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おもしろい話

 朝早い森の中を、歩く者あり。方向音痴で半人半妖の、辻ヶ先遊行(つじがさきゆぎょう)である。木漏れ日が低い方から差している。今、竜宮では朝の謁見が始まる。そんな頃合いだ。
 遊行は、竜たちが苦手だ。九角竜天子(くかくりゅうてんし)八角玄竜(はっかくげんりゅう)七角驪竜(しちかくりりょう)といった竜宮の三君は、遊行のことを認めているため、親しくしてくださる。自分を友と慕う蚕月童子(さんげつどうじ)のことも、可愛らしく思っている。問題は、それ以外の竜である。古来より霊獣として、神聖なものとされてきたためか、竜は誇り高い生き物だ。それ故に、半人半妖の遊行のような、血統の知れないものを、快く思わない節があった。だから、遊行は朝の謁見に行くのは避け、少し遅れた時間に天子に取り次いでもらうようにしている。忙しい天子ではあるが、天子も重々心得ているので、時間を割いてくださるのだ。しかし、朝の謁見に間に合う時間に出仕すれば、朝の謁見に出なくてはいけなくなる。あのどうにも奇異な目で見られるのは好きではない。
 遊行は少し、暇を潰すことにした。泉の近くに腰を下ろし、帯に下げられた煙草入れから、煙管を取り出して、火皿に刻み煙草を軽く丸めて入れる。煙管を咥えながら、手慣れた様子で火をつける。筆のように煙管を持ち、ゆっくりと吸う。火皿の煙草の炎が強くなる。ふーっと吐き出せば、ゆらゆらと白煙が舞う。
 ヒトの真似事に始めた喫煙は、最初はその煙たさや独特の苦味が苦手だった。何度か吸えば、美味く感じるようになる。その味が段々と癖になり、今では日に数回は吸っている。頭の中では、喫煙を止めた方がいいのは分かっている。しかし、癖になってしまったものは中々止められない。どうしてもまた吸いたいという衝動に駆られてしまうのだ。
 遠くを見ながら、煙管を三回ほど吸っては吐いてを繰り返す。その間、遊行は童子に、今日は何を語ろうか考えていた。話したいことが、煙草の煙のように浮かんでは消える。煙草が燃え尽きると、燃え殻を捨てて、泉の水を手で掬って数回かける。燃え尽きたとはいえ、灰が草木に燃え移って、山火事など起こしたら大変だ。火の始末はきちんと心がける。煙管や火打石などを片付け、遊行は立ち上がる。

 竜宮に入ると、いつもよりも竜たちから冷ややかな目で見られた。門前の双竜は、遊行が通ると咳払いをした。すれ違いざまに袖で口元を隠す女官。遊行はため息を吐いた。いつも通りに天子への謁見を側近たちに求め、謁見の間へ入る。
「遊行、今回も長旅おつかれさまでした」
「いえ。天子のお陰で、恙なく帰参出来ました」
「ふふふ。それは喜ばしいことです。ところで遊行、今から奥座敷へ向かうのですか?」
「ええ。そうですけど。何か不都合がありますか?」
「いえ、ありませんよ。蚕月は喜ぶと思います」
「はい、では失礼いたします」
遊行は天子に一礼して、謁見の間を出る。どうにも天子の微笑む顔が、引き攣っているように見えた。何かあっただろうか。遊行はいつもと違う天子の態度に違和感を覚え、首を傾げる。顎に手を添えて考えながら、奥座敷へと向かう。

 奥座敷には、蚕月童子がいて、遊行の来訪に笑顔になる。このぱあっと明るくなる瞬間が、遊行にとっての癒しである。遊行は、奥座敷の前で笠と合羽を脱ぎ、合羽を軽く畳む。遊行が奥座敷へ入ると、童子は話しかけてきた。
「遊行、ひさし(しゃち)()。今日はどんなおもしろ(ちよ)(はなち)()てくれる(えゆ)の?」
にこにこと笑顔で童子に話しかけられ、遊行は嬉しくなって童子の前に座ろうとした。すると、童子は咳き込み始めた。銀朱色の目には涙が溢れ、白目すら赤くなる。
「童子!!」
驚いた遊行は、童子の咳き込む姿に心配になり、童子の背中を擦る。随分と苦しそうだ。けふんけふんと童子は咳をする。つい今まで元気そうだったのに、どうしてしまったのだろう。咳が治まり、童子は荒い呼吸をする。顔を上げた童子に、遊行は竹筒の水を与えた。童子は、水を勢いよく飲んだ。
