に一台ぐらいは入港しているはずだ。

叔父の元に身を寄せられれば、いっそ船に乗せてもらって、ほとぼりが冷めるまで、海外に逃げるのもいいかもしれない。
などと考えていたら、彼は椅子を引き出して座り、自分は何故かベッドの上に腰掛けさせられていた。

「え? ……あの?」
家具や内装は豪華な船室ではあるものの、船の部屋だ。小さな物書き用のテーブルとイスが一つ用意されている以外は、狭くて船室にしては立派なベッドしかない。

ほどなく船員らしき男性が、グラス二つと酒瓶、簡単なつまみを載せた盆を持ってくるので、慌ててベッドから立ち上がって、それらを受け取ってきて、咄嗟に書き物用のテーブルで酒を並べて用意を始める。

先ほどもらった薬は……どこで使うか。

いやイケメンとのドキドキイベントも気になる。けれども、今の状況では姉から逃げおおせる方が大事だ。
出来れば自分が逃げ出した事実が発覚するより前、日が明ける前に叔父のところにたどり着きたい。

(今すぐ飲ませようとすると……バレそうだよね)
にっこり笑顔を浮かべながら、お酒を用意して、相手に渡す。
もうちょっと酔っぱらって味が分からなくなってから飲ませる方がいいかも? なんて思っていると。

「これじゃ薄すぎるな。お前がこれを飲め。もう一つ用意しろ」
彼は自分に渡されたグラスを私に返してきて、もう一つ、もっと濃く入れた酒を所望する。

うわお、最初からもらった睡眠薬、入れなくてよかった。っていうか、もらった薬、これ本当に睡眠薬なんだろうか? 下手したら毒薬とかで暗殺とか……。

ざぁっと血の気が引くような気がする。いや、逃げ出しやすくなるかもだけど、殺すまではちょっとやりすぎだよね。いくら元悪役令嬢だったとしても!


「――乾杯」
声を掛けられて、新しく用意したグラスを持った彼と乾杯をする。この人、侍女と乾杯するのかな? こういうのって侍女に対する態度とちょっと違う気がするけど……。
とはいえ、私は現代日本の知識と、伯爵令嬢だったアリッサの記憶しかないので、侍女に対する扱いがどれが普通なのか分からない。

「あの、どんどん飲みましょう!」
とりあえず、この場から逃げ出すために、こうなればもう、仕方ない。ひたすら飲ませて酔わせる物量計画だ。

「ああ。アリシアだったか……。お前も飲むといい」
と名乗った偽名を呼ばれて、いわれたものの……。
アリッサの酒量ってどのくらいが限界なんだろう。無理に飲まない方が良さそうだと判断し、

「私は弱いので、少しずつおつきあいさせてください」
としおらしく笑みを浮かべておく。どうやら悪役令嬢のスペックはいろいろ高いらしく、うっとりするようなかわいらしい笑みが浮かべられた(気がする)。

だってほら、目の前の男がゆるりと目を細め、悪く言えば脂下がった笑みを浮かべてるしっ。

ちらりと上目遣いに相手を確認しながら、私は今ポケットに入っている薬と時刻を気にする。小さな丸窓から見える外は、漆黒の度を深めている。まだ明け方には少し時間がありそうだ。

だとすれば、先にあの薬を渡してきた男と、目の前の男の正体を知りたい。少なくとも薬をくれた男が、彼に悪意を持っている可能性があるかどうかも含めて。

「そういえば、私が後宮でお酌をさせていただいていた方は、一緒に戻られましたのですね」
「ああ、それがなんだ?」
酒を飲みながら、つまみを選んでいる顔を見て、どうやら警戒されてないことを確認する。

「いや、ずっと貴方様を目で追っていらしたので、守役か護衛の方かと思いまして……」
私の言葉に彼は肩をすくめて、干した果物とナッツをつまむ。

「ああ、テオドアか……。元守役と言ったところか。俺に一番古くから仕えている。口煩いが信用がおける奴だ……。何かアイツに余計なことを言われたか?」

「いえ、一番離れていた席に座っていらしたのに、一緒に戻られたので……」

「ああ、いつもそうだ。入り口の一番近い所で入ってくる人間を警戒している。例えばアリシアが俺の命を狙っていれば、即お前を処分しただろうな……」

キラリと光る視線に、別にこの人の命を狙っていたわけでもないのにゾクリと背筋を冷汗が伝う。

つまりは坊ちゃまの後始末をつける忠臣、と言ったところか。なら多分、この薬は普通に睡眠剤だろう。後宮の侍女にあまり無体な事をしでかさないように抑えるために、適当なところで酔い潰すふりをして寝かしつけてしまえってことだと解釈する。

