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永遠に叶わない恋……

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「――でも会長。もし前田さんが一階に寄らずに、直接上まで上がっちゃったらどうなさるんですか?」

「それはないと思う。外回りで疲れてるなら、絶対にカフェスタンド(ここ)でひと休みしてから上に行くはずだもの」

 貢からのごもっともな疑問に、わたしは絶対的な自信を持って答えた。

「ずいぶん自信満々でらっしゃいますけど、その根拠はどこから?」

「ママから聞いたことがあるのよ。パパも昔、外回りから戻ったら一階の休憩スペースで缶コーヒーを一本飲んでから、自分の部署に戻ってたって」

「あぁー、なるほど。そういえば、お父さまも会長に就任される前は営業部にいらしたんでしたね」

「うん、村上さんの同期だったの。ちなみに、パパととママが結婚する前、パパとは恋敵だったそうよ。ママを巡ってね」

「……えっ、そうなんですか!?」

「そうらしいわ」

 会長に就任した父が村上さんを社長に任命したのは、その時の罪滅ぼしだったのだと、それも母から聞いた。

 ――と、その時。地下駐車場から一基のエレベーターが上がってきた。駐車場は地下一階にあるので、1フロアーだけ上がってくることは珍しい。
 エレベーターから降りてきたのは、脱いだジャケットを腕に引っ掛けた数人の男性社員たち。多分、外回りから戻った営業部の人たちだ。この中に、お目当ての前田さんがいるはず……。わたしたちはよぉーく目を凝らした。

「桐島さん、前田さんってどの人?」

「えーっと……、あっ! いました。いちばん後ろの、短髪で背の高い人がそうです」

「分かった。接触しましょう。――あ、声かけるのは貴方に任せていい?」

「はい。お任せ下さい」

 ――彼はわたしの予想どおり、カフェスタンドにフラッと立ち寄るところだったので、わたしたちは彼の後ろからそっとついていった。

「――前田さん、お疲れさまです」

 貢に呼び止められ、振り返った彼――前田さんは、貢の隣に会長であるわたしの姿があることに戸惑っているようだった。

「えーと、キミは確か、桐島君……だったっけ。小川の後輩の。……ああ、そっか。今は会長付秘書だったな。小川から話は聞いてたよ」

「はい、そうです。お久しぶりですね。以前お話ししたのは、僕が異動する前でしたもんね」

「そうそう。そういやあの時、キミは『総務課から転属する』って言ってたっけな。――で、今日は俺にどんな用件で?」

 彼はわたしたちに向けて、眉根を寄せた。外回りの仕事から戻ってきて疲れているところで、ボスにつかまったのだ。ちょっと苛立っていたのかもしれない。

「えっと……、今日は社長秘書の小川さんのことで、貴方に訊きたいことがあって。――あっ、その前に、お疲れでしょう? わたし、飲み物買ってきますね。何がいいですか?」

「……えっ? あー、じゃあアイスラテを。――でも、会長にそんなことまで」

「いいのいいの! 遠慮しないで下さい。じゃ、買ってきますね!」

 わたしは申し訳なさそうな前田さんをなだめ、貢とふたりで自動販売機へ。ジャケットのポケットに忍ばせていたコインケースを取り出すと、紙コップのアイスラテを二つとお砂糖控えめのミルク入りコーヒーを買い、アイスコーヒーは貢に手渡してから二つの紙コップを持ってカウンターまで戻った。

「前田さん、コレ飲みながらお話しましょうよ。どうぞ」

 先にカウンターのところで待っていた彼に、ラテのコップを一つ手渡した。

「ありがとうございます。――で、小川がどうかしたんですか? 会長自ら出張ってこられるなんて

「……実はね、村上社長から『最近、小川さんの様子がおかしい』って相談を受けて。彼女が恋に悩んでるんじゃないかと思って、わたし自ら調査してるんです」

「〝調査〟って……、ただの個人的興味じゃないですか」

 横から余計な茶々を入れてくる貢を、わたしはギロッと睨んだ。図星ではあったけれど、そこをツッコまれたら話が進まない。
「……すいません」と小さくなる貢をよそに、話を先に進めた。