「ぷはあ。びっくりし(いち)たー」
遊行は童子から竹筒を受け取って、小さな行李に入れる。
「こっちが驚いたよ童子。いきなり咳き込むんだもの」
「うーんなんでだ()う。遊行か()変な香の臭いがする(しゅゆ)なあと思ったの。そし(しょち)()コンコン()た」
「えっ!?」
遊行は童子の方を振り返り、そして自身の臭いを嗅ぐ。煙草の臭いがした。ひょっとするとこれかもしれない。冷や汗が垂れる。
「遊行、どう()たの?」
童子が心配して近寄ってくる。
「近寄らないで童子。今日はちょっと話すの止めよう。また出直してくるよ」
「いや!」
「また咳き込んじゃうよ。じゃあ、ちょっと家帰って着替えてくるから待ってて」
「いや!」
童子は膨れっ面をして、涙目になっている。これには遊行も焦ってしまう。大きなため息を吐いた。童子は寂しがりやな所がある。それは、童子が一人で過ごす時間が多いからかもしれない。出会った頃はもっと聞き分けが良かった気がするが、慣れてきたのかわがままを言うようになった。それは、己が童子にとって、親身な存在であると認識されている証である。
「わかったよ。じゃあ今日は少し距離を置こうね」
「むう」
童子は顔が赤くなるほど、頬を膨らましている。その顔はまるで河豚のようだ。
「近寄ったらまた咳き込んで、お話どころじゃなくなっちゃうよ。でなきゃ帰っちゃうからね」
遊行がそういうと、童子はゆっくり頬を戻して頷いた。そして、いつもより後に座布団を下げて、きちんと座る。理解してくれたようで、遊行は胸を撫で下ろす。そして、遊行もまた、いつもより格子戸に近い所に胡坐をかいた。座った瞬間、気がついた。何を話そうか。先ほど煙草を吸った際に考えていたにも関わらず、その煙草で起きたひと悶着に、何を話そうか忘れてしまったのだ。また焦りが生じる。頭の中は真っ白だ。
「どう()たの?い(ちゅ)もの面白(おもちよ)(はなち)()てく()ないの?」
遊行は頭を抱える。期待を込めた眼差しで童子が見つめてくる。話したいことを忘れたとは、言いづらい雰囲気だ。必死に遊行は考える。面白い話。おもしろい話。
「昔、あるところに白い犬がいました。その犬は、頭も白く、脚も白く、胴も白い犬でした。そして尾も白い」
遊行がそう語る。奥座敷に沈黙が広がる。少し涼しくなった気さえする。完全に滑ってしまった。童子はよく分かっていない顔をしている。
それ(しょえ)で?」
「えっ。尾も白い。ほらおもしろいでしょ。あははは……」
遊行は嘘の笑い声を上げた。冷や汗がだらだら流れる。
「ただ(ちよ)い犬がい()だけの(はなち)でしょ?」
童子が痛いところを突いてきた。正論である。
「じゃあこれはどうかなあ。昔、一匹の猫がいました。頭が雪のように白くて、脚も白くて、それで……」
「尾も(ちよ)いの?」
童子に落ちを先読みされてしまった。流石、竜の期待を背負った子。非常に賢い。遊行はどうしようか考えた。その瞬間、ふと、あることを思い出した。
「前に、白い鴉がいました。頭も白く、翼も白く、嘴も白い烏でした」
「尾も(ちよ)いんでしょ。もう、ただ(ちよ)(かやしゅ)がい()だけじゃない」
童子は怒っている。そっぽまで向いてしまった。しかし、話を思い出した遊行は、したり顔で童子を諭す。
「まあまあ童子。童子は鴉を知ってるかい?」
「えっ、知ら(ちや)ない」
遊行の予想は当たった。竜たちは童子に鴉を教えていない。天敵の烏天狗を恐れて、童子を外へ出させない竜たちは、鴉について教えないと目論んだのだ。
「鴉を知らない童子には、ただの白い鴉がいただけの話だろう。でも鴉を知っている人に、黒い鳥はと訊けば、十中八九、鴉と答えるくらい鴉は黒いんだ。分かる?そんな鴉が白いとヒトは驚くんだよ。今日はそんな話をしよう」
そっぽを向いていた童子が、こちらを見上げた。童子が興味を持ち始めたようだ。今日も遊行が語りだす。