まあ、違ったとしても、紛らわしい事をするテオドアさんが悪い。

ということで、目の前のイケメンに薬を盛る計画を立てながら、出来るだけ煽り気味に、目の前の男に酒を進める。

隙……隙、なかなか無いな。
しかも、椅子の上に座っていたはずなのに、さりげなくベッドの私の隣に座ってきたよ、この人。

その瞬間、ひょいと私のグラスを取り上げ、ぐっと飲み干してしまった。

「あ、あの……お酒のおかわりならば、私が作ります……」
迫られそうな気配を感じて、慌てて席を立つと、新しいお酒を作り始める。何故か後ろでくつくつと男が笑っているけれども。

「……照れるな。もう諦めて、大人しく俺に口説かれてくれ」

でた。乙女ゲー的突然の展開。
いや確かにアリッサは美人で可愛くてスタイルもいい。だからまあ、モテるんだろうけど。
だからといって、今うっかりこの人に気持ちを持っていかれると、姉に捕まるフラグの気がする。

手に入れたアイテムを使って、この場をしのぐのが次の展開のフラグになるに違いない。

「あの……少しだけ待ってください。もう一杯、私もお酒を飲みます。今用意しますから、ほんの少しだけ、向こうを向いて待っててもらえませんか? 恥ずかしいんです……」

そうでないと、落ち着かなくて。と潤んだ瞳で一瞬振り向くと、黒髪の男はとろりと溶けた顔で頷き、素直にそっぽを向いてくれた。

――悪役令嬢の色気、恐るべし。

私はさっさと並んでいる酒の中で一番苦い味の物を選ぶと、グラスに注ぐ。手首に隠していた紙袋を爪で傷つけると、その粉をざあっと流し込み、マドラーを使って掻き混ぜる。
入っている量は、ワンフィンガー。指一本分しかないけど。

「……お待たせしました。あの……」
その酒を自らの唇に寄せて、一気に口に含むと、男の腕に手を伸ばし、唇を重ねる。

「んっ?」
無理やり唇を開くと、一気に流し込んでやる。

「――な、なにを……って苦っ」
ゴクリ、と飲み込むと、男が顔を苦痛に歪めるのを見て、慌てて小さく笑って誤魔化す。

「ごめんなさい。知らないお酒を口に入れたらすごく苦くて……」
すらすら言葉が出てくる。アリッサ、頭の回転早い。そして行動力が半端ない。

「……全く。飲み慣れない酒を飲もうとするからだ……」

甘い。甘すぎる。さすが坊ちゃん。
と思っていた私だけど、次の瞬間、ガバっと抱きつかれてベッドに押し倒されていた。

ちょ……この薬、本当に眠り薬だよね? 毒薬じゃなさそうだけど、これ……いつ効くの?

「苦かった酒の分、口直しはしてくれるんだろうな?」
私の枕元に手を押し付けて、男はニヤリと笑う。体を支えてないもう一方の手が、私の髪に伸び、金色の艶やかな髪を一筋掬い上げ、指先で滑らせて巻き付ける。毛先にキスを落して、艶めいた瞳を細めて囁く。

そういえば、伽所望だった、この人。

ちょっと待って、このゲーム、R18じゃないから、絶対これ不味いのだけどっ? 早くっ。早く薬効いてえぇぇぇ。
と思っていた次の瞬間、ふにっと柔らかいものが唇に押し付けられる。ってこれ……?

さっきは勢いで自分からキスしたし、どっちかっていうと薬を飲ませるための手段だったから緊張で何もなかったけど。

「んっ……」
うわあ、よくわからないけど、キスが上手い人って……世の中に存在するんだ。
唇をゆるく擦り合わせ、柔らかくひらいて唇を食み、何度も角度を変えて啄まれた。

「んぁ……んんっ」
背筋がぞわわわわってして、我慢してても声が漏れてしまいそうだ。

慌てて男の体を突き飛ばそうとしても、硬い筋力に覆われた胸はびくともしない。それどころか、下肢までしっかり彼の足で挟まれて押さえつけられ、暴れることもできない。

なのになのに。
冷静に逃げ出さなきゃって思う理性の向こう側で、もっと気持ち良い世界にうっとりしちゃえよ、って本能が呼びかける。

まずいまずいまずい。
でもちょっと……気持ちいい。

相反する気持ちは、少しだけ飲んだお酒のせいもあるかもしれない。そうこうしているうちに唇を割られて酒香交じりの舌先が口内を蹂躙しはじめる。とろとろして緩やかな揺れが心地よくて……。

ってあれ?

