悲しい真相 前編
――翌日。わたしは出社する車内で、貢に前の日の夜に感じた小さな引っかかりについて話した。
「――ママね、きっと知ってるのよ。でも、何かワケがあってわたしには話せないんだと思うの。……わたしのカン、間違ってるかな?」
「加奈子さんが……、そうですか。いえ、絢乃さんのカンは正しいと思います。絢乃さんに言えなかったのはきっと、あなたのためを思ってなんじゃないでしょうか」
貢は唸るように、難しい顔でそう答えた。――それにしても、「わたしのため」とはどういうことだろう? それは訊いてはいけないことなのだろうか。
「うん、そうかもね。……ねえ、『永遠に叶わない恋』って、もうひとつの意味があるんじゃないかしら。たとえば、相手が故人――つまり、もうこの世にいないとか」
そう言いながら、わたしの頭に浮かんだ人物はたった一人だった。小川さんの身近にいた男性で、母もよく知っている人物。しかも、故人……。
「まさか……、ウソでしょ!?」
理屈では、その条件に当てはまる人物は一人しかいなかったけれど、心では「あり得ない」と思いたかった。そんなの悲しすぎるから。
「どうなさったんですか、絢乃さん?」
「……ううん。ゴメン、何でもない」
心配そうに訊いてくれた貢を安心させようとかぶりを振って見せたけれど、わたしの頭の中からはその人のことがこびりついて離れなかった。
……母がわたしに話せないはずだ。そんなことを聞けば、わたしがショックを受けることなんて目に見えていたから。
思い返せば、父の葬儀の日から、小川さんの様子はどこかおかしかった。家族であるわたしと母以上にショックを受けていた気がする。――あれは、ただ尊敬して仕えていたボスを亡くしたからだけではなかったの? そこに個人的な感情も入っていたからなの? そう思えば
まだそうと決まったわけではなかったけれど、その可能性が高くなったと気づいてわたしは
****
「――えっ!? 小川先輩の好きな人は、源一前会長!? 本当なんですか、それ」
会長室に着くと、わたしはドアをびっちり閉めてから貢にその話をした。その時の彼の反応がこれだった。
「桐島さん、声が大きいわよ! ……ホントかどうかはまだ分からないけど、可能性は高いと思う。それこそ前田さんよりも」
ドアが完全に閉まっていれば、この部屋での会話が室外に漏れ聞こえることはないのだけれど、大声でリアクションした貢をたしなめつつ、わたしは頷いた。
「まさか……、信じられません」
「わたしだって同じよ。――とにかく、もう一度村上さんにお話を聞いてみましょう」
――というわけで、わたしと貢は同じフロアの社長室のドアをノックした。
「――はい」
返事の声は秘書の小川さんではなく、村上さん自身の声だった。
「おはようございます。篠沢ですけど、入ってもいいですか? 例の件で、ちょっとお訊きしたいことがあって」
〝例の件〟と言うと、村上さんは理解してくれたようで、「どうぞ、お入りください」と返事があった。
「失礼します。朝から押しかけてゴメンなさいね」
「いえいえ。おはようございます、会長。桐島くんも。――小川くんは今、ちょっと席を外してましてね。どうぞ、おかけ下さい」
彼に応接スペースのソファーを勧められたので、わたしと貢は「ありがとうございます」とお礼を言って腰を下ろした。
「例の件というと、小川くんの件ですね? 彼女が席を外しているタイミングでよかったですよ。――それで、僕に訊きたいこととは?」
「小川さんの様子がおかしくなってからなんですけど。具体的に、彼女に気になる言動とか、心配になるような様子とかはありました?」
「気になる言動……、さて、どうでしたかね」
彼は首を傾げながら、一生懸命に思い出そうとして下さった。
「実はわたし、分かっちゃったんです。小川さんの好きな人が誰なのか。……でも、まだ確証がなくて」