 とある村に辿り着いたとき、ある話で持ちきりだった。村人が白い鴉を見たというのだ。俺は詳しい話を訊いてみた。
「俺は旅をしている者ですが、なんかあったんですか?」
「おおっ。こいつは魂消た。白い鴉の次は、鬼のような大男だなあ」
俺は鬼ではないのだが、ヒトから見たら鬼のようなものだから、そこは口を出さなかった。
「白い鴉?」
「昨日、おらがお参りしてっと、白い鴉があの木に止まってたんだ」
指を差したのは、神明社の榊の梢であった。
「本当に鴉だったのか?」
「鳩かなんかだったんでねえか。九郎どん」
「鷺かもしれねえど」
他の村人は白い鴉が信じられないようで、他の鳥と見間違えたのではないかと話す。
「いや、低い声で鳴いてたんだ。あの鳴き声は鴉だ。首が短いから鷺や鶴でもねえ」
白い鴉を見たという張本人の九郎は、自分の言っていることは正しいと言っている。これでは埒が明かない。しかし、白い鴉は少し気になった。俺は顎に手を添えて考えた。
「俺は旅鴉だが、白い鴉は見たことがない。少しの間、この村に寝泊りしてもいいですか?雨風凌げる廃寺でも厩でも構いませんが……」
「それなら、おらんちでもいいけ?一人分の食い扶持くらいならあるし。その代わり、桑の手入れしてくれっとありがてえなあ」
白い鴉を見たという九郎が、そう言ってくれた。寝泊りする場所だけでなく、なんと食事付きとはありがたい。
「寝食まで面倒見てくれるなんて、それはそれはかたじけない。桑の手入れなんて言わず、力仕事や薪拾いまでなんでもやりますよ」
「じゃあ水路掘るの手伝ってくれっけ」
「うちの桑もお願いできっか」
世話になる九郎だけでなく、どさくさに紛れて他の村人まで俺に仕事を依頼してくる。まあ出来ないことではないので、この村にいる間くらいはなんでもやろうと思った。
 これから厄介になる九郎の家へ向かった。そこは神明社に近い所であった。九郎の家は、桑や茶の木が生え、稲作だけでなく、商品作物の栽培にも力を入れているようだった。ごく普通の自作農家だ。家には、九郎の妻と、小さな子供と乳飲み子がいた。俺がこの家に行ったら、妻には驚かれ、子供に泣きつかれたのは、今でも忘れられない。しかし、段々には慣れてきたようで、子供に肩車してやったら、村の子供たちに自慢していた。
 翌日は、昨日約束した桑の手入れをした。桑の葉を摘みやすいように、上の方の剪定をする。それが終わると、薪を拾いに雑木林を歩く。一緒に行った九郎の妻に、食べられる茸や、野草、薬草の見分け方を教えると喜んだ。朝早くから日が暮れるまで働いた。普段歩くことには慣れているが、こうして全身を使った仕事というものは慣れていないので、結構疲れた。
 更に翌日、その日は水路を掘ることになっていた。神明社の鳥居の前で、俺と九郎は村の若い衆と待ち合わせすることになっていた。その時、件の白い鴉が神明社の拝殿の屋根に止まっていた。俺と九郎は驚いた。九郎は白い鴉を指差して、俺にひそひそ話をする。
「旦那、こいつですよ。例の白い鴉」
まじまじと屋根の鳥を見ると、大きさといい、形といい、鳩や鷺ではなく、間違いなく鴉だった。既に集まっていた数人の村人も、その白い鴉を見てぎょっとしている。
「九郎どんの言ってた白い鴉ってこいつのことか」
「本当に鷺や鶴ではねえど」
鳥居の前がざわつき始める。すると鴉が独特の低い声で鳴いた。鳥居の前にいた全員が、その鳴き声にびくついた。太々しい鴉は、拝殿の屋根からこちらを見下ろしている。
「こいつは魂消た。白い鴉だ」
「んだなあ」
俺は、いつか見た白蛇を思い出した。蛇の白子である。親は普通の蛇であったが、子は何故か白いのだそうだ。その白い蛇は神の使いとして、丁重に扱われていた。あの鴉もそういう白子なのかもしれないと考えた。また鴉がひと鳴きすると、天高く飛んで行ってしまった。飛んで行った方を、皆がしばし黙って見つめていた。
 白い鴉が飛び立った後、村の若い衆と水路掘りをしていると、白い鴉の話でいっぱいだった。そして、ある村人がこんな提案を始めた。