「……で、もしかしたらその相手って、貴方なんじゃないかと思って。――どうですか? 何か心当たりとかあります?」

「ほら、前田さんって前から小川先輩と親しかったじゃないですか? だから僕も、お二人はお付き合いされてるんじゃないかなーと思ってたんですよ」

 復活した貢が、さりげなくわたしの話の足りない部分をカバーしてくれた。
 小川さんの事情なら、まだ関わりの浅いわたしよりも彼の方がよく知っているだろう。こういう時、彼は頼りになる。

「……まぁ、確かに彼女と俺とは同期入社で親しくはしてましたけど。俺じゃないですよ、会長がお探しの人物は」

「えっ? ……っていうと?」

「俺、確かに彼女に好意持ってました。今でも持ってます。でも、春に彼女に告白して、見事に玉砕しましたから。『他に好きな人がいる』って」

「それって、誰のことだか分かりますか?」

「いや。……ただ、彼女はこうも言ってましたよ。つらそうな顔で、『永遠に叶わない恋だけど、私はいいの』って」

「永遠に……叶わない恋? って、どういう意味でしょうね?」

「さあ、分かりませんよ。でも、とにかく俺じゃないですから。……じゃ、俺はこれで。コレ、ごちそうさまでした」

 彼はグシャッと潰した紙コップをゴミ箱に放り込み、エレベーターへととって返していった。――わたしたちに、ひとつの疑問を残して。

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「――また振り出しに戻っちゃいましたね……」

 会長室に戻った途端、貢が盛大なため息をついた。お昼休み明けからこれだけ聞き込みをして収穫がほぼゼロだったので、精神的にグッタリしているらしかった。

「うん。……っていうか、前田さんが気になること言ってたよね。『永遠に叶わない恋』ってどういう意味だったんだろ?」

 わたしは頭をもたげた。――正確に言えば、前田さんは小川さんがそう言っていたのを聞いただけだったのだけれど。

「う~ん、相手の方が既婚者だったりとか……ですかね。……はっ! まさか社長が!?」

「……それ、違うと思う。だって、自分がその相手だったら村上さんだって気づくと思わない? ずっと一緒に仕事してるんだから」

 貢のブッ飛んだ推理を、わたしは即座に却下した。

「ですよねぇ。どのみち、今日はこれ以上の調査はムリですね。会長にはまだ終わらせて頂かないといけないお仕事がドッサリ残ってますし」

「う…………」

「調査にかまけてサボってたツケが回ってきてるんですから。自業自得ですよねー?」

「分かってるわよ。……桐島さん、最近性格悪くなってない?」

 毒舌な秘書を苦々しく思いつつ、言われたことは当たっていたので、わたしは仕事を片付けていくしかないのだった。

****

 ――その日、帰宅したわたしは母に小川さんの最近の変化について話してみた。
 彼女は父の秘書だったので、母の方がわたしより彼女との接点が多いはず。きっと何か知っているはずだと思ったのだ。

「――でね、小川さんの恋って永遠に叶わないらしくて。ママ、お相手に心当たりない?」

「…………そう。彼女、そんなこと言ってたの。ゴメンなさいね、絢乃。私からその話をするわけにはいかないわ。期待に応えられなくて申し訳ないけど」

「……? うん……、分かった」

「それより絢乃、お腹空いてるでしょ? 史子さんに言って、すぐ夕飯にしてもらいましょうね。というか、桐島くんと外で食べてきたらよかったのに」

「…………うん。そうよね」

 母の何気ない一言に、わたしは詰まってしまった。母にはまだ話していなかったのだ。この頃、わたしと彼との間に小さな溝ができつつあったことを。
未亡人になって傷心の母に、心配をかけたくなかったから。

「じゃあわたし、部屋で着替えてくるね」

 二階の自分の部屋へ向かいながら、わたしは思った。――母は小川さんの好きな人を実は知っていて、それでも何か事情があってわたしに言えないのではないか、と。

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