横たわっていて、ふと緩やかな揺れに気づく。そうだった。ここは錨に繋がれていても海の上だ。ふっと現実感が戻ってくる。
その瞬間、ふわりと柔らかく、私の胸に彼の手が乗り、感触を確かめる様に緩やかに指先が動いた。

「んんんんんんんっ」
「イタっ」
咄嗟に彼の舌を歯先で抑え込み、軽く痛みを与える。
ふっと目の前に獣みたいな金色の瞳が見開かれる。

トンと胸をついて相手に身を起こす様に促す。

「痛いな。なんだ?」
「私──そこまで許したつもりはありません!」
ひるんだすきに男の胸を荒っぽく叩く。

「――え?」
いや、薬を飲ませるためにキスはしたけど、それ以上の事は気持ちが動いてないのに許すつもりはない。

とはいえ、この状況でこの態度は、確実に男性側からみたら逆ギレ案件だろう。私の態度の豹変に、混乱しているかもしれない。

とりあえず今の隙に距離を取る。そしてお酒を進めて寝かしつける。

こんなキス……危険なんだからねっ。
すっとその瞬間、手が伸びてきて、邪険にした怒りで叩かれるのかと身を竦めた。

「はぁっ……アリッサ、わかった。悪かった」
……へ?

叩くのかと思った手は、思いがけず優しく頬を撫でて、そっと柔らかく額にキスを落す。
ちょ、ちょっと……その変化球はっ。

……ちょっとだけキュンとしなくもない、けども。
ゆっくりと彼は身を剥がし、私の手を引っ張り起こすように引き上げようとする。

「あ、あの。ごめんなさい。びっくりして」
とそもそも薬を飲ませるために誘っていると思われる行動を取ったのはこっちだし?
そう謝罪の言葉を口にした瞬間。

「うわっ?」
ホッとした瞬間、にへらと笑った顔のまま彼が身を起しかけていた私を再度押し倒す。

「ちょっと?」
思わず尖った声で彼を睨み付けた。

「やっぱり可愛いなあ。アリッサは」
すりすりと懐かれるように額を頭頂部に擦りつけられた。

「──っ?」
アリッサ? そう言えばいつの間にか……名前。私、アリシアって偽名、名乗ったよね? 
な、なんで正体がばれているの? 

え、この人、誰なの? いや、ワンチャン呼び間違え?
一瞬パニックに陥った刹那。


「でも、やっぱり俺のことは覚えてないのか……」
そう呟くと、すぅっと深い息を彼がして次の瞬間とろんと緩んでいた瞳が完全に閉じられた。

「………………寝た?」
私は完全に自分の体にのしかかる形で、寝てしまった男の首筋を触り、脈拍を確認する。
寝顔は穏やかで、幸せそうで、いたって安穏としている。毒薬じゃなかったらしい。よかった。

「ってか、この人、誰?」
今更ながら、名前すら聞いてなかったことに気付く。昔のアリッサの知り合いかな~と思いながらじっとその顔を見つめる。
アリッサの記憶をたどっても、思いつく人がいないのだけど。

って、普通に時間がなかったんだった。
私はよっこらせと男の肩を押して自分の体の上からベッドの上に転がして下ろす。

「とっ……」
とんとん、と彼の肩を叩き、全然起きる気配が無いのを確認して、そっとベッドから降りる。

さて。無事寝かしつけたけど、どうしよう。
ドアの外の状況はわからない。でも眠り薬の効能がいつまで続いているのかすらわからない。

(とりあえず一か八か……)

彼の船室の扉を出ればすぐ上甲板があったはずだ。今身に着けているのは後宮の侍女の衣装。まあ結構薄くてえっちぃけど、泳ぐには少々布が長すぎる。手早く部屋にあった小さなナイフで裾を切り、袖を破って捨てた。最低限肌に薄布がまとわりつく状態で、ぎりぎり大事なところは見えない。水着よりは少しだけマシと言った状態になる。

扉に耳を押し当てると、ぼそぼそと話す男たちの声が聞こえる。多分扉を守る衛兵の役割をしているのだろう。

すぅっと息を吸う。チャンスは一度。

「きゃあああああああああっ」
悲鳴を上げて、扉を開けて飛び出す。

「セシリオ?」
「セシリオ船長?」

当然だけど、私より中の彼が気になる様子で、彼らはか弱い私を放置して、船室に飛び込んでいく。
他の人間が私を捕えようとする前に、そのまま船室を飛び出して甲板を走る。

私の姿を見てぎょっとして足を止める男たちを無視して、甲板の縁にたどり着いた。

町の灯りが見える。大丈夫。大丈夫だと思っていたけど、ちゃんと船は港に停泊している。
それを確認して、私は海に飛び込んだ。

「その女を捕まえろ!」
という声は、水に沈んでいく私には聞こえなかった。

しおり