「なあ、あの鴉、生け捕りにしねえか」
「んだなあ。捕まえてお殿様に献上しよう」
「白い生き物は珍しいっていうしなあ」
「改元したこともあんだっけか」
最初は手を動かしていたが、話が熱中してくると、手が止まる。俺は一人、黙々と掘りながら、村人の話を聞いていた。
「庄屋様に相談しよう」
「よし、明日から村人総出で鴉を捕まえよう」
「おー」
ため息を吐きながら、踏み鋤で掘る手を止めた。明日の俺の仕事は、鴉の捕獲になりそうだ。
 翌朝、日の出から間もないというのに、村人が鳥もちや網、鳥笛に鳥かごを持って、鳥居の前に犇めいていた。榊の梢やその周辺の木々の、鳥の止まりやすい所に鳥もちを塗り付ける。そして、鳥笛を鳴らし、白い鴉を呼び寄せようとした。村の男も女も白い鴉を捕まえようと躍起になっている。俺は、この捕獲騒動には参加せず、九郎の家で子供の面倒を見ていた。農作業をせずに鴉の捕獲に行った夫を、九郎の妻は心配している。
「農作業を放っておいて、鴉を捕まえるだなんて大丈夫でしょうか」
その意見には同意する。彼女は乳飲み子を背負いながら、黙々と藁で縄を結ったり、俺の草履まで作ってくれた。俺は彼女の手伝いをし、一日をゆっくり過ごした。彼女に連れられて薪拾いに行ったとき、村の田や畑で農作業をしている者がいなかった。明日か明後日には、この村を出て行こうかと考えていた。
 黄昏時に九郎は帰ってきた。この日はどうやら捕まえることが出来なかったようで、落胆していた。しかし、夕食時にはギラギラとした目で、明日こそは捕まえるんだと意気込んでいた。そして俺の背中をバンバン叩いて、楽しみにしてくだせえなんて言った。九郎の妻は、そんな夫を不安そうに見つめていた。
 その翌朝、この日も白い鴉の生け捕りに村人総出で行っていた。男も女も、老いも若きも、皆が参加していた。
 俺は九郎の妻から暇を与えてもらった。夫が作業せずに、客人に働かせるわけにはいかないとのことだ。暇になった俺は、旅に必要な物の買い足しがてら、捕獲騒動を見に行った。しかし、村の店は全て休みだった。店の営業もそっちのけで捕獲に参加しているようだった。村の庄屋は、白い鴉の話を領主に報告したようで、領主からは、生け捕りが成功した暁には褒美を与えるといった内容の御触書が瓦版にあった。この御触書に、他の村の者も捕獲にやって来たようで、日中には更に多くの人間が捕獲に参加していた。神明社の境内だけでなく、村のあちこちの梢に鳥もちがつけられた。そして鳥笛を鳴らすものだから、可哀想に他の雀や燕、百舌などが鳥もちに引っかかて命を落とした。
 正午頃、神明社のあたりが騒がしいので、顔を出してみた。なんと件の白い鴉が、本殿の屋根の真ん中に止まっていたのだ。本殿から鴉は人々を見下ろし、カカカカと嘲笑うかのように鳴いた。なんとも太々しい態度である。これに躍起になった村人は、本殿を囲む塀に梯子を掛けて登った。更に近づこうと、本殿へ梯子を掛ける。本殿へ鳥もちのついた長い棒を向ける。すると、とんでもなく強い光が、鴉のあたりから差し込んだ。あまりの強さに目が眩む。俺は目のすぐ上を手で覆った。その光の中心で、美しい女神が冷たい眼差しで村人を見下していた。鴉は女神の右手に止まり、逆光で黒く見える。白い生き物は神使であることが多いが、どうやら白い鴉は神明社の、太陽神の神使だったのだ。神使を捕まえようとしたことに、太陽神はご立腹である。これはまずいことになった。その女神は村人には見えないようで、皆があまりの眩しさに呻いている。俺は彼女の言っている神託を聞き取った。
「旱の忠告に使いを遣わせたというのに、農作業も雨乞いもせずに、我の使いを捕まえようなどと、愚かなことをしてくれる。旱によって作物が育たず、飢え苦しむとよい」
それだけ言って、彼女は鴉と共に太陽の方へ消えて行った。
 強すぎた光が鎮まる。あまりに強い光を目の当たりにした村人の中には、気持ち悪さや頭痛を訴えたり、失明してしまった者もいた。九郎も失明してしまったようで、俺は彼を背負って、彼の家へ向かう。彼の妻に、白い鴉が太陽神の神使であったこと、太陽神の神託、九郎が失明したことを伝えた。彼女は乳飲み子を背負い、手を繋いだもう一人の子が、母を見上げている。
