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悲しい真相 後編

「私、源一会長がもう長く生きられないと分かった時、会社を辞めようとも思ったんです。もう私が会長のためにできることはないんだ、と思って……」

「……そうなの?」

 その情報は初耳だったので、わたしが訪ね返すと彼女は頷いた。

「ですが、広田室長に引き留められました。『あなたはこの会社に必要な人だから』と。それで、村上社長の秘書の方が寿(ことぶき)退職されることになったので、その後任を私が務めることになったんです」

「そうだったんだ……」

 あの中途半端な時期の、急な配置換え。わたしにもやっと合点がいった。あれは、広田室長なりの小川さんへの励ましだったのだ。

「そうよ、小川さん。貴女にはまだ、貴女を必要としてくれてる人がいるの! 村上さんもそうだけど、もう一人」

「……えっ?」

 わたしはそこで、男性二人の靴音に気づいた。貢がちゃんと()を連れてきてくれたようだ。

「貴女の身近に、貴女のことを一途に想い続けてくれてる人がいるじゃない。ね、前田さん?」

「え…………!?」

 驚きのあまり、会長室の執務スペースを振り返った彼女の涙は引っ込んでいた。

「前田くん! どうしてあなたがここにいるの!?」

「桐島くんに言われたんだ。『小川先輩を励ましてあげて下さい』ってな。お前が最近元気ないのは、俺も心配だったからさ」

 前田さんは優しい笑顔で、でもちょっと照れ臭そうに彼女の疑問に答えてくれた。
 彼の横で、貢が「会長に頼まれたんです」とあっさり種明かし。

「会長が……、そうだったんですね」

「ええ。多分、父が今生きてここにいても、きっと同じようなことをしてたと思うから」

 前田さんの彼女への愛は、誠実でまっすぐだ。家庭のある自分を不毛に想い続けているよりずっと、彼女も幸せだろう。……父だってきっとそう思っていたはず。

「小川、だいたいの話は桐島くんから聞いた。源一会長のこと、すぐに忘れてくれとは言わねえよ。そんなのムリだろうから。……ただ、俺じゃダメかな?」

「……は?」

「今すぐ彼氏にしてくれとかそんなんじゃなくて。最初は友達からっていうか……、帰りに一緒にメシ食いに行くとかさ、そんなとこから始めるってのはどうかな?」

 この告白の仕方からも、彼の誠実さが滲み出ているなぁとわたしは思った。小川さんは、好きだった人を永遠に失った。その心の痛みに寄り添う彼は、本当に彼女のことを大切に想っているんだなぁ、と。

「私でいいのかな。……でも、ありがと。私の方こそ、よろしく」

 小川さんが、前田さんが差し出した手を握り返した。彼女の中で新たな恋が生まれつつあることを、わたしと貢は微笑ましく見守っていたのだった――。

****

 ――二人が退出してから、わたしと貢はやっと普段の業務に入った。……けれど。

「何だか切ないね。小川さんも、前田さんも」

 家庭があり、しかも()(せき)に入ってしまった父をずっと不毛に想い続けていた小川さん。そして、自分も彼女への恋心を抱きながらも、そんな彼女をもどかしく見守り続けていた前田さん。……小川さんだって、彼のことを何とも思っていなかったはずはないのだ。

「ですねぇ。僕なんて、小川先輩は大学時代からよく知っている人なんで、余計にそう思います。でも、先輩もこれでやっと前に進めるようになったんじゃないですかね」

「そうだね。だといいんだけどなぁ……」

 あの二人は、なかなか縮まりそうで縮まらなかった距離の間でずっともがいていたのだ。……じゃあ、わたしたちは? パソコン作業に没頭するフリをしながら、わたしは貢の方をチラリと窺った。

 わたしと貢はこの頃、交際を始めてからすでに四か月以上が経過していた。
 付き合い始めたら二人の距離感なんてすぐに縮まると思っていたのに……。物理的には縮まったはずのわたしたちの距離だけれど、心の距離は離れつつあることを、わたし自身も感じていた。
 どうしてこうなってしまったんだろう……。その当時のわたしには、その原因が何だったのか分かっていなかったのだ。

 チラ見していたつもりが、いつの間にか彼の顔を凝視してしまっていたらしい。ふと彼と目が合ってしまい、彼が首を傾げていた。 

「……? どうかされました?」

「あ……、ううん! 何でもないの。……あ、ねえ桐島さん、この件についてなんだけど――」

 わたしはとっさにごまかし、仕事についての相談でカムフラージュした。

 ――その後、わたしたちの絆が試されるような出来事が起こり、二人の関係は修復不可能になる寸前まで悪化するのだけれど、それはこの二ヶ月ほど先の秋のことだった。

                    E N D

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