「そうですか……。ああ、そういえば彼女、最近よく涙ぐんでいるようでね。僕が声をかけても、『何でもありません』としか言ってくれないんですよ」
「涙ぐんでた……? やっぱりそうですか。分かりました。ありがとうございます」
「お役に立ててよかった。僕のカンでは、彼女の想い人は故人だと思います。彼女はきっと、今すごく苦しんでいます。会長、どうか彼女を救ってあげて下さい。お願いします」
「貴方のカン、多分正しいですよ。彼女のことは任せて下さい」
彼にもう一度お礼を言って、わたしと貢は社長室を後にした。会長室に戻る途中、母に確認の電話をかけてみた。
「――もしもしママ? ママは小川さんの好きな人が誰なのか、前々から知ってたんだよね? わたしの推理では、それって多分」
『……そうよ。あなたのパパ』
「やっぱりね。ありがとう」
電話を切ったわたしの心の中は、不思議とスッキリしていた。ショックはあまり受けなくて、その代わりに何だか切ない気持ちがわき上がっていた。
小川さんは、一体どんな気持ちで父のことを想い続けていたのだろう? 父が亡くなってからも、ずっと……。
――会長室に戻ると、わたしは迅速に行動を開始した。
「今から小川さんをここに呼んで、話を聞くわ。広田室長には、わたしから連絡をしておく。それと、桐島さん。貴方にひとつお願いがあるの」
「何でしょうか?」
「前田さんを、ここまで連れてきてほしいの」
「分かりました。営業二課に行ってきます!」
彼が会長室を飛び出していくのを見届けてから、私は内線電話で秘書室を呼び出した。
****
――十数分後、小川さんが会長室にやってきた。
「……会長、失礼します。室長から、会長が私に何かお話があると伺いましたけど。――あの、桐島くんは?」
「いらっしゃい、小川さん。桐島さんは今、別の用でちょっと外してるの。そうぞ、ソファーにでも座って楽にしてて。お茶淹れてくるから」
「えっ、会長が!? そんな……何だか申し訳ないです」
「いいから。わたしだって、お茶くらい淹れられるのよ。じゃあ待っててね」
――それから数分後、わたしは二人分の湯呑みを載せたトレーを抱えて、給湯室から会長室に戻った。
トレーを抱えたまま、ドアのロックを解除するのは至難の
「――はい、どうぞ」
わたしはトレーをローテーブルの上に置くと、自分の分の湯呑みを持って彼女の向かい側に腰を下ろした。
「ありがとうございます。頂きます。――それで……あの、私にお話というのは?」
「……あのね、実はわたし、村上社長から
そこまで言うと、わたしは彼女の反応を窺ってみた。すると、お茶を啜っていた彼女はこっくりと頷いた。……やっぱりそうか。
「はい、その通りです。……じゃあ、その相手が誰なのかも、会長はもう分かってらっしゃるんですね?」
「ええ。もし間違ってたら申し訳ないんだけど……、その相手って、わたしの父でしょう?」
「…………はい。すみません、会長……」
彼女は肯定した後、ボロボロと泣き出した。これにはわたしの良心がチクリと痛んだ。本当にこれでよかったのだろうかと。
「貴女が謝る必要なんてない。わたしこそ、貴女を追い詰めるようなことしてゴメンなさい」
わたしは彼女に詫びながら、彼女の隣へ移ってその背中をさすり始めた。
「……母は知ってたの? 貴女の、父への気持ち」
「はい……。私から、奥さまには打ち明けたことがあったので。ですが、奥さまは許して下さいました。『あなたが夫を想っているだけなら構わない。夫はあなたの気持ちに応えないだろうから』と。……私も、会長のご家庭を壊すつもりなんてありませんでしたし、想っているだけで幸せでしたから」
「そう……」
彼女のいう〝会長のご家庭〟というのは、〝今会長であるわたしの家庭〟と〝当時会長だった父の家庭〟の両方の意味があったのだろう。