「白い鴉に現を抜かさず、きちんと農作業をしていれば、こんな目に遭わなかったのに……」
彼女は涙も零さずに震えている。俺は彼女に、当道座という盲人のための助け合う組織があることを教えた。彼女は九郎をその当道座に預け、実家に世話になりながらなんとか暮らしていくと、不安そうに伝えた。俺は、彼女に何もやってやることはできず、彼女の作ってくれた草履を、ほとんどの有り金で買い取った。
 俺は村を出た。一時の欲に神使を捕まえようとし、神の怒りを買ってしまっては、九郎一家も、村人もみな、これから苦労するだろうと感じた。神明社の拝殿で、俺は祈った。神使を捕まえようとしたことを謝り、どうにか怒りを鎮め、旱を起こさないようにと。ふと鳥居から出ていくと、鳥居の上に白い鴉が止まっていた。白い鴉は鳴いた。
「カカカカカカ。阿呆」


 遊行は語り終え、童子に話しかける。
「童子どうだい、おもしろかっただろう」
「ほゆー。うん」
かなり距離を置いたためか、童子は話の途中に咳き込むこともなく、いつもの通りに話に夢中であった。遊行は、無事に話すことができて胸を撫でおろす。
「とこ()で遊行、さっきの(ちよ)い犬や猫のお(はなち)神使(ちんち)だったの?」
今日の童子はやたらと鋭い針のように、遊行の痛い所を突いてくる。自分の所為で、今日は随分と苦しい思いをさせてしまったのだから、遊行は頭の後ろを掻きながら、正直に話すことにした。
「いや、犬や猫の話は出任せだ。童子が咳き込んだから気が動転して、話そうと思ってた話、忘れちゃったんだ。それでも面白い話をしなくちゃと思って、尾も白い話をした……今日は苦しい思いをさせてごめんなさい。もう二度と煙草は吸いません。すいませんでした」
遊行は童子に土下座した。遊行は思い返した。咳払いをする門番、口元を抑える女官、少し引き攣った笑顔の天子。竜は神聖な生き物であるがゆえに、刺激の強いものは体に合わないようだ。成竜でこれだけ不快を示すのだから、小竜である童子には毒のような物だろう。だから、先ほど童子は咳き込み、涙を流したのだ。土下座する遊行を、童子はただ見つめている。
知ら(ちや)なかったんでしょ?じゃあ仕方(ちかた)ないよ。それ(しょえ)()心配し(ちんぱいち)てく()てあ()がとう」
童子はにっこりと笑っている。遊行は顔を上げて、その笑顔を見る。自分が一番苦しかったというのに、こうも笑っていられる童子の度量が、遊行には眩しい。それは太陽神の放つ光よりも。遊行は、煙草を吸わないことを天地神妙に誓った。
「に()ても遊行、忘れ(わしゅえ)ちゃったか()って尾も(ちよ)(はなち)って。ぷふふ。あははは。全然(じぇんじぇん)面白(おもちよ)くない」
童子は吹き出した。キャッキャッと涙を流しながら笑っている。笑い転げ、挙句の果てには、笑いすぎで咳き込んでいる。心配して忘れてしまったために話した出まかせが、今更になってそんなに笑われるなんて思いもよらず、恥ずかしい気分になった。
「でも、(しょ)こか()(かやしゅ)(はなち)にな()んだか()、相変わ()(しゅご)いね」
童子は涙を手で拭いながら、寝転がった状態でこちらを見上げて言う。遊行はふっと笑う。
「まあね。旅鴉は、話の風呂敷が広いもんで」
 童子が落ち着いたのを見守ってから、遊行は奥座敷を後にする。そして、天子に奥座敷であったことを一応報告してから、竜宮を後にした。途中、すれ違った女官や、門番の双竜には一言詫びを入れた。彼らは不思議そうにこちらを見た。家に着いてから煙草の羅宇を折り、刻み煙草の葉を、燃えないように水をかけて処分する。煙管の金属の部分は、次の旅で古鉄買いに売ることにする。遊行の顔はなんとも晴れやかだ。

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